馬場秀和のRPGコラム 2002年11月号



『馬場秀和40周年記念特別編 −読者が選んだベストコラム−』



2002年11月27日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
    スパム対策のために@を *at* と表記しています。メール送信時には、ここを半角 @ に直して宛先として下さい。






 私が学生だった頃、自分達について「寿命40年説」というのがまことしやか
にささやかれたことがある。概要はこうだ。我々の世代は、環境汚染がピークに
達していた時期に、ちょうど成長期を迎えている。大気や河川に大量放出された
公害物質、核実験により舞い上がり降り注いだ放射性物質、ほとんど規制もなし
に使いたい放題だった有害食品添加物。人生において最も新陳代謝が活発な時期
に、我々の身体は、これらの毒物を思う存分に吸収して育ったのだ。骨の髄まで
汚染されてしまった我々は、おそらく40歳まで生きられないだろう・・・。

 当時、この陰々滅々たる終末論は、かなりの説得力を持っていた。ただ一つの
救いは、どうやら人類は1999年7月 に滅亡するらしいから、我々の寿命など大し
た問題ではない、ということだけだった。

 今、それなりに無事に40歳の誕生日を迎えることが出来てほっとすると共に、
「いや、やはり我々の寿命はもう尽きているのだ。今、生きてるように見えるの
は、何かの間違いか、悪趣味な冗談に違いない」という気もしている。

 ひょっとしたら、我々の世代(1960年代前半に生まれた人々。もっとはっきり
言うなら1962年生まれの人々)は、誰もが心の底で密かにそう感じているんじゃ
ないだろうか。同世代の作家や漫画家の作品を見ていると、ふとそんな風に思う
こともある。

 やはり私と同世代である我が配偶者は、いつ死んでもよいように、今まで書き
散らしてきた作品を少しづつ整理してゆくと言い出し、そのために専用のウェブ
ページを開設した。書けと言われたので書くが、以下のページである。


  『弱拡大:島野律子作品集』
    http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/


 ならば私も負けじと、自分が過去に書いた原稿を整理することにした。

 まず、10代の頃に書いた作品。これは全てボツ。死後に残すべきほどのもの
は何もない。後世の研究家が嘆くかも知れないが、私にもプライドというものが
ある。死後に恥を残すまじ。破棄。

 20代、すなわち1982年から1992年にかけて書いた作品には、まあまあ面白い
ものもあった。少し手直しすれば、読むに耐える出来になりそうだ。

 というわけで、20代の頃に書いた作品からいくつか選んで、加筆修正して、
前述の我が配偶者のページ配下に登録した。以下のページである。


  『馬場秀和アーカイブ』
    http://www.aa.cyberhome.ne.jp/~babahide/bbarchive/


 改めて読み直してみて思ったのだが、この頃に書いた作品は、どれも力強い。
確かに文章技法の面では今ひとつ、あざとすぎて品がないのだが、どれもこれも、
文章を書く、書ける喜びのようなものに満ちている。迷いがない。うらやましい。

 馬場講座や馬場コラムでしか私の文章を読んだことがない読者の方々は、ぜひ
とも『馬場秀和アーカイブ』に納められた作品群に目を通してみてほしい。きっ
とこう思うはずである。「人間、いくつになっても、その性根に変わり無し」

 1992年、つまり30歳を迎えた年に、初めて海外TRPGの紹介を書いている。
それから今日まで、30代の10年間を、TRPGについて書くことに費やした。
他にはほとんど何も書いてない。我ながら呆れてしまう。何でこんなにTRPG
のことが気に入ったのだろう?

 30代、1992年から2002年にかけて書いた作品はほぼ全て以下のページに収録
してある。これで過去の整理がついたわけだ。


  『馬場秀和ライブラリ』
    http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/


 ちなみに、近隣諸国の熱心なTRPGファンのおかげで『馬場秀和ライブラリ』
の他国語翻訳も少しずつながら進んでいる。

 『馬場秀和のマスターリング講座』および『馬場秀和のRPGコラム』の初期
三部作は、韓国語に翻訳されている。翻訳が行われたのは数年前なのだが、今で
も韓国から激励のメールが届く。嬉しいことである。

 『初心者のためのRPG入門』は、台湾のTRPGファンの手によって中国語
に翻訳された。

 講座やコラムの他言語への翻訳を希望される方は、遠慮なく馬場までメールで
連絡下さい。(日本語が読めるものの作文までは自信がない方は、英語で書いて
下さい。ただし、スラング、ジャーゴン抜きの標準英語でお願いします)

