馬場秀和のRPGコラム 2003年1月号



『最も困難なロールプレイング』



2003年1月29日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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 2003年、あけましておめでとうございます。

 今年の馬場コラムは、今までのような問題提起型コラムに代えて、身辺雑記風
の軽い読み物にしようと思う。号によっては、ほとんどTRPGと関係ない随筆
になってしまうこともあるやも知れないが、そこら辺は、どうかご容赦頂きたい。
私としては、読者がそれなりの問題意識を持って読めば、必ずやTRPGに関し
て何らかの知見が得られるはずのコラムを書くつもりなのだが、まあ作品から何
を読み取るかは読者の自由、そして責任、というものであろう。

 さて。

 今回は、私がこれまでに経験した中で、最も困難なロールプレイングについて
記すことにする。

 それは、TRPGセッションにおいて体験したものではなかった。そもそも、
ゲームでも演劇でもなかった。それは、ビジネススクールにおける演習課題とし
て体験したものだったのだ。そのとき私に与えられたロールは、米国の証券会社
に勤務するバリバリのキャリアウーマンで・・・。

 いや、順を追ってお話ししよう。


**


 会社から「おぬしはなかなか見どころがあるので、米国のビジネススクールで
研鑽を積んでくるがよい。ついては、以下のコースから1つ選択して回答せよ」
という旨の通知を受けたとき、前向きな人なら「この機会に最新のビジネス手法
を学び、仕事に活かそう」と考えてコースを選ぶのだろう。もっとアグレッシブ
な人なら、「よーし、会社の資金で経営学を学び、ちゃっかり独立して、自分の
事業を興してやろう」とか野心を抱いて、そのために必要なコースを狙うのかも
知れない。

 私が抱いたのはそのどちらでもなく、「うーん。会社からの多大な人材投資を
受けておけば、将来リストラでクビにされる可能性がそれだけ減るかも知れない」
といった、はなはだ後ろ向きな発想だった。そういうものだ。

 だが、目標を明確にするというのは、どんなときにも大切である。特に、選択
を迫られているときには。この場合、とにかく何でもいいからビジネスコースを
無事に修了しさえすれば私の目標は達成されるわけだから、なるべく短期間で、
軽いコースを選択するのが理にかなっているわけだ。

 リストには、半年近くかけて欧米の複数の大学を回る本格的な経営研修から、
数週間の短期コースまで、様々な選択肢が並んでいたが、最も短いものの一つを
選ぶことにした。米国バージニア大学が開催するビジネスマネジメントコース、
2週間。

 そういうわけで、東海岸に飛ぶことになったのだ。


**


 ビジネススクールにおける研修の中心となるのは、いくつかのグループに分か
れて行う討論だ。それは、こんな感じで進められる。

 まず、全員に分厚いファイルと課題が与えられる。課題は、全て現実のビジネ
スに関する問題だ。例えばこんな感じ。


 ・デルコンピュータの急成長はいつまで続くか?

 ・東京ディズニーランドが成功し、ユーロディズニーランドが失敗した原因は
  何か。香港ディズニーランドは成功するだろうか?


 1つの課題につき、1パックのファイルが与えられる。ファイルには、課題を
検討するために必要な各種情報(会社概要、財務データ、新聞記事、分析評価な
ど)がぎっしり詰まっている。全ての議論は、このファイル、つまり全員に共有
された情報だけをベースに進めなければならない。共有されていない情報を根拠
にすることは、禁じ手となる。

 これは、参加者のバラエティを考慮すれば当然のルールだろう。

 例えば、私が所属することになったグループのメンバーは、国籍だけを見ても、
米国、パラグアイ、イスラエル、サウジアラビア、オーストラリア、そして日本
(これは私)という構成だった。たまたまヨーロッパ地域からの参加者は一人も
いなかった。

 これだけ国も文化も価値観も異なったメンバーで複雑な問題を討議するのだか
ら、全員が議論に関する標準ルールを守ることが必須だ。

 で、討議だが、これはかなり厳しい。ただ自分の意見を述べるだけでは駄目だ。
財務状況、マーケティング、ビジネスモデル、技術力、ポジショニング、事業ポ
ートフォリオ、競合戦略など、様々な論点について、他人を説得しなければなら
ない。客観的な事実やデータによる裏付けがない(あるいは曖昧な)発言は認め
られない。論理的な推論や、客観的に見て妥当な推測だけが受け入れられる。
(もちろん、ここでいう「受け入れられる」とは、鋭い反論や厳しい論証要求に
さらされない、という意味ではない)。

