馬場秀和のRPGコラム 2002年7月号



『“ハイパーロボット”とパズルゲームの楽しみ』



2002年7月24日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 『トーキョーN◎VA』『トーグ』『トレイダーズ』といったTRPGには、
ある種の共通点がある。それはもちろん、タイトルが「ト」で始まること・・・、
ではなくて、セッション進行やストーリー展開をコントロールするためのルール
メカニズムを持っており、それが支配的な位置づけにある、ということだ。こう
いったTRPGは、“ゲーム性が高い”と評されることがある。

 あるいは、『シャドウラン』のように戦闘オプションが豊富に用意されている
TRPG、『ガープス』のようにひたむきにデータ化を目指すTRPG、そして
特に実例は出さないが、武器データなどの細部に異様なまでのこだわりを見せる
TRPG。こういう傾向のTRPGも、しばしば“ゲーム性が高い”と言われる
ようだ。

 ここでよく考えてみよう。こういったTRPGは、本当に“ゲーム性が高い”
のだろうか?

 おそらくそうではない。私の考えでは、これらのTRPGは、あえて言うなら、
“パズル性が高い”のだ。


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 そもそも、パズルとゲームはどう違うのだろうか。

 将来、読者であるあなたがTRPGの指導者/コーチをつとめる日がやって来
れば(それが今の馬場コラムの目標だ)、生徒たちに上のように問いかけてみる
とよい。

 おそらく多くの生徒が「パズルは静的であり、ゲームはインタラクティブであ
る」とすらすらと教科書通りに答えることだろう。はい、よく出来ました。でも
そういう借り物の言葉で満足してはいけませんね。

 パズルとゲームの差は、静的/インタラクティブ、などといった単純なもので
はない。例えば、インタラクティブなパズルはいくらでも存在する。特に、コン
ピュータ上で提供されるパズルがそうだ。それらは「プレーヤー」の指し手に応
じてダイナミックに構造を変えることが出来る。「パズルは静的な構造体だ」と
いう主張は、どう考えても説得力に欠けている。

 チェスを考えてみよう。チェスは先手必勝であることが数学的に証明されてい
る。つまり、チェスには必勝法、後手がどう応じようと必ず勝てる「正解手順」
が存在するわけだ。では、チェスをそのような「正解手順を見つけるパズル」と
見なすことは出来るだろうか。

 もちろん無理だ。チェスはどう考えてもパズルではない。これには誰もが賛成
するだろう。チェスをプレイするとき、我々は「正解手順」を見つけようとはし
ない。相手に勝とうとするのだ。なぜなら、チェスはゲームだからだ。

 では、ここに我々の想像を絶するほど高い思考能力を持つ知性体(神でも異星
人でも量子コンピュータベースの人工知能でも何でもよい)がいたとしよう。彼
または彼女またはそれにとっては、「チェスの正解手順探し」でさえ有限時間で
解決可能な問題と見なせるとする。そうすると、彼または彼女またはそれにとっ
て「チェスはパズルである」ということになる。そうだろう?

 何が言いたいのかというと、あるシステムが「パズル」なのか「ゲーム」なの
かは、そのシステムの客観的・絶対的な属性ではなく、それに取り組む「プレー
ヤー」の主観的な評価である、ということだ。


**


 あるシステムを取り上げて、それ自体がパズルかゲームかを問うことにはあま
り意味がない。そのシステムに取り組む「プレーヤー」が、自分が挑戦している
のが「正解(最適手)探し」だと見なしているのであれば、それはパズルである。
そうではなくて「最適手など存在しない、少なくとも見つけることは出来ない。
それでも何らかの根拠で指し手を選び、それに責任を持たなければならない」と
見なしているのであれば、それは意志決定をしようとしているのであり、つまり
ゲームをプレイしているのだ。

 もちろん、ほぼ普遍的にパズルと見なせるものはある。世の中でパズルと呼ば
れているものの大半は、ほとんど誰にとってもパズルである。すなわち、誰もが
正解(最適手)の存在を確信し、それを見つけようとする。

 逆に、ほぼ普遍的にゲームと見なせるものだってある。古典的なカードゲーム
『はげたかの餌食』を思い出してみよう。あのゲームでは、同じ値の数字カード
を出したプレーヤーは、どちらも勝負から脱落する。勝つためには、他人と違う
カードを出すようにしなければならない。お分かりの通り、このルールには正解
や最適手順は存在しない。誰にとっても存在しないことが明らかだ。それでも何
らかの根拠のもとにカードを選んで、その結果に責任を持たなければならない。
つまり、『はげたかの餌食』は、パズルではなく、ほぼ普遍的にゲームなのだ。

