馬場秀和のRPGコラム 2000年5月号



『キャラクタープレイのすゝめ』



2000年5月23日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 馬場コラム2年目のテーマは「TRPG入門者をもっと増やすには、どうすれ
ばよいのか?」というものであり、ここ1年近くこのテーマについて様々な角度
から書いてきた。だがしかし、連載も次回からいよいよ3年目に突入するわけで、
この話題は今回で終わりということにしておこう。

 さて、最後ということになると、やはりどうしても「キャラクタープレイ」に
ついて書いておかねばなるまい。

 というのも、世間一般の人々をテーブルトークRPGから遠ざけ、誤解や偏見
を広めている最大の要因は、キャラクタープレイ(の濫用)にある、と思うから
だ。

 キャラクタープレイを何より大切に思っている人も、そうでない人も、どうか
耳を傾けて聞いてほしい。


**


 最初に、何が問題なのかを説明しておこう。

 以前、私は、自分自身で実際にTRPG入門者を増やそうと試みたことがある。
すなわち、世間一般の知人達をつかまえては「テーブルトークRPGというもの
をやってみませんか」と声をかけたのだ。

 結果的には、それはひどく苦い経験になった。なぜなら、世間一般の人々が、
テーブルトークRPGをどう思っているか、それをはっきり思い知らされるはめ
になったからだ。

 私が声をかけた範囲では「テーブルトークRPG」という名称はほとんど知名
度がなかったが、そういう遊びが存在することそれ自体は、意外とよく知られて
いた。ちなみに、“そういう遊び”というのは、


    ・アニメとかのキャラクターになりきってお芝居する遊び


のことだ。

 さらに、ほとんどの人が、“そういう遊び”に対して悪いイメージ、はっきり
言うなら、嫌悪感、侮蔑感を持っていた。次のような感じだ。


    ・オタクっぽい感じで何か嫌、生理的に気持ち悪い

    ・あそこまでマニアックなものにはついてゆけない

    ・素人が下手な芝居を見せあうなんて、想像するだけで恥ずかしくて
     居たたまれない感じ


 「馬場さん、そういう人だったんですか?」ときかれることさえあった。そう
いう人って、どういう人なんでしょうか?

 私は、それらのイメージは誤解だ、偏見だ、と力説したのだが、残念ながら、
見るべき成果はなかった。どう誤解なのか、どう偏見なのか、明解な論理と信念
を持って語るべき言葉を私自身が持ってなかったせいかも知れない。

 結局、私はテーブルトークRPGを実際にやってみようという人をただの1人
も見つけることができず、果敢なるトライアルは、誤解と偏見の壁にぶつかった
だけで終わってしまった・・・。


**


 もちろん、これは私の個人的な体験であり、ここから一般論や統計的な結論を
引き出すのは無茶だということはよく承知している。だが、それでも私は「これ
が世間に広まっている“テーブルトークRPGに対する一般的な認識”ではない
か」という懸念を振り払うことが出来ない。

 すなわち、世間一般の人々は、我々のやっていることを次のような図式で見て
いるのではないか。


    我々のやっていること

      =(アニメの)キャラクターになりきって、お芝居する遊び

      =見ちゃいられない下手くそな素人芝居の見せあいっこ

      =不気味で、恥ずかしく、居たたまれない、近寄りたくない世界


 そうだとすると、なるほど、これではTRPG入門者が少なくなるわけだ。


**


 この懸念は、私の被害妄想あるいは杞憂であろうか。どうも、そうは思えない。
似たような話を聞く機会が多いことから考えて、かなり事実に近いのではないか。

 少なくとも、誰かが客観的な根拠を示して「それは杞憂です、馬場さん。実際
には、世間にはテーブルトークRPGに対する誤解や偏見など広まっていません」
などと力強い証拠と共に安心させてくれるまでは、私は次のように主張せざるを
得ない。


    ・我々は、キャラクタープレイ(の濫用)が、テーブルトークRPGに
     対する誤解と偏見を世間にまき散らしているという重大な懸念を事実
     と見なして、真剣に対策を考えるべきである。

