馬場秀和のRPGコラム 2002年3月号



『“カルカソンヌ”とキャンペーンゲーム』



2002年3月26日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 今回は、TRPGのキャンペーンゲームについて考えてみよう。

 「キャンペーンはTRPGの華」という言葉がある。「TRPGの神髄はキャ
ンペーンゲームにあり」などと言われることもある。

 私も、キャンペーンゲームを何度か開催したことがある。そのうちいくつかは、
何年も継続するグランドキャンペーンだった。キャンペーンゲームには、特にグ
ランドキャンペーンには、何かしら特別なものがある。そう、それは、おそらく
一生忘れられないことになる貴重な経験だ。

 将来、読者であるあなたが、TRPGの指導者/コーチをつとめる日がやって
来れば(前述した通り、それが今の馬場コラムの目標だ)、それが高校の部活動
であれ、カルチャースクールであれ、市民会館における社会人のためのサークル
活動であれ、いずれは生徒たちにキャンペーンゲームに挑戦するように指導する
ことになるだろう。非常に良いことだ。その体験はきっと彼らのTRPGに対す
る洞察を劇的に深めてくれることだろう。

 だが、その前に、まずはキャンペーンゲームの存在意義について充分に考察さ
せることが大切だ。生徒たちに問いかけてみよう。「TRPGにおいて、キャン
ペーンゲームを行う真の理由は何か。その存在意義はどこにあるのか?」と。


**


 この問いかけに対して、真っ先に返ってきそうな答えは「キャラクターを成長
させるため」あるいはこれに類するもの(経験点を貯めるため、アイテムを揃え
るため、知名度を上げるため・・・)だろう。ゲーム固有の目標を挙げる者もい
るかも知れない(ハイロードを倒す、といった類の)。

 残念ながら、これらは全て見当違いな回答だ。

 こういったルールや設定は、キャンペーンゲームにプレーヤー達を引き付ける
ことを狙ってデザインされたものだ。まず先にキャンペーンゲームという狙いが
あり、それを魅力的なものにするために経験点や成長といったサポートが後から
用意されたのであって、その逆ではない。ついでながら、キャンペーン指向が強
いことで有名なTRPGのなかには、経験点や成長といった要素を持たない、あ
るいはそれらの要素の存在感が非常に希薄な作品も含まれる。

 要するに、経験点や成長は、キャンペーンに継続的に参加する動機になるかも
知れないが、キャンペーンゲームの存在意義ではないのだ。


**


 「長く複雑で魅力的なストーリーを作るため」という答えもありそうだ。

 しかし、すでにお分かりの通り、TRPGをプレイする目的は「意志決定」で
あって、「ストーリー創成」ではない。プレイの結果として優れたストーリーが
出来上がることは問題ない(というかむしろ望ましい)が、それを目的にプレイ
するというのは本末転倒だ。

 優れたストーリーと意志決定は両立し得る(というかむしろ望ましい)。しか
しながら“優れたストーリーの創成という目的”と“意志決定”は原理的に両立
し得ない。なぜなら、優れたストーリーというものは、ストーリー上“正しい”
選択を強く要求するが、これに対して“正しい”選択肢などというものはない、
少なくとも見えない、ということこそ、「選択・決断」という行為が「意志決定」
となるための必須条件の1つに他ならないからだ。(もう、こんな基礎的なこと
をくどくど説明する必要はないよね?)

 要するに、ストーリーというものは、キャンペーンを行った結果として得られ
る産物であり、それはそれ自体として魅力や価値を持っているかも知れないが、
キャンペーンゲームを行う理由にはならない。


**


 では、「キャラクターの能力やスキルを全て活かす(あるいは特技の類を全て
実際に使ってみる)には、単発シナリオでは不十分であるため」という答えはど
うか。あるいは、「魅力的な背景世界を詳細まで深く味わうためには、複数回の
セッションが必要だから」といった答えは?

