召し上がれ!

 いい匂いがして眠りから覚めた。ほんのり甘くて、優しい匂いが少し離れたところから漂ってくる。無意識に吸いこんでしまうくらいに美味しそう。何の匂いだろう。
 クッキーやカップケーキのようにも思えるけれど、少し違う気もする。記憶の中のどれにも該当しないことに、好奇心をくすぐられてしまった。
「あれ、カナタ……?」
 目を開けると、隣にいると思っていたカナタの姿がなかった。手を伸ばしてシーツを撫でてみるけれど、体温の名残は感じられない。いつもは遅刻しそうな時間でもない限り、お互いに相手が目を覚ますのを待っているのに。
 珍しいと思うのと同じかそれ以上に淋しさを覚えて、苦笑する。遊んでいたら日付の変わる頃になってしまったから泊まっただけで、体を繋いだわけでもないのに。いや、逆に『だから』なのかもしれない。深く繋がれてないならせめて隣に居て欲しかったのに、と。
 カナタの寝顔を見るのが好きだ。健やかな寝息を立てている姿は安心するし、可愛いなと思う。召致されたばかりの頃は夢見が悪いと言っていたし、実際悪夢にうなされている姿も見ているから、余計に安心するのだろう。
 恋人になってからはうなされている場面に遭遇したことはないので、自分の存在がカナタの安定に役立っているのかなと、こっそり嬉しく思ってもいる。だからこそ、寝顔を見るのが好きなんだろう。もちろん、ゼノの存在だけじゃないとわかってはいるが、思うだけなら自由なはず。
 それに、指先でこそっとくすぐってみた時の反応も堪らなく可愛くて。むずかるように小さく頭を振る様はもう、食べちゃいたいくらい。耐えられずに口付けて起こしてしまうこともあって、カナタには「ほんとにやめて、マジ危ないから」と何度も訴えられている。我慢しきれないことの方が多いから、何度も。
 逆に、カナタからいたずらで起こされるということはあまりない。ちゃんと寝てるか心配されている延長なのだろう。せいぜい頭をそっと撫でられるとか、柔らかく抱きしめられているとか、それくらいだ。目を覚ました時に向けられる眼差しがどこまでも優しくて、幸福に包まれるってこのことを言うんだろうなといつも思う。
 いい匂いがするのは、恐らくカナタが食べ物を用意しているからだろう。お腹が空くのは仕方ないけど、離れるなら起こしていって欲しかった。なんて貪欲に思ってしまう。それがカナタの優しさだとしても。
「おはよう、カナタ。いい匂いだね」
「あ、ゼノ。おはよ」
 頭を軽く振って淋しさを追い出し、ベッドを降りて匂いを辿る。行き着いたのはキッチンで、こちらに背を向けるカナタは、コンロの前で軽く俯いて立っていた。
 声を掛けると、真剣な顔でカナタが振り返って応じてくれる。でも、すぐにコンロの方に視線を戻してしまった。火加減を気にしている……の、だろう。
「ごめん、もうちょっとでできるから、座って待っててくれる?」
「うん。何、作ってくれてるの?」
「えーと、できてからのお楽しみ」
「え~? なんだろうなぁ」
 理由は推察できたし、真剣に作っているのはゼノの為のものでもあると窺える言葉も掛けてくれた。なのに、さっき振り払ってきた淋しさが這い寄ってきたのは……。
 勧めに従って席に座りながら、気付かれないように苦笑を零す。貪欲だなぁと。
 カナタはよく、「ゼノばっかり余裕でずるい」と言う。カナタからそう見えるのは、自分を見せないことにゼノが慣れてしまっているからだ。染み付いてしまった仕草が、余裕のあらわれと捉えられているのだろう。
 大人しく従ったけれど、ほんとは振り向いてくれない背中を抱きしめたいし、キスして意識をこちらに引き戻したい。まだゼノの元に来てくれないのかなとそわそわしているんだって口にしたら、余裕なんてないって伝わるだろうか。驚かれはしても、カナタは受け入れてくれる。それは、ちゃんとわかっているし、伝わってきてもいる。
 だけど、どうしてもできない。聖地に召致されてから、カナタが気付かせてくれるまでの、そんなに長くはないはずの習慣が、どうしても剥がせない。
