シリーズ 超常読本へのいざない 第3回

『核の誘惑 ――戦前日本の科学文化と「原子力ユートピア」の出現』(中尾麻伊香)

馬場秀和


 超常本の堆積物に分け入って、肯定派、否定派、懐疑派、そのスタンスを問わず超常現象が好きな読者ならきっと誰もが気に入るに違いないお値打ちものを紹介する「シリーズ 超常読本へのいざない」。その第3回です。

 科学とオカルトは相反するもの。つまり何かがオカルトであれば、それは科学ではない。そんな素朴な世界観を強烈に揺さぶってくる一冊を、今回はご紹介しましょう。まぎれもない科学でありながら、同時にオカルト思考と切り離せない存在。そのひとつが、核エネルギーなのです。

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 日本の人々は、ラジウムを、サイクロトロンを、原子力を抱擁した。外からの押しつけではなく、自らの意志で核を抱擁してきたのである。もちろん、核の危険を感じとったりその利用に反対したりした人々はいた。しかしその声は、核に誘惑された人々によって打ち消されてきた。
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単行本p.335

 日本人は「核」とどのように向き合ってきたのか。「ラジウム温泉ブーム」から「あとむ製薬の滋養強壮剤〈ピカドン〉」まで、戦前から終戦直後の「核」にまつわる言説を丹念にたどり、日本人の心に今なお深く根を下ろす「原子力ユートピア」観と、核にまとわりつくオカルト思考のあり方を浮き彫りにする労作です。

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 本書はこれから、核をめぐる言説を辿りながら戦前日本の科学とメディアと総力戦体制の混沌をひもといていく。戦前日本の人々は、核をどのように受け入れ、どんな未来を夢見たのか。そしてその受容と期待はどのように戦後に引き継がれたか。日本人の核に対する意識をその源流から辿り直す試みであり、未だ全容の知られていない戦前日本の核イメージを描き出す初の試みとなるだろう。
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単行本p.12

 全体は終章を含め8つの章から構成されており、ほぼ時系列に沿って日本人の「核」言説を追ってゆきます。そこから読み取れるのは、科学の輝かしい成果に対する憧憬と、「神秘的で摩訶不思議なもの」に心酔する心性が、渾然一体となっている様です。まさに最初からそうだったのです。


「第一章 放射能と科学者、メディア」

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 日本においては、日露戦争以降、科学の話題がジャーナリズムにおいて重宝されるようになり、科学者たちも科学啓蒙に乗り出していった。ただし科学者とメディアの関係は必ずしも良好なものではなかった。明治期のメディアは、科学者たちの人々に正しい知識を伝えるという動機と、人々(新聞記者と読者)との興味関心とのずれを可視化している。科学者は、科学の秩序を守り、体現する存在であったが、それは人々の好奇心や、神秘的で摩訶不思議なものに惹かれる心性とは合致しなかった。このずれが最大限にあらわれたのは、千里眼事件をめぐる報道であった。
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単行本p.75

 ラジウム療法(放射線は少量なら健康に良いという、いわゆる「放射線ホルミシス」の源流)、科学啓蒙とメディアの対立が可視化された「千里眼事件」。日本人は、放射線、核エネルギー、の発見をどうとらえたのか。
 最初期の「核」言説を取り上げ、それが超能力などのオカルトネタと同列に扱われていたことを示します。


「第二章 放射能を愉しむ:大正期のラジウムブーム」

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 ラジウム温泉が各地に登場し温泉が近代化した過程には、温泉の効能の正体がラジウムであったということを報告した中央の学者、近代科学の説明に飛びついた地方の温泉地、そして両者をつないだ国策、これらの一見幸福な関係があった。学者たちの生み出した放射線医学の言説は地方の社会経済的背景のなかで必要とされ、繰り返し用いられていった。ラジウムブームは、そのような日本の近代化の一局面として捉えることができる。
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単行本p.126