 そういうわけで、全ての参加者は、事前に渡されたファイルを熟読して、そこ
に納められた情報をきちんと頭に入れておく必要がある。

 実は、討議そのものよりもむしろ、ここらの準備作業の方が大変なのだ。1日
に1回くらいなら何とかなるような気もするが、午前に1回、午後に1回、聴講
の間に討議の時間がやってくるのだ。夕食後も、翌日のテーマについて予備討議
が行われる。

 正直に言って、このハードスケジュールでは、睡眠時間を確保することなど、
とうてい不可能だ。わずか2週間、と甘く見ていたのは大失敗だった。短期コー
スだからこそ、これだけ過密なスケジュールになっていたのだ(と思う)。読者
の方々には、私と同じ状況に陥ったら迷わず長期コースを選べ、と言っておこう。


**


 討議の厳しさに比べると、聴講(いわゆる座学、授業)の方がむしろ楽だった。
もちろん、生徒も黙って聞いているだけでなく、活発に質問や意見交換が行われ
るのだが、まあこれは英語さえ聞き取れれば何とかなる。

 討議と聴講の他に、演習という科目がある。全員のノートPCをLANで接続
して、グループ毎に仮想的な「サプライチェーン」を構築するソフトを走らせて、
物流管理の難しさを体験してみるとか、そういったものだ。これは楽しかった。

 演習科目の1つに「異文化コミュニケーション」というのがあり、そのテーマ
が、なんとまあ「アジア人との交渉」というものだったのだ。ここでいうアジア
とは、東アジア(中台韓新日あたり)を指していた。

 この科目に関する限り、私は他の参加者に比べ圧倒的に有利だと思われるかも
知れない。しかしそうではないのだ。“米国人が考えるところの”東アジア文化、
東アジア的価値観、東アジア的ビジネス慣行、といったものはひどく奇怪なもの
で、私にはよく理解できなかった。もしもその場に、中国や台湾や韓国やシンガ
ポールからの参加者がいたとしても、きっと私と同じ感想を抱いたことだろう。
「何だよ、それは。いったい、どこの誰の話だよ?」

 ともあれ、こうして「アジア人との交渉」を成功させるコツを学んだ我々は、
二人一組でロールプレイング実習を行うことになったわけだ。私とペアを組んだ
のはオーストラリア人で、彼に「台湾人の年配ビジネスマン」のロールが、私に
は「米国の証券会社の極東地区責任者であるキャリアウーマン」というロールが
それぞれ割り当てられた。


**


 ロールプレイングに関してきちんとした指導を受けたことのある読者は少ない
と思われるので、ここで解説しておこう。

 まず、ロールというのは「社会的役割」のことだ。例えば、刑事という職業を
考えてみると、これは1つの社会的役割であり、ロールだ。ある刑事Aが容疑者
の取り調べを行っているとしよう。このとき、Aは法律や規則や慣習に従いつつ、
容疑者から重要な情報を聞き出し、事件の真相を明らかにしようとするだろう。
ひとことで言うなら、Aは、刑事として、刑事らしく振る舞う。「刑事」という
社会的役割に対しては、そのような言動をとることが社会から要請されており、
Aはその社会的要請に従って自分のロールを果たそうとするわけだ。
 これは別に刑事に限った話ではなく、ほとんどの社会人はこのようにして自分
の職業を遂行している。

 では、取り調べをしているのが他の刑事Bだとしよう。実は、このBは容疑者
の父親である。自分の息子に対する取り調べをすることになったBは、内心では
非常に困惑しているかも知れないが、あくまで刑事として振る舞うことだろう。
つまり、基本的にはAと同じ言動をとろうとするはずだ。なぜなら、取り調べの
場においては、父親と息子の関係ではなく、あくまで刑事と容疑者の関係であり、
そこにおいてはBが刑事として刑事らしく振る舞う、つまり刑事というロールを
果たすことが、社会的要請だからだ。

 では、あなたがこの事件について、刑事の「ロールプレイング」をすることに
なったとする。あなたは取り調べの方法について勉強し、守るべき法律や規則や
慣習を知り、またこの事件についての情報を得て、容疑者からどのような情報を
聞き出せば良いのかを考える。そして、やはり基本的には刑事Aや刑事Bと似た
ように振る舞うことになるだろう。

 さて、このときあなたは刑事Aと刑事Bのどちらのロールプレイングをしたの
であろうか?

