馬場秀和のRPGコラム 2005年8月号



『Scoops RPG主催 第1回RPG全国共通一次試験への回答』



2005年8月7日
馬場秀和 (babahide*at*da2.so-net.ne.jp)
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★★前提となる考察★★


『ゲーム理論』と『囚人のジレンマ』

 『ゲーム理論』と呼ばれる数学の一分野がある。

 これは、複数の行為主体(プレーヤー)が特定の条件下で各自の行動を選択し、その選択結果が状況や他の行為主体に対して影響を与える、というような数理モデルを立てて、このモデルにおいて各行為主体が自分の利得を最大化するにはどのように行動を選択すればよいかを分析する、そういう学問である。決して、モノポリーに強くなるための理論ではないし、麻雀必勝法の研究でもない。というより、『ゲーム理論』は、一般的な意味でいうゲームとは、ほとんど何の関係もない。ただ、前述したような数理モデルが“ゲーム的状況”を連想させることから、その名がつけられたというだけのことである。

 さて、この『ゲーム理論』を紹介するとき、必ずと言ってよいほど持ち出されてくる基本モデルが、いわゆる『囚人のジレンマ』である。細かいバリェーションは色々あるが、大筋このようなモデルだ。


『囚人のジレンマ』のモデル

  ある事件において、共犯者2名が別件逮捕され、次のような条件の下で自白を促された。

    a.二人とも自白しない場合、別件でそれぞれ2年の懲役
    b.二人とも自白した場合、それぞれ10年の懲役
    c.片方が自白し、他方が自白しない場合、前者は司法取引により無罪、後者は15年の懲役

  d.二人は隔離されており互いに相談することは出来ない。
  e.二人とも、自分の利得の最大化を目標に、合理的に判断する。


 少し考えてみれば分かる通り、どちらの囚人の立場からしても、自白した方が得である。こうして、このモデルでは、二人とも自白して懲役10年という『個別最適解』が実現されることになり、二人とも黙秘を貫くという『全体最適解』が実現されることはない。互いに協力して黙秘すれば2年の懲役で済むのに、合理的に判断するがゆえに、二人とも懲役10年の懲役刑をくらってしまう。これが、ジレンマだというのである。

 実際には、これはジレンマではない。「e.二人とも自分の利得の最大化を目標に合理的に判断する」という条件がモデルに含まれている以上、個別最適解が実現されるのは当たり前である。個別最適解が存在することも明らかであり、したがって囚人(プレーヤー)から見て、『囚人のジレンマ』はジレンマではないし、ゲームでもない。これはパズルである。囚人(プレーヤー)に求められるのは、パズルの個別最適解を見つけること、すなわち“意思決定”に他ならない。

 以上は、『ゲーム理論』全般に当てはまる特徴である。つまり、『ゲーム理論』は与えられた数理モデルを分析して個別最適解を見つけ出すための理論であり、言い換えればプレーヤーの“意思決定”を研究対象とする学問である。ゆえに、そこで扱われる数理モデルは、個別最適解が存在するように注意深く設定されたものでなければならないのである。


「自由なコミュニケーション」と数理モデル

 ここで考えてみて頂きたい。前述した『囚人のジレンマ』モデルは、社会活動のあらゆる場面に顔を出す極めて汎用性の高いものである。それなのに、なぜ行為主体(プレーヤー)は、「囚人」という設定になっているのだろうか。どうして『核戦略のジレンマ(プレーヤーは核兵器保有国の最高権力者)』とか『募金のジレンマ(プレーヤーは町内会の会員)』ではないのだろうか。

 おそらくそれは、プレーヤーが「囚人」だという設定により、「d.二人は隔離されており互いに相談することは出来ない」という条件をごく自然に見せるためであろう。

 このd.の条件が存在する理由については、よく考えてみる必要がある。なぜなら、ちょっと見ただけだと、この条件は『ゲーム理論』が成立する上で特に必要ないような気がするからである。つまり他の条件は全て公開されているのだから、プレーヤー間で改めて情報交換する意味はなさそうだし、一方が「俺は自白しない」と宣言したとしても、他方は信用できないだろう。結局のところ、二人のコミュニケーションは、何ら実質的な意味を持たないのではないだろうか。

 実は、ここには微妙な問題が存在するのである。というのも、プレーヤー間の「自由なコミュニケーション」を許すと、数理モデルの枠組みが破壊されてしまう恐れが出てくるのだ。少なくとも、注意深い読者はその可能性に気づいてしまうことだろう。そこで、『ゲーム理論』紹介用の基本モデルとしては、プレーヤーは囚人であるという設定を利用して、プレーヤー間の「自由なコミュニケーション」を禁止する必要があるというわけだ。

