馬場秀和のRPGコラム 2000年2月号



『外へ向かう言葉(前編)』



2000年2月1日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
    スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。






 多くの読者には信じられないかも知れないが、その昔、ただ単に“ロールプレ
イングゲーム”と言えば、すなわち「D&Dみたいなテーブルゲーム」を指して
いる、そんな時代があったのだ。

 その頃に、世間一般の人に「あなたは、ロールプレイングゲームを知ってます
か?」と尋ねてみたとしよう。きっと彼らは、ためらいなく、こう答えたに違い
ない。

 「何それ?」

 それから時は流れ、今では単にRPGと言えば「ドラクエみたいなコンピュー
タゲーム」を指すようになった。今、世間一般の人に「あなたは、ロールプレイ
ングゲームを知っていますか」と尋ねたならば、きっと彼らはこう答えることだ
ろう。

 「もちろん」

 そう、もちろん、彼らの念頭にあるのはコンピュータRPGなのだ。


**


 世間で、単にロールプレイングゲームと言えば、すなわちコンピュータRPG
を指すようになってしまったため、我々は本来のRPGの方に「テーブルトーク」
「テーブルトップ」「卓上」「対人」「会話型」「非電源系」「アンプラグド」
などという滑稽な接頭語を付けて、コンピュータRPGと区別するはめになった。

 ついには「米国では、テーブルトークRPGのことをペーパー・アンド・ペン
シルズ・RPGと呼ぶんだ」なんていう話がまことしやかに囁かれ、そして我々
は次のような馬鹿げたメールを書くことになる。


    拝啓、ゲームショップ通販担当者殿。

      私は日本のペーパー・アンド・ペンシルズ・ロール・プレイング・
      ゲーム・プレーヤーです。このたび、そちらのペーパー・アンド・
      ペンシルズ・ロール・プレイング・ゲーム・ウェブページにある、
      ダンジョンズ・アンド・ドラゴンズ・ロール・プレイング・ゲーム
      第3版ルールブックを注文したく・・・。


 そういうわけだから、世間一般の人にRPG、いやペーパー・アンド・ペンシ
ルズ・テーブルトップ・何やらかんやら・ロール・プレイング・ゲームを紹介し
て、あわよくば引き込もうとすると、たいてい「どうしてコンピュータRPGを
わざわざ人間同士でやるの?」という疑問をぶつけられることになる。なにしろ
RPGと聞けばコンピュータRPGのことしか脳裏に浮かばないから、こういう
馬鹿げた質問が出てくるのだ・・・。

 いや、しかし、待ってくれよ。これは本当に馬鹿げた質問なのだろうか?

 肩をすくめ「もともとテーブルトークが本来のRPGで、コンピュータRPG
の方がそこから派生してきたものなんですよ」と言えば、それで済むことだろう
か? あるいは「人間同士でプレイする方が自由度が高いからだよ」などと答え
れば、それで納得してもらえるだろうか?

 よく考えてみると、どうもそうとは思えなくなってくる。

 なぜなら、この疑問の本質は「コンピュータRPGでは得られない、テーブル
トークRPG特有のメリットとは何か」「それは、わざわざコンピュータを使用
しないで手間暇かけて人間同士でプレイするに値するだけのメリットか」という
ところにあり、これだけコンピュータRPGが発達し普及した現在、これは至極
もっともな疑問だと思えるからだ。これに対する説得力ある回答を示さない限り、
世間一般の人がテーブルトークRPGに興味を持つことはないだろう。


**


 それなのに、上のような質問を受けたRPGプレーヤーの多く(特にベテラン)
は、何の危機感もなく「やれやれ、無知な人には困ったものだな」と言わんばか
りの態度で、やれ「本来のRPG」だの「高い自由度」だの「ストーリーの創造」
だの「キャラクターの演技」だの、10年前と同じような答えを返すだけである。

