馬場秀和のRPGコラム 1999年5月号



『タコツボ化現象 −あるいはポエマーとポエトの違い−』



1999年5月15日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 なにしろ朝早く2人で近所のうどん屋に駆け込んで、そこの御主人夫妻に頼み
込んで婚姻届に立会人のハンコを押してもらい、それを手に役所まで走り、それ
から出勤した、という次第だ。結婚式も、友人知人を招いた披露宴もなかった。
もう何年も前のことになる。

 そういうわけで、しばらくの間、知人に会うたびに「奥さんはどんな人?」と
いう類の質問を受けることになった。私と結婚するからには、よほど奇特な女性
だと思われたのだろう。最初のうちは「臨床検査技師(メディカル・テクノロジ
スト)」と真面目に答えていたのだが、この答えは、引き続き沢山の質問を誘発
する傾向がある。だから、話を逸らしたいときには「詩人です」と答えることに
した。

 「シジン?」と、大抵の相手は怪訝な顔をする。頭の中で漢字変換するのに、
時間がかかっているのに違いない。そこで私は「ええ。ブンガクの同人誌で知り
合ったもので」と追い打ちをかけるのだ。これで相手は急にそわそわし、話題を
変えてくれる。無理もない。誰だってシジンやブンガクの話はしたくないだろう。


**


 というわけで、我が配偶者は詩人である。

 いや、彼女から聞いたところでは、何でも日本には「日本詩人協会」なる組織
があって、そこの会員でないと正式な詩人とは見なされないそうだ。そう、詩人
も資格制だったわけだ。なら、彼女は詩人というより、せいぜいアマチュア詩人
というべきなのかも知れない。

 どちらにせよ、日本では、詩人の地位は決して高くない。というか、どこでも
似たようなものではないかという気もする。よく海外のハードボイルド小説で、
「この国じゃ、私立探偵なんて、詩人よりちょっとマシという程度の扱いだ」と
いった自嘲めいたセリフが登場する。これはつまり、「私立探偵は犬猫以下だ」
と言ってるわけだ。

 だから、社会的地位や名声を求めて詩人になる者はいない。詩人が目指す目標
は、2つのうちどちらかだ。良い詩を書くことか、好きな詩を書くことか。

 前者を目標とする詩人は「ポエト」、後者を目標とする詩人は「ポエマー」と
呼ばれる(らしい)。


**


 我が配偶者の言うところでは、日本のアマチュア詩人の大半がポエマーなのだ
そうだ。

 ポエマーが最初にやることは、自分の詩を受け入れてくれるグループを探すこ
とだ。そういうグループが見つかると、そこの同人誌に自分が書きたい詩、自分
が好きな詩を投稿することで概ね満足してしまう。

 ポエマーは、詩作の技量に磨きをかけようとしない。優れた詩とそうでない詩
を見分ける技術や、詩を評価するための理論、詩の歴史といった話題には興味を
示さない。他の詩作グループの動向や、詩の世界で今どんな運動が起こっている
かといったことにも興味を持たない。なによりも彼らは、自分の詩を批判される
ことを嫌う。

 当然だ。彼らは既に目標を達成しており、そこから動きたくないのだから。

 そういうわけで、日本の詩界は「タコツボ化」現象に陥っている。すなわち、
次世代を担うアマチュア詩人たちの大半がポエマーと化して、居心地のよいタコ
ツボにもぐり込んでいる。タコツボの中は心地よい。激しい海流のことも、恐ろ
しい捕食者のことも忘れていられる。こうして彼らは、上を見ることなく、研鑽
を積むことなく、理論を学ぶことなく、他のツボのことを気にかけることなく、
ただただ居心地の良さだけを求めてタコツボの奥へ奥へともぐり込み、仲間うち
でちやほやし合っているのだ。


**


 詩界を引き合いに出してポエマー批判をしたように読めたら、誠に申し訳ない。
愛すべきポエマーの方々は、どうか怒らないでほしい。実のところ、私は詩界の
ことを書いているふりをして、途中からRPG界のことを書いていたのだ。

 そう。私の言いたいことは要するに「日本のRPG界もタコツボ化現象に陥っ
ている」ということだ。


**


 あなたの周囲には、特定RPG、または特定傾向のRPGしかプレイしようと
しない人はいないか? そういうRPGプレーヤーの割合が増加しているような
気がしないか?

