馬場秀和のRPGコラム 2002年2月下旬号



『“キル・ドクター・ラッキー”とプレーヤー間の協調』



2002年2月28日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 この世で最も面白いTRPGは『パラノイア』(PARANOIA)である、ということ
には、どなたも異存はないだろう。しかし、この作品が多くの人に正しく理解さ
れてるかというと、必ずしもそうは言えないようだ。世間には、『パラノイア』
に関して様々な誤解が広まっているように思える。

(ちなみに、『パラノイア』をご存じない方は、以下のページにツボをおさえた
紹介が載っているので、まずはそちらに目を通してほしい)


    「魅惑の海外RPG達:ユーモア/パロディ」
      http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/rpgs2.html


 『パラノイア』に関して最もよくある誤解は、“このTRPGではプレーヤー
達が互いに敵対する”というものだ。

 これは、全くの誤解である。

 この作品においては、キャラクター達は、互いに協調するふりをしながら実際
は敵対している。それは確かだ。しかしながら、プレーヤー達は、互いに敵対す
るふりをしながら、実のところ協調しているのである。

 それどころか、この作品ほどプレーヤー間の密接な協調と緊密な連携が求めら
れるTRPGも少ないくらいなのだ。


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 このことをよく分かって頂くために、一例を示しておこう。『パラノイア』に
おける典型的な戦闘シーンだ。


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  状況:4名のトラブルシューター達が、イスラム原理主義過激派のテロ組織
     ・・・じゃなくて、共産主義者の反逆者どものアジトに足を踏み入れ
     たところ、待ち伏せしていた敵に包囲されてしまった!

  キャラクターA
    「むっ、敵の射撃命中判定に−2の修正をつけるべく、伏せます」

    ZapZapZapZap.... (Aは反逆者として処刑される)

  キャラクターB
    「ふっ。愚かな奴だ。・・・修正は−2じゃなくて、−4じゃないか」

    ZapZapZapZap.... (Bも反逆者として処刑される)

  キャラクターC
    「(ビデオカメラを敵に向け)さあ隊長、今こそ果敢なる突撃をっ。
    私が背後から撮影しますから」

    ZapZapZapZap.... (隊長DはCを射殺する)

  キャラクターD
    「(落ちたビデオカメラを拾ってCの遺体を写しながら)何ということ
    だ。勇敢なる我が友Cは敵の卑劣な奇襲を受け、散った。だがしかし、
    彼の死を無駄にはすまい。私は断固たる決意を持って・・・」

  ゲームマスター
    「申し訳ないが、敵の一斉射撃だ」

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 こういうのを解説するほど野暮なことはないが、まあ仕方ない。このシーンで
プレーヤー達が何を意図してどのような意志決定を下したのかを説明してみよう。

 まずAは、このTRPGにおいて重大な反逆罪と見なされる「ルールブックを
読んだ」ことを“うっかり”告白してしまい、結果として処刑される。もちろん
Aのプレーヤーは本当に“うっかり”してたわけではなく、そういう演出により
自分のキャラクターに愚かな死に方をさせて、みんなの笑いをとろうとしたのだ。

 Bのプレーヤーは、おそらくAのプレーヤーがふったネタを気に入ったのだろ
う、さらに駄目押しギャグを重ねている。つまりAの愚かさを嘲笑しようとして
またも“うっかり”同じ轍を踏んでしまった、という演出で自分のキャラクター
に愚か極まる死に方をさせたわけだ。

 お分かりの通り、二人のプレーヤーはウケをとるために連携している。キャラ
クターのミスは、もちろんプレーヤーにとってはミスでも何でもなくて、完全に
意図的なボケ、というか口からでまかせだ。なにしろ、そもそも伏せによる射撃
命中修正は−2でも−4でもなくて・・・あ、いや、私はもちろん知りません。