 だがしかし、世の中には「ゲーム」と呼ばれている「パズル」が結構ある。

 より正確に言うと、一般的に「ゲームをプレイしている」と見なされているプ
レーヤーが、実際には「パズルを解こうとしている」というケースが多いのだ。

 コンピュータゲームの多くがこれに当たる。コンピュータゲームに取り組んで
いるプレーヤーは、ほとんどの場合「意志決定」などしていない。つまりゲーム
をプレイしていない。彼らが目指しているのは「正解(最適手)の発見」であり、
これは「ハズルの解決」と呼ばれるものだ。

 念のために強調しておくが、「パズル」だから駄目だとか、「パズル」を解こ
うとすることは「ゲーム」をプレイすることより劣る、などと言うつもりは全く
ない。ここで重要なのは、パズルを解こうとすることと、ゲームをプレイするこ
とは異なる行為だということだけであり、両者の優劣ではない。


**


 さて、TRPGはどうだろうか。

 TRPGの本質は、パズルではなくゲームである。TRPGのプレイには正解
(最適手)は存在しない。それが存在しないことを、プレーヤーは知っている。
それでも何らかの根拠の元に、キャラクターの言動を決定し、その結果に責任を
持たなければならない。それは意志決定と呼ばれる行為であり、ゲームそのもの
だ。

 ところが、TRPGには、パズルの要素もまた豊富に含まれている。例えば、
TRPGにおける戦闘は、ほとんどの場合、パズルと見なすことが出来る。なぜ
なら、プレーヤーの多くは「与えられた条件の元で、ダメージ(あるいはリソー
ス損失)の期待値を最小にして勝利するための戦術」が存在することを疑わず、
そのような戦術を見つけよう、と努力するからだ。それは、不完全情報と確率的
ゆらぎを含むパズルを解こうとしていることに他ならない。

 それは「意志決定」ではない。ゆえに、それは「ゲーム」のプレイではなく、
「パズル」の解決なのだ。(繰り返すが、だからいけないというわけではない)

 このように、TRPGは本質的に「ゲーム」でありながら、ルールメカニズム
に従った処理は「パズル」になりがち、という特性を持っている。

 ここに、TRPGのゲームデザインの困難さがある。

 つまり、あまりにもルールメカニズムが貧弱だと「ごっこ遊び」に堕する恐れ
がある反面、あまりにもルールメカニズムが強力あるいは詳細であると、それは
限りなく「パズル」に近づいてゆき、「ゲーム」から離れてゆく、ということだ。

 『トーグ』において、誰がどういうカードをどういう順番で出せば効果的かを
相談しているとき、『シャドウラン』において、火力と魔法とアストラル空間や
電脳空間からの攻撃をどのように組み合わせれば最も効率よく敵を殲滅できるか
議論しているとき、『ガープス』でどの特徴をとれば特定のキャラクターを最も
うまく表現できるか考えているとき、プレーヤー達が目指しているのは意志決定
ではなく、パズルの解決である。そうだろう?

 これで、最初に、これらのTRPGは、あえて言うなら、“パズル性が高い”
のだ、と書いた意味がお分かりのことと思う。これらのTRPGのルールメカニ
ズムは、確かに魅力的で面白い「パズル」を提供してくれる。だがそれは魅力的
で面白い「ゲーム」を提供してくれるわけではない。それを提供するのは、ゲー
ムマスターの仕事なのだ。


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 こう考えてみると、現在のTRPGは、「パズル」としては大きく進歩したが、
「ゲーム」としてはほとんど進歩してないのではないか、という気がしてくる。

 現在のTRPGにおいては、確かにストーリーをうまく制御し、見せ場を演出
し、知恵のしぼりがいのある戦闘を提供する、そういうルールメカニズムは格段
の進歩を遂げた。しかし、それはプレーヤーをして「パズルの解決」を促す方向
にしか機能してないのではないか。優れた「ゲーム」を構築し、プレーヤー達に
提供するという最も大切な仕事は、相変わらず、ほとんどゲームマスターまかせ
になっているのではないだろうか。