 もちろん、逃れる為にゼノも足掻いているし、努力もしている。カナタ相手になら、我儘も言えるようになってきた。だけど、自分で掛けた呪縛を解くのには、まだ時間が必要だろう。先が長すぎて、達成する頃にはカナタの方が余裕を獲得していそうだ。
 少し未来の2人を想像して淋しさを慰めていたら、「できた!」と嬉しそうな声が響いてきた。
 座ってからずっと見つめていた背中が見えなくなって、代わりに笑顔のカナタと目が合う。嬉しいと、心が素直な想いを溢れさせた。
「お待たせ、ゼノ」
「うん、待ってた。それより、何ができたの?」
「へへ、これこれ!」
「これって……パンケーキ?」
 足取り軽くカナタが運んできてくれたのは、狐色に焼けた厚みのある円盤状のもの。皿の上に2枚重ねられ、てっぺんに載ったバターが芳醇な香りを広げながら今まさに溶けている最中。つられたように、ゼノのおなかがくぅと主張してみせた。
「あ~……あんまり違いわかんないけど、これはホットケーキ」
「確かに、違いよくわからないね」
 目の前に置かれた皿を見つめて、カナタの苦笑混じりな説明に頷いた。突き詰めれば材料が違うとか誕生の経緯が違うとかあるのだろうが、食べるだけならどちらでも構わない。重要なのはどちらも美味しいことで、今に限定すればカナタが作ってくれたことが最重要だ。
 ただ、ひとつ気になることがある。
「カナタ、それで足りる?」
「ん。オレにはちょっと甘いしね」
「砂糖減らせばよかったのに」
「いや、できないやつだから」
 ゼノの前に置かれた皿には、大きなホットケーキが2枚重ね。向かいのカナタの皿には、1枚しか載っていない。カナタの分を奪ってしまったのではないかと危惧したら、苦笑混じりにカナタがようやく説明をくれた。
 小麦粉やベーキングパウダーを混ぜて作ったのではなく、ホットケーキミックスという便利な材料を使ったそうだ。カナタの故郷ではごく一般的な物で、卵と牛乳を混ぜるだけでタネが作れるらしい。
「お姉さん、酔っぱらって通販ですごい数頼んじゃったんだって」
「すごい数って、どれくらい?」
「なんか、こんくらいの段ボールで2つ?」
「え!」
「レイナにすっごい怒られたって凹んでた」
 手振りでカナタが示したのは一抱えもあるサイズ。その中にホットケーキミックスなる材料が詰まっていると考えると、青い髪の候補が怒るのもわかる気がする。カナタは他人事だから笑っているが、あまりにも多すぎる材料の行方が気になって、ゼノは笑うどころではない。
「流石に個人で捌ける量じゃないから、次の日の曜日に公園で配るんだって」
「あ、そうなんだ。良かった、無駄にならなくて済むね」
 困惑しているのに気付いてくれたんだろう。安心させるように、カナタがその先を教えてくれる。ほっと息をついたら、カナタが手を伸ばして頬を軽く撫でていく。
「ゼノ、ほんと優しいよね」
「えぇ? 今の話からどう繋がったの?」
「オレは笑い話だと思ったけど、ゼノ、心配したでしょ」
 不意の接触と、愛おしさを告げる眼差しにどきどきさせられながら、疑問を口にする。触れる手に頬を摺り寄せたい衝動に駆られたけれど、実行する前に離れていってしまった。残念。
「で、これならオレでも作れるし、先に少しもらってきたってわけ」
「俺の為に?」
「いや、オレの為でしょ。オレだってゼノに作ったもの食べてもらいたかったから」
「じゃあ、俺の為だね」
 説明を結ぶ言葉に、ちょっとだけ欲を出して訊いてみた。ちょっと照れたように早口で応じるカナタが可愛くて、気持ちと伴う行動がとても嬉しい。
 笑顔で断言したら、カナタが悔しそうな顔をした。あ、今絶対「ゼノばっか余裕でずるい」って思ってる。隠されない想いが可愛くて愛おしくて、今すぐに抱きしめてキスしたい衝動を覚えた。行動に移したらその先まで求めてしまいそうだから、今は我慢する。
 ゼノの為に作ってくれたホットケーキも、溶けたバターが染み込んで早く食べてと空腹を刺激する匂いをさせていることだし。
「食べていい?」
「あ、うん。もちろん……め、召し上がれ?」
「ありがとう。いただきます!」
 尋ねると、少し自信なさげに応じるカナタ。味や出来栄えに対してではなく、言い慣れない言葉を口にすることに対してのように感じ、自然と口元に笑みが浮かぶ。
