馬場秀和のRPGコラム 1999年7月号



『馬場コラム連載1周年記念 特別編』



1999年7月19日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
    スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。






 さて。

 Scoops RPGで、通称“馬場コラム”こと「馬場秀和のRPGコラム」の連載が
始まってから、今回でちょうど1年になる。この世の中、1年が経過する間には
様々な変化が起こり、書いた内容は古くなってゆく。これは避けられない。

 例えば、1998年7月号『RPG世代論 −あるいは盛年の主張−』には、著者
である私の年齢を35歳と書いてあるが、これは現在ではもう正しくない。(その
理由は秘密だが)

 また、1999年1月号『ゲーム感覚 −あるいは実践的RPG入門−』を書いた
後、ゲームショップ「メビウス」のページが立ち上がった。
ぜひ立ち寄ってみてほしい。

 そして、1999年3月号『ポイント制シナリオ −あるいは哺乳類の世話はどん
なに大変か−』を書いた後、さらに我が家の哺乳類数は増加している。
(余談だが、サブタイトルにある“哺乳類の世話”というのは、もちろんRPG
のマスターリングを指している。これに気づかない読者がいるのには驚いた)


**


 ともあれ、連載1周年である。何か記念に特別なことをやらねばなるまい。

 そう思った私は、編集者に「読者の方々に馬場コラムや馬場講座に関する質問
を募集して、寄せられた質問に私なりに回答するという内容のコラムを書く」と
いう特別企画を提案してみたところ、すんなりOKが出た。

 自分で企画しておいてこう言うのも何だが、質問募集メッセージを掲示板に書
きこみながらも「誰も質問など出さないのではないか。って言うか、そもそも、
私がコラムに書いているような事柄に興味を持っている人は、もういないのでは
ないか」という懸念を振り払うことが出来なかった。

 しかし、幸いなことに、メールや掲示板でいくつかの質問がちゃんと提出され
た。やれやれ。これで何とか今回のコラムを書けるというものだ。


**


 では、最初にメールでやってきた質問とその回答を示そう。


    ・質問1

     1999年3月号『ポイント制シナリオ −あるいは哺乳類の世話はどん
     なに大変か−』によると、馬場さんはチンチラを飼育しているそうで
     すが、餌や砂はどこで購入してますか。近所のペットショップに置い
     てなくて困っています。あと、チンチラって、ピカチュウにそっくり
     だと思いません?


    ・回答1

     確かにチンチラはピカチュウにそっくりですが、それはおそらくピカ
     チュウがチンチラをベースにデザインされたからではないかと思いま
     す。チンチラ用品ですが、「チンチラハウス」というページの通販を
     利用しています。このページから、同じ会社が提供しているフェレッ
     トやその他の小動物を扱うページにも移動できます。

     ところで、RPGの話に戻してよいですか?


**


 もちろん、全ての質問がチンチラやフェレットや私の配偶者に関するものだっ
たわけではない。コラムの主題に関するものも当然あった。次のような質問だ。


    ・質問2

     1998年11月号『パワープレイ −あるいはシークレットドアを探して−』
     に書いてあるように、戦闘ルールに比べて他のルールが貧弱(つまら
     ない)であるから人はパワープレイに走るとしても、戦闘ルールを貧
     弱にして(例えば値切り交渉などの)他のルールを戦闘ルールなみに
     したからといって、プレイヤーは他の行動(例えば値切り交渉)をそ
     うそうはとってくれないと思われます。
     曰く、「戦闘に比べて値切り交渉などはイメージ的に格好良くない」
     「(値切り交渉などは)日常に類似の行動をとっているのでカタルシ
     スを得にくい」などなど理由がいくつか思いつけます。
     畢竟RPGの本質は、FVの言う通り「戦闘」なんでしょうか。


    ・回答2

     私が見たところ、初心者向けとされているRPGの多くが次の条件を
     満たしています。

     A)他のルールに比べて、戦闘ルールの方が面白い
       (だから、他の行動をとるよりも、戦闘する方が楽しい)

     B)課題を解決するのに、他の手段に比べて、戦闘の方が有効である
       (というより、戦闘以外に解決手段のないシナリオの方が普通)

     このようなRPGしか経験したことがなければ、そりゃあ戦闘以外の
     行動をとらなくなるのも当然ですね。こうして、パワープレーヤーが
     育ってゆく・・・というのが私の考えです。これを「仮説1」と呼ぶ
     ことにしましょう。

     仮説1:戦闘にばかり走るパワープレーヤーが育つのは、大半の(特
         に初心者向けの)RPGにおいて、戦闘が他の行動に比べて
         面白く、有効であり、そのようなRPGしか経験してない人
         が多いことが主要な原因である