 こういう回答を受けた世間一般の人が「そうか、なるほど。それは興味深いな。
よし、私もひとつテーブルトークRPGとやらを試してみようかな」と思うはず
がない。なぜなら、彼らにとっては「本来のRPG」などというブランドには何
の価値もないし、「自由度の高さ」「物語の創造」「キャラクタープレイの楽し
さ」にしても、今日のコンピュータRPG(特にネットワークRPG)ならば、
ほぼ満足できるレベルに達しているからだ。(これについては後述する)

 要するに「テーブルトークRPGにはそれ特有の価値がある」「コンピュータ
RPGだけではなくテーブルトークRPGも試してみるべきだ」という点に関し
てテーブルトークRPGファンが語る言葉は、テーブルトークRPGファン以外
の人に対して説得力を持ってないのである。


**


 これはまずい。非常にまずい状況だ。

 想像してみてほしい。ここに、「コンピュータでもっと楽に早く楽しくできる
ことを、わざわざ人手と時間をかけてやる」ことに熱中している人々のグループ
があったとしよう。あなたは興味を持つ。なぜ、わざわざそんなことを楽しそう
にやっているのか。

 ところがあなたが質問しても、メンバーの誰も、「なぜ自分達がそんな面倒な
ことをわざわざやるのか、やる価値があるのか」に関して、きちんとした説明が
出来ない。

 それなのに、どうも彼らは、仲間うちでは「自分達の趣味は楽しい素晴らしい」
という話を延々としているように見える。要するに、仲間内でだけ通用する言葉
や価値観でしか自分達の趣味を語ることが出来ないのだろう。まあ、物好きな、
ちょっと変わった人が集まって閉鎖的/排他的なグループを作るのは、よくある
ことだし。

 こうして、あなたは、彼らに対して軽い嫌悪感を抱くと共に、彼らのやってる
ことに対する興味を失ってしまう・・・。

 これが我々に対する世間の評価だ、というのは言い過ぎだろうか?

 そこまで言わないとしても、いずれにせよ我々はもっと自分達の将来について
危機感を持った方がよい。今はまだそれなりに人数がいるからよいが、このまま
ずっとテーブルトークRPGファンの人数減少傾向が続くなら、遠からず我々は
「孤立し、世間から理解されないことを嘆く好事家グループ」になるだろう。

 そうなれば、次にどうなるかは誰にでも想像できる話だ。孤立感、疎外感から、
グループは結束を固めてゆき、閉鎖的になり、仲間内でしか通じない話題にます
ます執着するようになる。そして「自分達がやっていることは高尚なことであり、
それを理解できない世間一般の人が愚か(あるいは無粋)なのである」という、
歪んだ優越感に浸るようになるのだ。


**


 「世間一般の人は、テーブルトークRPGについて無理解で困る」などと愚痴
をこぼすRPGファンの声を聞くたびに、私はその裏にある屈折した優越感を感
じてしまう。「テーブルトークRPGは芸術である」「テーブルトークRPGは
創造的な行為だ」といった、何がなんでもテーブルトークRPGを「(世間一般
の人はやらない/出来ない)高尚なもの」に見せようとする発言を読むたびに、
背後にある劣等感や疎外感や選民意識や何やかやを、感じとってしまうのだ。

 まあ、これは、単に私がひねくれているだけのことかも知れない。

 だが、これは心から言っておきたい。私は、テーブルトークRPGがもっと、
今よりずっと、世間一般に広く認知され、普及してほしいと願っている。読者の
多くも、思いは同じだろう。ならば、我々はもっと外に向かう言葉を持つべきだ。

 我々は、テーブルトークRPGについて全く知らない世間一般の人に対しても、
「自分達がやっているテーブルトークRPGとは、こういうゲームです。それは
コンピュータRPGでは得られないこういう価値があるもので、だからあなたも
試してみることをお勧めしますよ」といったことを、仲間内だけでなく世間一般
に通じる言葉で、客観的・論理的に語ることが出来なければならないのだ。


**


 ではここで、改めて真摯に考えてみよう。コンピュータRPGでは得られない、
テーブルトークRPG特有のメリット、価値とは、つまるところ何であろうか?