 では、プレーヤー間の自由なコミュニケーションが、いかにして数理モデルの枠組みを破壊し得るのか、その例をいくつか見てみよう。


・評価基準を変える

 『囚人のジレンマ』のモデルでは、プレーヤーにとっての「利得」とは、懲役期間(の短さ)だけ、ということを想定している。しかし、自由なコミュニケーションを許すと、プレーヤー達は「利得」を別の基準で評価するよう合意してしまうかも知れない。

 例えば、一方のプレーヤーが次のように説得することを想像してみよう。

「俺たちは確かに法を犯した。しかし、それは堕落した政府、腐敗した権力に対する正義の戦い、大儀ある行動だったはずだ。しかし、ここでお前が俺を裏切れば、その大儀は失われる。正義は失われる。お前は、犯罪者であるだけでなく、卑劣な裏切り者に成り下がるだろう。たかが刑期を何年か短くするために魂を捨てて後悔しないのか」

 もちろん、このように言っているプレーヤーが相手を裏切らないかというと、それは信用できない。だが、この説得そのものは、「利得」の定義に「義」のような道徳的評価基準を含めるべきだという提案であり、たとえ提案者の意図を信用しないとしても、なお考慮に値するだろう。極端な話、プレーヤーは、相手が裏切って自白するだろうと承知しながら、あえて黙秘するという決断を下す(そしてそれが本人にとって合理的である)ことさえあり有る。

 『ゲーム理論』の立場からすると、道徳的な評価基準を定量化することは困難であるため、このような提案は数理モデルの枠組みを破壊するものである。


・境界条件を破る

 『囚人のジレンマ』のモデルでは、刑務所の外には何もない。少なくともプレーヤーの意思決定に影響を与えるものは何一つ存在しない。しかし、実際にはもちろんそんなことはないのであって、これは『ゲーム理論』を成立させるために設置された境界条件と見なすべきである。そして、自由なコミュニケーションを許されたプレーヤー達は、この境界条件を破ろうとするかも知れない。

 例えば、一方のプレーヤーが次のように恫喝することを想像してみよう。

「俺を裏切るならそれはお前の勝手だが、俺には沢山の仲間がいることを忘れるなよ。司法取引とやらで外に出たら、その日のうちに海の底に沈むことになるぜ」

 これはハッタリかも知れないし、真実かも知れない。しかし、恫喝を受けたプレーヤーは、その恫喝が真実である可能性を考慮に入れなければならなくなる。純粋なハッタリまで含めると、恫喝の可能性は無限である。相手が「真実である可能性はゼロではない」と判断するであろうあらゆるストーリーを、恫喝のネタとして使うことが出来る。この種の恫喝を特定する(限定する)ことでモデルに組み込むことは出来ない。

 『ゲーム理論』の立場からすると、モデルとして設定されてないもの(境界外からの影響)が「利得」計算に影響するという状態は、数理モデルの枠組みを破壊するものである。


・新しいルールを創り出す

 『囚人のジレンマ』のモデルでは、二人のプレーヤーは独立に指し手(自白するか黙秘を続けるか)を意思決定し、指し手は同時公開されることが暗黙に想定されている。しかし、プレーヤー達は、第三者(NPC)を巻き込むことによって新しいルールを創り出そうとするかも知れない。

 例えば、一方が自白する決意をしたら、その場に立ち会う予定の弁護士が、他方にそのことを事前に必ず通知する、という約束をすることを想像してみよう。プレーヤー同士は互いを信用しないとしても、二人とも弁護士を信用しているはずである。(そうでなければ、自白した場合の刑期などの条件をそもそも信用できるはずがない)

 もし、弁護士は約束を守るとプレーヤー達が確信できるなら、二人とも黙秘を続けることを選ぶだろう。なぜなら、どちらかが自白しようとすれば、すばやく自分も自白することで、最悪でも「双方自白」の個別最適解に持ち込めることが保証されるからである。その保証があるなら、「双方黙秘」の全体最適解を狙うのが合理的な判断である。

 『ゲーム理論』の立場からすると、プレーヤーがNPCを活用して新しいルールを創り出すなどということは想定外であり、これは数理モデルの枠組みを破壊するものである。


 他にも色々と考えられるだろうが、このくらいにしておこう。これらの例が示すように、プレーヤー間の「自由なコミュニケーション」というものを想定すると、特にその「自由な」という形容詞をまともに受け取ると、数理モデルの枠組みは危うくなるのである。そこで、こういう面倒くさい、『ゲーム理論』の立場からするとどうでもいいような難癖をつけられないように、プレーヤー間の「自由なコミュニケーション」を禁止する必要があるわけだ。