     では、A)やB)の条件が満たされないRPGではどうでしょうか。
     もしも、RPGプレーヤーの多くが、そのようなRPGをプレイする
     ときでも、ご質問にあるように「イメージ的に格好良い」「カタルシ
     スが得られる」といった理由で戦闘に走るのであれば、そう、確かに
     「畢竟RPGの本質は、戦闘にあり」という次の仮説は、強力に支持
     されるでしょう。

     仮説2:戦闘にばかり走るパワープレーヤーが育つのは、戦闘行為が
         イメージ的に格好良く、カタルシスが得られることが主要な
         原因であり、戦闘ルールの面白さや戦闘の有効性といったこ
         とには依存しない。

     仮説1と仮説2を検証することは可能です。A)やB)が満たされな
     いRPGに慣れているプレーヤーが、そのようなRPGをプレイする
     ときの行動を観察すればよいのです。仮説1が正しいならば、プレー
     ヤーは戦闘を避けようとすることでしょう。仮説2が正しいならば、
     プレーヤーは積極的に戦闘しようとすることでしょう。

     「パラノイア」というRPGのゲームマスターを何度かやってみた私
     の経験から判断すると、A)B)の条件が満たされない場合、RPG
     プレーヤーは狡猾にも自分だけは戦闘を避けようとします。つまり、
     他の人に戦闘を押しつけようと画策するのです。
     ですから、「パラノイア」においてPC達が敵に遭遇したときの典型
     的な反応は次のようなものになります。

     「よし、私が指揮をとる。私以外、全員突撃!」

     「突撃してゆく勇敢な市民達の姿を背後から撮影します。
      ささっ、どうぞ皆さん」

     「私には、自発的に突撃しようとしない反逆傾向を記録するという
      大切な任務が」

     「まず、士気を高めるために戦意高揚の歌を歌いましょう、さあ、皆
      さんご一緒に」

     誰も積極的に戦闘に参加しようとしません。もちろんPCはボロ負け
     します。

     なぜこうなるかというと、このRPGでは戦闘に勝利しても何の意味
     もなく、また戦闘するより「負けた責任を他人に押しつける」口実を
     探す方がずっと面白いようにデザインされているためです。要するに
     条件A)B)とも見事に欠けているのです。

     また「ウイッチクエスト」 にはちゃんと戦闘ルール(猫戦闘)があり
     ますが、私が観察した限り、PCから積極的に猫戦闘を仕掛けること
     はないようです。もちろん魔女は戦闘などしませんし、他人が戦闘し
     ていれば止めようとします。なぜでしょうか。戦闘が他の行動(魔法
     ですよ、もちろん)に比べて面白くなく、また課題を解決する上で、
     まず絶対に役に立たないからです。つまりこのRPGも条件A)B)
     が欠如しているからです。

     このような観察結果から、条件A)B)が欠けた状態では、RPGプ
     レーヤーは戦闘を避けようとする、ということが言えます。つまり、
     「仮説1」の方に軍配が上がります。戦闘に走るのは、RPGプレー
     ヤーが持って生れた性向ではなく、単に戦闘は面白くて有効だという
     偏った「教育」しか受けてないためであり、これによる歪みを正すた
     めには「教育改革」が必要なのだ、というわけです。


**


 では、馬場コラムの内容に関する次の質問。


    ・質問3

     1998年9月号『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』
     において、キャラクタープレイはRPGの主要な構成要素ではないと
     していますが、つらつらとシステムを見ますと「変な性格づけ」「P
     Cの詳しい背景情報」「特質」「生い立ち表」などのルールが目につ
     きます。これらはキャラクタープレイを推奨しているルールに見えま
     す。するとキャラクタープレイは、RPGの大きな構成要素となりは
     しないでしょうか。


    ・回答3

     まず、「ロールプレイ」と「キャラクタープレイ」の区別を明確にし
     ておきましょう。ロールプレイというのは、様々なゲーム要素(目標、
     障害、制限など)や役割分担を考慮に入れて意志決定することです。
     これに対して、キャラクタープレイとは、キャラクターの演技をする
     ことです。身振りや手振り、キャラクターのセリフを実際に口にする、
     等ですね。

     ロールプレイがRPGというゲームの主要構成要素であるのに対して、
     キャラクタープレイはプレーヤーを楽しませ、セッションの場を和ま
     せるための工夫であり、ゲームの主要構成要素ではありません。これ
     はすなわち、ロールプレイがないとRPGが成立しないのに対して、
     キャラクタープレイがなくてもRPGは成立するということです。

     ゲーム性を損なわないキャラクタープレイ(弱いキャラクタープレイ)
     は、ゲームの主要構成要素ではないにしても、うまく使うと、非常に
     効果的な工夫です。それに対して、ゲームよりキャラクタープレイを
     優先させる「強いキャラクタープレイ」は、本末転倒であり、RPG
     のゲーム性を損なうことで様々な問題を引き起こします。