    ・特に、キャラクタープレイを大切なものだと考え、それを愛好してる
     人々は、キャラクタープレイの汚名返上のために率先して努力すべき
     だ。


**


 ところで、こういう主張をすると、次のように反応する人がいる。


    ・悪いのは、そういう誤解や偏見を持っている世間である。(あるいは、
     悪いのは世間に誤解や偏見を広めるようなTV番組を作るマスコミで
     ある、悪いのは一部の極端なプレーヤーである、悪いのは・・・・・
     とにかく私ではない)

    ・世間の人がどう思っているかなんてどうでもいい。分かる人、相性の
     よい人にだけ分かってもらえればそれでよいじゃないか。

    ・もともとTRPGってマニアックなものだから、世間に理解されない
     のは仕方ない。


 こういう考え方は非常にまずいと思う。こういうのは、単なる開き直りの類で
あり、我々を押しつぶそうとしている現実の問題から目を背けているだけのこと
だ。

 昔ならともかく、今や我々は立派な絶滅危惧種だということを自覚しなければ
ならない。世間に広まった誤解や偏見を放置しておくなら、TRPG入門者は減
る一方であり、入門者が減っても存続できるほど我々の基盤は強固ではないのだ。

 世間の誤解と偏見に押しつぶされるのが嫌なら、自分達で対策を講じて、世間
に受け入れられるよう真摯な努力を傾けるしかない。もう我々には、本当に後が
ないのだから。


**


 では、問題を解決する、つまりキャラクタープレイ(の濫用)から生ずる世間
の誤解や偏見を解消してゆくにはどうすればよいのだろうか?

 キャラクタープレイ自体を批判し、自粛を求める意見もある。例えば次のよう
なものだ。


    ・行き過ぎたキャラクタープレイは、TPPGのゲーム性(意志決定)
     を台無しにして、それを「低劣なごっこ遊び」としてしまう。世間に
     広まっている誤解や偏見は、このようにして生じた「低劣なごっこ遊
     び」に対するものなのだから、このような(誤っている上に、誤解や
     偏見のもとにもなる)プレイスタイルを撲滅すべく、我々はキャラク
     タープレイを必要最小限(ゲーム性を損なわない範囲)にとどめてお
     くべきだ。


 このような意見を、キャラクタープレイに対する「批判」と呼ぶことにしよう。
(ちなみに、私自身も何度か「批判」を表明している)

 さて、「批判」に対しては、ほとんど常に、次のような反論が出る。


    ・TRPGにとってキャラクタープレイは本質的に重要なものであり、
     それを否定したり、必要最小限に止めるようにしようよというのは、
     TRPGを骨抜きにし、その魅力を奪うことである。


 このような意見を、キャラクタープレイの「擁護」と呼ぶことにしよう。

 キャラクタープレイについて議論が起こると、たいてい「批判」と「擁護」の
意見が対立して、果てしない平行線を辿ることになる。

 くり返すが、もうこの手の水掛け論をやっている場合ではないのだ。我々は、
サバイバルの危機に直面した小さな村のような存在だ。うだうだ内部抗争してる
余裕はない。誰かが、対立が生じている原因を掘り起こし、解消する道を示し、
全員で協力して真の問題に対処する態勢に持ってゆかなければならない。


**


 では、なぜ「批判」と「擁護」がいつまでも対立するのか、そこを考えてみよ
う。

 私の見るところ、それは「本来あるべきキャラクタープレイ」と「実際に行わ
れているキャラクタープレイ」の間の乖離がはなはだしいことに起因している。

 つまり、「批判」の真意が、


    ・(本来あるべきキャラクタープレイに比べて、実際に行われている)
     行き過ぎたキャラクタープレイは有害なので、自粛すべき


というところにあるのに対して、「擁護」の真意は、


    ・(実際に行われているキャラクタープレイはともかく、本来あるべき)
     キャラクタープレイは重要なので、自粛なんてとんでもない


というところにあるわけだ。よく見れば分かるが、両者の立場は思ったより近い。

 次のように議論を進めることで、対立の構図を崩すことが出来るだろう。


    ・「本来あるべきキャラクタープレイ」とはどういうものか明確にする

    ・「実際に行われているキャラクタープレイ」が「本来あるべきキャラ
     クタープレイ」から乖離してしまう理由を明確にする

    ・「本来あるべきキャラクタープレイ」をもっと普及させるには、どう
     すればよいか検討する


 要するに、我々は「本来あるべきキャラクタープレイ」を、もっと普及させる
ことに協力すべきだということだ。これなら、「批判」派も「擁護」派も、賛同
できるはずだ。

 そうやって、本来あるべきキャラクタープレイが普及していけば、世間の誤解
や偏見も緩和されるに違いない。

 本来あるべきキャラクタープレイの姿を明確にするだけでも、我々は、世間に
対して「RPGとは、こういうゲームです。その中でキャラクタープレイはこう
いう役割を果たしています。それは決して、なりきり芝居でも、ごっこ遊びでも
ありません」と明解に説明するための言葉を持つことが出来る。

