初めての衝動(初期)
夜の聖殿裏。ゼノの私室から自室へ戻るルートに敢えて外を選んだのは、柔らかい夜風を感じたかったから。ゲームや本、おやつなど逃げる為の手段が多数ある自室に真っ直ぐ帰る前に、何もない外の道で少しでも脳内を整理したい。
観光地の建物のようにライトアップされているわけではないのに、聖殿は闇夜の中でも煌びやかに浮かび上がって見える。人が在室している部屋の灯りがそうさせているのか、それとも建物自体になにか輝いて見えるしかけでもあるのか。バースで生活していた時とは異なる文明が成し得る景色なのかもしれない。
原理はわからないが、この分なら多少離れても迷うことはないだろうと、カナタは隣接する森に足を踏み入れた。聖殿を端に捉えながら奥に向かわないよう注意して歩く。
最初は2週間程前。自信作だと謳ったアクションゲームを初見でクリアした時のことだ。
『すごいな、カナタ。俺あんなに苦労して意地悪な調整したのに』
驚きと悔しさを滲ませながらそう感嘆したゼノが、へにゃりと相好を崩した。瞬間ふつりと湧いた衝動は、気のせいと片付けられるほどささやかなもの。意識する必要もないだろうと流してしまったのだが、気付けばいつの間にか視線がそこに向かっている。
もう少し難易度があがるように再調整してみたと挑んでくる顔を、加えられたトラップに引っかかった時の嬉しそうな顔を、それでもクリアして悔しがる顔を。視界の端に捉えただけなのに、思い出すだけでもふつふつと蘇ってくる衝動。
これはやっぱりアレなんだろうか。初めて覚える種類の衝動故に判別が曖昧で、対象がゼノであることにも動揺から判断が下せずにいる。
だってそうだろう。およそ同性の友達に覚える衝動ではないはずだ。
その唇に触れてみたい、なんて。
「いやいや、ないだろ」
思考の中でさえ憚られる単語をすり替えてはみたけれど、首を振って声に出して否定する。考えを振り払いたかったはずの言葉は、効果を発揮することなく暗い森の奥に吸い込まれていく。
すると、応じるようにかさりと葉擦れの音が返ってくる。
「え」
音の返ってきた方を見やれば、黒い人影が浮かび上がる。誰もいないだろうと思い込んでいたので、思わぬ存在にびびって足を止めると、暗闇から現れたのはヴァージルだった。
「飛空都市は安全ですが、夜は何かと危険ですよ」
「ジルさん! 驚かさないでくださいよ、も~!」
「心外ですね、勝手に驚いたのは君じゃないですか」
「そ、そうですけど……」
風の守護聖ヴァージル。神出鬼没な印象はあるが、まさか夜の森から出て来るとは思わなかった。というか、灯りを持っている様子がないのに、今、森の奥から出てきたような。
「あぁ、夜目が効く方なんです」
「いやそれですむレベル?」
後方に広がる森の暗さに目をやると、気付いたらしいヴァージルから自己申告された。夜目が効くからと灯り無しに歩ける程度の闇ではなさそうだが……。人離れした身体能力の持ち主だからこそだろうと、深く考えるのをやめた。いろいろな意味でこの人はバース育ちのカナタから見て規格外だ。
「それより、何してたんですか、森の中で」
「何か含みを感じますが……、いいでしょう。走ってきた帰りです」
「森の中を?」
「流石にそれは朝にしますね。走り終えて聖殿に戻る道にしているだけです」
「森の中を」
聖殿の裏に広がる森は、深く広い。滝を持つ湖を湛え、果ての見えないほど広がる花畑をも内包する程だ。そんな森を夜、帰り道にと選ぶ基準がカナタにはわからない。口振りからして、今日だけたまたまではないのだろう。
もしかして夜目が効くのは、日々こうして鍛錬しているから……だったりするのだろうか。などと益体もないことをちらりと思った。
「俺としては、君が今ここにいることの方が不思議ですけどね」
「あ~、まぁ、ちょっとした、考え事、です」
「そうですか。考え事でしたら安全な聖殿内でするのをお勧めしますよ」
「そりゃまぁ、そうですけど」
例え安全な飛空都市とはいえ。言外に先程と似た様な注意を含ませた忠告に、頷く以外の術がない。バース全体が平和で安全だったわけじゃないが、カナタが生まれ育ったのはとても平穏な国だった。何事かあった際に、自力で解決できるとは思えない。