 これはなかなか面白い着眼点だが、もしそう答える生徒がいれば、問いかけを
次のように変えてみるとよいだろう。

「“特に連続性や関連性がなくそれぞれ独立した(そしてバラエティに富んだ)
複数シナリオを、同一のキャラクターグループでプレイする”というのと、キャ
ンペーンゲームとの本質的な違いは何か?」

 このように問うことで、さきほどの答えが不十分であることを悟らせることが
出来るだろう。

 参加するキャラクターが同一で、様々な冒険をする(ことで様々な能力やスキ
ルや特技を活かし、背景世界の様々な側面を体験する)だけでは、キャンペーン
ゲームにはならない。複数のシナリオがキャンペーンを構成するためには、何ら
かの形でシナリオ(状況)間の連続性・関連性が必須である。これはキャンペー
ンゲームの定義と言ってもよい。したがって、その存在意義も、この点と深く関
わっていなければならないのだ。


**


 「PC達と背景世界との関わり合いやNPCとの関係が深まってゆくことで、
ゲームがより高度なものになってゆくから」という答えはどうだろう。

 これはかなり良い回答だ。この回答は、“意志決定”というTRPGの本質と、
“シナリオ(状況)の連続性および関連性”というキャンペーンゲームの本質と
の間の関係を、うまく表現している。大変よろしい。ただし、まだ正解とは言い
難い。

 もしもこれが正解だとすると、キャンペーンゲームは何回か継続して初めてそ
の特徴が出てくることになる。すなわち、キャンペーンゲームの最初の1、2回
のセッションは、単発シナリオをプレイしているのと本質的に差がない、つまり
意志決定に有意な差が見られない、ということになる。

 だが、これは正しくない。単発シナリオに参加しているのと、キャンペーンの
第一回に参加しているのでは、意志決定に有意な差が出てくるのだ。

 それはつまり、キャンペーンゲームにおいては、たとえその第一回セッション
であろうとも、将来に渡り影響を及ぼす長期的なゲーム要素(目標、資源、制限)
を考慮しなければならない、ということだ。

 そう。ようやく正解にたどり着いた。ここに、キャンペーンゲームの存在意義、
キャンペーンゲームをプレイする真の理由があるのだ。


**


 TRPGの単発シナリオをプレイしているとき、プレーヤー達はそのシナリオ
における「目標」「資源」「制限」(ちなみに、キャラクター設定の遵守や役割
分担といった、いわゆる“ロールプレイ”要素は、ゲーム要素としては「制限」
に含まれる)といった短期的なゲーム要素を考慮して、その上で意志決定を行う。

 キャンペーンゲームでは、それらに加えて、将来に渡って影響してくるであろ
う長期的なゲーム要素まで考慮して意志決定を下さなければならない。

 もし、短期的なゲーム要素だけを考慮した意志決定と、長期的なゲーム要素も
考慮した意志決定の間に、有意な差が生じないのであれば、キャンペーンゲーム
をプレイしている意味がない。言い換えれば、キャンペーンゲームの存在意義と
は、短期的に有利な行動と長期的に有利な行動が相剋を起こす、という、まさに
そこにある。

 これで、最初の問いに対する正解を、きちんと表現することが出来る。キャン
ペーンゲームを行う真の理由、それは「シナリオ(状況)の連続性および関連性
ゆえに、長期的なゲーム要素を考慮する必要が生じ、結果として短期的に有利な
行動と長期的に有利な行動が相剋を起こすことで、より深い意志決定が求められ、
ゲームがより高度なものになる」からだ。


**


 露骨で分かりやすい例として、『スターウォーズ』TRPGにおける、暗黒面
ポイントを取り上げてみよう。

 暗黒面ポイントは、「短期的に有利な行動」と「長期的に有利な行動」が相剋
を起こすようにデザインされたメカニズムだ。

 怒りに任せてフォース(理力)を使うとか、戦闘で不必要に民間人の犠牲者を
出すとか、巨悪を叩くためだと言いつつその少しばかり不正なことをするとか、
そういった「短期的に有利な行動」に身をゆだねると、もれなく暗黒面ポイント
が付いてくる。その度に、暗黒面に堕ちる確率が高まってゆくのだ。