 ただし、ここでは、回答はプレーヤーに関するものに限定しよう。

 確かに、マスターリング(ゲームマスター作業、あるいは“哺乳類の世話”)
には、コンピュータRPGからは得られない種類の価値があるとは思う。それは
そうだが、RPG入門者は間違いなくプレーヤーから始めるわけだから、何はと
もあれプレーヤーとして得られる価値について回答しなければ、世間一般の人を
RPGに引き込む役には立たない。

 さて、すぐ思いつく答えとして「臨場感」とか「リアリティ」とか「感情移入」
といった類がある。分かりやすい回答だ。これはどうだろうか?

 確かに10年前ならこの回答にも説得力があっただろう。だが、コンピュータ
の能力はあれから飛躍的に拡大した。ハイクオリティなグラフィックとサウンド
により構築・表現される仮想空間やキャラクターをもってすれば、そこらのゲー
ムマスターでは到底太刀打ちできないレベルの臨場感、リアリティ、そして感情
移入を実現することが出来る。実際にプレイしてみれば、それはすぐ分かること
だ。

 では、「自由度」「柔軟性」といった回答はどうか。コンピュータ処理に比べ、
人間であるゲームマスターの処理の方がずっと自由度が高く、柔軟性に優れてる
ではないか?

 だが、これも説得力に欠ける。

 コンピュータの性能向上と、メモリ容量の増大によって、ゲームプログラムは
かなり柔軟な処理が可能になっており、プレーヤーに与えられる自由度も大きく
なっている。もちろん、自由度の極めて低い、いわゆる一本道ゲームもあるが、
これはコンピュータRPGの限界ではなく、そのゲームの設計思想によるものだ。
充分に自由度が高く、様々な行動や展開をプレーヤーが選べるコンピュータRP
Gだってある。

 確かに、ゲームマスターの処理の方が、ソフトウェア処理に比べ自由度や柔軟
性が高いというのは正しい。(なお、あらかじめ決めておいた展開しか出来ない、
コンピュータにも劣るゲームマスターが実のところほとんどである、という冷厳
な事実にはこのさい目をつぶることにしよう)

 しかし、コンピュータRPGのプレーヤーは、本当に今以上の自由度を求めて
いるのだろうか?

 たぶん、それは違う。昔ならともかく、今コンピュータRPGにより実現可能
なレベルの自由度や柔軟性が得られれば、ほぼ全てのプレーヤーが満足できると
思う。

 満足している人に対して「人間同士でやればもっと自由度が高くなりますよ」
とか言っても、たとえそれが事実だとしても、「いやー、私はこれで結構です」
で終わってしまうことだろう。


**


 これこそ本命と思えるのが、「コミュニケーション」「キャラクタープレイ」
という回答だ。なにしろ、人間同士でプレイするのだから、会話、演技といった
方面については、一人でプレイするコンピュータRPGに負けるはずがないでは
ないか?

 ああ、しかし技術の進歩により、この回答ですら説得力を失いつつあるのだ。
ウルティマ・オンラインをはじめとする「ネットワークRPG」の登場によって。

 ネットワークRPGにおいては、参加者はインターネットを経由して専用サー
バにログインする。専用サーバ(サーバファーム)内には広大な仮想世界と様々
なイベントが用意されており、ここでキャラクター同士の会話やインタラクショ
ンが可能になる。

 ログインした参加者は、全員が1つの仮想世界を共有し、その中で自分のキャ
ラクターを動かして、自分と同じように他の参加者が動かしているキャラクター
と会話したり、戦闘したり、駆け引きしたり、商売したり、ナンパしたり、PK
したり、何やかやするわけだ。

 ネットワークRPGはすさまじい勢いで進化しつつあり、伝統的なコンピュー
タRPGの臨場感、リアリティ、雰囲気、感情移入に、テーブルトークRPGの
コミュニケーション、キャラクタープレイの楽しさを合わせ持ったゲームになる
のは、これはもう時間の問題だ。(既にそうなっているかも知れない)