     さて、RPGでは、キャラクターに様々な属性(ご質問にある「性格」
     「背景情報」「特質」「生い立ち」といった情報を含みます)が与え
     られます。これらはゲーム要素である「制限」に相当します。プレー
     ヤーは、これらの属性(制限)に充分に配慮して意志決定しなければ
     なりません。最初に述べた通り、これが「ロールプレイ」するという
     ことです。

     ですから、単純にその方が有利だからといってキャラクターの属性か
     らあまりにもかけ離れた言動をとらせるのは、ロールプレイが出来て
     ないということになります。ゲーム的に言うと「制限」を守ってない
     プレイだということになります。

     「制限」は、意志決定を複雑なものにすることで、ゲームを面白くし
     てくれます。

     同様に「キャラクターの属性」は、ロールプレイを複雑なものにする
     ことで、RPGを面白くしてくれるのです。例えば、自分のキャラク
     ターに単純に有利な行動をとらせるのではなく、いかに「変な性格」
     や「背景」を活かしつつ、しかも目標達成に近づく行動をとらせるか、
     と悩むところにロールプレイの面白さがあり、RPGの醍醐味がある
     のです。

     そういうわけで、キャラクターの「性格づけ」「背景」「生い立ち」
     といった属性は、「ロールプレイ」を複雑に、豊かにするために用意
     された、特別な「制限」であり、もちろんRPGの主要な構成要素と
     なります。多くのRPGシステムがキャラクターの属性を豊かにする
     ためのルールを含んでいるのは当然のことでしょう。

     このように、キャラクターの属性は「ロールプレイ」のためにあり、
     決して「キャラクタープレイ」を推奨するために存在するのではあり
     ません。誤解なきよう。


**


 キャラクタープレイに関して、もう1つ。


    ・質問4

     1998年9月号『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』
     において、極端なキャラクタープレイ(強いキャラクタープレイ)は
     RPGにとって有害だとしていますが、そのような「ノリノリのなり
     きりプレイ」が端で見ていて異様な感じを受けるのは、実は、プレイ
     ヤーが未熟だからではないでしょうか。例えば演劇経験者、声優など
     その道のプロを持ってきた場合、うける感じはかなり違うと思えるの
     のですが。(実際、うまい人は端から見ていてもそう気持ち悪くない
     ように思えます)
     即興演劇だけで上達の道はないとしても、演劇理論や演劇のトレーニ
     ングを応用することによってキャラクタープレイも上達発展の余地は
     無いでしょうか。


    ・回答4

     なるほど。面白い発想ですが、演劇理論を学び、演劇の訓練を積んで
     研鑽を重ねるキャラクタープレーヤー達の姿を想像するのは困難です。
     なぜなら、どう見ても彼らのほとんどは、ただ自分の楽しみのために
     なりきりプレイをやっているのであって、他人に迷惑をかけないよう
     努力して自らを向上させようという気などさらさらない、としか思え
     ないからです。そういう気概があれば、そもそもキャラクタープレー
     ヤーになどならないでしょう。

     とは言え、「よし、演技の技量を向上させて、立派なキャラクタープ
     レーヤーを目指そう。すぐ演劇学校に入学申し込みだっ」と決意なさ
     る奇特な方も少数ながらいらっしゃるかも知れませんので、そういう
     方に助言しておきましょう。

     RPGにとって「強いキャラクタープレイ」、つまりゲームよりキャ
     ラクタープレイを優先させるプレイは、全くの本末転倒です。たとえ
     演技力を向上させることで、周囲に与える害を軽減できたとしても、
     本末転倒であるという位置づけが変わるわけではありません。そんな
     倒錯した行為のために努力することは、とてもお勧めできるものでは
     ありません。

     せっかく努力するのなら、成果は「強いキャラクタープレイ」といっ
     た愚かしい方向ではなく、演劇の方向に活かしましょう。演劇は立派
     な趣味です。少なくともRPGよりは社会的に認知され、同好の士も
     多いのです。近くの公民館に足を運べば、きっとアマチュア劇団を見
     つけることができるでしょう。そこで優れた演技に挑戦するのは素晴
     らしいことだと思います。

     どんな趣味でもそうですが、技量を向上させたいと思うならその本質
     に合致した努力が大切です。

     RPGについて努力するのなら、ゲームの技量(より良い意志決定を
     行う能力)を高めることを目指すべきです。演劇について努力するの
     なら、演技力(より良い演技を行う能力)を高めることを目指すべき
     です。

     RPGについて演技力を高めるべく努力するというのは、演劇におい
     て意志決定の努力をする(俳優が、自分が演ずるキャラクターの言動
     を自分で決定しようとする)のと同様、本末転倒した行為なのです。
     そんな方向に努力して、何になるというのでしょうか?