 ダークサイドへようこそ。

 暗黒面に堕ちたキャラクターはNPC扱いとなるので、プレーヤーから見ると
まあ死んだのと大差ない。おそらく誰だってそれは避けたいだろう。すなわち、
「長期的に有利な行動」とは、暗黒面ポイントを受け取らないよう、一切の悪事
とは縁を切り、善行を積み、みだりにフォースを使わず、己の感情を抑え、常に
理性的に振る舞い、聖人君子のごとくある、ということだ。言い換えるならば、
つまらないキャラクターで退屈なゲームをプレイする、ということだ。

 お分かりの通り、プレーヤー達が長期的な有利さばかりを重視して行動すると、
ゲームはうまく進まないだろう。あるいは、すぐにキャラクターが死んでしまう
だろう。かと言って、短期的に有利な行動に専念しても、やはりゲームは長続き
しないだろう。両方のバランスをとることが大切なのだ。そしてキャラクターが
バランスのとれた行動をとることで、とてもスターウォーズらしい展開になる、
というのがこのTRPGのデザインコンセプトなのだ。


**


 『スターウォーズ』の暗黒面ポイントがどのように機能しているかもっと深く
考察したければ、それを『パラノイア』の反逆ポイントと比べてみるとよい。
両者は非常によく似ている。というより、ほとんど同じルールだと言ってもよい。
(これは別に驚くべきことではない。『スターウォーズ』と『パラノイア』は、
同じゲームデザイナーの作品なのだから)

 『パラノイア』においても、短期的に有利な行動、例えばミュータントパワー
をカミングアウトするとか、秘密結社の助けを借りるとか、偉大なるコンピュー
タに奉仕するためと言いつつその少しばかりヤバい知識を披露するとか、そうい
うことをすると、もれなく反逆ポイントが付いてくる。そして、反逆ポイントが
上限に達すると・・・、まあどうなるかは想像してみたまえ。
(ちなみに、市民、その上限がいくつであるかは、あなたのセキュリティ・クリ
アランスには開示されていません)

 OK、確かにどちらも似たようなルールだ。だがしかし、両者には決定的な違
いがある。反逆ポイントは、暗黒面ポイントのようには機能しない。というより、
ほとんど全く機能しないのだ。

 パラノイアをプレイしているとき、率直に言って、誰も反逆ポイントのことな
ど気にかけない。なぜなら、どうせキャラクターは、反逆ポイントが溜まるほど
長生き出来ないからだ。それに、反逆ポイントが溜まろうが溜まるまいが、ゲー
ムマスターがその気になればキャラクターはあっさり処刑される。反逆ポイント
の蓄積は、意志決定に実質的に何の影響も与えないのだ。

 両者の違いはどこから生ずるのか。ルールそれ自体ではない。ルールは同じと
言ってよい。違うのは、背景となるゲームコンセプトに含まれる「長期的なゲー
ム要素」だ。つまり、スターウォーズでは「長期的なゲーム要素」を考慮しなけ
ればならない。パラノイアには、そもそもそんなものはない。

 暗黒面ポイントの面白さが、ルールそれ自体にではなく、それによって引き起
こされる「短期的に有利な行動と長期的に有利な行動の相剋」にあることが理解
できれば、あなたの生徒たちはキャンペーンゲームの本質に一歩近づいたことに
なる。


**


 今度は『トラベラー』を分析してみよう。これはキャンペーン指向の代名詞み
たいなTRPGだ。ところが、ひねくれたことに、このTRPGには、経験点も
成長もなく、逆に老化のルールはあり、戦闘は致命的で、借金(少なくとも資金
繰りの苦労)が山ほど付いてくる。一見して、キャンペーンをやろうという意欲
を挫くためにデザインされたルールばかりのように思えてくる。実に逆説的だ。
(ちなみに『メガトラベラー』だって似たようなものだ)

 実は、TRPGを始めたばかりの頃は、私にもこの逆説が大いに疑問だった。

 D&Dをレベル1のキャラクターでプレイすれば、なぜみんなキャンペーンを
熱望するのかはすぐに分かる。しかし、なぜトラベラー・キャンペーンにあれほ
どの人気があるのかは、簡単には理解できなかった。