 以前にも強調したが、このように自分達のことを世間に向かって説明する言葉
を持つことは、社会的・文化的な活動を行う上でとても大切なことである。それ
は、我々が担っている説明責任の一環なのだ。


**


 では、本来あるべきキャラクタープレイとは何だろうか。いよいよこの問題に
取り組むことにしよう。

 まず最初に、「TRPGのプレイとは何か」ということについて、再確認して
おこう。TRPGをプレイするということは、プレーヤーが、次の4つの条件を
満たすように自分のキャラクターの言動を決めて(意志決定し)、それを他の参
加者に伝えることだった。


    A.ゲームマスターから与えられた「目標」の達成に近づくこと

    B.自分のキャラクターに期待されている「役割分担」(戦闘とか治療
      とか情報収集とか威嚇とか権力行使とかユーモアとか・・・)を、
      きちんと果たすこと。

    C.自分のキャラクターの言動が、「背景世界設定」や「キャラクター
      属性」(年齢、性別、職業、特徴、性格、生い立ち、各種の能力、
      その他その他の設定情報の集合)と整合していること。
      キャラクターの言動は、背景世界やキャラクター属性と矛盾しない
      だけでなく、それらを活かしたものにすることがより望ましい。

    D.ゲームのジャンルや狙いの「再現」に向かうこと。例えば「ホラー
      RPG」であれば恐怖体験を、「冒険活劇RPG」であれば痛快な
      冒険を、プレーヤーが再現する(疑似体験する)ことが望ましい。


 RPGがなぜゲームとして面白いかというと、この4つの条件がしばしば矛盾
するためだ。ある言動1だとAは満たされるがCが駄目。言動2だと、Cはとも
かくとしてDからかけ離れてしまうし、言動3という手もあるがそれだとAから
遠ざかる一方で・・・。

 プレーヤーが、内心でこういう葛藤を覚えつつ、それなりの根拠(これがA〜
Dをバランス良く追求する妙手だっ)を持って「私のキャラクターは、こういう
言動をとる」と決め、それを他の参加者に伝え、その結果に対して責任を持つ。
これがTRPGにおける「意志決定」というものだった。

 以上については、以前に詳しく書いたので、ここではこれ以上くり返さない。
興味がある方は、次の2つの資料を読んで頂きたい。


    『初心者のためのRPG入門』
      http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/whatsrpg.html

    『外へ向かう言葉(後編)』
      http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/scoopsrpg/contents/baba/baba_20000417.html


**


 さて、4つの条件のうち、AやDの条件は他のゲームでも共通だが、BやCと
いった条件は、あまり他のゲームには見られない(少なくとも重視されない)と
言ってよいだろう。TRPGの特徴は、BやCという条件を、AやDと同じくら
い重視するところにある。

 それも当然と言えば当然で、BやCという条件こそ、「ロールプレイング」の
定義に他ならないのだ。そう、我々がやっているゲームは、意志決定において、
「ロールプレイング」という条件を十分に考慮しなければならないゲームである
がゆえに、「ロールプレイングゲーム」略してRPGと呼ばれるわけだ。

 ちなみに、もともと「ロールプレイング」と言えば主にBの条件を指していた。
「戦士」の役割をプレイする(戦闘する)、「盗賊」の役割をプレイする(罠を
発見し解除する)といった具合に、自分のキャラクターの役割分担を果たすこと
を、ロールプレイする、と呼んだのだ。それがRPGの発展に従って、次第に、
「ロールプレイング」という用語は、どちらかと言うとCの条件を意味するよう
になってきたのだ。つまり、キャラクターを単なるコマと見なすのではなく、そ
れに与えられた諸属性(特に性格と動機)を尊重して言動を決める、それがロー
ルプレイングということだ。