 なお悪いことに、ゲームマスターの多くは、ルールメカニズムが提供してくれ
るものを「ゲーム性」だと誤解している。そのため、ろくなシナリオも用意せず、
ルールメカニズム任せのストーリー展開、見せ場の構築、満足感あふれる戦闘、
といったものを実現するだけで、プレーヤーに対して「ゲーム」を提供した気分
になってしまう。

 『トーキョーN◎VA』や『トーグ』のマスターリングは得意だが、『ソード
ワールド』のマスターリングは苦手、という人がいる。それは、ルールメカニズ
ムを駆使して「パズル」を構築することばかり経験し、ゲームを構築する(ゲー
ム性の高いシナリオを作る)という練習を積んでないため、ではなかろうか。

 もちろん、ゲームマスターを始めたばかりの頃は、それでもいいだろう。しか
し、ゲームマスターとして上達を志すのであれば、いずれは「パズルの構築」に
加えて「ゲームの構築」の技量を磨かなければならない。

 そのために重要なのは、まずは「パズル性」と「ゲーム性」を区別することだ。

 将来、読者であるあなたがTRPGの指導者/コーチをつとめる日がやって来
れば、生徒たちに教えてあげてほしい。多くの場合、TRPGのルールメカニズ
ムが提供するものは「パズル性」である。一方、TRPGに「ゲーム性」を提供
するものは、大抵の場合、シナリオ構造なのだ。両者の違いを把握しよう。そし
て、ルールメカニズムを活用するだけでなく、それらを駆使することで、ゲーム
性に富んだシナリオを構築できるようになることを目指そう。それが、ゲームマ
スターとして上達するということなのだから。


**


 といったあたりで、今回のボードゲームを紹介しよう。

 今回とりあげるのは、『ハイパーロボット』だ。

 最初に補足しておくが、このパズルゲームの日本語タイトルには若干の混乱が
見られる。『ハイパーロボット』の他にも、『レーシングロボット』、あるいは
『ロボットレース』と呼ばれることもある。これらは、同じ作品を指している。
ちなみに、ドイツ語版のタイトルは "Rasende Roboter" で、英語版のタイトルは
"Ricochet Robot"だ。

 今回、このパズルゲームを取り上げる理由はいくつかある。

 まず第一に、これはコンピュータを使わなくても「インタラクティブなパズル」
を実現できる、という好例だ。『ハイパーロボット』は、プレーヤーの指し手に
応じてダイナミックに構造を変えるパズルでもある。

 次に、紹介のタイミングがある。数年前に、Hans in Gluck 社から出版されて
以来、『ハイパーロボット』は長らく品切れで入手困難な状態が続いていたのだ。
それが、今年(2002)、Rio Grande Gamesから"Ricochet Robot"として再販される、
というか拡張版としてリメイクされる、というニュースが最近飛び込んできた。
まさに、紹介にはぴったりのタイミングではないか。

 最後に、言うまでもなく、『ハイパーロボット』はパズルゲームの傑作であり、
プレーヤーにより好みが分かれるものの、少なくとも私にとってはパズルゲーム
の最高峰だと思われるからだ。


**


 現在(2002)、私たち夫婦は、毎月、自宅に知人を集めてボードゲームの会を開
催しているのだが、だいたい最後は『ハイパーロボット』をプレイして解散、と
いうのが定番化している。

 参加人数は何人でも構わない。参加者が途中から増えたり、減ったりしても、
(勝敗にこだわらないなら)何ら問題ない。面倒であれば、いつでもパスするこ
とができる。誰にも迷惑はかからない。そういう意味では、気楽なゲームである。
ただし、パズルが苦手な人にとっては、ちっとも気楽なゲームではないだろうが。

 まずパズルを構築するフィールドについて説明しよう。4枚の小ボードをラン
ダムに組み合わせて、1枚の大きなボードを構築する。大ボードは、多数の四角
いマス目に区切られており、あちこちのマス目に、様々なマーク(月とか星とか
太陽とか)が記入されている。また、外周およびあちこちのマス目間の区切り線
上に、壁が描かれている。これがフィールドだ。

 次に4色(青、赤、黄、緑)のロボット4体をフィールド上のマス目にランダ
ムに配置する。このロボットがフィールド上を移動するわけだが、その移動方法
は非常に厳しく制限されている。つまり、ロボットに可能なのは「その場で回転
(方向転換)」と「障害物(壁または他のロボット)にぶつかって停止するまで
ひたすら一直線に前進」という2つの動作だけである。

 最後に、さきほど説明したマークが描かれたチットが多数ある。これらのチッ
トを裏返しにしてよく混ぜ、積み上げておく。

 さて、パズルの構築方法は非常に簡単である。チットを1枚、表にしてマーク
を明らかにする。これを「出題」と呼ぶことにしよう。出題と、色も形も一致す
るマークが描かれているマス目を見つける。このマス目を「目的地」と呼ぼう。
さて、ここからがパズルです。出題と同じ色のロボットを、「目的地」に停止さ
せることが出来ますか?