 ラジウム温泉から始まったラジウムブーム。モダンな紳士が集う「ラジウム吸入室」、お肌すべすべ「ラジウム石鹸」、ご家庭で手軽に放射能「ラジウムの素」、万病にきく「ラジオゲン水」。魅惑の放射性元素ラジウムに熱狂する人々の様子を眺めます。
 放射性物質は、今でいうならゲルマニウムや水素水などのオカルト健康グッズの一種だったことが分かります。


「第三章 帝国の原子爆弾とカタストロフィーをめぐる想像力」

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 20世紀初頭においては、西洋を模倣して最終兵器の描写が日本でもあらわれていたこと、そしてそれらは平和を導く楽観的なものであったことを確認した。最終兵器によってもたらされるユートピア像は、大衆文化のなかで生まれ、強化されていった。
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単行本p.159

 ウェルズ、押川春浪、海野十三。戦前のSF作家たちは、将来実現されるであろう「核兵器」の威力とその社会的影響をどのように描いたのか。
 「世界の終わり」と「核によるユートピア」をめぐる想像力の系譜を辿ります。


「第四章 新しい錬金術:元素変換の夢を実現する」

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 サイクロトロンの建設には多大な費用が必要であった。そのため仁科らはサイクロトロンの有用性をアピールする必要があった。
(中略)
 このとき、有力な宣伝文句となったのが人工ラジウムの製造である。メディアと国民は、人工ラジウムを製造する「世界一」のサイクロトロンに期待を寄せ、仁科の宣伝に魅せられたのであった。
(中略)
 科学者たちが人々に魅せるために行った水銀還金実験と人工ラジウム実験は聴衆を魅了するという意味で大成功を収めたが、実際には「金」も「ラジウム」も生産されてはいなかった。そこにあったのは、ナショナリズムに支えられた「幻想」の共同体であったのかもしれない。
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単行本p.196、197

 水銀から金を生み出し、人工的にラジウムを生産する。日本が誇る「世界一」のサイクロトロンを建造すれば、錬金術も、無限エネルギーも、すべて思うがまま。見よ、ラジウム人工生成を達成した理化学研の「偉業」を。日本スゴイ。
 後のSTAP細胞騒動にもつながる理研の、そしてこの国の、悪しき体質をえぐります。


「第五章 秘匿される科学:核分裂発見から原爆研究まで」

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 日本の原爆研究をめぐっては、しばしば「物理学者は戦争に巻き込まれた」「若い研究者の徴兵を免れるために軍事研究を引き受けた」という説明がなされてきた。こうした説明には一見すると妥当性があるがしかし物理学者たちはただ受動的だっただけではない。時代に乗じて社会に向けて自らの研究の重要性、有用性を語っていた。
(中略)
 サイクロトロンに寄せられていた人工ラジウム製造の期待は、原子力/原子爆弾の実現への期待へと置き換わっていく。この期待は、対米戦争が始まり、戦局が厳しい状況となったときに、日本における原爆製造を待望する論(原爆待望論)へとつながっていくことになる。
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単行本p.232、233

 核分裂の発見。SFに登場するようになったリアルな原爆の描写。米国で核兵器に関する情報が突如まったく報道されなくなったとき、日本では原爆待望論が巻き起こっていた。予算獲得のために積極的に動員に応じていった科学者たち。
 「今、ニッポンには、この夢の力が必要だ」という煽りが猛威を振るう精神風土を見つめます。


「第六章 戦時下のファンタジー:決戦兵器の待望」

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 最終兵器としての原爆への期待ーー原爆待望論ーーは、メディアが萎縮していくなか、理想と現実との乖離から生まれた、ファンタジーであった。このとき、科学者、軍人、記者、作家、といったさまざまな属性を持つ者が原爆を語った。原爆は、戦局が悪化していくなかでの日本の最後の希望のともし火であった。原爆への待望は、もはや通常の兵器では勝ち目がないという暗黙の「了解」のもと、広まっていった。
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単行本p.285