**


 さて、さきほどの説明で、自分のキャラクターの言動を「決めて」「他の参加
者に伝える」と書いた。このとき、実際には、何が行われるのか。ステップ分け
して詳しく考えてみよう。


  1. A〜Dの条件を考慮して、キャラクターの言動の内容を決める

    例:よし、このキャラクターは、怒って、賄賂を拒否することにしよう

  2. キャラクターの言動の具体的なイメージ(セリフ、動作、表情など)を
    決める

    例:NPCが差し出した賄賂を、自分のキャラクターが叩き落として、
      激しい口調で「この私を侮辱する気かっ」と叫び、剣の柄に手をか
      ける、というシーンを想像する

  3. キャラクターの言動の具体的イメージを、他の参加者、特にゲームマス
    ターに伝える。その際に、大きく分けて次の2つの手法があり、どちら
    か、あるいは両方を組み合わせて使用する。

      3-1 言葉による説明

        例:「(自分のキャラクターの名前)は、その相手が差し出し
          た賄賂を叩き落とし、激しい口調で“この私を侮辱する気
          かっ”と叫び、剣の柄に手をかけます」と説明する。

      3-2 芝居(声色、身振り、手振りなど)による説明

        例:実際に「この私を侮辱する気かっ」というキャラクターの
          セリフを叫びつつ、賄賂をたたき落とす身振りや剣の柄に
          手をかける芝居をする。


 もちろん、3.については、さらに細かく分類することも出来るだろう。言葉に
よる説明といっても、因果関係の説明と、状況描写は、別の技法にした方がよい
かも知れない。芝居についても、キャラクターの身振りや表情を真似るといった
技法と、ゲームマスターの目を見るといったコミュニケーション技法は、分けて
考えるべきかも知れない。

 が、それはまた別の機会に論じることとして、とりあえず3-1と3-2という大雑
把な括りのままで先に進めよう。


**


 キャラクタープレイをめぐる議論が混乱しがちな理由の1つは、この用語が、
上記のうちどれを指しているのかが曖昧であることだろう。

 多くの場合、「擁護」を主張する人は、2.以降は全て「キャラクタープレイ」
の範疇に含まれていると考えているのに対して、「批判」を主張する人は、3-2
だけが「キャラクタープレイ」あるいは「演技」だと考えている。まとめると、
次のような感じだ。


       「批判」派の考え      「擁護」派の考え
  ----------------------------------------------------------------
   1.    意志決定          意志決定
   2.    意志決定          キャラクタープレイ
   3-1    意志決定結果の伝達     キャラクタープレイ
   3-2    キャラクタープレイ     キャラクタープレイ
  ----------------------------------------------------------------


 特に問題となるポイントは、2.のプロセスにあるようだ。2.が重要であること
は誰もが認めるが、「批判」派はそれを意志決定の範疇だと見なし、「擁護」派
はそれをキャラクタープレイの範疇だと見なしている。これでは議論がかみ合う
はずもない。

 これは定義の問題なのでどちらが正しいかというのは難しいのだが、私は2.の
プロセスは意志決定に含まれるという立場をとる。

 なぜなら、実際問題として、1.と2.を明確に区別するのは困難だからである。
どちらもプレーヤーの内心で行われる、主観的な、しかも連続的なプロセスだ。
これに対して、2.と3.の区別は明確である。他の人から見て3.は観察できるが、
2.は観察できないからだ。よって、2.と3.は別の用語で表した方が混乱が少ない。

 というわけで、2.は「意志決定」の範疇に入れた方が、議論の筋としても検証
可能性という点からも望ましい、と思う。

 ここは大切なのでくり返しておこう。1.から3.までのプロセスのうち、プレー
ヤーの内面で行われ、他の人から観察できない作業は全て「意志決定」の範疇に
入れ、他の人から観察できることだけを「キャラクタープレイ」の範疇に入れる
べきだ、というのが私の立場である。よって、私が「キャラクタープレイ」とい
う言葉を使う場合、それは3-2 だけを指しており、2.は含まれない。これは以前
からずっとそうだった。不可解なことに、そこを曲解する人は絶えないのだが。