**


 ところで馬場コラムに興味を持った方は、前作「馬場秀和のマスターリング講座」
もぜひ合わせて読んで頂きたい。もちろん馬場コラムは単独で読んでも理解でき
るように書かれているが、やはり細かい議論など、読者が馬場講座を読んで理解
していることを期待して、省略したりしている。だから、どうか「馬場講座」を
読んでから、「馬場コラム」に進んでほしいのだ。

 今回の質問募集では馬場コラムだけでなく、馬場講座に関する質問もOKとし
たので、講座に関する質問もいくつか寄せられた。次のようなものだ。


    ・質問5

     馬場講座の中で、海外TRPGに手を出そう、とありますが、海外R
     PGでも様々な事情によりサポートが消滅してしまう例があります。
     海外TRPGに手を出すのは、それなりのリスクも覚悟しなくてはな
     らないようですが、やはりそれでも海外RPGに手を出した方が良い
     とお考えでしょうか。


    ・回答5

     はい。それでもなお、海外製品に手を出すことを強くお勧めしたいと
     思います。
     というのも、海外のRPG製品に手を出すべき理由は、「サポートの
     継続性を期待して」ということだけではないからです。

     例えば「視野を広げ、タコツボ化を避けるため」ということが挙げら
     れます。1999年5月号『タコツボ化現象 −あるいはポエマーとポエ
     トの違い−』で論じたように、特定の、あるいは特定傾向のRPGし
     か経験してない人は視野がどんどん狭くなってゆき、いずれその特定
     の/特定傾向のRPGに飽きてしまうと、RPG自体に飽きたと錯覚
     して止めてしまうという問題があります。これは日本でRPG市場が
     育たなかった主たる原因の一つであり、本当に大問題だと思います。

     ですから、なるべく幅広く、数多く、様々な傾向のRPGに手を出す
     べきなのです

     が、残念なことに、今のところ、日本でデザインされたRPG製品の
     うち、出来が良いのはほんの一握りだけです。これだけでは「幅広く
     数多く、様々な傾向のRPGに手を出そう」と言われても、現実問題
     として無理な話でしょう。ですから、海外RPGに挑戦してほしいの
     です。視野を広げるために。

     また、製品の出来という観点から見ると、最高レベルのRPGの多く
     は海外製品です。急いで補足しますが、これは「日本のRPGデザイ
     ナーは、駄目だ」というわけではもちろんありません。最高レベルの
     国産RPGは海外製品に決して劣りませんし、ひょっとしたら「年間
     出版されるRPG製品に占める“最高レベルの製品”の割合」で比較
     すると、国産RPGの方が上質ということさえあり得ます。

     要は、分母たる「年間に出版されるRPG製品」の数量に大きな差が
     あるのです。

     このため、最高レベルのRPGの絶対数は、海外製品の方が圧倒的に
     多くなります。これはもう、層の厚さというやつで、今のところどう
     しようもありません。

     こういうわけで、最高レベルの製品にだけ注目すると、その大半が、
     海外製品になってしまいます。ですから「最高レベルのRPGを沢山
     プレイしたい」と思うのであれば、現時点では海外RPGに手を出す
     しかありません。いや、ぜひとも海外RPGに手を出して下さい。


**


 マスターリング講座の内容ではなく、講座自体に関する質問も。


    ・質問6

     馬場殿のマスタリング講座は、恐らくアマチュアが書いたTRPGド
     キュメントとしてはもっとも成功し、知名度の高いものだと思います
     が、その結果、インターネット、パソコン通信などのTRPG論議で
     様々な方々が馬場講座を引き合いに出して自分の意見に説得力を持た
     せようとしています。中には馬場講座では言ってないような事も曲解
     して使う方もいるようです。
     そういった事例について馬場殿はどうお考えでしょうか? また馬場
     講座を引き合いに出して自分の意見の述べる方々に対して、何らかの
     メッセージはおありでしょうか? それともこのような事態は、馬場
     講座が広く多くの方々に影響を与える以上、仕方のない事だとお考え
     でしょうか?

    ・回答6

     えー、ただいまの件に関しましては、「非常に不愉快である」とだけ
     申し上げたいと思います。次の質問をどうぞ。


**


    ・質問7

     マスタリング講座の続編などを書く予定はありますか?