 その頃に読んだ雑誌には、「トラベラー・キャンペーンの一般的な目標は、宇
宙船ローンを完済することである」といった説明が載っていたと記憶している。
まさか。そんな「おっさんの着衣麻雀」(負の状態からゼロに達することを目標
とする虚しいゲームのたとえ)みたいな目標に誰が燃えるかっ、と思ったものだ。

 今にして思えば仕掛けは簡単で、トラベラーのシステムとは、個々のシナリオ
を“キャンペーンの一部である”と位置づけることで、例によって短期的に有利
な行動と長期的に有利な行動が相剋を起こすようにデザインされているのだ。


**


 例えばの話、借金だって、長期的な影響を考慮しなくてよいのなら、実のとこ
ろ大した問題ではない。逃げるなり、踏み倒すなり、犯罪に走るなり、宇宙船を
売り払うなり、いくらでも手はある。戦闘だって、治療費(医療保険が効かない
のだ、これが)や入院期間中の営業停止による運転資金ショート(銀行は貸し渋
りするので、これは致命的)を考慮しなくてよいのなら、それなりにやりようが
ある。特に、それが単発シナリオの最後の戦闘であれば。

 残念ながら、こういった「短期的に有利な行動」は、長期的な観点から見ると
壊滅的に不利な影響を持つわけだ。

 逆に「長期的に有利な行動」(冒険の機会やパトロンとの遭遇に目もくれず、
ひたすら高人口星系間を往復し、貿易に専念する)だけを追求すると、ゲームは
どうしようもなく退屈になってしまう。

 答えは、そう、またもやバランスだ。

 『トラベラー』というTRPGは、このバランスが非常にシビアに出来ており、
どちらに傾いても、ゲームがつまらなくなるか、台無しになってしまう。うまく
バランスをとったとき、言い換えれば、長期的なゲーム要素を考慮して短期的な
意志決定を下そうとするとき、『トラベラー』のシステムは見事に機能するのだ。
(逆に、トラベラーの単発シナリオはうまく機能しないことがあるくらいだ。後
のことを考えなくてよいので、犯罪とか逃亡とか「短期的に有利な行動」に極端
に走るプレーヤーが出てくるからだ)

 まとめてみよう。『トラベラー』の狙いは、個々のシナリオをキャンペーンの
中に位置づけることで、その解決に高度な意志決定が求められるようにする、つ
まり魅力的なゲームにする、ということだ。そのために使われている仕掛けが、
「短期的に有利な行動と長期的に有利な行動の相剋」であり、これこそがトラベ
ラーをキャペーン指向にしている原理だ。そして、それは、トラベラーに限らず、
全てのキャンペーンゲームを支える基本原理でもある。


**


 といったあたりで、今回のボードゲームを紹介しよう。

 今回とりあげるのは『カルカソンヌ』(Carcassonne) だ。

 しばらく前に傑作として大いに話題になったので、プレイしたことのない方も
名前くらいは聞いたことがあるだろう。

 初めてのプレイでも自分の手番で何をすればよいか困惑することのない、簡単
で目標がはっきりした分かりやすいシステム。プレイする度に異なるゲーム展開。
疲れさせず退屈させずの適度なジレンマ、期待とスリルの絶妙なブレンド、最後
まで気を抜けない逆転チャンス。熟練者と初心者が対戦してもそれなりに面白い
ゲームバランス。しかも、これら全てを満たしながら、短時間に終わるスピード
感と手軽感。『カルカソンヌ』は、ほぼ理想的なゲームの一つだと思う。

 2002年現在、私たち夫婦は、毎月、自宅に知人を集めボードゲームの会を開催
しているのだが、『カルカソンヌ』を手に入れてから半年くらいは、毎回これば
かり何度もプレイしたものだ。そして、今でも飽きていない。驚くべき名作だ。
私見だが、カプコンには、『カタン』や『指輪物語』より、このゲームの日本版
を売り出してプッシュしてほしい。


**


 『カルカソンヌ』における手番行動は簡単だ。裏向きにしてよくシャッフルし
たタイルから1枚引いて、表向きに場のどこかに置く。それから手駒を1つその
タイルの上に置く(置かなくてもよい)。それだけだ。

