初めての衝動(中期)

 先日、夜の森で出会ったヴァージルに口走った一言については、気の迷いだと結論を付けておいた。深く考えると墓穴を掘りそうな気がしたので、ひとまずなかったことにしておこうと。当然ながら、相手の失言も邂逅の記憶と共に闇に放り込んでおいた。
 翌日、聖殿の廊下でゼノとすれ違った時は流石にどきっとしたけれど、それ以降は特に妙な衝動を覚えることなく過ごせている。今も、ゼノの私室で週末恒例のお泊りゲーム会の真っ最中。土の曜日の昼過ぎにどちらかの私室を訪れて、ゲームをしたりおやつを食べたり、バースで友達と過ごしていたように気の休まる時間を過ごしている。
「――って、オレは思うんだけど」
「そっか。確かにプレイ中はその方が操作しやすいかも! すぐ対応するからちょっと遊んで待ってて!」
「あ、うん」
 開発中だという新作ゲームを出してきてくれたので、テストプレイをした感想を伝えたら、ゼノは作業部屋の方に走っていってしまった。ゼノの私室はあちらこちらにモノづくりの材料が転がっているので、走るのは危険じゃないかと前から心配している。転んだりしないだろうか。
「あ~でも、そしたら口実になるかも……って、なんの!?」
 手が届く範囲内だったら助けられるのになと思ったのに、口から出たのは全然違う言葉。耳から入ってきた自分の声に、自分でびっくりしてしまう。
 口実って一体なんのだ。何をするつもりだ。
 闇に葬り去ったはずの、口走った件か? いやでも、転びそうなところを助けてソレというのは無理があると思う。走ってきて出会い頭にぶつかってというのなら、マンガとかで見た覚えがあるけれど。
 いや待て。ソレは記憶から抹消したので、多分口実とは結びつかないはず。抹消できてるならなんで思い出せるんだと反論が浮かんで、頭を抱えたくなった。
 君子危うきに近寄らずということわざがバースにはある。今口走ったことも闇に葬ろう。そうしよう。
 ゼノが現在開発中のゲームは前作と同じ、FPSものだ。前作はスタンダードな銃撃戦をテーマにしていて、定期的にアップデートされている。元から敵の出現ポイントやタイミングはランダムに処理されているけれど、ある程度パターンが決まってしまうからと、そもそもの演算数値を書き換えてくれているらしい。アップデート後はステージギミックも変更されていて、至れり尽くせりすぎて感動するレベル。
 なのに、「同じ内容じゃ飽きちゃうよね?」と言って、全く別バージョンのゲームを開発してくれているのだ。今回は殺伐とした銃撃戦ではなく、逃げ出した動物を捕まえるという少しファンシーなテーマになっている。操作自体は同じだが、銃弾ではなく光の網を放つ武器を構える仕様だ。
 アイディアといい制作時間といい、一体どこから捻出しているんだろう。謎だ。徹夜については気を付けてくれているようなので、謎は深まるばかり。もしかして寝ながら作っていたりして、なんておよそ現実的ではないことを思いついてしまうくらいに。
「おまたせ! アップデートするから一度落としていいかな」
「あ、うん。よろしく。つか、早くね?」
「そうかな? ちょっと弄っただけだから」
 晴れやかな笑顔で駆け戻ってきたゼノ。頷きながらコントローラーを手放すと、接続したキーボードの上で素早く指を滑らせる。まるで指でステップを踏んでいるような軽やかな動きに、つい見惚れてしまった。
「ゼノの指、どうなってんの?」
「え?」
 思わず疑問を声に出してしまった。聞こえたゼノが顔をあげるが、指は止まらず踊っている。画面から視線を外しているのに、何故そのスピードが保てるのか。キーボードに親しみのないカナタからしたら、信じられないものを見る思いだ。
「う~ん、慣れかなぁ?」
 軽く画面を確認しつつ回答してくれるゼノは、本人が言う『何もできない』ようには全然見えない。少なくともカナタには真似できないと伝えてみたが、「カナタも慣れたらすぐできるよ」と微笑まれてしまう。練習して慣れたところで、その速度やよそ見は無理だと首を振っておいた。
