馬場秀和のRPGコラム 1998年7月号



『RPG世代論 −あるいは盛年の主張−』



1998年7月25日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 RPG世代論、つまり「D&Dが第1世代で、何やらが第2世代で・・・」と
いうやつは、誰が考え出したのか知らないが、実にいいアイデアだ。なにしろ、
こういう言い方をするだけで、RPGについて何だか論理的に語っているような
気分になれるのだ。それに、RPG世代論に対して客観的に反論するのはかなり
困難なので、誰でも安心して主張できるというメリットもある。

 要するに、RPG世代論は「血液型による性格分析」と同じくらい有用なのだ。
 ・・・つまり何の役にも立たない。

 実のところ血液型による性格分析を主張する人の方が幾分マシかも知れない。
少なくとも4種類の血液型全てについて、何かしら語ってくれるからだ。これが
RPG世代論を唱える人だと、第1世代と第2世代については、自信たっぷりな
くせに、第3世代になると途端にあやふやになり、第4世代にいたっては、何も
具体的なことを言えない。これはたぶん今から200年たっても同じだろう。

 どうしてこうなるのか。おそらくRPG全体を「世代」で分類するという発想
にもともと無理があるのだ。だが今回、私はRPG世代論をネタに「今後RPG
はどういう方向に進めばよいのか」といったご大層なテーマについて書くように
注文されている。ここはひとつ、素直に、RPG世代論について書いた方がよい
だろう。

 そこで、私は考えた。話題を「日本におけるRPG発展史」という範囲に限定
することで、曖昧さなく、具体的で、第4世代までの展開を一貫した論理で説明
できる、独創的な「RPG世代論」を構築できるのではなかろうか。

 もしそうなら、素晴らしいことだ。

 それは、きっと血液型による性格分析と同じくらい有用なものになるだろう。


**


 日本におけるRPGの第1世代は、もちろんD&Dや、T&T、トラベラーと
いった翻訳ものRPGだった。D&Dに初めて触れた日本のテーブルゲーマー達
は狂喜乱舞したものだ。すげえや、迷路や宝箱やモンスターを自由に配置できる
なんて!

 これに比べるとトラベラーは少し手ごわかった。最初は何をするゲームなのか
さっぱり分からなかったからだ。「小惑星の洞窟を探検して、宇宙怪物を倒し、
銀河秘宝を持って帰る」というシナリオはうまくゆかなかった。最初の戦闘で、
パーティの半数が死んでしまったからだ。(ちなみに残り半数は、ダイスの目が
悪くてキャラクター作成の途中で死んでしまった)

 だが、やがてテーブルゲーマー達は気づいた。こいつは、人生におけるエキサ
イティングな出来事(ローン支払いとか、役所の手続きとか)の数々を、任意に
ゲーム化できる*新しい*システムなのだと。なんと、これは無限の可能性を持っ
たゲームだ。これを使えば、他にも無数の心ときめく体験(ローン取り立てとか、
お役人への贈賄とか)をゲーム化することが出来るのだ!

 この時期、RPGはワクワクするような新しい可能性に満ちたゲームだった。

 日本のテーブルゲーマー達は、手に入るあらゆるRPG製品に惜しげもなく金
をつぎ込んだ。彼らはゲームの「未来」に投資しているつもりだったのだ。


**


 やがて、日本でデザインされた国産のRPGが登場した。それらは大して優れ
たゲームではなく、良く言っても凡庸な出来だった。テーブルゲーマー達はぶう
ぶう文句を言ったが、これは不公平な態度と見なすべきだろう。ゲームデザイン
には経験が必要であり、日本のゲームデザイナーには、RPGのデザイン経験が
欠けていたのだ。そういう状況で、最初から多くを期待すべきではないだろう。
むしろ大切なのは、ユーザの批判を謙虚に受け止め、次の機会にはもっと優れた
ゲームをデザインしようとする姿勢(そういう姿勢を示せば、の話だが)を高く
評価することだ。

 ところが、国産RPGベンダは、批判に対して前例のない見事な対応策を編み
出した。

 彼らは、システムの出来が悪いことを指摘されると「RPGでは気に入らない
ルールは無視していいんですよ。システムは重要じゃないんです」と言ったのだ。

 同様に、背景世界の情報が不足していることを指摘されると、彼らは「RPG
というのは、設定や何かは自分達で作って遊ぶものなんですよ」と答えたのだ。

 要するに、彼らは、「ゲームとしての出来が悪いのは、製品の欠陥じゃない。
なぜならRPGはゲームじゃないからだ」と主張したわけだ。何と画期的なコン
セプトだろう。新しい世代の誕生だ!

