隠し事ひとつ
「ごめん。ゼノ。ほんとごめん」
カチャ、カタ、コトリ。ゼノの手元で発する硬質な音を掻き消して、カナタの必死な声が室内に響く。背を向けて座るゼノに向かって土下座の勢いで頭を下げ、何度も謝罪の言葉を投げかけるが、一向に返事をもらえない。
常と違い頑なに振り向いてもらえない背中が、話しかけるなと圧を放っているように思える。それでもめげずに言い訳と謝罪の言葉を何度も告げて、一体どれくらいの時間が経っただろうか。
「ほんとにごめん。言わなかったんじゃなくて、言いにくくて、その、折角作ってくれたのにって勝手に思って言えなくて、逆に傷つけちゃって、ごめん」
事の発端は、数日前。ノアと共に和食を振る舞ってもらった時の献立にある。
ノアを含めた3人での食事会は一ヶ月に一度の頻度で開催される、ちょっとした恒例行事だ。飛空都市に連れてこられて3週間程経った頃、カナタの為にとゼノが主催してくれた会が、今も続いている。当時、食欲減退していたカナタも人と一緒なら少しは食べるだろうと工夫してくれた一環で、たまには他の人も一緒の方が気分が変わるかもと思ったと、後に聞いた。
食事会のメニューはほぼ全てゼノの手料理。今までにも何度か和食を作ってくれたことはあったが、先日初めてかぼちゃの煮つけが出た。好きな食べ物については直接間接を問わずリサーチされたし、食べられない物については申告もさせられている。でも、嫌いな料理については、言った覚えも問われた覚えも確かになかった。
「ほんと、気が利かなくてごめん。甘い玉子焼きが嫌いだって言った時に、もっとちゃんと、甘いおかず自体が駄目なんだって言ってればゼノを傷つけることもなかったのにって、今更だけどすごく反省してる」
なんとかして謝罪を聞き届けてほしくて、言い訳を重ねる。どうしたらゼノに機嫌を直してもらえるのかわからない自分が、とても情けなくて堪らない。
玉子焼きについては、オムレツを作ってくれる際に複数挙げられた中に甘い物が入っていたので、流れで苦手だと伝えることになった。思い返してみなくても、ゼノはカナタの好みをことあるごとに確認してくれていたのに。
何故、苦手な物をちゃんと伝えておかなかったんだろう。後悔しても、ゼノを傷つけてしまったことはもう取り消せないけれど。
「オレ、ずっとゼノに甘えてばっかなんだよな。だから、ちゃんと言ってなかったんだ。大事なことは全部、ゼノにまかせっきりで……」
振り向いてくれない背中に掛ける言い訳が、底を尽きてきた。むしろ言葉にすればするほど自分が情けなさ過ぎて、これ以上無駄な足掻きをするのは情けないさえ通り越してみっともないというのではないだろうか。
もしかしたら愛想が尽きたのかもしれない。だから振り向いてもらえないのかもしれない。嫌われてしまったらどうしよう。こんなにも大好きなゼノから、今更離れるなんてできないのに。もういらないと好きじゃないと言われてしまったら。
――捨てられたくない。
瞬間、脳裏を過った想いに突き動かされ、振り向いてくれない背中に手を伸ばした。
……すると。
「うわっ!? え、なにっ?」
触れた瞬間、ゼノが飛び上がりそうな勢いでびくっと反応を返してきた。同時に、カナタの声だけが響いていた室内にゼノの驚きが響き渡る。それらにカナタも驚いたが、ようやく振り返ってくれたゼノの目は、まん丸になっていた。
「あれ? カナタ。いつ来たの?」
「え……? いや……」
「ごめん、全然気づかなかった。ちょっと待ってね」
カナタに気付いたゼノが、丸くした目を柔らかい眼差しに変化させて、疑問を口にする。口から零れた戸惑いを気にする様子もなく、持っていたドライバーを離した手を、顔の横に。
「え?」
「もしかして長く待たせてたかな。ドアが開いたらわかるような仕掛け作っておいた方がいいかな……」
「ちょ、ちょっと待って」
何事もなかったように体ごと向き直ってくれたゼノは、ドアに背を向けていたことでカナタに気付かなかったと早速改善策を立案し始めている。
――その手に、外したばかりの小型ワイヤレスイヤホンを弄びながら。
「待ってゼノ、もしかして、今までの全部聞こえてなかった……とか……はは、言っちゃうんだ……?」
「えっ、ごめん! 何か話しかけてくれてたんだ!? うわ~、ほんとごめんね。こないだカナタが勧めてくれた音楽聞いててさ」
「マジか……」
ゼノが頑なに振り向いてくれなかったのは、カナタの言葉が届いていなかったからではなく、そもそも声が聞こえていなかったから。今の対応からして、少なくとも話をしたくない程怒っていたわけではないらしいと悟る。
使っていたイヤホンはもちろんゼノ作で、カナタと色違いのお揃いだ。バースにいた頃欲しかった機能全部盛りと称しても過言ではないくらい高性能かつ、装着していても周りに気づかれないくらい小さい。当然後ろ姿じゃ気づくはずもないし、音漏れだってこの通り全くない優れもの。絡繰りがわかれば、らしくない頑なさと思ったのも納得がいく。