 これまでも、翻訳許可、翻訳支援(日本固有の事情、特殊表現の解説など)、
各種相談への対応など、私は翻訳希望者に対して親身になってサポートしてきま
した。これからもそうするつもりです。

 私は、自分が日本語で執筆したささやかな文章が他国語に翻訳されることで、
アジア・オセアニア経済圏における「テーブルトークRPG」市場の健全な発展、
文化としての認知と社会的地位向上に向けて寄与したい、という強い動機を持っ
ています。長期的にこの目標に近づくために有益な活動であれば、私個人の力で
現実的に可能な範囲で、協力、支援を惜しみません。よろしくお願いします。


**


 さあ、そろそろ今回のお楽しみ「馬場コラム人気投票」の結果を見てみること
にしよう。

 まず、投票総数は「内容部門」「表現部門」を合わせて、300票を超えた。
実は、両方合わせて100票くらいがいいとこか、ひょっとしたらほとんど誰も
投票しないかも知れない、などと思っていたので、この結果には少々驚いた。

 もちろん複数投票可なので、実際の投票者数は、たぶん40〜50人ほどだと
思われるが、それにしても、決して短くはないコラム21編すべてを読んで評価
した読者の数としては、かなりのものである。そもそもTRPGファン以外には
ほとんど読まれないであろう文章であることを考えると、なおさらだ。

 ここで、投票して下さった全ての方々に感謝の意を表明しておきたい。どうも
ありがとうございました。

 さて、まずは「内容部門」への投票結果である。

 「内容部門」において、10票以上を獲得したコラムは全部で7つある。
この7つのコラムへの投票で、内容部門への投票総数の過半数を占めているので、
これらが内容的に最も高く評価されたコラムだと見なしてよいだろう。

 なぜ、この7つが高く評価されたのか。

 私が推測するに、これら7つのコラムこそ、馬場コラムがなし遂げた真に偉大
な4つの功績を代表しているからではないか。(若い頃なら“真に偉大な21の
功績”と書いただろうが、人間40歳にもなれば、必要以上に奥ゆかしくなって
しまうものなのである)

 以下に、その4つの功績について述べる、というか、手放しで自画自賛する。
(それを見苦しいと思う読者は、どうか私の代わりに絶賛して頂きたい)

 まず最初の功績。それは、混乱していた“ロールプレイ”という曖昧な用語を
真剣に考察し、「ロールプレイ」と「キャラクタープレイ」という2つの異なる
概念にはっきりと分離したことだ。これにより、ロールプレイについて、共通の
土台に基づいて論じることが可能になった。それまでは、ロールプレイの理解が
人によって大きく異なり、議論以前にそもそも最初から話が噛み合わない有り様
だったのだ。

 この功績を代表するコラム

    『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』

    『キャラクタープレイのすゝめ』


 次の功績は、TRPGを含むゲーム一般について、「意志決定」という概念を
明確に定義づけたこと。

 これにより、それまで主観的、感覚的にしか扱えなかった「ゲーム性の高さ」
とか「ゲーム的側面」といった主題を、それなりに客観的に考えることが可能と
なった。つまり、ある議論の対象が「ゲーム的であるか否か」について、まがり
なりにも論証できるようになったのだ。

 むろん、私のコラムは、コスティキャン先生の論文に始まり、ラウール(氷川
霧霞)さんを初めとする多くの方々の考察を土台にしてまとめ上げたものだが、
それでもゲームにおける「意志決定」という概念をはっきりさせた(そして定着
させた)のは私の功績だと主張しても、どなたからも批判はされないであろう。

 この功績を代表するコラム

    『外へ向かう言葉(後編)』


 次の功績は、ゲームマスターの役割をはっきりさせたこと。

 すなわち、マスターリングの本質は「ゲームデザイナーの代理を務めること」
に他ならない、と看破したこと。これで、「マスターリングの巧拙」とか「ゲー
ムマスターの是非」、あるいは「TRPGは一般テーブルゲームの一種か否か」
といった、従来は水掛け論に終始しがちであった論争を、普遍的な枠組みに基づ
いた議論に引き上げることが出来るようになった。

 この功績を代表するコラム

    『“ライヤーズダイス”とゲームデザイナーの介入』


 最後の功績は、「TRPG界はもっと社会性を高めなければならない」と提言
したこと。

 外部に対する説明義務。一般社会からの誤解や偏見を解消するための広報活動。
長期的な市場戦略や販売戦略に基づいた商品開発。次代を担う若者を正しく育て
るための教育制度。こうしたごく当たり前の活動や仕組みを充実させることで、
文化として社会に認知され、広く普及する。そういう道を、TRPG界は目指す
べきだ。たとえそのために、今のTRPGファンを見捨てることになろうとも。