    ・回答7

     直接的な続編を書く予定はありません。ただし、「馬場秀和のRPG
     コラム」は、内容的に馬場講座の続編と見なしてよいでしょう。そう
     いう意味では「RPGに上達するために何をすればよいか」「RPG
     市場を建て直すために我々に出来ることは何か」といった重要テーマ
     については、今後とも書き続けるつもりです。よろしくお願いします。


**


 最後の2つの質問は、RPG全般に関するもので、なかなかの難問だった。


    ・質問8

     RPGの定義について、お考えをお聞かせいただければ幸いかと思い
     ます。
     「役割を演じるゲーム」ということであればディプロマシー等の外交
     ゲームは帝国主義国家の外交責任者という役割を演じることになるの
     でRPGになります・・が、これをRPGと呼ぶ人はいないでしょう。
     また、普通のウォーゲームも、プレイヤーの「役割」は決められてい
     ますし、ユニットに思い入れもします・・がやはりRPGという人は
     いません。


    ・回答8

     いきなり余談になりますが、昔GDW社から出ていた「ミニオン・ハ
     ンター」というボードゲームがあります。このボードゲームにおいて
     は、各プレーヤーはそれぞれ一人の「キャラクター」を担当します。
     キャラクターには「能力値」があり、ゲーム中では能力値による「ダ
     イスロール」により行為の「成否判定」が行われます。また、キャラ
     クターは「経験値」を得て、「成長」します。もちろん、これにより
     キャラクターへの「感情移入」が強まります。また成長の仕方はキャ
     ラクター毎に異なるため、自然と得意な能力、不得意な能力が生じ、
     プレーヤーは各自のキャラクターを「役割分担」させ、「相互協力」
     させることで、「共通の目標」の達成を目指すのです。目標を達成す
     れば全員が勝利、そうでなければ全員が敗北します。

     さて、ここまで読んで「それってRPGじゃん」と思う人がいること
     でしょうが、違うのです。「ミニオン・ハンター」はボードゲームで
     あり、RPGではないのです。なぜでしょうか?

     この例は、RPGを定義づけることの難しさを、よく表しています。
     少なくとも、「キャラクター」「能力値」「ダイスロール」「経験値」
     といった、RPGっぽいルールがあるからすなわちRPGだ、という
     わけではなさそうです。

     あるものが「RPGである」と言えるためには、何が必要なのでしょ
     うか。これは中々の難問です。順番に考えてゆきましょう。

     まず、RPGはゲームです。ですから、あるものがRPGであるため
     には、次の条件1(ゲームの定義)を満たしている必要があります。


    [条件1](ゲームの定義)

      参加者が「ゲームトークン」の操作による「資源管理」を通じて、
     一定の「制限」の範囲内で、「障害」を克服し、「目標」を達成する
     ことを目指して、「意志決定」する営みであること。


     このゲームの定義については、「馬場秀和のマスターリング講座」、
     およびそこに付録として添付したコスティキャンのゲーム論を読んで
     頂ければ、納得してもらえることと思います。

     RPG特有と思われている様々な項目も、良く考えてみると一般的な
     ゲーム要素の特殊化に過ぎないことに気づくことでしょう。例えば、
     「キャラクター」は「ゲームトークン」の特殊例です。キャラクター
     に与えられる様々な属性(能力値、スキル、性格、特徴などなど)は
     「制限」です。キャラクターデータの一部(ヒットポイント、所持金、
     所有アイテム、経験値など)は「管理資源」に相当します。

     ではRPGにおける「目標」や「障害」は何でしょうか。大半のボー
     ドゲームにおいては、これらは全てルールに明記されています。
     「勝利ポイントを10点獲得すること」とか「手札をなくすこと」とい
     うのが目標に相当します。そして、通常は「自分こそ真っ先に目標を
     達成しようと努力する他のプレーヤーの存在」そのものが障害として
     機能します。また「イベントカード」とか「障害物コマ」とかいった
     システム特有の障害を規定しているゲームもあります。

     しかし、RPGでは違います。RPGでは目標や障害、そして制限の
     一部は、システムには書かれていないか、少なくとも具体的には定義
     されていません。ここにRPGを特徴づけるポイントの1つがありま
     す。


    [条件2](ゲームマスターとシナリオ)

      「目標」や「障害」、あるいは「制限」の一部など、ゲーム要素の
     うちいくつかがシステム(ルール)では決まってないか、少なくとも
     部分的にしか決まっておらず、詳細は参加者の一部が決めなければな
     らないこと。この「参加者の一部」はゲームマスターと呼ばれること
     が多い。またゲームマスターが決めたゲーム要素の定義は「シナリオ」
     と呼ばれることが多い。


     そう、RPGでは、「目標」や「障害」を参加者の一部であるゲーム
     マスターが決めるのです。この作業はよく「シナリオ作成」と呼ばれ
     ます。これは、他のゲームではほとんど見られない特徴です。条件1
     に加えて条件2まで満たされれば、かなりRPGらしくなってくるで
     しょう。とは言え、一部のシミュレーションゲームでは、ユニットの
     初期配置や、勝利条件まで参加者で相談して決めるケースもあります。
     ですから、条件1と条件2だけでは、まだRPGを完全に定義づけた
     ことにはなりません。

     では、上のようなシミュレーションゲームとRPGの違いは、どこに
     あるのでしょうか。シミュレーションゲームでは、ユニットに可能な
     行動とその効果は全て明確にシステムで規定されています。「ユニッ
     トは、ルールに書かれていない行動をとることは出来ない」というの
     が前提になります。