 さて、キャラクターCは、『パラノイア』の基本に忠実な行動をとりつつも、
“何気なく”ビデオカメラの視界をDから外している。実は「ビデオカメラを敵
に向け」うんぬんのくだりは、CのプレーヤーがキャラクターCの行動を口頭で
説明したものなのだ。これはむろん、Dのプレーヤーに対して「さあさあ、今が
チャンスだよ」というサインを送っているわけだ。

 サインを的確に受け取ったDのプレーヤーは、協力すべく、誘いにのってキャ
ラクターCを射殺する。こうして、Dの協力をもってCのプレーヤーはこのゲー
ムの目的を達した。つまり「自分のキャラクターに愚かな死に方をさせて、皆の
笑いをとる」ということに。

 さて、最後に残ったDのプレーヤーは、“そんな場合じゃないだろう、という
ところでも愚直にいつもの習慣をとり続ける”という基本的ボケにトライした。

 つまり、もう目撃者は誰も残ってないのだから、さっさと逃げればよいのに、
“ついつい”習慣的に隠蔽工作をやってしまう。そこで、そのボケを受けてゲー
ムマスターがトドメのツッコミを入れてくれ、無事にDは蜂の巣になったという
わけだ。おめでとう。

 このように、参加者間でボケとツッコミが高密度に飛び交い、悪のりがエスカ
レートする。これが『パラノイア』の典型的プレイであり、このゲームの設定や
ら何やら全ては、このようなプレイスタイルを支えるためだけに存在すると言っ
てよいのである。

 まとめてみよう。

 『パラノイア』においては、キャラクターは敵対関係にある。AもBもCもD
も、とにかく自分だけが生き延びることを目的に行動している。自分が生き延び
るために、謀略によって他人を犠牲にするのは当たり前である。そういう背景世
界設定だ。

 ところが、プレーヤー間は、密接な協調関係にあるのだ。AもBもCもDも、
とにかく自分のキャラクターが「自分だけが生き延びようとして、かえって愚か
な死にざまをさらす(ことで笑いをとる)」ことを目的にしており、そのために
ボケとツッコミの機会を逃さぬよう皆で連携し合っているわけだ。

 ここらが『パラノイア』というTRPGのツボであって、参加者全員がここら
辺を了解し合ってないと、ゲームがうまく機能しなくなる。


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 このような構図、つまりゲームをうまく機能させるためのプレーヤー間の協調
や連携といったものは、決して『パラノイア』だけのものではない。

 他の例を見てみよう。古典的ホラーTRPG『クトゥルフの呼び声』の典型的
なシーンだ。


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  状況:謎の怪事件を調査しているキャラクター達4名のうち、CとDはこの
     地方の歴史や伝承を調べるために町の図書館に向かう。AとBは山奥
     にある墓地を調べに赴くが、途中で日が暮れてしまう。ようやく到着
     したとき、墓地の裏手にある沼の方から、べちゃっ、べちゃっ、とい
     う怪しい水音が聞こえてきた・・。

  キャラクターA
    「何だろう。ちょっと調べてくるよ。君はここにいてくれ」

  キャラクターB
    「分かったわ。気をつけてね」

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 なぜ、Aのプレーヤーはわざわざ単独行動を提案し、Bのプレーヤーも協調し
たのだろうか。明らかにヤバそうな状況なのだから、安全のために2人で調べに
ゆくべきではないだろうか。そもそも、なぜ4名のキャラクターはわざわざ二組
に分かれて行動しているのか?

 こういう問いかけをすると、よく「その方がホラーらしいから」とか「ホラー
TRPGのお約束だから」と答える人がいるが、それはあまりにも浅はかな考え
だ。ゲームセンスのあるプレーヤーなら、ずばり「そのような行動をとったとき
にゲームシステムが最もうまく機能するから」あるいは「ゲームシステムがその
ような行動を想定してデザインされているから」と答えるだろう。

 これについて少し詳しく見てみよう。


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 『クトゥルフの呼び声』の特徴である正気度ルール、SANチェックシステム
は、身も蓋もなく言ってしまうと「キャラクター全員の正気度の合計(プール)
を資源として、これをうまく各イベントに分散投資することで、“必要な情報”
あるいは“事態の進展”といったリターンを最大化しようとするゲーム」という
ことになる。