 見られていても特に気が散ることはないようなので、遠慮なくその流れるような指捌きを眺めさせてもらう。見て習得できるものではないが、なんとなく目を離し難くて。といっても、すぐに処理が終わってしまったけれど。
「よし、できた。修正したのに繋ぎ直したから、試してみてくれる?」
 キーボードの接続を解除したゼノが、コントローラーを手渡してくれる。思わずこの指が今軽やかな動きを……とまじまじと見つめてしまった。
 カナタと手の大きさ自体はほとんど変わらないが、ゼノの方が少し指が細いように思う。グローブに覆われていない指先には細かな傷が散見できて、モノづくりの最中によく怪我をするんだと笑っていたことを思い出した。
 それから。
「カナタ? どうかした?」
「え!? あ、いや、ゼノの指、結構傷あるな~って」
「あ~、これね。考えごとしながら工具とか弄ってる時、つい滑らせちゃって」
「そ、そか。危ないし、気を付けて」
「うん。心配してくれてありがとう」
 無言で見つめるカナタに、ゼノが不思議そうな声を掛けてくれる。我に返って、直前に思ったことを告げると、苦笑混じりの言い訳が返ってきた。反射的に返しながら手を伸ばし、コントローラーを受け取る。
 さほど大きくないコントローラーなので、ゼノの指にも触れる羽目になった。心臓が跳ねたように思えて、その反応自体に驚く。いやいや、さっき受け取った時だって手渡しだったのに、今更何を意識してるのか。
「指摘されたところを改善するついでに、こっちのUIもちょっと手を加えてみたんだ。それも感想聞かせてほしいな」
「う、うん。わかった」
「よろしくね!」
 カナタの様子には気付かず、ゼノからオーダーが告げられる。少しぎこちなくなってしまったが頷いて、ゲームをリスタートさせた。なんとなくゼノの顔を見れないが、画面を見ていれば誤魔化しが効くのでありがたい。
 キーボードの上で踊る指先に魅了されたせいだろうか。ゼノの指に触れたことを、殊更強く意識してしまっているような。まだ少しどきどきしている心臓は、きっとそのせいだ。そうに違いない。さっき、触れたらどんな感触なんだろうと思ったのも、傷だらけなせいだ。
 だって、ゼノは親友で、手が触れたって、意識するようなことじゃ。
「……悔しいな」
「え、え? ゼノ?」
「今カナタが簡単にクリアしたところ、一緒に意地悪な方に調整してきたんだよね」
「あ、そう、なんだ?」
「カナタ、ほんとに上手いよね。負けてられないな」
 誤魔化すようにテストプレイに集中していたら、突然ぽつりとゼノが零して意識を向ける。スタンバイ画面に切り替えてからゼノを見れば、緩く曲げた指を口元に触れさせて考えに没頭している様子。
 視線を誘導されたように見つめてしまい、ハタと気が付いた。
 一体何を見てるのか、と。
「難易度、調整すんの?」
「うん。簡単すぎるとつまらないよね?」
「クリアできないくらいの難しさも困るけど」
「ぎりぎりのところを狙うって難しいね……」
 ゼノの指先が滑って、下唇を押し潰すような形になった。動揺を隠しながら応じているけれど、調整案を考えているゼノには気付かれずにすんだようだ。
 まだ見ていたい気持ちを無理やり押し込んで画面に向き直り、テストプレイを再開した。集中してプレイする振りをしながら、今しがた気が付いたものはやっぱり気のせいだと自分を押し切る。
 難易度を調整した箇所は他にもあり、集中しなければ進めなかったことが幸いした。手間取りながらも辛うじてクリアした時には、自動的に記憶から流れていたから。
 その口元にも、指にも、触れてみたいだなんて一連の衝動は。




+モドル+



こめんと。
13作目。カウントしてるのは自分の為。
最初に書いた『初めての衝動(初期)』の続きです。
初期・中期ときたので、そうです、まだ続きます。
つか、これ自体に後編を作ってもいいレベルかな……。
(2021.8.6)