 その熱中度たるや、かのジェフ・フリーマン氏が本コラムの先輩である "Ack!"
の連載を放り投げてしまったほどだ。(いや本当のところはどうだか知らないん
だけどね)

 今後、数年のうちに、データ通信料金は大幅に引き下げられ、誰もがインター
ネットに高速アクセスできる環境が整うことだろう。そうなれば、ネットワーク
RPGは(というかネットワークゲーム全般が)とてもメジャーなものになるで
あろうことは間違いない。その時点でネットワークRPGが提供しているだろう
全国(全世界)規模のコミュニケーションや、可能になるキャラクタープレイを
想像してみよう。

 さあ、そうなったとき、ネットワークRPGを楽しんでいるでいる世間一般の
人に対して「テーブルトークRPG特有の価値は、コミュニケーションやキャラ
クタープレイにあります」と言ったとして、はたして説得力があるのだろうか?
彼らは、休日を潰してわざわざ外出し、テーブルを囲んでRPGをやってみよう、
などと考えてくれるだろうか? ルールブックを購入して、ルールを覚えようと
してくれるだろうか? パソコン(それともPS2だろうか)の電源を入れれば、
すぐに広大な仮想空間に没入して、全国の仲間と会話し、キャラクタープレイが
出来るというのに?


**


 ここまでの個々の論点について、「いや、馬場さんは否定しているけど、この
点については、テーブルトークの方が絶対よい」などと反論したくなった読者が
きっといることと思う。もちろん、それは分かる。なにしろ、私もテーブルトー
クRPGの熱心なファンだから、あなたが言いたいであろうことは理解できる。
共感もできる。テーブルトークには、テーブルトークでしか得られない良さとい
うものがある。

 だが、今ここで私が論じているのは、テーブルトークRPGの経験が全くない、
世間一般の人に対する説得力の問題なのである。

 いくら「テーブルトークRPGは、この点でコンピュータRPGよりも価値が
高い。実際にやっている私が言うんだから間違いない」「テーブルトークには、
テーブルトークでしか得られない良さがある」「君もやってみれば分かるはずだ」
などと力説してみても、それは“外に向かう言葉”にはならない。外から聞くと、
せいぜい怪しい宗教か、自己啓発セミナーの勧誘にしか聞こえない。なぜなら、
それは「自分達の仲間になった人にしか理解・共感できない、外に対して説得力
のないこと」を熱心に語っているだけだからだ。


**


 そうすると、テーブルトークRPGでしか得られない価値というものは、客観
的・論理的に語り得ないものなのだろうか? それは宿命的に「分かる人、共感
できる人」にしか伝えることが出来ず、“外へ向かう言葉”にすることなど、は
なから無理なのだろうか?

 これについて、私は私なりの考え、回答を持っている。(次回のテーマだ)

 しかし、私の回答が何であるかは、実のところ大した問題ではない。あなたが、
RPGプレーヤーの一人一人が、自分で考えること(そして、“外に向かって”
語ろうとすること)が大切なのだ。

 ウェブページ、掲示板、メーリングリスト、その他の場で広く世間一般に対し
「テーブルトークRPGはこんなに文化的価値の高い趣味です。あなたもやって
みませんか」という主旨の呼びかけをしている人は、自分の主張が世間一般の人、
つまりRPGといえば、コンピュータRPG(ネットワークRPGを含む)しか
知らない人に対して真に説得力を持っているか、実際にRPG入門者を増やす上
で役に立つ言葉になっているか、よく見直してほしい。自分も、世間一般の人に
なったつもりで、“外から”自分や自分の仲間を見る視点を持って、吟味してほ
しい。

 そして、考えてほしい。我々は、外に対して自分達のことを語ろうとする努力
を真剣にやってきたのだろうか? 我々が、テーブルトークRPGについて語り
論じてきた言葉は、中に入ってきた仲間同士では通じていたとしても、外へ向か
う言葉たりえなかったのではないか? そして、“外へ向かう言葉”を持とうと
しないグループは、決して世間から認知され広く受け入れられることはないので
はないか?


(後編に続く)



馬場秀和
since 1962


馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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