 こうして、第1世代「RPG」からG(ゲーム)を取り除くことで、第2世代
「RP」が登場したのだ。


**


 テーブルゲーマーの多くは、第2世代のRPを見捨てて去って行った。なぜっ
て、彼らが愛していたのはゲームであり、ゲームシステムから生み出される知的
チャレンジや多彩な展開や意志決定や、何やかやだったからだ。システム軽視の
RPなんてガキのゴッコ遊びに過ぎないじゃないか。

 だが、非テーブルゲーマーの多くは、RPを歓迎した。彼らが求めていたのは
ゲームではなく娯楽だった。彼らを引きつけたのは、知的チャレンジではなく、
ノリと盛り上がりだったのだ。(むろん、それが悪いとは言わない。単に彼らは
非テーブルゲーマーだったというだけのことだ)

 こうしてRPはブームになった。それまでに本格的なテーブルゲームなどやっ
たこともない(したがって、テーブルゲームの魅力を知らない)人々が、新しい
娯楽であるRPに群がって・・・そして食いつぶしていった。


**


 ブームのせいで気づかれなかったものの、第2世代のRPが、マーケティング
上の重大問題を抱えていたことは、ここで指摘しておくだけの価値がある。なぜ
なら、後にこれが第3世代、第4世代への展開を生む主な原因となったからだ。

 「システムは重要ではない」と教えられ、それを信じたプレーヤー達は、最も
メジャーな(一緒にプレイできる人が多い)システムを1冊だけ買えば、それで
満足し、他のシステムに手を出す動機を持たなかった。システムは、1つで十分
だった。(たいていの非テーブルゲーマーは、1つでも多すぎると感じた)

 「設定は自分達で作るもの」と教えられ、それを信じたプレーヤー達は、サプ
リメントを購入する動機を持たなかった。なにしろ、基本ルールだけ購入して、
設定やら何やらは自分達で作ってプレイすればよいのだ。設定の出来はともかく
として。(たいていの非テーブルゲーマーは、そもそも背景世界設定にも優劣が
ある、ということすら理解できなかった)

 これは市場を著しく狭めることになった。最もメジャーなシステムだけが売れ、
それ以外のシステムはあまり売れない。基本ルールは売れるが、サプリメントの
類は、それほど売れない。これでは、市場を支える土台が恐ろしく小さくなって
しまう。ブームに乗って、プレイ人口がどんどん増加しているうちは、それでも
よかった。だが、それも一段落し、新しく始める人が少なくなった途端、そんな
小さな土台に支えられていた市場など簡単に倒れてしまう。

 米国のRPGベンダは、基本ルールを購入した人の耳元で、「サプリメントを
買いましょう。サプリメントを買いましょう。ソースブックも買いましょう。他
のシステムにも手を出しましょう」とささやくことで、市場を広げよう育てよう
と画策してきた。

 それなのに、日本のベンダは全く逆のことを宣伝したわけだ。何と奥ゆかしい
ことだろう。


**


 そうこうするうちに、非テーブルゲーマーのプレーヤー達はRPに飽きてきた。

 なにしろ、同じシステム(しかも凡庸なやつ)ばかりプレイしているのだから、
これは当然のことだ。他のもっとマシなシステムや背景世界、特に海外の最先端
のRPGに手を出していれば、事情は違ったのかも知れないが、前述した教育の
おかげで、そういうことをする動機は失われていた。

 必然的な成り行きとして、彼らはノリや盛り上がりといった刺激ばかりを追求
するようになった。演技の快感、キャラクタープレイの興奮だけに身を任せて、
RPにもわずかに残っていた知的な側面(どのように「役割分担」するか)を、
捨ててしまった。つまり誰もが「とにかく自分(のキャラクター)を目立たせる
こと」「とにかくシーンを盛り上がること」だけしか念頭にないようなプレイ、
「役割分担」という基本を忘れたプレイに走っていった。