鍛えているヴァージルから見て不安が付きまとうのは、仕方ないことだろう。
「自室以外で一人になりたいという気持ちはわからないでもないですけどね」
忠告に従って聖殿に戻るかと息を吐き出したタイミングで、ヴァージルが小さく口にする。思わず見上げると、「なんですか」と顔に書かれているのが見えた。
その瞬間を、うっかりとか気が緩んだとか……魔が差したとか、言うんだろうか。
「キスしたくなるって、やっぱ好きってことですか?」
「……訊く相手が間違ってませんか」
思わず口走った問いに、表情の読めない声が返ってきた。それはそうかもしれない。
「そういうのはロレンツォにでも訊いてくださいよ」
「ぷつっとジルさんに訊くくらい煮詰まってんですけど」
「……なるほど」
初めての衝動に、自分の中でいくら探ってみても答えはそれかもしれないとしか出てこない。口にしてから気付いたが、相当煮詰まっていたんだろう。何せさっき「おやすみ」と見送ってくれた見慣れた笑顔にさえ。
言われなくても相談する相手ではないのはわかっている。それでも口から出てしまう程度には、悩んでいる。というか、この手の相談ができる相手が守護聖の中にいるだろうか。名のあがったロレンツォでさえ、失礼ながら適しているとは言えそうにない。
溜息交じりの進言に言い返したら神妙そうに首肯したヴァージルから不意に鋭い視線を向けられ、怯む。
「な、なんですか」
「ちなみに、彼女のことですか?」
「え? ……あ、お姉さんのことかな。違いますよ」
唐突な問いかけに、数拍理解が遅れた。視線に気圧された分もある。うっかり口走った「キスしたくなる」相手がピンクの髪の女王候補かと訊かれていると気付き、首を振った。青い髪の彼女を思いつかなかったのは、カナタ自身がそこまで親しくないからだ。
帰る術のないカナタを、親身になって支えてくれた女王候補。もちろん好きか嫌いかの二択なら回答は好きになるが、ゼノに覚えた衝動を彼女から受けたことはない。というか、呼びかけどおりに【お姉さん】という認識だ。家族のよう……とは言わないが、従姉のような親しみは感じている。
女王候補の仕事の内だと言われればそれまでだが、カナタがバースに残してきた家族や友達への未練に囚われ続けるのではなく、守護聖として宇宙を守る役目を受け入れることができたのは、ひとえに彼女のおかげだ。何事かあれば全力で助けたいとは思うが、好きだからという理由が第一ではない。
といったあたりを簡単に告げると、視線の鋭さがすっと消えた。納得してくれたのはいいが、もしかしてヴァージルは彼女をそういう意味で好きなんだろうかと疑問が浮かぶ。怖いので口にも顔にも出さないように気を付けなければ。
「ならいいですけど……いえ、だからどうってことでもありませんが」
「そうですね」
「……俺も、それに対する答えは持っていないということでいいですか」
「そうですね」
若干怪しくぶつぶつと呟くヴァージルに合わせ、同意しておく。咳払いしてからの当たり障りない回答にも同様に。むしろこの邂逅自体無かったことにして忘れてしまう方が良さそうだ。お互いの為にも。
カナタのうっかりは相手を特定しないが、ヴァージルの失言は確信が持ててしまう分、余計に。
「変なこと訊いてすみませんでした」
「いえ、こちらこそ」
ぺこりと頭を下げ、ヴァージルに背を向ける。煌びやかな聖殿を正面に見据え、改めて自室に戻るべく足を踏み出した。
途中ちらり振り返ると、片手で顔を覆い立ち尽くすヴァージルのシルエットが森の境目に浮かんで見える。
一つだけ確実に言えるのは、ヴァージルの恋敵にはならずに済むことに安堵した、くらいだろうか。
何も解決していないが、少しすっきりした気分でカナタは自室に戻った。とりあえず今夜は、帰りがけに渡されたゲームに追加してくれたという隠しモードを探すことにしよう。
うっかり口走った単語について考えるのは、また明日、ということで。
こめんと。
初書きカナゼノ。……カナゼノ??
自覚未満の最初の最初。
『初期』と明記してる理由はそのうちそのうち。
なんでヴァージルさんですかと言われそうですが、
条件にあってたのが彼でした、という理由です。
でもすまん、うちはジルアンではないのです。
(2021.6.4)