ジェフ・フリーマンのRPGコラム"Ack!"



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ポイントをおさえてるかな?
Do I Have A Point?



著者:ジェフ・フリーマン(Jeff Freeman)
翻訳:馬場秀和



 告白しなければならないことがある。今こそ、場に全てのカードをさらす(手の内を見せる)ときだ。いや、マジック・ザ・ギャザリングのカードじゃないよ。でも、どっちにしても僕はウイザーズ・オブ・ザ・コースト社に特許使用料を支払わなければならないだろう。なにしろ、彼らは「トレーディングカードゲームというプレイ形態そのもの」に対する特許権を握っているのだ。

 WotC社は、今や他のコレクタブルカードゲーム会社を特許権侵害で訴えることが出来る。彼らは、そんなことはしない、と約束している。そうとも。たとえ訴えるとしても、少なくとも過去に売った分まで逆上って損害賠償を請求することはしないだろう。それに、少なくとも自発的にお金を払う会社まで訴えることはしないだろう。そうとも。

 幸いなことに、WotC社は「悪の帝国」じゃない。とんでもない。WotCは暴君じゃない。彼らは大きな、愛すべき、人のよい友達なんだ。ただ、たまたまダースベーダーと同じような暗黒面パワーを持っているだけさ。彼は君のケーキを指さして、申し訳なさそうに言う。「それ、ボクのだ」。そして、こう付け加える。「でも一口だけくれたら、残りは君にあげてもいいよ」

そうさ。何の問題もないだろう。

 ああ、そうだ。問題が1つある。WotCが(今は)優しいのは、ピーター・アドキソンがゲーマーであるという理由であり、それしか理由はないのだ。彼はゲーマーなら誰でも好きで、全てのゲーマー達を自宅に招いて一緒にゲームをプレイしたいと思っている。いや、まあ「全ての」というのは言い過ぎだし、全員を同時に自宅に招きたいとも思ってないだろうが、僕の言いたいことは分かるだろう。弁護士が彼をつっついて「全てのトレーディングカードゲームは貴方のものです。さあ、訴えましょう。貴方の権利を守るのです」とささやいているに違いないのだ。

 少なくとも彼のやり方は厳しくない。WotC以前にゲーム界に君臨したTSR社の「オンライン・ポリシー」と、彼らが「自分たちの権利を守る」ためにどんなに情け容赦ないやり方をしたか思い出してみたまえ。そして、ピーター・アドキソンがやってきた。TSRよりは親切で、優しい、話の分かる奴だ。彼はあなたのケーキを丸ごとぶんどるのではなく、たった一口もらうだけなのだ。

会社は、誰が舵取りするかで「態度」を変えるものだ。ゲイリー・ガイギャックスがTSR社を率いていた時代には、D&Dのユーザは自由にオリジナルアイテムを創り出して、それを広めることが推奨されていたものだ。トップがゲーマーである会社は、ゲーマーに優しい会社である。これは偶然ではない。

ピーター・アドキソンはきっといつまでも良い奴で、しかもRPGファンのままだろう。しかし、親切な我らが友、ピーター・アドキソンが永遠にウイザーズ・オブ・ザ・コースト社を支配できるわけではない。いずれ、ゲーマーでない奴、収支決算書の他には何も興味がない奴があの会社を支配するに違いない。食べられるうちにケーキを食べておこう。TSRの情け容赦ないやり方が復活して、コレクタブルカードゲームに襲いかかることだろう。賭けてもいい。奴らは、自分たちが特許権を持っている対象を「トレーディングカードゲーム」と呼ぶのを止めて、世間に合わせて「コレクタブルカードゲーム」と呼び始めさえするかも知れない。

 さて、それはさておき、僕は「場に全てのカードをさらす」と言った。実際にはそれは言葉のあやというものであって、今回はカードゲームについて話すつもりじゃなかったんだ。話がそれてしまって申し訳ない。告白することがあるというのは本当なんだ。ちゃんと書くとも。まあ、その前に急に何か別のことを思い出して、そちらの話題について書き始めたりしなければの話だけど。

 ほら、こういう言い方をするとサスペンスがあるだろう?