 例えば、私はゲームコンベンションで、「ソードワールドしか知らないので」
他のRPGに参加しようとしない人を見たことがある。知らないRPGに触れる
良いチャンスであるはずのコンベンションに出席しておきながら、よく知ってる
RPGにしか参加しないというのは、実に理解に苦しむ行動だ。「馴染みの場所、
親しみ深い場所から外に出たくないのだろう」としか解釈できない。

 D&Dキャンペーンを何年も続けており、他のRPGに全く興味を示さない人。
いやD&Dに限らずAD&D(1st)でも、ルーンクエスト(2nd)でも、トラベラー
(classic) でも何でもいいが、とにかく頑なまでに特定のRPGにこだわって、
それ以外のRPGに興味を持たない人。

 他にもいる。ファンタジーRPGにしか手を出さない人、アニメ再現傾向が強
いRPGしかプレイしない人。さらに言えば「海外RPGは無条件に敬遠する」
とか、逆に「国産RPGを馬鹿にして、一切手を出さない海外RPG至上派」も
そうだが、とにかく自分にとって居心地よく感じられる場所から一歩も外に出よ
うとしないRPGプレーヤーがいる。

 彼らは自分で決めた心地よい場所に閉じ籠もり、その外に位置するRPGには
手を出そうとしない。いや、手を出す出さない以前に、外に対する興味を失い、
外の情報を求めようともしなくなっている。

 心地よい場所に閉じこもるという点では、自分のRPG技量に磨きをかけよう
としない人も同様だ。優れたマスターリングとそうでないマスターリングを見分
ける技術、RPGシステムを評価するための理論、RPGの歴史といった話題に
興味を示さない人。他のゲームサークルの活動内容や、RPGの全体動向に興味
を持たない人。なにより、自分のマスターリングやプレイスタイルを批判される
ことを嫌う人。

 そう、彼らはタコツボ化しているのだ。


**


 昔は違った。どんなRPGプレーヤーだって、可能な限り様々なRPGを試そ
うとしたし、自分で試さないまでも貪欲に情報を求めた。他人のプレイスタイル
を参考に自分のそれを見直すことに積極的だったし、海外では今どんなRPGが
売れているかといった話題は、常に人気があった。

 いつの間にか、好奇心に燃える人の割合は激減してしまったようだ。

 それがなぜ悪い、タコツボに入るのは個人の勝手ではないか。そういう意見も
あるだろう。しかし、そう主張する前に、タコツボ化現象の弊害について、よく
考えてみてほしい。

 まず、タコツボ化が進むと、市場が先細りになるという点を指摘したい。

 お分かりの通り、RPGプレーヤーの大半がタコツボに潜ってしまえば、既に
受け入れられた人気作品しか売れなくなる。とにかく「今までにない新しい製品」
が、まさにそれゆえに売れないという状態だと、新興のゲーム会社が市場参入し
ようとしても、あるいはデザイナーが気合を入れて新しいRPGを制作しても、
また海外の最新作を翻訳して出版しても、ビジネスとして成立しなくなるのだ。

 新しい製品が売れないということはつまり、人気作品がある程度売れてしまう
と、後はぱったり売れゆきが止まってしまうということを意味する。もちろん、
新たにRPGを始める人はいるから、人気作品は少しづつ売れ続けるかも知れな
い。しかし、RPG人口がどんどん増えている時代ならともかく、明らかにそう
でない現在、このままでは日本のRPG市場は先細りになる、というか消滅する。

 これは杞憂だろうか。そうは思えない。現実に日本のRPG市場は着実に衰退
しているし、RPGの出版はほとんどビジネスとして成立しなくなってきている。
それでも将来に渡って採算を度外視してでもRPGの出版を続ける会社がいる、
と信じられるだろうか。

 生活用品でない趣味の市場にとっては、先細りの先には消滅しかないのだ。


**


 特定RPG一筋を自認する人は、こう言うかも知れない。

 RPG市場が消滅しても構わない、オイラは[特定RPGの名前]をこの先も
ずっとプレイし続けるだけだ。それをタコツボと呼びたければ呼ぶがいい・・・。

 数多くのRPGを試し、豊富な知識と高い見識のもとに、その[特定RPGの
名前]一筋のRPG人生を選んだというのであれば、それも1つの生き方だろう。
他人である私がとやかく言う筋合いはないかも知れない。

 しかし、上のようなことを言う人は、本当にRPG全体をよく知った上で特定
のRPGを選択したのだろうか。むしろ、たまたま最初に覚えた(または最初に
気に入った)RPGに固執しているだけではないだろうか。そうだとするなら、
[特定RPGの名前]一筋というのは、単に極端に視野の狭い発想に過ぎない。