**


 さて、では3-2 は何のために必要なのか。3-1 ではなぜ不十分なのか。それは、
以下のような理由による。


    x. 言葉だけで説明するよりも、芝居を併用した方が、意志決定の結果
      を簡単に、手早く、生き生きとした形で伝えることが出来る

    y. 芝居により、単に情報を伝えるだけでなく、場を盛り上げたり、
      他の参加者を楽しませたり、といった効果が得られる

    z. 芝居により、キャラクターに対する感情移入、一体感が高まる


**


 さあ、これで「意志決定」「ロールプレイ」「キャラクタープレイ」という、
TRPGを支える3つの柱が、どういう関係にあるかが明確になった。簡単にま
とめてみよう。


    ・TRPGのプレイとは

     それは、プレーヤーが、前述したA〜Dの4つの条件をバランス良く
     満たすように自分のキャラクターの言動を決めて、それを他の参加者
     に伝えることである

    ・TRPGにおける意志決定とは

     それは、前述した4つの条件が矛盾するとき、プレーヤーが、どうす
     ればA〜Dをバランス良く追求できるか迷った上で、何らかの根拠と、
     結果に対する責任を持って、自分のキャラクターの言動を決めること
     である

    ・TRPGにおけるロールプレイングとは

     それは、前述した4つの条件のうち、BとCを満たすように意志決定
     することである。特に、Cで与えられるキャラクターの諸属性(例え
     ば性格や動機)を尊重して、その言動を決めることである。

    ・TRPGにおけるキャラクタープレイとは

     それは、プレーヤーが意志決定の結果を、芝居(実際にキャラクター
     が話しているかのようにセリフを口にする、声色を使う、身振りや手
     振りでキャラクターの行動を表現する、など)という手法を用いて、
     他の参加者に伝える技法である

    ・結局のところ、TRPGとは何か

     それは、「ロールプレイング」という条件を考慮に入れて「意志決定」
     し、その結果を「キャクタープレイ」技法も活用しつつ他の参加者に
     伝えるというゲームである。


 以上で、TRPGというゲームの枠組みの中でキャラクタープレイが果たして
いる役割を、曖昧さなく、抽象論/観念論などに逃げることなく、誰にでも分か
る言葉で、はっきりと定義できたわけだ。

 私は、これまで述べてきたことを踏まえて、「x.y.z.の全てを目指して行われ
る、3-2 で示した行為」を、「本来あるべきキャラクタープレイ」であると定義
する。


**


 よし、次に進もう。

 なぜ、実際に行われているキャラクタープレイは、これまで述べてきた「本来
あるべきキャラクタープレイ」から乖離して、「行き過ぎたキャラクタープレイ」
になりがちなのだろうか?

 私の見るところ、キャラクタープレイの目的のうち、

    z. 芝居により、キャラクターに対する感情移入、一体感が高まる

というのが、プレーヤーの心に強い快感、陶酔感を与えることが原因だと思う。

 この快感、陶酔感に酔った人が、キャラクタープレイの他の目的、すなわち、

    x. 言葉だけで説明するよりも、芝居を併用した方が、意志決定の結果
      を簡単に、手早く、生き生きとした形で伝えることが出来る

    y. 芝居により、単に情報を伝えるだけでなく、場を盛り上げたり、
      他の参加者を楽しませたり、といった効果が得られる

という、「他の参加者のための目的」を失念して、暴走するわけだ。


**


 まとめてみよう。


    ・キャラクタープレイの目的は3つあるが、そのうち2つ(x.y.)は、
     「他の参加者のための目的」であり、残り1つ(z.)は「自分のため
     の目的」である。

    ・本来あるべきキャラクタープレイは、これら全て(x.y.z.)を目的と
     して行うものである。

    ・ところが、実際に行われているキャラクタープレイは、しばしば、
     「自分のための目的(z.)」だけを目指している。これが、行き過ぎ
     たキャラクタープレイを引き起し、さらには誤解や偏見を世間にまき
     散らすことになる。


 自己陶酔ノリノリ演技で自分だけ盛り上がる奴、ゲームマスターがストーリー
を自分の演技に合わせて(自分のキャラクターに都合のよいように)展開させな
いと立腹する奴、「ノリが削がれるから」などと言って判定を避けて芝居だけで
話を進めることを期待する奴。こういった奴らは、キャラクタープレイするとき、
もっぱら「自分のための目的(z.)」しか念頭にないのだ。そのくせ、他人から
「批判」されると、すぐx.やy.の目的を持ち出してきて自分のキャラクタープレ
イを「擁護」する。