     しかし、RPGは違います。


    [条件3](意志決定の自由度と支援メカニズム)

      ルールで許可されている「ゲームの各局面におけるプレーヤーの選
     択肢」が極めて広い。つまりプレーヤーがキャラクターの言動を決め
     る(意志決定する)際に、ルールに違反しない言動が、事実上無数に
     存在する。このため、意志決定が実用上可能になる(ゲームが成立す
     る)程度にまで選択肢を絞り込むための、何らかの(ルール以外の)
     意志決定支援メカニズムが用いられる。最もよく用いられる意志決定
     支援メカニズムは、「背景世界」設定である。


     通常のボードゲームにおいては、各手番でプレーヤーに与えられる選
     択肢の範囲は、かなり狭いものです。シミュレーションゲームでも、
     ルール上、ユニットに可能な行動は限られており、その中から行動を
     選択しなければなりません。それに比べ、RPGにおいては、ルール
     上、キャラクターに可能な行動の範囲は非常に広いのです。あまりに
     広いので「RPGでは、ルールに違反しない限りキャラクターは何で
     も出来る、どんな行動も許される」と誤解するプレーヤーがいるほど
     です。

     実際には、もちろん何でも出来る、どんな行動でも許される、という
     のではゲームが成立しません。そこでルールとは別に、ある程度まで
     「現実的な」あるいは「常識的な」行動とは何か、という行動指針が
     与えられるか、またはそれに相当する何らかの(ルール以外の)意志
     決定支援メカニズムが与えられ、それをベースに各プレーヤーが意志
     決定する、というのがRPGなのです。

     この「行動指針」や「意志決定支援メカニズム」を与える方法には、
     様々な可能性があります。最も単純なのは、「舞台をダンジョン内に
     固定し、とれる行動を絞りこんでしまう」というものですが、これは
     最近では人気がないやり方です。現時点でもっともポピュラーなのは
     「背景世界」を提供するという方法です。背景世界設定情報が与えら
     れることにより、プレーヤーは、ある程度「現実的」あるいは「常識
     的」な行動とは何かを判断することが出来るようになり、意志決定が
     可能になるのです。

     余談ですが、背景世界というのは「雰囲気を出すために存在する」、
     などと誤解しないで下さい。もともと、背景世界はプレーヤーの意志
     決定を支援する(選択肢をある程度まで絞り込む)ことで、RPGと
     いうゲームを成立させるために存在するのです。(あまりにも背景世
     界が魅力的だと、それ自体がRPGをプレイする強い動機付けになる、
     といった副次効果はあるにしても)

     条件1から3までを満たしていれば、それはおそらくRPGと呼んで
     よいでしょう。ただし、“典型的な”あるいは“いかにも”RPGら
     しいRPGになるためには、さらに他の条件も満たしているべきだと
     思います。次の条件4と条件5です。


    [条件4](役割分担)

      キャラクターによって得意/不得意な能力が異なることで、プレー
     ヤーは各自のキャラクターを役割分担させることで、お互いに協力し
     合うこと。


     RPGのキャラクター作成システムは、たいてい「なるべく多種多様
     な能力や特徴を持ったバラエティに富んだキャラクターを作成できる
     ように」作られています。

     これはもちろん「キャラクタープレイに飽きが来ないように」といっ
     た狙いでそうなっているのではなく、条件4を満たすための工夫なの
     です。


    [条件5](目標の多層構造)

      シナリオで用意された「目標」と、キャラクターにとっての「目標」
     が異なり、プレーヤーは両方の「目標」を考慮して意志決定しなけれ
     ばならないこと。


     条件5については補足が必要でしょう。

     シミュレーションゲームを含むボードゲーム一般では、「目標」とは
     すなわちプレーヤーにとっての目標です。ゲームトークンはその目標
     を目指してプレーヤーが操作するコマ、ユニットに過ぎません。

     ところがRPGにおける「キャラクター」は、自分自身の目標を持っ
     ていることが多いのです。それは必ずしもプレーヤーの(シナリオで
     用意された)「目標」と一致するとは限りません。たまたま一致する
     こともありますが、両者は本質的には別のものですから、いつ矛盾を
     起こすか分かりません。これを目標の多層構造と呼びましょう。

     これは、例によって「パラノイア」を考えてみると明らかです。

     キャラクターは必死で生き延びようとしています。プレーヤーは、彼
     らに愚かな死に方をさせること(そして皆で大笑いすること)を目指
     しています。プレーヤーの目標を達成するのは実に簡単ですが、それ
     だけではRPGらしくなりません。「各キャラクターが他人を犠牲に
     してでも自分だけ生き延びようとあがいた結果、かえって墓穴を掘っ
     て自滅する」という具合に持ってゆくなどして、両方の「目標」を考
     慮するところに、RPGらしさがあるのです。