 投資にあたってはよく考える必要がある。あまりにも投資を控えすぎると(つ
まり怖い目、危ない目にあわないように避けてばかりいると)、必要な情報を得
ることができず、事態が進まないうちに時間切れになってしまうことだろう。
逆に無謀な過剰投資を続けると、すぐに資源が尽きて(つまり全員が発狂して)
途中でゲームが終わってしまうに違いない。

 『クトゥルフの呼び声』のシナリオは、プレーヤー達が正気度プールを各イベ
ントにうまく投資したときに限って、必要なだけの情報と事態の進展が得られ、
目標を達成できるように設計されている、はずだ。ゲームマスター(キーパー)
が正しいゲームセンスを持ってシナリオを作っていれば。

 これが、『クトゥルフの呼び声』の最も基本的なゲーム構造だ。

 実際には、キャラクター間の役割分担とか、各キャラクターの設定を守らなけ
ればならない、といったロールプレイの要素が絡んできて、必ずしも常に最適な
投資ができるわけではない。もちろん、だからこそTRPGは面白いのだが。

 さて、正気度プールの投資を最適化する、という基本を考えれば、複数のキャ
ラクターが同じホラーイベントに立ち会うことは望ましくない。なぜなら、イベ
ントによって得られる“情報”や“事態の進展”といった報酬の量は、一般には
参加人数に関係ないのに対して、投資量すなわち「SANチェックの失敗による
正気度減少の期待値」は、参加者が増えただけ増加するからだ。

 つまり、恐ろしいことを目撃したのが1人だけなら、1人だけがSANチェッ
クすればよく、失敗しても全体として正気度プールの減少は1人分だけだ。それ
に対して、例えば4名が同じものを目撃すれば、全員がSANチェックすること
になり、平均して正気度プールの減少量は4倍になってしまう、というわけだ。

 これが、「重要なホラーイベントが期待されるときは、なるべくキャラクター
が分かれて単独行動しようとする」という“お約束”の背後にあるメカニズムな
のである。こういったことを的確に理解し、それに基づいてロールプレイやキャ
ラクタープレイを行うこと。それこそがゲームセンスというものだ。

 ゲームマスター(キーパー)を含めた『クトゥルフの呼び声』の参加者全員が
暗黙のうちにこういう了解を共有していないと、ゲームがうまく機能しない恐れ
がある。ホラーな雰囲気を高めたり、恐怖を熱演したりするのも大切だが、それ
はその背後にあるゲームメカニズムを深く理解した上でのことだ。ホラーTRP
Gはゲームであって、怪談語りの会ではないのだから。


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 といったあたりで、今回のボードゲームを紹介しよう。

 今回とりあげるのは『キル・ドクター・ラッキー』(Kill Doctor Lucky) だ。
「ラッキー博士を殺せ」とは物騒なタイトルだが、ユーモア溢れる楽しい小品だ。
有名なゲームなので知っている人も多いだろう。この作品でラッキー博士は一躍
人気者になり、その後もお城で殺されたり、タイタニック号に乗ったりと大活躍。
ついには月にまで行ってしまうらしい。

 Scoops RPGにもゲームレビューの翻訳が載っている。


  「キル・ドクター・ラッキー!」ゲームレビュー
    http://www.scoopsrpg.com/contents/review/rev990213_dr_lucky.html


 まずゲーム備品だが、ゲーム会社の方針で徹底したコスト削減が図られている。
一般封筒を流用したと思われる安っぽい紙袋に入っているのは、画用紙に白黒印
刷して切り離したゲームボードとカード、1枚のルール説明書、それだけだ。