 この刹那的な傾向はさらに加速し、RPのセッションは、カラオケ大会と大差
ないものになった。末期になると、そのようなプレイを前提にした製品まで登場
した。

 またもや偉大なる新世代の誕生だ。第2世代の「RP」から、さらにR(役割
分担)を取り除くことで、第3世代「P」が登場したのだ。


**


 さすがに「P」についてゆける人は少なかった。多くの人が「RPGにはもう
飽きた」とか「いい歳して“ロールプレイ”なんて恥ずかしくて出来ん」などと
感じて、「P」から離れていった。新たに興味を持った人々も、ノリノリ演技で
盛り上がる「P」プレーヤーの姿を見て思いとどまった。無理もない。うっかり
近づいてしまった初心者も「さあ、君もキャラクターになりきって熱いセリフを
叫ぼう」などと言われて、あわてて逃げ出した。そんな気持ち悪いことに快感を
覚える××だけが「P」を支えていたが、その数は減少の一途をたどり始めた。

 この惨状を目の当たりにした日本のベンダは、彼らを救済することにした。例
によって画期的なコンセプトでだ。「もう自分達でプレイする必要はないんです
よ」と彼らは言ったのだ。「他人のプレイを眺めて盛り上がりましょう」と。

 そういうわけで、「リプレイ」本が大量に出版された。多くのプレーヤーは、
それを読むだけで満足し、もはや「P」すらプレイしなくなっていった。


**


 こうして見ると、日本のRPGは、非常に論理的に整然と発展してきたことが
よく分かる。第1世代はRPG、第2世代はRP、第3世代はP。では第4世代
はどうなるだろうか?

 そう。お分かりの通り、第4世代では最後のP(プレイ)がなくなる。つまり
プレーヤーがいなくなり、そうして、後にはホビージャパン社の商標登録だけが
残るのだ。


**


 つまるところ、日本におけるRPGベンダは、長期的なマーケティング戦略を
誤ったのだ。

 RPGベンダはRPGを幅広い客層に売り込もうとした。その狙いは正しかっ
たとしても、そのためにテーブルゲーマー達を切り捨てたのは、間違いだった。
確かにテーブルゲーマーは付き合いにくい人種だが、概して彼らは貞淑だ。既に
沢山のゲームを持っていても、良いゲームがあれば金を出す。彼らは、ゲームを
見捨てることはしない。彼らは、ブームが来ようと去ろうと関係なく、テーブル
ゲームをプレイし続ける。

 日本のRPGベンダは、RPGからGを除くことで彼らを裏切り、そしてもっ
とお金持ちのパトロンになびいたのだ。だが、新しいパトロンは、RPGという
名のちょっと目新しい娯楽に気を引かれただけで、全く本気じゃなかった。彼ら
は楽しければ何でもよかったのであり、RPGを自分達で育ててゆこう、という
気などさらさらなかった。だから、飽きれば見向きもしなくなったのだ。RPG
は浮気なパトロンに捨てられ、落ちぶれてしまった。

 では、今後RPGはどういう方向に進めばよいのか?
 (よしよし、今回のテーマにつながった)

 今こそRPGは、かつて別れたテーブルゲーマー達とよりを戻すべきではない
だろうか。服を新調して、花束を持って、彼らのところに行って、こう言うのだ。
「ぼくたち、もう一度やり直せないだろうか?」


**


 それにしても、かつて第1世代RPGに狂喜乱舞したテーブルゲーマー達は、
今どうなっているのか? 私の見るところ、彼らは30代になっているのだ。

 ああ、黄金の30代。

 未熟で恥ずかしい20代と、盛りを過ぎた40代の間に横たわる、豊穣なる30代。

 30代こそ人生の華であり、最も素晴らしい世代である。これを書いている現在、
私は35歳だが、この偉大なる真理に5年も前に気づいた。それ以来、この確信は
深まるばかりだ。私は決してこの考えを変えることはないだろう。あと5年は。

 そこで私は主張する。誰か30代のテーブルゲーマーをターゲットにしたRPG
を開発すべきだ!

 市場はある。30代のテーブルゲーマーは金を持っている。正確に言うと、生活
費を無駄金に変えて悔いることのない気概を持っている。妻が(ごくごくまれな
ケースでは夫が)何と言おうと、ゲームとして出来のよい製品に対しては、金を
つぎ込むのだ。

 彼らには、いくつか共通する特性がある。顔がでかい、声がでかい、態度がで
かい。言うべきことが言えない、でも言うべきでないことは言ってしまう。など
など。しかし、最も重要な共通点は、彼らはゲームに関する限り決して懲りない
ということだ。「ゲーマーとは、後悔しないことだ」とシェークスピアも言って
いる。(彼でなければ、たぶんゲーテだ)

 ここにベンダにとっての金脈がある。確かに、一度に大量の金は採れないかも
知れないが、堀り続ける限り枯れることのない金脈だ。


**


 では、どんなRPGを作れば、30代のテーブルゲーマーに受け入れられるのか?