     また「クトゥルフの呼び声」に代表されるホラーRPGでも、キャラ
     クターの目標とプレーヤーの目標が食い違うケースが、多発します。

     ホラーRPGをプレイするときのプレーヤーの目標は、何と言っても
     「怖い体験をすること」ですから、このためにキャラクターをどんど
     ん危険で怖い状況に押し進めればよいように思えます。

     しかし、それではRPGらしくありません。キャラクターが別の目標
     (好奇心とか名誉とか財産とか)を持っており、その目標を追求する
     うちに知らず知らずに危険で怖い状況に足を踏み入れてしまう・・・
     というところにホラーRPGの醍醐味があります。これも、RPGに
     おける目標の多層構造をうまく活かした例でしょう。

     このように、ゲームトークンであるはずの「キャラクター」に、それ
     自体の目標が与えられて、これがプレーヤーの意志決定を複雑にする
     (それゆえに魅力的にする)という特徴を持っているRPGは多いの
     です。キャラクターの目標とプレーヤーの目標が常に一部の隙もなく
     一致するのであれば、キャラクターは単なるコマ、ユニットに近い存
     在になってしまい、それではRPGらしくないわけです。

     私は、以上のうち条件1〜3を満たすものがあれば、それを「RPG
     である」と定義したいと思います。さらに加えて条件4〜5まで満た
     せば「紛れもなくRPGである」としましょう。

     「マジック・ザ・ギャザリング」は、たとえRPGでおなじみのファ
     ンタジー的素材を使っていても、1以外の条件を満たしません。従っ
     て、いかなる意味においても、これはRPGではありません。

     ご質問にあった「ディプロマシー」や普通のウォーゲームも、どんな
     に役割を演じようが、感情移入しようが、いやキャラクタープレイし
     たとしても、条件2〜5を満たさないので、RPGではありません。

     最初にご紹介した「ミニオン・ハンター」は、条件1に加えて条件4
     も満たしていますが、条件2と条件3を満たしていないので、やはり
     RPGではありません。

     同じGDW社から出ていたボードゲーム「アステロイド」は、条件1、
     条件4、さらに部分的ながら条件2や条件5まで満たすことさえあり
     ますが、条件3が欠けています。従ってこれもRPGとは言えません。

     あるゲームがRPGか否かは、キャラクターとか感情移入とかキャラ
     クタープレイとか役割分担とか、そういったRPGっぽさを感じさせ
     る要素だけで決まるわけではないのです。

     「バトルテック」は面白い例です。このゲームは条件1、2、4まで
     満たしています。しかしゲームトークン(バトルメック)がゲーム中
     にとれる行動が限られていること、ゲームトークン独自の目標がない
     (何しろメカですから)ことから、条件3、5が満たされず、従って
     RPGではないのです。ところが、ここでメック搭乗員までがゲーム
     トークンとして行動できるようになると、条件3や条件5を満たすこ
     とが可能になります。これが「メックウォリアー」RPGなのです。

     以上、RPGの定義についての考えを述べました。参考になれば幸い
     です。なお、駆け足だったので、説明不足の点も多々あると思います
     が、それらについては、どうか「馬場秀和のマスターリング講座」を
     読んで補っていただくようお願いします。


**


 さて、いよいよ最後の質問である。


    ・質問9

     先頃の市場を見回しますに、市場が十分に小さくなってしまった為か
     商業出版としてRPGを出すのは厳しいように思われます。海外RP
     Gに手を出せば確かにバラエティに富んだ製品と出会えますが、海外
     RPGを買っていても、日本のRPG市場が潤うとも思えません。
     するといつまでたっても日本語で読めるRPGが出版されない気もし
     ます。ルールを使うに際して、日本語の方が圧倒的に楽なのは確か。
     このジレンマをいかがすれば宜しいでしょうか。


    ・回答9

     私も出来ることならRPGは日本語で読みたいと思いますし、国産R
     PG製品が質、量ともにぐんぐん向上して、世界最高レベルのRPG
     を輩出するようになって欲しいと心から願っています。

     このためには、市場競争が健全に機能することが必須だと思います。

     つまり複数のRPGベンダ(RPGの制作、販売に関わる人や組織を
     まとめてこう呼ぶことにしましょう)が市場に参入し、互いに製品の
     質やサービスを競うことで、より多くのRPG、より優れたRPG、
     よりバラエティに富んだRPGがより安価に提供され、より良いサー
     ビスを受けることができるようになり、RPG消費者(RPGを購入
     しプレイする人々のことをこう呼ぶことにしましょう)が恩恵を受け
     る。こういう風になることが大切なのです。