 それで思い出したんだけど、いや「それ」っていうのはサスペンスのことだけどさ、サスペンスがないという点で、TV番組って基本的にゲロゲロだと思わない? つまり、TV番組みたいなもので、多少ともまともな出来の作品なんて、ほとんどないと言いたいんだ。たまにそういうのが出てくると、プロデューサーがダメダメにしてしまう。最初のアイデアは素晴らしい。そして、奴らはそのアイデアを元に企画として良さそうに見えるだけの馬鹿げた番組を作って、何もかもぶち壊してしまう。

 例えば、「Space」シリーズ。この優れた番組は、数シーズン前に打ち切りになってしまった。こういうアイデアがTV番組になると、「宇宙海兵隊物語」とか、「スターシップ・トルーパーズ外伝」とか、「エイリアン2に登場した宇宙海兵隊員たちは、例のエイリアンと戦ってないときには何をしているのか」といったものになってしまう。すげえコンセプト。くだらない番組。どうしてみんなTVを観るのを止めてゲームでもしないのか不思議だよ。もちろん、ブラウン管の前に座って放送局が垂れ流すゴミを何でもかんでも飲み込んでいる方が楽なのは分かる。でも、それってゲロゲロじゃないか。

 その上、ちょっとでもゲロゲロでない番組が出てくると、次々に似たような番組が制作され、あらゆる順列組み合わせとバリエーションで何度も何度も真似されて、結局は誰もがうんざりしてしまうことになる。

 連続コメディ番組RPGが存在しないのも無理はない。もし消費者が自由にゲームの形式、内容、ジャンルを決めて楽しんでよいということになれば、誰もがきっと「ロザンナ:ザ・ロールプレイングゲーム」を延々と続けることになるだろう。ところで、ファンタジーはRPGジャンルとしては非常にポピュラーだが、TV番組の世界ではわりと最近になって登場したジャンルであり、ゴールデンアワーに何度も流されるせいで世間から飽きられつつあるところだ。よい例がヘラクレス。そこそこ人気があるため何度も番組のネタとしてとりあげられ、そして飽きられる。ハロー、ゼナ、シンドバッド、コナン、その他、その他、その他。あるジャンルに人気が出ると、そのジャンルの番組が繰り返し制作され、誰もがうんざりした頃にはそのジャンルの全ての番組が打ち切りになる。そして世間はそれに感謝するのだ。

 ところで僕の告白に話を戻そう。僕はいつも自分のことを、酒飲み、スモーカー、何でそんな馬鹿なことをしでかすのかしらやーね、えんがちょ、などと形容してきた。しかし、実際には、私はゲームファンなのだ。

 いや、ゲームファンだからといって、その他の形容が間違っているとは言えないけどさ。

 正直な話、僕はずいぶん長いこと他人と顔をつきあわせてゲームをプレイしてない。でも、そうしたいとは思っているんだ。僕がゲームを購入するとき、それを決してプレイすることはないだろうと分かっている。なぜなら、この僕がプレイしようと言い出したゲームは誰も参加してくれないからだ。ちょっとでも独創性や対人交渉を含むことをやろうと提案すると、みんなTVの方を向いてしまう。聞いてくれ。ゲームに比べるとTVなんてカスだ、カスだ、カスなんだってば。

 だから僕はゲームファンとしては薄いし、プレイ経験も乏しい。でも、ファンなんだ。おそらく濃いゲーマーとは言えないだろう。濃いゲーマーというのは、一般に何かそれなりのこと、例えば毎月ゲームコラムを書くとか、そういうことをやっているものなのだ。ちなみに、僕は本当に毎月ゲームコラムを書いている。ときどきコラムの中でゲームについて書くことすらあるんだ。

 もっとも、大抵の場合、僕は自分のコラムの中でゲーマーをからかったり、ゲーム会社を皮肉ったりしている。その方がずっと楽しいんだ。でも、ときどき僕が書いたことをちょっとばかし真面目に受け取っちゃう人がいる。「ゲームとギャル」というコラムを読んで激怒した人が何人かいる。連中は、あれはやりすぎだ、シャレになってない、あんたは女性蔑視のひねくれた馬鹿だ、と言った。この場合、誰が悪いんだろう。あのコラムを書いた僕なのか、うるさい連中なのか、それとも僕が書いた明らかに馬鹿げたコラムを「これは事実であり、シャレになってない」と思うような女性蔑視のひねくれた馬鹿である読者だろうか。あ、「読者」というのはもちろん君のことじゃなくて、女性蔑視のひねくれた馬鹿のことだよ。君はもちろん違うけど、あー、君の友達にいるだろう。そういうのが。

 ある人は「ゲームとギャル」はあまり面白くないと文句を言ってた。あー、正直に言って、そういう見解を持っている人は他にもいた。ともあれ、サマンサ・クーパー嬢は「ありがちな男性ゲーマーの欠点だって指摘しなきゃ不公平よ」と主張してきた。特に、散髪したり髭を剃ったり服装を整えたりするという発想が全くないこと、「だらしない方が男らしいんだ」という愚かな考え、その他、とにかく男性ゲーマーの清潔さに関する問題を取り上げるべきだと。

 確かに、男性ゲーマー諸君には申し訳ないが、彼女の主張の最後の部分は確かにそうだ。否定できない。僕も昔は「臭い」コンベンションに参加したものだ。どうだろう、比較的狭い場所にぎっしり集まる前に、シャンプーとリンスを使っておくのも悪くない考えじゃないだろうか。

