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11月15日(水)松浦理英子『裏ヴァージョン』を読み始める。「全米マゾヒスト地位向上委員会」って……。 |
11月14日(火) 東浩紀『不可視なものの世界』読了。一番おもしろかったのは山根信二との対談かな。この人が一番、東浩紀と異質な言葉を語っているように感じたので。 |
11月13日(月) 東浩紀『不可視なものの世界』。残すところ阿部和重との対談のみ。 仕事が早く終わったので新宿に出てAdobe「GoLive5.0」のアップグレード版を購入。Windows版はどの店にもあるんだけど、入荷数そのものが少ないのかMac版はなかなか見つからず、東口の量販店をまわって最終的には西口のソフマップ(Mac専門館)で発見。 帰宅後、さっそくインストール。当然のことながら設定は前バージョンから引き継がれる(が、初期設定ファイルは別名で作られるので、他のAdobe製品と同様、旧バージョンと併用できる)。 ALTAの地下にあるカレー屋「HAICH」の2号店がサブナードにオープンしていた。ALTAの店は息苦しいくらい席が狭いけど、こちらはいたって普通の広さ。相変わらずドライカレーはうまかった。 |
11月12日(日)来客。焼肉をして酒を飲んで寝る。 |
11月11日(土) 東浩紀『不可視なものの世界』を読み始める。 |
11月10日(金)立ち読みした「本の雑誌」に掲載されていた『神様がくれた指』の書評について。内容を要約した記述で「事件らしい事件が起こらない」と書かれていた(申し訳ない。うる覚えなので、正確な記述は評者の名前とあわせて後日確認します)が、電車に轢かれて片腕をなくしたり、拳銃をぶっぱなしたり、包丁で刺したりというのは「事件」とはいわないのだろうか、最近では。 東浩紀『不可視なものの世界』を購入。 |
11月9日(木)佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』読了。★★★★ 『神様がくれた指』との★1つの差は、単なる個人的な好みの問題だと思う(あ、でも、結末部はちょっと冗長だと感じた)。 |
11月8日(水)本日発見したサイト。『処ログ』。特に「ラベル99」。往年の「ログイン」テイストに溢れていて最高です。そういや、堀井雄二の『白夜に消えた目撃者』って結局発売されたんだっけ?(←されてません) 昨日購入した本。黒田研二『ペルソナ探偵』、霧舎巧『ラグナロク洞』、松浦理英子『裏ヴァージョン』。とはいえ、佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』がまだ途中なのでいつになったら読めることやら。祥伝社の「400円文庫」もまだ読んでいないし。 |
11月6日(月) 以前にも書いた気がするけどどうせ誰も覚えていないだろうから気にせず続けることにするが、私は高校生のころクーンツ(よりによって『ライトニング』)をきっかけにモダンホラーにはまり、しばらくのあいだクーンツは当然として、キングやらマキャモンやらジョン・ソールといった作家の小説(扶桑社ミステリー文庫の赤背表紙作家……という表現は不適切だろうか)ばかりを読んでいたのだが、まあ、そのことはどうでもいい。 佐藤多佳子『しゃべれども しゃべれども』の解説を書いているのがその北上次郎で、あまりに久しぶりだったので、自分がぐるりと回って同じ場所に戻ってきてしまったような気分になった。もし『神様がくれた指』を読んだのが3年前の自分だったら、★5つはつけなかったかもしれないなぁ、などと思ったり。いや、それだけの話なんだけど。 かといって、自分の中で北上次郎の影響力が復活したかといえば、そんなことはまったくない。 |
11月4日(土) 佐藤多佳子『神様がくれた指』。 書きあぐねてネットに逃避。そこで、上山達郎さんがこんなことを書いているのを発見した。 しかし、とりあえずこの問題にかんして言及するのはやめておく。上山さん自身、あくまで「余談」だと断ったうえでの仮説であるし、いずれ別の形でまとめられた文章が書かれるであろうから、この数行の文章から私が勝手な結論を導きだし、自分の文章に援用する愚をおかすことは避けたい。 話を『神様がくれた指』に戻そう。私が『神様がくれた指』を素晴らしいと思うのは、ベタな物語としての完成度が高いという以上の意味を持たない。ただ、その点こそが貴重であると思っているからこそ、★5つの評価をつけた。 具体的には、主人公の出所で幕が開き、再び刑務所に戻ることで(事件の)幕を閉じる凡庸だが美しい形式であるとか、主人公がスリであることが物語を動かす原動力として有効に機能している点であるとか(若いスリグループとの出会い、あるいは、黒幕の少年とともにスリを働くという結末近くの展開など)、その物語的な機能にとどまらない多彩な登場人物たちの魅力であるとか(例えば、もう一人の主人公ともいうべき占い師の存在は、実際のところ、物語的な機能としてみれば、主人公の視点からだけでは描けないスリグループを側面から描くためと、スリグループの一人である少女と主人公を物語の進行に従ってある時点で出会わせる、という以上の役割を持たない)、そういった全体としての構成や細部の配置に見られる絶妙なバランス感覚こそがこの作品を優れたものにしている。 物語の構造と細部は分離が可能であり、細部は交換が可能である。しかし、この物語において、作者は無数の選択肢の中から最良の選択をしている(ように見える)。主人公はスリでなくてはならないし、その主人公を助けるのは占い師でなくてはならない。占い師の姉は弁護士でなくてはならないし、主人公の幼なじみは喘息持ちでなくてはならない。そういった細部をきちんと物語的に回収ながら、人工的な印象を読者に与えないのは、やはり、作者が「うまい」からなのだろう。 娯楽小説はかくあるべしという見本のような小説だと思う。 |
11月1日(水)昨日は会社に泊まり。連泊を覚悟してたのだが、とりあえず明日に持ち越し。さて、どうなることやら。 佐藤多佳子『神様がくれた指』の感想は、週末に。 といいつつ結局書かずじまいというのがいつものパターンだが、★での評価をはじめて以来、初めて満点(★★★★★)をつけた作品である以上、やはりその根拠を書くのが筋というものでしょう。 |
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