 どの色のロボットを移動させてもよいが、一度に移動できるのは1体だけであ
る。1体のロボットが移動して停止するまでを「1手」と数えることにしよう。
1手が完全に完了してから、次の1手を始めなければならない。回転(方向転換)
は手数に数えない。

 驚いたことに、小ボードの組み合わせも、ロボットの初期配置も、チットの引
きも、全てランダムでありながら、これがだいたい良い具合のパズルになるのだ。

 一目で解法が分かるほど簡単ではないが、数分も考えれば、およそ6から12
手くらいの、しかも「あっ」と思う意外性が含まれている、そんな解法を見つけ
ることが出来る、そういう優れたパズルが自動的に構築されるのだ。

 まあ、ときには数秒で解けてしまう簡単すぎるパズルになったり、皆で5分間
もうんうん悩んだ挙げ句、長いだけで何ら驚きのない凡手で解決する、といった
つまらないパズルになることもあるが。(ちなみに、3手以内に解決する場合、
勝負なしにして、改めて出題チットを引き直すことをお勧めする)


**


 ここまでがパズル。ここからがゲームだ。

 パズルの解法を発見したと思うプレーヤーは、その手数を宣言する。「8手」
といった具合だ。そして最初に宣言したプレーヤーは、1分用砂時計をひっくり
返す。その後も、最初に宣言したプレーヤーを含めて、全員が手数を宣言するこ
とが出来る。ただし、一度宣言した手数を長く変更することは許されない。
(他人より長い手数を宣言すること、自分が宣言した手数を短く変更することは
問題ない)

 砂時計が落ち切ったら、それまでに最も短い手数を宣言したプレーヤーから順
に、解法を示してゆく。宣言した手数で正しい解法を示すことが出来れば、出題
チットはそのプレーヤーのものだ。失敗すれば(あれれ、8手でゆけると思った
んだがなあ・・・)次に短い手数を宣言したプレーヤーにチャンスが回る。

 こうして誰かが出題チットを獲得すれば、このパズルは終了だ。ロボットをそ
のままにして(このため毎回ロボットの配置が変わってゆく)、次の出題チット
を表にする。さあ、次のパズルの始まりだ・・・。

 面白いのは、このゲームに勝つためには、必ずしも最短手順を見つける必要は
ない、ということだ。とりあえず解法を見つけたら、まず手数を宣言して砂時計
をひっくり返して他のプレーヤーにプレッシャーをかけつつ、より短い解法を探
し続ける、というのは基本。


**


 『ハイパーロボット』は、奇跡のように素晴らしいパズルゲームだ。自動生成
されたパズルに、参加者全員を唸らせる見事な妙手を含む解法があることを見つ
けたときの感動は、なかなか筆舌に尽くしがたいものがある。勝ち負けはあまり
気にならない。偶然性が産み出した、一期一会のパズルに向かい合うところに、
この作品の神髄があるのだ。

 ゲーム性はあまり高くないが、パズルが好きな人なら、きっとハマるはず。

 パズル好きのあなたは、Rio Grande Gamesからリメイク版が出たら、急いで手
に入れてほしい。芸術的な難解パズルに取り組むのもよいが、数分で解けるよう
なショートパズルを数多くこなすのもまた味があるものだ。


[ハイパーロボット]について

 Hans in Gluck社から"Rasende Roboter" として出版されたドイツ語版は、現在
入手困難。2002年の夏に、Rio Grande Gamesから"Ricochet Robot"として英語版
(拡張版)が出版される予定となっている。最新情報は次のページで確認のこと。

    Rio Grande Games
      http://www.riograndegames.com/


『ハイパーロボット』

  原題    : Ricochet Robot (Rasende Roboter)
  デザイナー : Alex Randolph
  ゲーム会社 : Rio Grande Games (Hans in Gluck)
  プレイ人数 : 2人以上、何人でも可
  プレイ時間 : 30分程度



馬場秀和
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