想定しかけた最悪の事態にはなっていなかったことに安堵し、力の抜けた体がその場に座り込む羽目になった。目撃したゼノが、慌ててカナタに手を伸ばしてくれる。
「カナタ、大丈夫っ?」
「うん、大丈夫……ちょっと、安心した……」
「あぁぁ、ごめん、俺が全然反応しないから、不安にさせちゃったんだね?」
支えるように二の腕を掴んだゼノが謝るから、力なく首を振った。謝りに来たのに、物理的に声が届いていないことを確認もせず延々言い訳を重ねていた自分のせいだと。
「言い訳?」
「うん。ごめん。ゼノを傷つけるつもりなんてなかったんだ」
改めて伝えると、ゼノは数回瞬きをした。それから、小首を傾げてみせるので、改めて言い訳を告げる。
先日の食事会で出してくれたかぼちゃの煮付け。伝える機会はいくらでもあったのに、苦手だと伝えなかったせいだと困惑していたら、気付いたノアがこっそり引き受けてくれたことを。それを隠していたから、ゼノを傷つけてしまったことを。
「……えっと……なんて言ったらいいか……」
「いいよ。なんでも……ゼノが言いたいこと、全部聞く。それくらいしか、できないし」
改めて頭をさげてごめんと告げると、ゼノが戸惑いながら声を掛けてくる。言い淀むくらいなら全部ぶつけてほしいと覚悟を告げるが、言葉の代わりに頭に降ってきたのは、優しい手だった。
柔らかく撫でられて顔をあげると、少し困った様に微笑むゼノと目が合う。
「じゃあ、どうして俺が傷ついたって思ったのか訊いてもいいかな」
「え? オレ、そう人づてに聞いて……」
「誰から?」
「……あれ、誰だっけ……?」
手と同じくらい優しい声に尋ねられて、はっきりしない記憶に自分で困惑した。誰かが、ゼノの様子がいつもと違うと言っていたのを聞いた覚えはある。でも、カナタが直接言われたわけじゃなかったような気がしてきた。傷ついていると明言されたわけでもなかったような……?
首を傾げたカナタに、ゼノが「うん」とひとつ頷く。
「結論から言うね。最近傷ついたことはないよ」
「ほ、ほんとに?」
「俺が言うんだから、間違いないよ」
太鼓判を押すように再度強く頷いてくれたゼノ。相変わらず彼が本気で誤魔化そうとしたら見抜ける自信はないけれど、これは信じていいやつだと思う。
隠し事をしたという罪悪感から、ゼノがいつもと違うように見えたという誰の証言かもわからない、噂のようなもので早合点してしまったのだろう。自分に呆れを覚えるものの、ゼノを傷つけてしまわなくてよかったと心の底から思う。
体に残っていた緊張が全部解けて、肺に貯め込んでいた空気が口から溢れていった。盛大に吐いた息に、ゼノが目の前で苦笑するのがわかる。
「心配してくれてありがとう。それから不安にさせてごめんね。でも、どうしてそんな勘違いしたんだろ」
「……それは、隠し事して、後ろめたかったから……」
「う~ん、カナタもノア様も隠せたと思ってそうだったから、俺も言わなかったんだけど……」
「ま、まさか」
「うん、そのまさか。気付いてたよ」
「マジで……」
ゼノの疑問に答えると、カナタが謝罪するに至った考えの根底そのものが間違っていたことを教えられた。カナタももちろんノアも、上手く隠せたと思っていたのに。
ということは、ゼノには届いていなかったとはいえ、完全に的外れで勘違いな言い訳を並べ立てるという、めちゃくちゃ恥ずかしい真似をしていたことになる。穴を掘って逃げたい衝動に駆られたものの、誰も聞いていなかったならノーカウントにしていいだろうか。
「いつも美味しそうに食べてくれるカナタが、何かを気にして箸が進んでなかったから。前に甘いオムレツも玉子焼きもダメだって言ってたの、それで思い出したんだ。かぼちゃも甘いから、もしかして……って」
「最初から全部気付かれてたんだ」
「うん。苦手なもの出して、ごめんね」
「いやっ、ゼノのせいじゃないし! 玉子焼きのこと言った時に、甘いおかず全般駄目だって言っておかなかったオレが悪い。ほんとにごめん。折角作ってくれたのに」
己の所業に凹んだら、ゼノがまた優しく頭を撫でてくれた。それから、気付いていた絡繰りを教えられ、自分がどれだけ見事に空回っていたのかを知る。恥ずかしい。
しかも、言わなかったのはカナタなのに、ゼノに謝らせてしまった。慌てて反論すると、手を止めてゼノが笑う。
「じゃあ、おあいこだね。この話はこれでおしまい」
「ゼノ」
「蒸し返したら、罰ゲームだよ」
どの辺がおあいこなんだろう、どう考えても言わなかった上に隠したカナタが悪い。でも、ゼノはこれ以上の反論を許してくれなかった。ちなみに罰ゲームはかぼちゃの煮つけを食べさせられるらしい。
でも、隠そうとしたのを気付いていて騙されてくれたのは、謝ることだろうか。隠し事をしたのはカナタだ。傷つけないようにとしたことでも、正直に告げる方が誤解を生まず潔かっただろう。今回は笑い話のような空回りで済んだけれど、もし、ほんとにゼノを傷つけてしまっていたら?