 答えは、「どちらでもない」だ。あなたが行ったロールプレイングの対象は、
「刑事」という社会的役割=ロールであって、特定の人物ではない。

 もちろん、ロールプレイングが演技の全てではない。あなたは、刑事Bの役を
演じる方が魅力的だと思うかも知れない。そして、父親でありながら刑事として
息子を追求しなければならない困惑や葛藤といった心理、感情を微妙に表現する
ことに挑戦したいと思うかも知れない。だがそれは「演技」、あるいはTRPG
用語でいうところの「キャラクタープレイング」の問題であって、ロールプレイ
ングの範囲ではない。ロールプレイングが対象とするのは社会的役割、すなわち
この場合は「刑事」であって、刑事Aや刑事Bといった特定人物やキャラクター
ではないのだ。

 ここから先は余談になるが、良い機会なので「意志決定」とロールプレイング
の関係についても整理しておこう。実は、この容疑者は無実で、何と刑事Aこそ
が真犯人であった、ということにしてみる。取り調べに関する刑事Aの目的は、
刑事Bとは全く異なったものになる。事件に関して重要な情報を聞き出すことで
はなく、何とかしてこの容疑者に罪をかぶせてしまえ、というのが目的となるだ
ろう。Aは、おそらく誘導尋問を駆使して、容疑者が不利な供述をするよう仕向
けることになるはずだ。

 この場合でも、Aはあくまで「刑事」として、「刑事」らしく振る舞わなけれ
ばならない。つまり刑事Bがとるであろうのと同じ言動を(少なくとも表面上は)
とらなければならない。それが社会的要請だからである。Aは自分に疑いがかか
らないようにするためにも、きちんと自分のロールを果たさなければならない。

 というわけで、刑事Aが真犯人である、という情報は、あなたの「ロールプレ
イング」に何の影響も与えない。相変わらず、あなたの「ロールプレイング」の
対象は、刑事というロールであって、AでもBでもないからだ。

 しかし、あなたがAの立場に立つかBの立場に立つかによって、「意志決定」
は大きく異なるだろう。なぜなら、取り調べに関する「目標」が異なるからだ。
刑事Aが真犯人であるという情報は、あなたの意志決定に対して、それこそ決定
的な影響を与える。Aの立場なら、あなたは容疑者をごく自然に誘導して不利な
供述をさせようと努力するだろう。Bの立場なら、あなたは事件について重要な
情報を聞き出し、真相を明らかにしようと努力するだろう。どちらの場合でも、
ロールプレイングに大差はない。意志決定には大差が生ずる。ちなみに演技にも
差が生ずるだろう。

 さあ、これで「ロールプレイング」「演技」(あるいは、TRPGにおいては
キャラクタープレイング)、そして「意志決定」の関係について十分ご理解頂け
たことと思う。

 ロールプレイングという概念は、TRPGが誕生するよりもずっと前から存在
する。おそらく近代社会が成立し、職業選択の自由が与えられ、「本当の自分」
と「職業上そのように振る舞わなければならない自分」というものの区別が意識
化されたときに、この概念が生まれてきたのだろうと、私は想像する。いずれに
せよ、意志決定にこの概念をうまく取り込んでゲームという形にまとめたものが、
すなわちTRPGなのだ。

 ところで、あなたは、次のうちどれに最も魅力を感じるだろうか。


 ・取り調べの場という設定で、「刑事」として刑事らしく振る舞うこと
  (ロールプレイング)

 ・刑事Bの立場に立ったという設定で、彼の性格や感情を演技してみること
  (キャラクタープレイング)

 ・刑事Aの立場に立ったという設定で、自分に嫌疑がかからないようにしつつ
  容疑者を誘導し不利な供述をとるためにはどうすればよいか考え決めること
  (意志決定)


 あなたの答えが何であるにせよ、それがあなたにとっての「TRPGの魅力」
ということになる。なぜTRPGはこんなに楽しいのか。あなたにとっての回答
は、そこにある。そして、ここがポイントだが、上の問いに対する回答は、人に
よって異なっている、ということを認識しておかなければならない。


**


 何の話だっけ。そうそう、「アジア人との取引」のロールプレイング演習の話
だった。

 私に与えられたロールについての情報は、彼女の責任、権限、ミッション(ビ
ジネス目標)、優先順位(米国流ビジネス価値観/ビジネス文化)、制約条件、
といったものだけだった。彼女の性格、生い立ち、境遇、家族といった個人情報
は一切与えられなかった。心理や内面に関する知識、つまり主観情報も、皆無で
あった。

