Scoops RPG 読者の声



気まぐれ指数


馬場秀和



 今回も、いつものように"Bag o' Nifties: Tricks for GMs"についての感想を書く予定だったのだが、最近の数作を読んでちょっと気が変わった。同じシリーズの「アクロバティック格闘 - シャム双生児同士の戦闘をスマートに処理する」とか、「社会病理学その1 - 住民全員が卵ほうれん草ヌードル依存症にかかっている社会を舞台とするキャンペーン」といった一連の実用コラムが訳されてから、まとめて評価することとしたい。

 そこで、今回は、以下の翻訳レビューについての感想を書こうと思う。

『きまぐれカード』第2版(Whimsy Cards - 2nd Edition)
http://www.scoopsrpg.com/contents/review/rev021015_cards.html


 まず最初にお断りしておくが、残念ながら私はこの製品を持っておらず、見たこともない。以下の全ては、純粋に上記のレビューだけを読んでの感想である。

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 さて、一読してまず驚くのは、「カードという形で、セッション進行に介入する権限をプレーヤーに与える」というアイデアの先駆性だ。

 『トーグ』のドラマカード以来、このアイデアはありふれたものになっている。特に、ストーリー展開や見せ場の構築を重視する日本のRPGでは、今や標準的なデザイン手法だと言っても過言ではないだろう。

 しかし、レビューの記述によると、「きまぐれカード第2版」の出版は1987年となっている。今から15年も前だ。しかも、第2版というからには、その前に第1版が出版されていたのだろう(初歩的な推理だよ、ワトスン君)。初版が出版されてから第2版が出るまでに、数年は経過しているだろうから、アイデアそのものは20年近く前に提出されていたことになる。

 なぜ、20年前に、誰もこのアイデアに飛びつかなかったのだろうか?

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 レビューの記述から、その理由を憶測することは出来る。

「ほんの短かな、輝ける一時だけ、そのプレイヤーはゲームの進行役になり」

「ゲームが脱線しないように、GMは拒否権を発動するか、変更内容に手を加えることが許されており」

「多くのルールは気まぐれカードがゲームを乗っ取ってしまわないようにするにはどうすればいいか、プレイヤーとGMにわからせるためにある」

 これらの文章から読み取れるのは、「マンチキンどもがセッションを乗っ取ってしまい、せっかくGMが苦心して用意したストーリーを目茶苦茶にしてしまうことへのパラノイアティックなまでの恐怖、不信感、猜疑心」だ。

 「多くのルールは・・・」の記述からして、おそらく、この恐怖はレビュアーのものではなく、製品のルールブックから来ているのだろう。デザイナーは、この優れたアイデアを説明するのに、まず「警告あります」から始めなければならなかったのだ。

 なぜか。

 おそらく、この製品が出版された頃は、「いかにしてマンチキンどもの暴走をくい止め、セッションを(事前に用意した)ストーリーラインに沿って進めるか」というのが、GMにとって最も重要な課題だったのだ。

 ゆえに、少しでもプレーヤーの権限を強めると、たちまちプレーヤーはそれを濫用して、自分のキャラクターが有利になるように、無理やりストーリーをねじ曲げようとするに違いない、というわけだ。恐怖、不信感、猜疑心。GMに限らず、権力を独占する者すべての行動原理だ。

 『気まぐれカード』を読んだGMの多くが、それを面白いアイデアだと思いつつも、自分のセッションに取り入れるのをためらったとしても不思議ではない。当時の感覚で見ると、この47枚のカードは、うまく機能すれば魅力的な効果を発揮するが、一歩間違えるとありとあらゆる災厄を引き起こす「呪いのアイテム」のようなものだったのだろう。

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 しかし、今日では、きちんとしたルールメカニズムが提供されていれば、セッション進行に介入する権限をある程度までプレーヤーに渡しても問題ない、むしろそれはGMの負担を軽減し、プレーヤーの楽しみを増やす良いアイデアだ、ということでコンセンサスが得られている(と私は思う)。