 またある人は、僕が「RPG:当時と今」というコラムで書いたことを訂正するように言ってきた。僕は「いまでは選んだゲームをすでにやっている人がひとりもいないようなRPGがたくさん市場にあふれているし、もしいたとしても、その人たちはアラスカにいたりする」と書いたのだ。そう、アラスカ在住のB.チャールズ・レイノルド氏によると「アラスカじゃ、誰もRPGなんてプレイしません」とのことだ。私の言葉を信じて、RPGをプレイするためにアラスカまで行った人がいたらまことに申し訳ない。(ただし、たまたまチャールズ氏に出会った人は別だよ)

 前にも書いたけど、僕は本当はひねくれた馬鹿じゃなくて、ゲーマーなんだ。誰もそのことを知らないけど。つまり、私を個人的に知っている人の大半は知らないという意味だけどさ。

 正直なところ、僕はロールプレイングゲームをプレイしている連中の大半と同じタイプなんだ。連中の大半は、私が観察する限り、何も聞かず何も言わない。彼らは自分たちだけで閉じこもってゲームをプレイしている。(そんな連中をどうやって観察したのか、とか突っ込まないで素直に受け取ってほしい)

 ところで、RPGと言えば、今やコンピュータRPGの方が主流となっている。

 それは「本物の」ロールプレイングゲームじゃない。ロールプレイという点では、コンピュータRPGをプレイするよりは、D&Dで死んでいるキャラクターを担当する方がマシだ。でも、たとえそう言ったとしても、コンピュータRPGのプレーヤー達は、平然とそれを認めるだろう。おまけに、ウルティマ・オンラインやその類のゲームが登場したおかげで、コンピュータRPGは着実に「本物の」RPGに近づいている。

 たぶんウルティマ・オンラインは、実のところ、キャラクター性もキャラクター間のやりとりも充分ではなく、まだ本物のRPGだとは言えないだろう。でも、すぐにその点は改善される。それも思ったよりすぐに。あるいは、何かそれに代わるものが開発されるだろう。いずれにせよ、そうなったときには、コンピュータRPGは今までに出版されたどのロールプレイングゲームよりも主流になるだろう。

 けれど、僕の心には次のような疑問が浮かぶ。いつか主流となるRPGが、それがコンピュータRPGであれ何であれ、登場したとしても、みんな自分がRPGをプレイしているということを他の人に言うだろうか。職場の同僚が自分と同じゲーマーだったと気付く日は来るのだろうか。思うに、我々ゲーマーは何か秘密のサインを持つべきじゃないだろうか。どう見ても無害で、非ゲーマーを脅かしたりしない、それどころか非ゲーマーには気づかれもしないもので、でもそれを知っている我々にとってはまぎれもなくゲーマーだと分かる、そんなゲーマーサインを。

 たぶん、窓ガラスに刷り込んだ小さな絵とか、絵だけで文字が書かれてない車のステッカーといったものがいいだろう。非ゲーマーにとっては無意味なものだが、我々ゲーマーにとっては「ゲーマーここにあり」と書かれた旗にも等しいものだ。このアイデアが実現したとして、はたして赤信号で停車する度に、周囲にゲーマーステッカーが貼ってある車を見つけられるようになるだろうか。あるいは周囲の人に近寄ってよく見ると、ゲーマーサインである指輪やネックレスを着けていることに気付くとか。チャールズ・レイノルド氏はアラスカでゲーマー友達を見つけることが出来るのだろうか。

 もちろん、これは思いつきだ。僕は、個人的にアクセサリー類は身につけない。ネクタイも駄目だし、車にステッカーは張らないし、窓ガラスに絵を刷り込んだりしない。でも、必要とあらば考えてもいい。君がやるなら僕もやる(ああ、もちろん君だけじゃなくて、ゲーマーの大半がやるなら、という意味だよ)。ゲーマーサインとしては、ダイス(サイコロ)の絵が良いと思う。車のバックミラーからぶら下がっているふわふわダイスは別にして、車にダイス絵のステッカーを張ったり、服や身体にダイス絵をプリントしたりしている奴を見れば、そいつがダイスを使うかどうかにかかわらず、ゲーマーだと分かるわけだ。

 きっとゲーマーに優しい会社が、そういうゲーマーサインを作ってくれるだろう。そして、そのうちに「アホな親戚が贈ってくれた非ゲーム的なくそプレゼント」をゲームショップに持ち込むと、それをゲーマーサインと交換してくれる素敵なサービスが開始されることだろう。



この記事は米国RPGnetの許可に基づき翻訳されたものです。日本語訳については当サイト管理者ben*at*land.linkclub.or.jpまたは翻訳者まで。記事の内容については本人へ英語で連絡してください。

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