 2枚重ねのまま一口サイズに切り分けて口に運ぶ間、カナタの強い視線を感じた。うまくできてるかと気にしているのが伝わってきて、堪らなく愛しいなぁと思う。
 バースにいた頃から自分で料理をすることは滅多になかったと言っていた。材料を混ぜて焼くだけのホットケーキでも、恐らく簡単にとはいかなかっただろう。なのに少し早く起きて、ゼノの為に作ってくれた。そんな相手を、愛しく思わないわけがない。
「すごいふかふかしてる。美味しい」
「ほんと? よかった……ってまぁ、ホットケーキミックス使ってるし、当たり前だけど」
「当たり前じゃないよ。慣れない作業、大変だったでしょ」
「まぁ……、ゼノみたいに手際よくはできなかったけどさ。味は保障されてるし」
 随分ホットケーキミックスに信頼を寄せてるなと思ったら、バースでは世界中で重宝されているという。しかも、ホットケーキ以外のお菓子作りにも使えるのだそうだ。とても便利なようで、バース以外では売られていないのが少し惜しいかもしれない。
 日の曜日の前に、ゼノも少し分けてもらおうかなと思いつく。これもカナタの故郷の味と言えるだろうから。
 それに、他にも応用できるという部分に興味もそそられてしまったし。
「バースって、美味しい物がたくさんあるんだね」
「ゼノが作ってくれる料理だってすっげー美味いって」
「ほんと? 嬉しいな」
 ゼノの故郷と同様に辺境にある惑星。だけど全く異なるバースに関心したら、カナタが真っ直ぐにゼノを見据えて力説してくれた。くすぐったさに、心が震える。
 もちろん、誰の為であっても、料理をする時はいつもだけれど。カナタの為に作る時は、特に強く「美味しく食べてもらえますように」と願いながら作っているから。カナタが美味しいと言ってくれるのは、何より嬉しい。
「美味いだけじゃなくて、オレの好みにあわせてくれるのとか。なんか、すげー愛されてるなって思っちゃうし」
 照れくさそうに頬を掻きながら言うカナタ。料理を介して愛情って伝わるんだなぁなんて思って、気が付く。
「じゃあ、今も」
「え?」
「俺の為に作ってくれたの、愛されてるからだよね?」
「ッ! そ、それ、面と向かって訊く!?」
 自分には甘いと言いながらも作ってくれたのは、今カナタが口にした言葉をそっくり返す形になる。指摘すると、頬を真っ赤に染めて睨まれてしまう。もちろん、全然怖くない。
 その様を間近に見て、もうひとつ気付いたことがある。
 好きだと言ってくれたカナタを、ゼノは随分と長い事待たせてしまった。答えを出すまでにカナタからもらった好意は、それこそ抱えきれないほどたくさん。だから、カナタは与えることに慣れてしまって、受け取ることに不慣れなのかもしれない。
 ゼノが、本心を隠すことに慣れてしまったのと同じように。
「大好きだよ、カナタ。だから今夜も俺の愛情たっぷり食べてね」
 なら、ゼノがすることは決まってる。今度は与えられることに慣れてもらわなければ。
 カナタが、時を止めていた心を動かしてくれたように。
「ゼノ……その言い方、なんか、ちょっと……」
「え、何か変だった?」
「……料理より、ゼノが食べたくなるっていうか」
 心からの笑顔で告げたら、何故かカナタがちょっとたじろいだ。控えめに申告してくる様も愛おしくて、手料理を食べた分ブーストでもかかってるのかな、なんてちょっとだけ愉快になった。
「いいよ。カナタが食べたいだけ」
 カナタの愛情ホットケーキを頬張りながら、応じる。向かいの席で咽ている君が堂々と受け取ってくれる頃にはきっと、自分の呪縛ももっと解けているだろうと予感しながら。




+モドル+



こめんと。
15作目。たまにはゼノ視点。
カナタ視点が多いのは、書きやすいのと、
ゼノ可愛いゼノ可愛いゼノずるい!!
って思ってるカナタが可愛くてたまらないからです。
ゼノの余裕は培われてしまったモノかなとか
思っていたりなんだり。
ちなみに全然違う話書こうとしてたんですが、
朝ご飯に自分でホットケーキ作ったんで……(笑)。
(2021.8.12)