 戦時体制のなかで、原爆待望論をあおった日本物理学の父、仁科芳雄。軍事科学小説で繰り返し日本の大勝利を描いた日本SFの父、海野十三。原爆プロパガンダ、殺人光線、原爆ユートピア。
 決戦兵器さえ出現すればどんな敗勢をも瞬時にして覆せる、というオカルト思考について、それを喧伝して国を滅ぼした著名人たちについて、容赦なく語ります。


「第七章 原子爆弾の出現」

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 広島と長崎を破壊した原子爆弾は、日本の科学振興の原動力となった。敗戦を経験した人々は、原子爆弾の残虐性からは目を背け、科学を振興するという戦前から唱えていた目標を繰り返し、原子力を手中にすることを夢見ていく。そのような原子力への「夢」の背後には、原爆投下以前の原爆/原子力観があった。科学技術による圧倒的な敗北を乗り越えるために、人々は原子力を求めていったのである。
(中略)
 科学技術の振興や原子力の平和利用というスローガンは、未来を志向する人々が、過去の呪縛から逃れられていないことを示すものであった。
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単行本p.326

 原爆投下、そして敗戦。すばやく色々「なかったこと」にして、平和と科学振興を高らかに唱える日本人。「ピカッと光つた原子のたまにヨイヤサー、飛んで上がった平和の鳩よ」と平和音頭で歌い踊り、「あとむ製薬」は滋養強壮剤「ピカドン」を発売。新聞にはなぜか見覚えのあるような記事が続々と。

「原爆は、人類の科学史に輝く大事業。近代科学の偉大なる研究。世界文明の上にそのような意味を持つ原子力理論の礎石が、日本の科学者によっておかれたことは特別の注意を払われてよい」

「原子症状いまはなし、多くは恐怖による神経症。放射能は爆心地にも全然残っておらず、人体に害をなすことはない、むしろ健康によい」

「広島を訪れた外国人が日本人の復興意欲に驚嘆」


「終章 核の神話を解体する」

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 メディアに通底してあったものは、科学技術による帝国日本の覇権、科学技術の進歩がもたらすはずの明るい未来像であった。科学者は、人々が望んでいた未来像を語り、そのような未来の実現を予感されるような科学研究の成果を見せていくようになる。科学者と大衆は、20世紀前半のメディアを通じて、利害の一致を見ていったのである。
(中略)
 神話は、誰かが一方的に作るものではない。それは、科学者とメディア、そして大衆がともに作り上げるものであった。核にまつわる言説が注目される局面は決まっていた。美容や健康に関わるとき、一攫千金に関わるとき、国の威信に関わるとき、国や地域を立て直すとき……。問題は科学知識そのものではなく、人々が何を望むかであった。科学者と大衆の利害関心が一致したとき、魔術は科学として、市民権を得るようになった。
(中略)
 私たちは、あまりに多くの嘘≒神話に囲まれている。原子力がエネルギー源として実用化されてしばらくすると、原子力反対と推進の対立構造が生まれた。その中で、どちらでもなく、なんとなく原子力を享受する人々がいた。知らないうちに、その神話に取り込まれている人々がいた。
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単行本p.330、333、334



 というわけで日本人の「核」に対する意識をその源流からたどってゆくと、最初からずっとオカルト思考がまとわりついていたことがよく分かります。なぜ核や原子力に関する議論はあれほどまでに揉めるのか、その底流を見定めたい方に一読をお勧めします。

 また、オカルトであると同時に科学である、オカルトに対する心酔を「科学に対する評価」だと自分を納得させるのがあまりにも容易、であるがゆえにたやすく暴走する、そんな「核」にまつわる言説の歴史を知ることで、科学とオカルトの深く暗く錯綜した関係について再考するきっかけになることを期待します。


「科学者と大衆の利害関心が一致したとき、魔術は科学として、市民権を得る」



超常同人誌『UFO手帖2.0』に掲載(2017年11月)
馬場秀和


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