 だから、今の時代にこそ『きまぐれカード』のアイデアは活きると思う。誰かがこの製品を復活させるべきだ。もちろん、カードだけじゃなくて、その使い方をコントロールする(特定のRPGシステムに依存しない汎用的な)ルールメカニズムを一緒に提供しなければならない。それも、複数の選択ルールを。

 汎用的なルールメカニズムというのは、例えばカードを使用するためには、そのカードの有用さ、強力さに比例して割り当てられている、カードに明記された“使用ポイント”を消費する必要があり、そのポイントはセッション中にGMがプレーヤーに与える、といったようなものだ。

 GMは、どのような言動に対してどのくらいのポイントを与えるかの指針を、事前に明確にしておく。これは「経験点をエサにして、ゲームコンセプトに沿う行動をとるようプレーヤーを誘導する」という古いやり方と同じだが、獲得したポイントがすぐに使えるという点で、より強力で、(願わくば)より有効である。

 あるいは、セッション終了後に与えられた経験点の一部を、一定の交換レートでカード使用ポイントに変えて所持し、次回セッションで使えるようにする、という選択ルールも面白いかも知れない。

 セッション中のプレーヤー間の“カード使用ポイント”のやり取りを許可するか否か、許可する場合のルール、なども興味深い課題だ。より複雑でチャレンジブルなルールを好むGMとプレーヤーには、複数枚のカードを組み合わせることで別の効果が生ずるとか、他のプレーヤーのカードが発動する条件や時間を制御するカードとか、まあゲームデザイナーが知恵を絞れば色々と考えられるだろう。

 こういった選択ルールをいくつも用意して、『気まぐれカード:リニューアル』をゲームに取り入れようとするGMとプレーヤーが相談して選べるようにすれば、かなり新鮮で魅力的な製品になると思うのだが、どうだろうか。

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 こういった方向を先に進むことも出来る。セッション進行をコントロールする権限を、「ほんの短かな、輝ける一時だけ」ではなく、より永続的、より積極的に、よりシステマティックに(つまりきちんとしたルールの元に)、プレーヤーに分割譲渡するというアイデアだ。

 これがうまく機能すれば、GMはあの古い恐怖、不信感、猜疑心から解放され、セッション進行という重荷を安心してプレーヤーに渡すことが出来る。そして、もっとずっと本質的で重要な仕事(それはゲームデザイナーの代理として優れたゲームを創生することだと私は思うが、これについて議論の余地はあるだろう)に専念することが出来るはずだ。

 今日の感覚で言えば、これは「参加者各人が、他の参加者に対して、GMとして機能し、GMの作業と責任を分担する」ということだ。

 これが当たり前になった時代、おそらく今から20年後には、どなたか口の悪いRPGコラムニストが「20年前には、セッション進行の隅々までGM(当時の呼び方でいえば)に任されており、その責任も一人に押しつけられていたのだ。なぜあの時代にGMを引き受ける愚か者がいたのか、それこそRPG史における最大の謎である」などと書くに違いない。

 プレーヤー達に、GM権限を分割委譲するためには、RPGのルールを「ゲーミング」と「セッション進行」の2つにすっきり分離することが必要だと思う。GMは前者を担当し、後者は『気まぐれカード』発展版のような汎用システムを採用して、プレーヤーに任せてしまうのだ。

 そもそも『ガープス』のような「汎用システム」というコンセプトは、ゲーミングとセッション進行の両方の側面を“汎用化”しようとしていることに無理があるのだ。汎用化すべきは後者の側面であり、前者は個々のシステム毎に創意工夫すべき(そして市場競争すべき)側面だ。

 このように、“汎用化”すべき点とそうでない点をきちんと区別することで、RPGシステムの発展や競争を阻害することなく、RPG製品毎にルールを覚え直す必要性を最小限に抑えるという“汎用化”のメリットを活かすことは可能だ。私には、汎用化が進みすぎて、『ガープス』と『D&D第3版互換』の2つしかゲームシステムが生き残れないようなRPG業界に未来があるとは思えないのだ。

 おっと、これは「読者の声」だった。この話はここまでにしておこう。もっと先を読みたい方は、来年の馬場コラムをお楽しみに。

馬場秀和(2002年10月)


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