 これは今ではごく常識的な考え方となっているが、私の知る限り、馬場コラム
が書かれる前にこうしたことを真剣に、一貫して主張した者はいなかったのだ。

 この功績を代表するコラム

    『外へ向かう言葉(前編)』

    『まずRPGファンに背を向けるところから始めよう』

    『ロールプレイもろくに出来ねぇのにキャラプレなんざ10年早いっ!』


 以上の功績や評価は、コラムの主張に対する賛否とは独立していることに留意
して頂きたい。

 例えば、私は「“キャラクタープレーヤー”はTRPGの健全な発展にとって
有害であり、教育制度や更正施設の充実等の施策により、彼らが“キャラクター
プレイ愛好家”に成長するよう強く促すべきである」と主張している。この見解
に必ずしも同意しない方々でも、「ロールプレイ」と「キャラクタープレイ」を
混乱しないよう議論を進めることの重要性は否定しないだろう。

 同様に、「TRPGの本質は、他のゲームと同じく“意志決定”にあり、それ
以外の要素は、意志決定を成立させるためのフレームワークであるか、TRPG
を楽しく魅力的なものにするための添加物である」という私の見解に異を唱える
方々であっても、私が「意志決定」と呼ぶところの行為がゲームプレイにおける
重要な要素(の少なくとも1つ)であること、ゲームプレイに関する理論はこの
行為の位置づけに関する充分な説明を含まなければならないであろうこと、した
がって、この行為を定義づけることは有意義であること、などは認めるはずだ。

 余談だが、いわゆる「ゲーム理論」は、与えられた条件の下で最適手(結果の
期待値を最適化する指し手)を求めようとする合理的な“意思決定”についての
数学理論であり、実際のゲームプレイとはほとんど何の関係もない。実際のゲー
ムプレイを扱う一般理論があるなら、それは“意思決定”ではなく、私が示した
ような意味の“意志決定”を主題にしているはずである。そのような理論体系の
構築は、熱心な読者への宿題としておこう。

 ともあれ、こうして4つの偉大な功績と7つの内容的に高く評価されたコラム
を整理してみると、何だか自分が「RPGについて客観的に検討し論じるための
普遍的な基盤」を築いたような気になってくる。将来、私が「近代RPG論の父」
と称えられることになっても、それは驚くべきことではない。
(だが、そもそも近代RPG論などという学問分野が成立したなら、それ自体は
大いに驚くべきことだろう)


**


 では、引き続き、「表現部門」の投票結果を見てみよう。

 こちらも、10票以上を獲得した5つのコラムだけで、表現部門への投票総数
の過半数を占めている。これらについてざっと見ておこう。

 まず、熾烈な競走の末に、わずか1票差で首位に立ったのが、次のコラムだ。

    『ポイント制シナリオ −あるいは哺乳類の世話はどんなに大変か−』


 えーっと、このコラム、そんなに面白かったですか?

 後半はそんなに面白いとは思えないので、おそらく導入部のペット談義のとこ
で笑って頂けたのかと思われますが、やはりフェレット愛好家の一発が効いたの
でしょうか。

 導入部、いわゆる「つかみ」の部分は、コラムにとって非常に大切な部分で、
だいたい表現部門で上位に入ったコラムは、ここに工夫がこらされている。とき
どき「私はTRPGについては何も知らないし興味もないのですが、馬場さんの
コラムは面白いので愛読しています。最近は、いきなり最初からTRPGの話に
なるので、読むところがなくて困ります」というメールが送られてくるのだが、
こういう方々、つまり「アジモフ博士の科学エッセイを導入部だけ読む」タイプ
の読者のことも配慮しなければいけないな、と最近は反省している。

 2位と3位は、順当なことに次のコラム。

    『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』

    『RPG世代論 −あるいは盛年の主張−』


 これらは、要するに馬場コラムの最初の2作である。これらが圧倒的な支持を
受けたおかげで、今日まで連載が続いているという、歴史的意義のある作品だ。

 改めて読み返してみると、いやー、これ面白いわ、うん。特にRPG世代論。
テンポも抜群だし、次々と繰り出される「小ワザ」が小気味よい疾走感覚を生み
出しているし。これらは前述した『馬場秀和アーカイブ』に収録された作品群の
直系子孫と言ってよい。若い頃は、スピードとリズム感のある文章を書いていた
よなあ、俺。