     もちろん「RPGの制作、流通、消費という流れを、通常の市場経済
     や市場競争とは別の方法で活性化、発展させる方法はないのか」とい
     う議論があることは承知しています。が、少なくとも今のところ納得
     のゆく方法が具体的に提出されていないので、ここで取り上げる必要
     はないでしょう。

     私は、いわゆる市場万能主義者ではありませんから、市場さえ正しけ
     れば全ての問題が解決するなどとは思いません。しかし、今の日本R
     PG市場の状態はいくらなんでも酷すぎます。これを改善することな
     しに日本のRPG界に望ましい未来があるなどとは到底思えません。

     さて、日本RPG市場を建て直し、健全な市場競争が行われるように
     するためにはどうすればよいのでしょうか。とりあえず小学館に期待
     してよいのでしょうか?

     私は、RPGベンダに期待してはならないと思います。
     なぜなら、日本RPG市場がここまで衰退したのは、RPG消費者の
     側に原因があるためです。

     視野が狭く、特定傾向のRPGに飽きただけでRPGを見捨ててしま
     う消費者。「強いキャラクタープレイ」や「パワープレイ」など先の
     ない刹那的プレイスタイルの横行。ゲーム感覚が欠如し、RPやPし
     かプレイできない幼稚な消費者。こういった問題RPG消費者が大半
     を占めている状態では、RPGベンダが何をしようと、市場再建など
     おぼつきません。市場は消費者がリードするものだからです。

     「そのように問題のあるRPG消費者を大量に育てたRPGベンダ側
     に、そもそも責任がある」という論もありますが、今はさかのぼって
     責任問題を論じても仕方なかろうと思います。RPGベンダを批判し
     ている暇があれば、まず直接的な原因である問題RPG消費者をどう
     にかするために行動すべきではないでしょうか。

     では、どうすればよいのでしょう。今のところ私は「地道にコツコツ
     と啓蒙活動を進めて、問題RPG消費者の意識を正しい方向に変える」
     という以外に、よい方法を思いつきません。RPGに上達するための
     方法、RPGの正しいプレイ方法、RPGの正しい評価方法、RPG
     に関する視野を広げる方法、そういった情報を広めてゆくことが大切
     です。時間のかかる地味な手段ですが、他に有効な手はないでしょう。
     なにしろ、RPG消費者の意識を変えない限り、市場再建という目標
     は達成できないのですから。

     私が「馬場秀和のRPGコラム」の連載を続けているのは、まさに上
     で述べたような地道な啓蒙活動のためです。「馬場秀和のマスターリ
     ング講座」も同様です。

     また、視野を広げるためにも、出来るだけ多くの人が海外RPGに手
     を出してくれますように、との願いを込めて「海外RPGを読もう」
     というガイドを書きました。さらに海外RPGに興味を持ってもらう
     ために、様々な海外RPGの紹介文も書いてきました。

     では、質問に回答しましょう。「このジレンマをいかがすれば宜しい
     でしょうか」と問うのではなく、「このジレンマを解消するために、
     私は、何をすれば宜しいでしょうか」と問うべきなのです。そして、
     その回答は「あなたに出来る範囲でいいですから、啓蒙活動に協力し
     て下さい」ということになります。

     私やあなた、Scoops RPGでボランティア活動している方々、馬場コラ
     ムや馬場講座の読者。たとえ少人数であっても、何人かが啓蒙活動に
     協力することで、やがてRPG消費者の意識が、ゆっくりでも着実に
     変わってゆき、それがRPG市場の再建につながり、そしていつの日
     か、市場競争の中から優れた国産RPGがどんどん出版される日がく
     る・・・と信じるのは、子供じみた素朴な夢想でしょうか?

     でも、私はそう言われてもいいと思います。なぜなら、RPGという
     ものはそもそも子供じみた素朴な夢想から始まり、子供じみた素朴な
     人々によって支えられてきたゲームだからです。


**


 さて、ここまで読んできて、回答に納得できない方、別の回答を持っている方、
質疑に触発されて新たな疑問が生じた方、色々といることだろう。そういう方々
は、遠慮なく私へのメールまたはScoops RPGの雑談掲示板で質問を提出してほし
い。必ずとは言わないが、出来るだけ回答するし、よいネタになると思えば馬場
コラムのテーマにするかも知れない。(また、「次回の馬場コラムは、こういう
テーマで書いてほしい」といったリクエストも歓迎。必ず採用するとは限らない
が・・・)

 ともあれ、馬場コラムを1年も続けることが出来たのもScoops RPGのおかげで
あり、ひいてはScoops RPGを支えている多くの方々のおかげでもある。だから、
1周年記念の最後に、皆さんに感謝の言葉を述べたいと思う。みんな、本当に、
ありがとう。これからも、皆さんが、幅広く、数多く、様々な傾向のRPGを、
楽しめますように。



馬場秀和
since 1962


馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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