「自由なコミュニケーション」とゲーム

 『ゲーム理論』の立場からするとその通りなのだが、では逆に、積極的に「自由なコミュニケーション」の価値を認めてそれを取り入れる立場はあり得ないものだろうか。「自由なコミュニケーション」を許せば、「個別最適解を持つ数理モデル」の枠組みは破壊されるかも知れないが、かといって全てがカオスに陥るわけでもない。相変わらずプレーヤー達は指し手(自白か黙秘か)を選択しなければならないし、その結果については懲役期間という形で責任を持たなければならないのだから、きちんとそれなりの理由を持って決断しなければならない。

 我々はすでに、このような状況下で行われる「指し手の選択」を示す適切な用語を知っている。それは“意志決定”だった。(前述した“意思決定”との相違に注意。詳しくは 『外へ向かう言葉(後編)』 を参照のこと)

 そして、我々はさらに「“意志決定”が強制される状況」を示す用語もまた、よく知っている。それこそが“ゲーム”であった。

 整理してみよう。まず、ここに一つの“ゲーム的状況”が与えられたとする。例えば次のような感じだ。


基本となるゲーム的状況

  ある事件において、共犯者2名が別件逮捕され、次のような条件の下で自白を促された。

    a.二人とも自白しない場合、別件でそれぞれ2年の懲役
    b.二人とも自白した場合、それぞれ10年の懲役
    c.片方が自白し、他方が自白しない場合、前者は司法取引により無罪、後者は15年の懲役


 この“ゲーム的状況”は、そのままでは無意味である。これを我々の知的探求の対象にするためには、適切な「編集」が求められる。この「編集」には、2つの方向が考えられる。

 ひとつは、これを「個別最適解を持つ数理モデル」として完成させ、『ゲーム理論』で取り扱えるようにする方向である。この場合、数理モデルの枠組みを確固としたものにするため、自由なコミュニケーションは排除されることになるだろう。具体的には、次の条件d.およびe.を追加することになる。これが、すなわち『囚人のジレンマ』だった。


個別最適解を持つ数理モデル(囚人のジレンマ)

  ある事件において、共犯者2名が別件逮捕され、次のような条件の下で自白を促された。

    a.二人とも自白しない場合、別件でそれぞれ2年の懲役
    b.二人とも自白した場合、それぞれ10年の懲役
    c.片方が自白し、他方が自白しない場合、前者は司法取引により無罪、後者は15年の懲役

  d.二人は隔離されており互いに相談することは出来ない。
  e.二人とも、自分の利得の最大化を目標に、合理的に判断する。


 もうひとつは、自由なコミュニケーションを積極的に取り入れ、個別最適解をなくすことで、“ゲーム”を構築する方向である。具体的には、次の条件f.およびg.を追加することになる。


個別最適解を持たない“ゲーム”

  ある事件において、共犯者2名が別件逮捕され、次のような条件の下で自白を促された。

    a.二人とも自白しない場合、別件でそれぞれ2年の懲役
    b.二人とも自白した場合、それぞれ10年の懲役
    c.片方が自白し、他方が自白しない場合、前者は司法取引により無罪、後者は15年の懲役

  f.プレーヤーは、自由にコミュニケーションをとることが出来る。
  g.プレーヤーは、自由なコミュニケーションにより、目標や境界条件やルールを変えることが出来る。


 こうなると、プレーヤーは、もはや『ゲーム理論』の対象となる最適解探し(パズルの解決)を行う行為主体ではない。彼らは“意志決定”を行う行為主体なのである。そして、彼らがプレイしているのは「自由なコミュニケーション」が生み出した“ゲーム”である。彼らは、前述した「評価基準(目標)を変える、境界条件を破る、新しいルールを創り出す」といったことを試みるかも知れないし、あるいは全く異なったアプローチを試みるかも知れない。どれが最適手かを問うことはもちろん無意味である。これは“ゲーム”なのだから。

 このような、「自由なコミュニケーションが生み出す“ゲーム”」は、実は目新しいものではない。我々は、このような種類の“ゲーム”をよく知っているし、それを示す用語すら持っている。『テーブルトークRPG』である。


まとめ

 自由なコミュニケーションを取り入れることで、“ゲーム的状況”を“ゲーム”、特に『テーブルトークRPG』と呼ばれる種類の“ゲーム”へと編集することが出来る。この編集作業は、言い換えれば「ゲームデザイン」である。すなわちテーブルトークRPGのプレイングとは、参加者(ゲームマスター、プレーヤー)が、与えられたゲーム的状況(背景世界、シナリオ)を前に、自由なコミュニケーションを活用することで、共同で行うゲームデザイン作業だと、そのように見なすことが出来るのである。