 4位、5位は次のコラムである。

    『ロールプレイもろくに出来ねぇのにキャラプレなんざ10年早いっ!』

    『アジアン・ポップカルチャーな人々に学ぶ(前編)』


 4位は、タイトルで決まったような気がする。馬場コラムのタイトルにはいつ
も苦心するのだが、これはすんなり思いついた。毎回こうだと楽なのだが。

 5位が気に入った方には、前述した「弱拡大:島野律子作品集」に納められた
一連の中華圏旅行記をお勧めしておこう。


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 というわけで、いよいよ「内容部門」への投票数と「表現部門」への投票数を
合計して順位を付けてみる。同点の場合、1部門についての最高得票数を比べて
多い方を優先する。結果は次の通り。


1位(30票)
    『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』

2位(27票)
    『まずRPGファンに背を向けるところから始めよう』

3位(27票)
    『ポイント制シナリオ −あるいは哺乳類の世話はどんなに大変か−』

4位(26票)
    『外へ向かう言葉(後編)』

5位(26票)
    『ロールプレイもろくに出来ねぇのにキャラプレなんざ10年早いっ!』

6位(24票)
    『RPG世代論 −あるいは盛年の主張−』

7位(18票)
    『キャラクタープレイのすゝめ』

8位(17票)
    『外へ向かう言葉(前編)』

9位(16票)
    『アジアン・ポップカルチャーな人々に学ぶ(前編)』

10位(15票)
    『タコツボ化現象 −あるいはポエマーとポエトの違い−』


 というわけで、傷ついたり、背を向けたり、哺乳類だったりする馬場コラムの
中で、栄えある「読者が選んだ、ザ・ベスト・オブ・馬場コラム」の座を見事に
獲得したのは、次の作品でした。

    『キャラクタープレイ −あるいは傷つきやすい人々−』

 参考までに「作者が選んだ、マイ・ベスト・馬場コラム」は、次の作品です。

    『RPG世代論 −あるいは盛年の主張−』

 さあ、これが結果です。あなたの評価と比べてみて下さい。いかがでしたか?

 私の感想はこうです。

・・・4年も連載して、結局のところ最初の2作を越えられんかったんかい!!


**


 さて、今後の話である。連載を4年続けてきて、今の気持ちを正直に語るなら、
「もう、充分だ。後は自分で考えろ」と言いたい。

 私は、10年かけて、「TRPGとは何か」「TRPG市場を建て直すために
はどうすればよいのか」という問いに、真摯に、たった一人で向き合ってきた。
決して、甘えたり、他人とつるんだり、安直な結論に飛びつくことを潔しとしな
かった。反論を恐れて卑怯な相対主義に逃げこんだり、「あくまで個人的な意見
です」といった逃げ口上で批判をかわすような真似を、一度として行わなかった。

 他人を批判するときでも、いつも「TRPGの健全な発展」という目標を見失
うことなく、常に気高い志を持って行ってきた。目標に貢献するための諸活動、
例えば海外TRPGの紹介など、にも努力を惜しまなかった。そして、何より、
出来る限り優れた作品を書こうと努力し、その結果に責任を持ってきた。

 ついでながら、これらの諸活動は、匿名性の陰に隠れることなく、常に堂々と
本名で行ってきた。

 そうこうしているうちに、私も40歳になった。そろそろ、若い人に道を譲る
べきときだろう。後は、貴方が考え、貴方が行動し、貴方が書いてほしい。

  「RPGとは何か」

  「RPG市場を建て直すためにはどうすればよいのか」

 これらの問いかけ、あるいは、私がコラムで提示してきた様々な問いかけに、
私と同じように真剣に取り組んで頂きたい。もちろん、私の意見や主張に同意す
る必要はない。むしろ責任ある真摯な競合理論の提示を期待したい。

 私の考えはもちろん完全ではないし、ひょっとしたら完全に根本的に間違って
いるかも知れない。それを検証し、克服するためには、誰かが優れた競合理論を
提示する必要がある。上の2つの問いかけに対して、私が出したものよりも優れ
た回答を出して頂きたい。それが、馬場コラムの読者に与えられた課題である。

 馬場コラムの連載はこれからも続けるが、今までのように真剣な問いを発する
問題提起型コラムにはしないつもりだ。もう、そういうのは疲れる。もっと肩の
力を抜いて、徒然なるままにTRPGについてふと思ったことをさらりと書いた
ような、それでいて、読者の心にかすかな問題意識が波紋のように静かに広がっ
てゆく。そういうコラムを、私は書きたい。



馬場秀和
since 1962


馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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