「……あのさ」
「ん?」
「隠し事しようとして、ごめんなさい」
「……うん」
ついさっき、捨てられてしまったらと危惧した時の冷たさを思い出した。
ゼノがあいこだと笑って許してくれたのは、苦手な物を言い出せなかったことだと思う。でも、それと、カナタがゼノに隠し事をしたこととは繋がらない、はずだ。蒸し返したことにはならないだろう。
だから、改めて頭を下げた。少しの間の後、ゼノは小さく頷いた。
「じゃあ、俺も言うね。ほんとはね、少し、淋しかったんだ。言ってくれればそれで済むのにって。でも、カナタもノア様も優しいから、言い出せないんだなって思ってた」
「ノアさんのは優しさだけど、オレのは違う。自分が先に言わなかったからだって、言えなかっただけだし」
「言ったら俺が傷つくと思ったんでしょ? 充分優しさだよ」
ゼノが決意したように教えてくれた心情に、情けなさを不甲斐なく思う。庇ってくれるゼノに首を振って、保身の為だと吐き捨てた。
傷つけたくないんじゃない、傷つけて嫌われたくなかったんだと。
聞こえてるだろうに、ゼノは何も言わなかった。代わりに、優しく抱きしめてくれる。
「ゼノ」
「……それを言うなら、俺だって同じだよ」
「なんで」
「2人が隠したのに気付いた時、言えばよかったんだ。『苦手だった? ごめんね』って。でも、言わなかった。隠してくれてるから、気付かないフリしてればなかったことにできるのかなって思っちゃったんだ」
カナタがかぼちゃの煮つけを苦手なことを2人が隠すなら、ゼノが振る舞った手料理の中に、カナタの苦手な物はなかったことになる。その言い分は間違ってないと思う。優しいゼノなら苦手な物を出したのは自分のリサーチ不足だと考えそうだから、なかったことにできるなら……と思い至ったのかもしれない。なんとなくしっくりこなくても、本人が言っているのだし。
だけど、元はといえば機会があったのに、苦手だと伝えていなかったカナタに原因がある。
が、それはもう蒸し返すなと言われていて口にできない。反論できずに言葉を飲み込んだことに気付いたんだろう。ゼノが小さく笑った。カナタの肩に頬を摺り寄せながら。
「カナタが言わなかったのが悪い? 訊かなかった俺が悪い?」
「それ言っちゃうの?」
「あはは、でも、わかんないでしょ? だから、おあいこ。ね?」
究極の二択だ。答えは恐らく延々と平行線を辿るに違いない。ゼノは全部わかっていて、最初からあいこだと言ってくれたんだろう。頭があげられない。
「でも、ノア様には内緒ね」
「あ、うん。わかった」
体を離し、唇に人差し指を添えて告げられたゼノの提案に、こくりとひとつ頷いた。苦手と言い出せないカナタと、苦手と知らないゼノ。2人の為に優しさを添えてくれたノアには確かに告げられない。隠し事は良くないと思ったばかりだけど、保身の為の嘘じゃないから暴く必要はないだろう。
満足げに頷き返してくれたゼノが、立ち上がって床に散らばったドライバーや作成途中の材料なんかを拾い上げる。
「じゃあ、改めて聞かせてもらおうかな」
「何を? ていうか、何作ってたの?」
「カナタが他に食べられない物をだよ」
ゼノの手から溢れたパーツを拾い上げながら尋ねたら、ひとつしか答えてもらえなかった。教えられないような物を作ってるんだろうかと、手の中のパーツを見つめてしまう。
すぐ傍でゼノが笑う声が届く。
「ちゃんと答えるよ、カナタが教えてくれたらね」
「交換条件?」
「俺としては順番のつもり。カナタが先に言っちゃうから狂っただけ」
「あ、そうか」
納得できてしまったので、甘いおかず全般が苦手だと回答した。あと、甘すぎるものも。了解と返してくれたゼノも、何を作ろうとしていたのかの回答をくれたけれど。
「最初は2人で聴けるように二対のイヤホンでも作ろうかなって思ってたんだけど、みんなで聴けるようにイヤホンだけどスピーカーにもなるものの方がいいかなって、弄りながら考えてたところ」
結局、どっちつかずで手遊びになってただけなんだと笑っていた。
こめんと。
11作目のカナゼノ~。
かぼちゃの煮付けの話はいつか書こうと思ってたんですが、
ノアがこっそり食べてあげたという話をしてくれたので、
じゃあカナゼノ的にはこんな感じかな!!
と、書いてみました。どうですかね?
今回はちょっと雰囲気を変えて。
と見せかけて、そんな変わってないやつ。
タイトル「ひとつ」ですけど、いくつ見つかりました?
(2021.7.31)