馬場秀和のRPGコラム 2002年9月号



『馬場コラム人気投票』



2002年9月25日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 馬場コラムの連載4周年(あるいは馬場秀和・生誕40周年)を記念すべく、
今回と次回は特別編である。

 4年に渡って(まあ、ブランクはあるにせよ)書き続けてきた馬場コラムも、
とうとう21本に達した。そろそろ「馬場コラム人気投票」というのをやっても
よい頃だと思うのだ。そうだろう?

 というわけで、投票対象21本(今回のは含まない。また前後編は、それぞれ
別の作品として扱う)から、読者であるあなたが優れていると思うコラムを選ん
で投票してほしい。むろん、その前に21本のコラムに改めて目を通してもらえ
ると非常に嬉しい。

 投票は以下の2つの部門について別々に行い、結果も別々に集計する。

      「表現」部門       「内容」部門

詳細は後述するので、最後まで読んでから投票するように。

 両部門とも複数投票は可だが、全部あるいは過半数のコラムに投票するという
のはどうか止めて頂きたい。絶対評価だとそうなる、という主張は理解できるが、
それでは投票の意味がなくなってしまう。あくまで相対評価の観点で、馬場コラ
ムの基準をもって評価しても、なお特に優秀と思われるコラムを、3〜4本から
せいぜい5〜6本選んで、投票してほしいのだ。もちろん、これぞと思うコラム
1本にだけ投票しても構わない。

 投票するときには「内容」「表現」の両部門に投票すること。両部門で投票数
を同じにする必要はない。言うまでもないが、一人で何回も投票しないように。

 部門の違いについて、少し詳しく説明しよう。

 まず、「表現」部門である。

 これは、端的に言って、読み物として出来が良いか否か、という観点の評価だ。
書かれている内容とは関係なく、読んで面白い、楽しい、嬉しい、愉快、あるい
は感心した、感化された、勇気づけられた、というコラムは、「表現」が優れて
いることになる。逆に、読んでいて退屈、不快、あるいは文章が読みにくい、何
を言いたいのか理解できないコラムは、「表現」の点で劣っているわけだ。

 繰り返すが、内容と表現は別である。

 新聞や雑誌のコラム欄をざっと眺めてみれば、内容的に愚劣あるいは凡庸でも
読み物として非常に面白いコラムもあれば、言ってることはもっともかも知れな
いのだが文章や論旨展開が稚拙で、読むに耐えない出来のコラムもある、という
ことにすぐ気づくことだろう。(どちらか選べと言われたら、私なら前者の方が
マシだと思う)

 「表現」部門では、純粋に表現だけを評価してほしい。

 一方、「内容」部門は、前述したような意味で「内容」を「表現」から切り離
して評価する部門だ。

 ここで注意して頂きたいのは、「内容の評価」と「内容への賛否」は全く別だ
ということ。

 ある主張なり論旨なりが、筋が通っていて、根拠もあり、説得力があることも
認めるが、でも賛成できない、ということはよくある。逆に、言ってることには
賛成だが、論旨があまりにも強引で、客観性に欠けており、こじつけ同然の薄弱
な根拠しかなく説得力を感じない、ということもある。(後者の方が多い)

 内容的に最低レベルの文章の例を挙げるなら、新聞のコラムや社説によくある
「行き過ぎた××は問題を起こすのではないか」型の論説文だ。要するに、当た
り前で、反論不要なことをぐだぐだ書いてあるやつ。

 なにしろ、「問題を起こす」という特性は、「行き過ぎた」という言葉の含意
といってよい。行き過ぎた××が(××が何であるかに関わらず)問題を起こす
のは当然のことだろう。もし、ある××が問題を起こさないのなら、それは行き
過ぎてないのだ。

 この手の無内容なコラムは巷にあふれている。「あまりにも拙速な構造改革は」
「適切な対策なしに導入する住基ネットは」「盲目的な米国追従は」「環境への
配慮を欠いた開発は」「物質的な豊かさばかりを追求してきた社会は」・・・、
問題を引き起こす。まことに、ごもっとも。他に何も限定条件がないのであれば、
これらの主張に私は同意する。誰だって賛成するだろう。ということはつまり、
これらは無内容なのだ。

 無内容ということは、無責任ということだ。

 「行き過ぎた」型コラムの内容を高めようとするなら、「行き過ぎた」という
ことを定量的に定義するか、少なくとも適用範囲が判断できる程度まで明確化す
る必要がある。

 もし「年間5億円を超える行き過ぎた××」とか、「AよりもまずBを優先す
る行き過ぎた××は」とか、何らかの形で「行き過ぎた」とか「あまりにも」と
いった言葉の意味を限定するなら、これは内容があると言ってよいだろう。それ
が証拠に、こう限定すれば、反対する人が出てくるはずだ。

 「行き過ぎた」と見なされる状態をより具体的に示し、なぜその状態だと問題
なのかをきちんと論証すれば、そのコラムは、「内容」的に優れたものになって
ゆくだろう。同時に、ここが肝心だが、反論も増えてゆくだろう。

 無内容な文章には誰も反対しない。反対するほどの内容がないのだから。

 優れた内容の論説に対しては、優れた反論が出てくるはずだ。どちらかと言え
ば、反論が多い方が優れた論説である可能性が高い。なぜなら、論説文の意義は
読者の見解を変えることにあり、したがって有意義な論説文は、まず多くの読者
の従来見解に反する内容を含んでいるはずだからだ。

 これで内容の「評価」と「賛否」は別だということがお分かりだろう。

 「内容」部門への投票に当たっては、内容への賛否に関わらず、内容を評価し
てほしい。

 さあ、以上で説明は終わりだ。投票して頂きたい。

 投票用のページには、Scoops RPGのトップページから入れるようになっている。

 投票の締め切りは2002年10月末日とし、この時点での集計結果を元にして、私
は次回の馬場コラムを執筆する、というわけだ。集計結果の発表、分析、内省、
そしてそれらを踏まえてこれからの馬場コラムが向かうべき方向について書く、
ということになるだろう。もしかしたら「どうして、ほとんど誰も投票してくれ
なかったのか」を追求するコラムになるかも知れないが。


[補足]

 投票は既に締め切られています。結果については、次回コラムをお読み下さい。



馬場秀和
since 1962


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