 このような視野の狭い発想をする人が「ずっとプレイし続ける」などと言って
も、とても信じられない。今は本気でそう思っているのかも知れないが、何年も
しないうちに飽きて止めてしまうだろう。例外があることは知っているが、一般
的に言うなら、特定のRPGだけを10年以上プレイし続けることは、常人には
まず無理だ。

 これがタコツボ化の第2の弊害である。タコツボに潜ったRPGプレーヤーは、
10年もしないうちに(大抵はもっとずっと早く)[特定RPGの名前]に飽き
てしまうということだ。飽きたとき、彼らはどうするか。他のRPG、タコツボ
の外にあるRPGに手を出すという発想を持たない彼らは、単純に「もうRPG
には飽きた」と信じて、どこかに行ってしまう。実際には[特定RPGの名前]
に飽きただけなのに。他にも沢山の全く傾向の異なる魅力的なRPGがタコツボ
の外にはいくらでも存在するというのに・・・。

 こうして「RPGに飽きて」人が去ってしまったタコツボは失われる。あるい
は中に潜っているRPGプレーヤー達が、飽きを防ごうとして、ついついキャラ
クタープレイやパワープレイに流れてしまい、「コ」が「ン」に変容するのだ。


**


 市場が消滅し、一時的にRPGプレーヤーを保護してくれたタコツボも数年の
うちに残骸と化してしまうとしたら、日本RPG界の将来はどうなるのか。実の
ところ、私は本気で心配している。日本RPG界は、タコツボ化現象に耐えられ
るのだろうかと。

 我が配偶者が何と言おうと、詩は大丈夫だろう。詩には長い伝統があり、理論
研究や評論、作品分析も学問として確立している。大学では、詩の理論や歴史を
教えているし、それを学ぶ学生や研究者が絶えることはなかろう。それに、誰も
が小学校、中学校で何度か詩に触れる。「詩」というものに興味を持つ者がいな
くなるとは、とても思えないではないか。

 つまり、詩は、我々の心や教育に深く根付いており、タコツボ化現象ごときで
枯れるほどヤワなものではないのだ。

 しかし、RPGはどうか。

 詩と違って、RPGには伝統がない。学問として確立してない。理論や歴史を
教えてくれる学校がない。大抵の人が「RPG」と聞けばコンピュータゲームだ
と思う。

 少なくとも日本では、RPGはタコツボ化現象に耐えられるほど深く根付いて
ない。

 そりゃ、もしかしたらRPGは意外とタフでしぶとく、特に手を打たなくても
タコツボ化現象などものともせず、ちゃっかり生き残って日本に根付くかも知れ
ない。私だって、そうあれかしと願う。だが、それを期待して何もしないという
のでは、あまりにも楽観的すぎる、というか、許されないほど怠慢ではないのか。


**


 このコラムを読んだ人は、まず自分がタコツボ化してないか反省してほしい。
前述したような症状が自覚されるようなら、あなたはタコツボ化している可能性
が高い。

 そこで、自問自答してみよう。あなたはRPGについての知識と洞察に基づき、
自らの判断と責任のもとにタコツボへ入る意志決定を下したのか、それとも単に
情報不足、洞察不足で、何となくタコツボに入ってしまっているだけなのか。

 前者であれば、それはそれで結構。あなたが、充実したRPGライフを末永く
続けられますように・・・。

 しかし、後者であれば、どうかタコツボ化の弊害について私が書いたことを、
ちょっとでよいから真剣に考えてみてほしい。そして、どうだろうか、タコツボ
から外をのぞいてみる気にはならないだろうか?


**


 ちょっとタコツボから外をのぞいてみようという気になった人はScoops RPGを
じっくり読んでみてほしい。あなたの知らないRPG、あなたの知らないゲーム、
あなたの知らない情報が見つかるはずだ。もし、それを読んで好奇心が刺激され
るようなら、そこにタコツボの出口が、ある。

 私は、脱タコツボを目指す人を応援したい。1人でも、2人でも、タコツボか
ら抜け出してくれることを願う。そして、抜け出した人がさらに他の人の脱タコ
ツボを手助けしてくれれば、と思う。

 私がScoops RPGの活動に参加しているのは、そのためだ。このコラムを連載し
ているのも、そのためだ。そして、Scoops RPGの活動に参加している他の多くの
人も、多かれ少なかれ、同じ方向を目指しているのだと、私はそう信じている。



馬場秀和
since 1962


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 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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