 では、以上の洞察に基づいて、

  『Scoops RPG主催 第1回RPG全国共通一次試験』
   http://www.scoopsrpg.com/contents/hakkadoh/hakkadoh_20050107q.html

に対する回答を示すことにしよう。


設問と回答


設問1:

 なぜRPGは、「コミュニケーションの遊び」「社交的な会話の遊び」と常識のように言われながら、肝心のコミュニケーション技術に関して、具体的な上達方法がRPG畑から提唱されてこなかったのか、「社交的な遊び」であるはずのRPGがしばしば失敗や崩壊の憂き目にあう問題の原因は、一体どこにあったのか。これらの問題について、あなたの考えを述べなさい。(自由回答)

回答1:

 前提となる考察からも明らかなように、RPGにおけるコミュニケーション技術とは、すなわちゲームデザイン技術である。ゲームマスターを含む全参加者は、自由なコミュニケーションを活用して共同でゲームゲザインを行う。このためには、前述した「評価基準(目標)を変える、境界条件を破る、新しいルールを創り出す」といったゲームデザイン技術の、少なくとも基本を、全参加者が習得しているべきである。

 参加者の技術不足のためにこの共同ゲームデザインが失敗すると、“ゲーム的状況”は“ゲーム”として編集されないままに放置され、そのセッションは失敗あるいは崩壊することになる。

 ところが、RPGが持つこの構造は、充分に認識されてきたとは言えない。実際には、RPGにおけるゲームデザインとは、デザイナーの作品をベースにゲームマスターが補完するものであり、プレーヤーはただそれをプレイする存在だと、そのように考えられてきたのである。

 これが、「プレーヤーが習得すべきゲームデザイン技術」に関する方法論が提唱されなかった主な原因だと考えられる。

設問2:

 RPGは会話自体を楽しむ遊びであるとされるが、それでは単なる雑談とRPGセッションとの会話には明確な差がないことになる。RPGと雑談を比較した時の、コミュニケーションの“質”の違いについて、あなたの考えを述べなさい。(自由回答)

回答2:

 RPGでいうところのコミュニケーションは、共同ゲームデザインを目指して遂行されるものである。それに対して、単なる雑談は、そうではない。この質の違いは明確である。あるいは、明確であるべきである。


設問3:

 RPGのその“質”の違いがもたらす、RPGのコミュニケーション的特性とは一体何だろうか? あなたの考えを述べなさい。(自由回答)

回答3:

 繰り返しになるが、参加者が自由なコミュニケーションにより“ゲーム的状況”を“ゲーム”として編集する、すなわち共同でゲームデザインを行う、というのがRPGのコミュニケーション的特性である。これは、自由なコミュニケーションを注意深く排除することによって成立する『ゲーム理論』と、鮮やかな対照を成している。


設問4:

 RPGはコミュニケーションによって進行する遊びだとされるが、実際には他のカードゲームやボードゲームにも、似たような雑談は当たり前のように存在する。一般的な意味でのコミュニケーションは、RPGの専売特許ではない、と言えるだろう。むしろ本当のRPGの特異性は、会話“以外”の要素の欠如、すなわちコマやゲーム盤が存在しないことにある。RPGにいわゆるゲーム盤が存在しないことと、RPGがコミュニケーションによって進行することの2つの特徴の間に、どのような関係があるかを検証しなさい。(自由回答)

回答4:

 コミュニケーションによるゲームデザインこそがRPGをプレイするという行為の本質であるなら、「ゲーム盤」が事前に与えられないのは当然のことである。RPGとは、仮想的な(すなわち参加者の脳内にしか存在しない)「ゲーム盤」を共同でデザインする作業だと見なせる。この仮想的ゲーム盤は、それが作成される過程でしかプレイされない、という点で独特ではあるが、情報としてはボードゲームにおけるゲーム盤と等価である。


自由欄:

以上の設問に答えた上で、あなたがRPGとコミュニケーションについて思うところを、自由に述べなさい。(自由回答)


 おひさしぶり、馬場秀和でございます。
 今月はScoops RPGへの投稿が少なかったので、急遽このような原稿を書くことになりました。皆様がRPGについて考察する上で、何らかの参考になれば幸いです。


馬場秀和
since 1962


馬場秀和が管理するRPG専門ウェブページ『馬場秀和ライブラリ』


 この記事はScoops RPGを支える有志の手によって書かれたもので、あらゆる著作権は著者に属します。転載などの連絡は著者宛てにしてください。

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