 これが卑怯な態度だというのは明らかだろう。私はこういう虫けら並の連中を、
敵意を込めて「キャラクタープレーヤー」と呼んでいる。

 ここで、キャラクタープレーヤーのようにz.だけを目的にするのではなく、x.
やy.も目的とした、「本来あるべきキャラクタープレイ」を目指している方々の
ことを、敬意を込めて「キャラクタープレイ愛好家」と呼ぶこととしたい。

 その上で、私はこう訴える。キャラクタープレイ愛好家を増やそう、本来ある
べきキャラクタープレイを普及させよう、と。

 なぜなら、まず第一に、それがTRPGを発展させ、その魅力を高めることに
なるからだ。第二に、それによって世間の誤解や偏見を減らし、TRPGを世間
に受け入れられるものにすることが出来ると信じるからだ。第三に、それはキャ
ラクタープレーヤーどもを駆逐するために必要なのだ!


**


 というわけで、本来あるべきキャラクタープレイを普及させるための具体的な
提案をいくつか示しておこう。どの提案も、目的x.y.を忘れないようにすること
を狙っている。


    提案1:キャラクタープレイの目的のうち、x.を忘れないように、キャ
        ラクタープレイは必ず言葉による説明と併用しよう。まず何を
        伝えたいのか、何を表現しようとしているのかを言葉で説明、
        描写し、しかる後にキャラクタープレイでその表現を試みる、
        というスタイルを広く定着させよう。

    提案2:キャラクタープレイの目的のうち、y.を忘れないように、キャ
        ラクタープレイするときは必ず事前に他の参加者の許可を求め
        るようにしよう。
        キャラクタープレイに強い抵抗感を持つ人も多いのだ。そうい
        う人が、気兼ねなくNoと言えるような雰囲気を作ろう。

    提案3:キャラクタープレイを他の参加者に評価してもらおう。
        セッション終了時に、各参加者のキャラクタープレイが、目的
        x.y.をどのくらい達成していたか、率直に話し合う習慣をつけ
        よう。(それによって経験点ボーナスに差をつける、というの
        もいいだろう)


 以上の3つの提案を皆が守れば、自然と「本来あるべきキャラクタープレイ」
が普及してゆくと思うのだが、いかがだろうか?

 最後に。

 正直に言うと、私自身はキャラクタープレイにあまり魅力を感じない。意志決
定の方がずっと楽しい。だから他のゲーム、例えば、ボードゲームも大好きだ。
私が他のゲームだけでなく、TRPGもプレイするのは、それが他のゲームには
ない独特の意志決定(ロールプレイングを十分に考慮しなければならない意志決
定)の機会を与えてくれるからに他ならない。

 だが、キャラクタープレイ愛好家の方々が、意志決定よりもキャラクタープレ
イの方に魅力を感じるというのは理解できる。(ひょっとしたら理解してないの
かも知れないが、少なくともその立場を尊重している。私が許せないのはキャラ
クタープレーヤーだけだ)

 これら2つの立場は決して矛盾しない。同じセッションで、ある参加者は意志
決定の楽しみを、別の参加者はキャラクタープレイの喜びを、それぞれメインに
追求して悪いはずもない。悪いのは、どちらか一方だけを追求するプレーヤーな
のだ。

 私は、両方のタイプのTRPGプレーヤーが共通に目指すべき理想の姿という
ものを見定めることが出来るのではないかと思う。おそらくそれは、良い意志決
定が良いキャラクタープレイを生み、良いキャラクタープレイによって伝わった
ものが、他の参加者をしてより優れた意志決定を促す、そんな姿だろう。

 我々RPGプレーヤーが、その立場や志向の違いを乗り越えて、共にそのよう
な理想を追求し、意志決定とキャラクタープレイが互いを高め合うセッションを
目指して技量向上に努めるなら、そのときこそテーブルトークRPGは、成熟し
た文化として世間に認知され受け入れられる。私は、そう信じる。そして、あな
たにも、そう信じてもらいたいのだ。



馬場秀和
since 1962


馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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