 まず、優れたゲームシステムが必須だ。ここで言うゲームシステムというのは、
ルールメカニズムと背景世界設定の両方を指している。どちらか一方ではなく、
両方ともに優れたものでなければならない。それも、この狭い島でしか通用しな
いような基準でなく、世界水準で見ても優れたものにしてほしい。たとえテーブ
ルゲーマーだとしても、人間30代にもなれば、少しは物の善し悪しが分かるよう
になるものだ。まがいもので騙すような真似をしてはいけない。

 また、演技やキャラクタープレイを、強調してはいけない。30代にもなると、
そういう類のものにはうんざりしているのだ。演技やキャラクタープレイを排除
する必要はないが、それらに頼ってはいけない。それらがなくても十分に楽しめ
るような、純粋にゲームとして良いものにしてほしい。演技やキャラクタープレ
イを好む若い世代にも売りたいと思うのなら、そのためのサプリメントを出すと
良いだろう。「なりきりガイドブック」「ノリノリソースブック」

 それに「課題」や「目標」「制限」といったゲーム要素をはっきりさせるべき
だ。30代をなめてもらっては困る。「RPGには、勝敗はありません。みんなが
楽しめれば、全員が勝者なのです」などといったお題目が通用すると思ってはい
けない。たとえ勝ち負けがないとしても、「どのくらい目標を達成したのか」を
はっきりさせないようなゲームに本気で感情移入できるほど未熟ではないのだ。

 もちろん、アニメ絵の表紙は止めてもらおう。30代になると、あれじゃ恥ずか
しくて購入できない。アニメ絵に魅了されるような若い世代にも売りたいと思う
のであれば、「なりきりガイドブック」と「ノリノリソースブック」の表紙を、
思いっきりアニメ絵にしてくれて結構。付属のアンケートカードを送ると抽選で
毎月20名様に美少女フィギュアが当たるようにしてくれても、文句は言わない。
だから、製品の見た目だけでも重厚で高級な感じにしてほしい。30代になると、
自分を重厚で高級な人間だと、少なくとも、重厚で高級なものを買う人間だと、
思いこみたくなるのだ。


**


 そして、これが肝心だが、そのゲームがRPGであって、RPや、ましてやP
ではないことがはっきり分かるようにすることだ。30代のテーブルゲーマーは、
もうRPGという文字を見ただけで辟易して通り過ぎるかも知れないので、この
際、別の名称を考えた方がいいかも知れない。「QOF」とか。

 40代の人々が「それは一体、何の略かね」と聞いてきたとき(彼らは、略語を
見ると必ず何の略か質問する)のために、一応"Quest of Freedom"とか"Quality
of Fiction"とか、出鱈目な言葉を用意しておいた方がいいだろう。でも、30代
のテーブルゲーマーなら、誰だって「2001年宇宙の旅」に登場するコンピュータ
HALの名前がどこから来たかに関する根強い噂を知っているだろう。だから、
きっとQOFの本当の意味を分かってくれるはずだ。

 あと、思い切って「30代向けゲーム」ということを強調して宣伝するのも手だ
ろう。馴染みのゲームショップの棚をガキ向け商品で埋めつくされ寂しい思いを
している30代のテーブルゲーマーなら、きっとそれだけで買う。中学生や高校生
にも売りたいと思うのであれば、「18歳未満禁止」と目立つように書いておけば
いいのだ。そうすれば、彼らは条件反射で買ってくれるだろう。


**


 さあ、これが私の答えだ。

 今後RPGは、30代テーブルゲーマーに向かって進むべきなのだ。

 ところで、30代テーブルゲーマー向けRPGがそこそこ売れたとして(売れる
と思う。少なくとも私は買う)、その後どうすればよいのか?

 実は、これについても私は密かに素晴らしい回答を用意している。(私は常に
先を読んでいるのだ)

 だが、私はまだ35歳であり、それについて語るには若すぎる。今は、このアイ
デアは胸にそっとしまっておくことにしよう。いずれ、そう、あと5年たてば、
きっとこれについて声高に語る気になるだろう。



馬場秀和
since 1962


馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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