 タイルの表には、城や道の一部、草原、修道院などが描かれている。タイルは
すでに場にあるタイルと絵がつながるように置かなければならない。手番が進む
につれて、巨大な街(カルカソンヌの街だ)がジグソーパズルのように完成して
ゆく。ジグソーパズルと違うのは、プレーヤーの意志決定によって毎回その地形
が異なってくることと、ゲーム終了時にもたいてい街が未完成のままであるとい
うことだ。

 手駒を置くと、その地形(城、道、草原、修道院)を所有したことになる。ま
あ、少なくとも、所有権を主張できるようになる。また、タイルを置いた結果、
城や道が完成したり、修道院の周囲が埋まったりすると、そこに置かれていた駒
はプレーヤーの手元に戻り、同時にその持ち主に点数が与えられる。このように
して順番に手番を繰り返して、あちこちに各プレーヤーの駒が置かれている街が
出来上がってゆく。

 タイルがなくなったところで、未完成の城や道、修道院、そして草原について
最終決算を行う。獲得した点数(ゲーム途中で得た点数と、最終決算で得た点数
の合計)が最も高いプレーヤーが勝者だ。簡単だろう?


**


 では、このどこにチャレンジがあるのか?

 困難さの1つは、手駒の数が限られているということだ。手駒を全て置いてし
まえば、すでに場に置いてある駒を回収しない限り、そこで点数が頭打ちになる。
高得点獲得のチャンスが巡ってきても、何と手駒を出せないがために、みすみす
見送るはめになる。これほど悔しいことはない。

 そこで、手駒の配置と回収のサイクルをうまく回す、というのがこのゲームの
基本的なコツになる。つまり、次々に手駒を場において点数を稼ぎつつ、一方で
抜かりなく駒の回収を続けて、常にいくつかの手駒を手元に持っておく、という
ことが出来ればOKだ。

 そして、そう、容易に想像できるだろうが、これがそうは簡単にはゆかない。
もう1つの困難があるからだ。それは、草原である。

 草原は最も大きな得点源だ。草原を無視してゲームに勝利することは出来ない。
草原の所有権は、置かれた駒の数で決まる。同じ草原に、プレーヤーAが3つの
駒を置き、プレーヤーBが2つの駒を置けば、草原から得られる得点は全てAの
ものになる、と思ってほしい。(実際はもう少し複雑なルールがある)

 ところが、困ったことに、草原の得点計算は最終決算のときにしか行われない。
つまり、草原におかれた駒は、ゲーム終了時まで回収できないのだ。

 これは恐ろしいことである。手駒の数は厳しく制限されている。さきほどの例
でプレーヤーAは手駒3つを草原に投資した。Aは手駒が3つ少ない状態でプレ
イしなければならなかったことになる。これは非常に不利な状況なのだ。しかし、
Aはまだいい。おかげで草原の高得点を獲得したのだから。悲惨なのは、プレー
ヤーBだ。手駒を2つ投資したあげく、それが無駄になったのだから。

 あなたがプレーヤーBだったら、どうするだろう。意地になって、同じ草原に
手駒を追加投資してAと競争する、というのも1つのやり方だ。(実は追加投資
と言ってもそれ自体そう簡単ではないのだが)

 手駒2つはあきらめて、まだ他のプレーヤーが手をつけていない草原を狙う、
というのもありだろう。草原はほどほどにして、残りの手駒の配置・回収のサイ
クルで点数を稼ぐ、というのも良い。どれが最適かは何とも言えない。それまで
に出来た街の形、タイルの引き、他のプレーヤーの意志決定、などによって戦術
は大きく変わってくる。誰しも「競争相手がおらず、しかも高得点が得られる」
草原に手駒を置くことを夢見るだろうが、もちろんそれはたいてい夢のままだ。

 一般的に言えるのは、草原への過剰投資も、過少投資も、いずれも敗北への道
だということである。このゲームで勝つためには、手駒の回収サイクルと、草原
への投資を、うまくバランスさせる必要がある。


**


 『カルカソンヌ』をプレイすれば、「短期的に有利な行動と、長期的に有利な
行動の相剋」という言葉の意味を、嫌というほど実感できるだろう。「短期的に
有利な行動」とは、城や道や修道院への手駒の配置と回収のサイクルだ。これに
対して、「長期的に有利な行動」とは、草原への手駒の配置(投資)のことだ。