 立派な箱と美麗なボード、凝ったフィギュアと美しいカード、といったゲーム
備品に慣れていると、ちょっとびっくりする簡素さだが、おかげでこのゲームの
実買価格は6ドル程度、日本でも1500円未満で手に入る。「ゲームの価値は備品
じゃない、システムだ、ルールメカニズムのアイデアだ」というわけだ。

 プレイ人数は2名から8名だが、ある程度の人数がいた方が楽しいだろう。
(少なくとも4名、できれば6名以上が望ましいと思う)
難しいゲームではないので、人数が集まったときのパーティゲームとして活用す
るとよい。

 なお、プレイに必要なコマは自分で用意しなければならない。参加者ごとに1
つ、それにドクター・ラッキー用に1つ。他のゲームの備品であるコマ(色分け
されたもの)を流用してもいいし、TRPG用の小型フィギュアを使ってもよい。
どうしてもコマがなければ、硬貨(1円/5円/10円/50円/100 円で5人分、
ドクター用に500 円)を使うとか。ガチャポンや、清涼飲料水やお菓子の景品の
小型フィギュアを使っても盛り上がるだろう。ポケモンとかハリーポッターとか
スターウォーズとか、特定のキャラクターを使うと異様に盛り上がることがある。


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 さて、このゲームの舞台はラッキー博士の屋敷。ゲームボードには屋敷の見取
り図が大きく描かれており、プレーヤー(のコマ)は、ここに招待されたゲスト
の一人となって、部屋から部屋へと歩き回ることになる。だが、あなたの目的は
パーティを楽しむことではない。ラッキー博士を殺害することだ。誰にも目撃さ
れず、完璧なタイミングで。ただし、非常に困ったことに、今宵この屋敷に招か
れたゲストの全員が、密かにそう決意していたのだった・・・。という、何とも
人を食った設定で、初手から大いに笑わせてくれる。

 ゲームが始まると、ラッキー博士は部屋から部屋へと移動してゆく。各プレー
ヤーは、自分のコマが博士と同じ部屋にいて、しかも他のプレーヤーのコマから
目撃できない(視線が通らない)という状況を作り出そうと、これまた歩き回る
ことになる。自分の手番で、そのような状況にならないと、博士の殺害を試みる
ことは出来ないのだ。

 プレーヤーのコマは、手番に原則として1部屋分しか移動できないし、廊下や
階段も「1部屋」分として通らなければならない。それに対して、ラッキー博士
は全てのプレーヤーの手番が終わるごとに移動でき、しかも廊下や階段はすっ飛
ばせるのだ。誰もずっと博士と行動を共にすることは出来ず、いずれ振り切られ
ることになる。博士を殺すためには、特定の部屋で待ち伏せし、その間にカード
を引いて武器や移動能力を貯めておき、博士がやってきたところで背後から襲い
かかる、というのが典型的な方法になる。

 ただし、首尾よく目撃者がいなかったとしても、それで殺害が成功するとは限
らない。悲鳴を上げられるとまずいのだ。飛び掛かろうとして何かにつまずいた
り、あるいは博士が偶然振り返ったりして、「おや、何々さんではありませんか。
どうかしましたかな」とか話しかけられたりすれば、殺害計画は失敗だ。「いえ、
あの、お手洗いはどちらでしたっけ」とか愛想笑いをしなければならないことに
(何たる屈辱っ)。これがまた頻繁に起こるのだ。“ラッキー”博士の名はダテ
ではない。

 こういう「博士の幸運による殺害の失敗」を表すのが、「失敗」カードだ。誰
かが博士の殺害を試みることを宣言すると、他のプレーヤーは順番に手札から失
敗カードを好きなだけ出すことが出来る。わざとパスしてもよい。出された失敗
カードの点数の合計が、殺害に使われた武器(あるいは素手)のポイント以上に
なれば、幸運にも博士は危険を逃れたことになる。

 お分かりの通り、カードプレイにおいては、自分のカードをなるべく消費しな
いように、他人のカードはなるべく消費させるように、しかし殺害は失敗させる
ように、駆け引きやブラフをかまし合うことになる。そのためにも、ある程度の
カウンティング(何点の失敗カードがそれぞれ何枚捨てられたか覚えておくこと
で、場に何枚残っているかを知る)も必要になるだろう。