 もちろん、それらの情報は不要なのである。既にお分かりの通り、ロールプレ
イングというのは、彼女が置かれていた社会的役割、つまりある案件について、
「米国証券会社の極東地区責任者」として台湾人と交渉する、というロールを演
じるものであって、彼女がどんな人間であるかは関係ない。

 もし、私に与えられた課題が、彼女を演じろ(TRPG用語でいうなら、キャ
ラクタープレイングしろ)というものであったとしたなら、私は、彼女に関する
個人情報を必要としただろう。あるいは「彼女の立場になって意志決定せよ」と
命じられたとすれば、彼女にとっての目標(それはミッションとは別かも知れな
い)、障害や制約条件(それは個人的なものが大きい)といった主観情報は必要
不可欠だったはずだ。

 というわけで、私とオーストラリア人(名前を失念した)は、互いの共有情報
が一致していることを確認してから、それぞれロールプレイングを開始した。そ
れは恐ろしく困難なものであることがすぐに分かった。どちらも、自分のロール
を十分に理解してないことがバレバレになった。私は、何か発言する前に、いち
いち次のようなことを考えなければならなかった。


 ・彼女の立場にいる者が、このように提案するのは適切だろうか

 ・彼女がそう提案したとして、この台湾人はそれをどう受け取るだろうか

 ・彼女がそう提案したとして、このオーストラリア人は、この台湾人がどのよ
  うに受け取ると考えるだろうか

 ・そのとき、このオーストラリア人は、この米国人(彼女)がどのような意図
  でこのような提案をしたとこの台湾人が推測すると考えるだろうか

 ・そのとき、このオーストラリア人は、この米国人(彼女)の提案の背後にあ
  るこの日本人(私)の意図についてどのように推測するだろうか

 ・そのとき、この・・・えっと誰が何を考えていたんだっけ?


 同じようなことを相手のオーストラリア人も逆の立場から必死に考えているの
はよく分かった。結局のところ、私たちは互いの背景文化についてもあまりよく
理解しておらず、演じているロールの背景文化についてもよく知らない、という
状況下で、難しい交渉を「文化的にごく自然な対応で」進めなければならなかっ
たのだ。

 この交渉の結果がどうなったのか覚えてないが、まあ、結果はどうでもよいだ
ろう。きちんとしたロールプレイングは難しい。これをゲームに活かそうという
のは、なるほど、確かに悪くないアイデアだ。


**


 睡眠不足で命を削り取られるような日々が続いた後、唐突に最終日がやってき
た(ように私には感じられた)。卒業証書と記念写真を受け取って、それで終わ
りである。今晩はワシントンに一泊し、明日の早朝には帰国のフライトが待って
いる。

 よく考えたら、この2週間、バージニア大学の敷地から一歩も外に出ていない。
これでは、バージニアに来た意味がないではないか、と誰かが言い出し、何人か
でレンタカーを借りてワシントンまでドライブすることになった。

 どこまで行っても牧場と農家と林しかないような道を何時間も走っていると、
同乗者達が窓の外を指さして騒ぎだした。聞けば"TAKE ME HOME COUNTRY ROADS"、
「カントリーロード」の歌詞に登場する川だと言う。この曲、オリビア・ニュー
トン・ジョンがカバーしたことで有名だが(日本では、ジブリの「耳をすませば」
の主題歌の原曲と言った方が分かるかも知れない)、川の名前が登場することは
知らなかった。山の名前が登場することも知らなかった。そもそも、今この車が
走っている道が、まさにあの曲に歌われているところの「カントリーロード」だ
ということも、教えてもらって初めて知った。

 周囲が盛り上がっている中、米国のカントリーミュージックにもオリビアにも
思い入れのない私には、何の感慨も浮かばなかった。バージニアは、私とは無縁
の場所だった。私は窓の外を見ながら、今でもこのあたりにはMIBやモスマン
がうろついているのだろうか、と考えていた。


"TAKE ME HOME COUNTRY ROADS" Country roads, take me home. To the place I belong. West Virginia, mountain mama. Take me home, Country roads. Almost Heaven, West Virjinia, blue Ridge Mountains, Sheneandosh river. Life is old there, older than the trees, Younger than the mountain, blowin' like a breeze...


馬場秀和
since 1962


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