 1回の手番で置ける手駒は1つだけ。手駒は常に不足している。手駒サイクル
と草原への投資は、いつも相剋を起こす。だが、これこそが『カルカソンヌ』を
傑作の名に恥じない好ゲームにしているポイントなのだ。

 さあ、ここで想像してみよう。草原ルールを省いて『カルカソンヌ』をプレイ
してみるのだ。そうすると、ほとんどの場合、手番における最適手が分かってし
まうことだろう。どこにタイルを置き、手駒をどう置くか、それとも置かないか、
悩む必要はあまりない。むろんタイルの引きによっては、結果的に最適手が失敗
になることもある。だが、いずれにせよ誰もが「手番の時点で確率的に最適手と
思われる手」を打ち続けるだろう。勝ち負けはほぼ運だけで決まる。

 こうして、“草原抜き”カルカソンヌは、タイルの引きだけのゲームとなる。
それはそれで、スリルという点では面白いかも知れない。だが、それは底の浅い、
すぐに飽きてしまう娯楽にすぎない。ゲームとしては失格だ。そこには真の葛藤
がなく、従って意志決定がないからだ。

 では、今度はこう想像してみよう。TRPGにおいて、長期的な影響を無視し
て、現在のシナリオをクリアするためだけに最適な行動をとってみる。
『スターウォーズ』なら、とにかくフォースを思う存分に使い、混雑する市街地
での戦闘でもブラスター乱射、ライトセーバーぶんぶん。『トラベラー』なら、
宇宙船を売り飛ばして得た大金で傭兵部隊を雇って突入だっ。

 それはそれで、爽快感という点では面白いかも知れないが、やはり底の浅い、
すぐに飽きてしまう娯楽にすぎない。TRPGとしては、少なくともキャンペー
ンゲームとしては、失格だ。そこには、「短期的に有利な行動と長期的に有利な
行動の相剋」がなく、従ってキャンペーンゲームとしての存在意義がないからだ。
それは、要するに“草原抜き”カルカソンヌなのだ。


**


 あなたの生徒がキャンペーンゲームに挑戦する前に、その企画書を提出させる
とよいだろう。そこには使用するゲームシステム、大雑把なストーリーの流れ、
背景となる大きな設定、キャラクター達の立場、キャンペーン全体のテーマ、と
いった項目もあるだろう。だが何より大切なのは「短期的に有利な行動と、長期
的に有利な行動が、どのように相剋を起こすか」ということを具体的に記述させ
ることだ。

 念のため言っておくが、暗黒面ポイントや資金繰りといった、システムが提供
するメカニズムだけが相剋ではない。(これらは説明のために取り上げた例だ)
1つのキャンペーンは数多くの相剋を含むべきだし、そのほとんどはゲームマス
ターが準備しなければならない。そして、それらはあらかじめプレーヤーたちに
説明しておいた方がよい。相剋はキャンペーンゲームの根幹であり、全ての参加
者がこれについて認識を共有していることが、キャンペーンの成功にとって非常
に重要だからである。


[補足]

 『カルカソンヌ』については、公式な新ルール、様々なヴァリアントルールが
提供されている。これらについては、以下のページを参照して頂きたい。

  "Table Games in the World"より、『カルカソンヌ』のページ
    http://www.l.u-tokyo.ac.jp/~tono/game/games/carcar.html

 私としては、基本ルールに対して以下の2つを適用することをお勧めする。
ゲームコンセプトを変えない範囲で、最もバランスが良くなると思えるからだ。

  「第二版以降で訂正された公式新ルール」   (H.I.G 2001年7月31日)
  「ドイツのヴァリアント1番:全員に修道院を」(B.アインシュタイン)


『カルカソンヌ』

  原題    : Carcassonne
  初版    : 2000
  作者    : Klaus-Jurgen Wrede
  ゲーム会社 : HANS IM GLUECK
  プレイ人数 : 2〜5名
  プレイ時間 : 30分程度
  対象年齢  : 10歳以上



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