 参加者が次々に殺害を試みていれば、手札にある失敗カードも少なくなる。や
がては博士の幸運も尽き、殺害を失敗させるだけのカードが出せないという事態
になるだろう。こうして、博士の殺害に成功したプレーヤーが勝者だ。

 プレイ時間は1時間程度となっているが、30分くらいで終わることも多い。


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 『キル・ドクター・ラッキー』は、スピーディなブラックコメディだ。次々に
襲いかかろうとしては失敗する殺人者。それに気づかず悠々と歩き回る能天気な
ラッキー博士。殺害が失敗するごとに響いているであろう“会場の笑い声”。
プレイはスピーディで、笑いが絶えないはずだ。

 このゲームが真骨頂を発揮するためには、殺害の試みが割と頻繁に行われるこ
とが必要だ。次々に行われる殺害の試みを無意識にかわし続けるラッキー博士、
というシチュエーションが楽しいのだし、そもそも参加者の手に手札があまり溜
まっていない(従って、自分が失敗カードを出し惜しみすると、後の人が必要な
点数の失敗カードを出すことが出来ず、いきなり殺害が成功してゲームが終わっ
てしまうかも知れない、という懸念にさらされる)状態でないと、ゲームメカニ
ズムがうまく機能しない。

 そのためには、参加者の協調・連携が必要だ。殺害の試みを互いに繰り返すこ
とで、全員の手札にある失敗カードの枚数を減らしておく。これによって緊張感
と駆け引きと、そして笑いが生まれるのだ。

 こういう暗黙の了解がないと、誰かが「自分だけは」途中で殺害を試みること
なくカードを引き続け、溢れんばかりの手札をため込む、という戦術に走るかも
知れない。

 この戦術がどのくらい有効かはともかくとして、誰かがこういう戦術に出ると
他の人もつい対抗上カード集めに走ってしまうことがある。参加者がみんな黙々
とカードを引くだけで、ラッキー博士がただ虚しく屋敷を徘徊している、という
どうしようもなく退屈なゲーム展開を、私は体験したことがある。

 沈黙の時間が過ぎ、山札がなくなってそれ以上カードを引けなくなったところ
で全員が殺害に走り、ため込んだ失敗カードを互いに吐き出させあい、たまたま
強い武器カード(とそれを生かす場所)に恵まれたプレーヤーが勝った。

 もちろんこれも一局のゲームではある。とは言え、これでは退屈で、面白くな
く、何よりゲームとして適切に機能していない。これはデザイナーが想定してい
るプレイスタイルではないのである。


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 今回、学んだこと。

 ある種のゲームにおいては、デザイナーが想定しているプレイスタイルという
ものがあり、参加者はそれを暗黙に了解して相互に協調・連携しなければシステ
ムやルールメカニズムがうまく機能しないことがある。

 『パラノイア』では設定をネタにしたボケとツッコミの交換、『クトゥルフの
呼び声』ではSANチェックの適切な分担、そして『キル・ドクター・ラッキー』
では次々と試みられる殺害計画。これらが、デザイナーが想定しているであろう
プレイスタイルだ。

 このようなゲームに参加する場合には、勝ち負け以前に、まずゲームが正しく
機能するように互いに協調・連携しなければならない。ゆえにゲームデザイナー
の想定や意図を正しく的確に“読み取る”ことが重要になる。

 そのためにも、ゲームセンスを磨くことが大切なのだ。


『キル・ドクター・ラッキー』

  原題    : Kill Doctor Lucky
  初版    : 1996
  デザイナー : James Ernest, Rick Fish
  ゲーム会社 : Cheapass Games
  プレイ人数 : 2〜8名
  プレイ時間 : 1時間程度
  対象年齢  : 10歳以上



馬場秀和
since 1962


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 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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