何に見える?

「おはよう、カナタ」
 ゼノの私室に泊まった朝、目を開けると柔らかく笑う顔が目の前にあった。なんか近い、と微睡んだままの頭で思う。あと、首筋の辺りが妙にくすぐったい。
「今日は早起きだね」
「……あー……うん、起きた。起きたからここで終わって」
「おはようのキスだけしていい?」
「……舌、入れないならいいけど」
「大丈夫だよ。ありがとう」
 何故かちょっと残念そうな響きをもった声で告げられて、なんだろうとぼんやり考えた。朝、ゼノ、くすぐったい、近い、とキーワードが脳内をぐるりと一周する間のあと、はっと気が付き、予防線を張る。頷いてくれたゼノが尋ねてくるので、警戒しながら答えを返した。
 危ない。くすぐったかったのはいつものゼノのいたずらで、もうちょっと目が覚めるのが遅かったら、朝から何してんのと言わざるを得ない濃厚なキスをされるところだった。
 礼を口にしてから顔を寄せてくるゼノ。絶対侵入させないと固く唇を結んで構えたけれど、ちゃんと触れるだけで離れていってくれた。ほっとして唇を緩めて息を吐きだしたら、頬にもぬくもりが触れる。
「朝ごはん、何食べたい? お腹空いちゃったから、あんまり時間のかかるものじゃないといいな」
「ん~……なんも思いつかないかも」
「そう? じゃあ、あるもので何か作ってくるね」
「ん、よろしく」
 離れたぬくもりから問いかけられて、少し考えて答える。目は覚めたけれど、体の方はまだ少し微睡から抜け切れてない。加えて短時間で作れるものも思い浮かばなかったので正直に答えると、ゼノはひとつ頷いてベッドを降りキッチンに向かっていった。
 体を起こしながらその後ろ姿を視線で追いかけたら。
「あ、ゼノ」
「ん? 食べたい物浮かんだ?」
「……ハムよりウィンナーが食べたいかも」
「それなら、ゼフェル様からいただいたチョリソーがあるよ」
「え? それオレが食べていいの?」
 反射的に呼びかけはしたけれど、告げるのがもったいない気がして、咄嗟に思いついたことを口にしていた。妙な間が空いたが、ゼノは気にしないでくれたらしい。応答にほっとしたが、告げられた名前に戸惑い、確認してしまう。
 ゼノが尊敬している、神鳥の鋼の守護聖。同じサクリアの守護聖同士で趣味もあうからか、頻繁にメールなどでやりとりをしていると聞いている。だから、次元回廊を超えて贈り物が届いても驚きはしないが、それをカナタに食べさせてしまったいいのだろうか。
「もちろん。ゼフェル様から『カナタと食え』って頂いた物だから大丈夫だよ」
「なんでゼフェル様からその言葉が出てくんの?」
「カナタがお肉好きだって話をしたからかな」
「マジで? ゼノ、そんな話してんの?」
 疑問が疑問を呼び、最終的にはぎょっとさせられた。余所の守護聖に伝わる話がよりによって肉が好きってどうなんだろう。新米なりに執務をがんばってるなどの報告ならともかく、好物の情報は相手に必要だろうか。反応に困った末の贈り物だったりしないかと、カナタの方が妙に焦る。
 もっとも、当のゼノは笑顔のまま、気にしている様子がない。
「大丈夫、寝顔が可愛いこととかは言ってないよ」
「言う必要なさすぎでしょそれ」
「それは俺だけが知っていたいしね」
「……出たよゼノの殺し文句……」
 問いかけにも笑顔で応じられ、思わず苦笑。でも、ゼノの独占欲が垣間見えて悪い気はしなかった。他の人といることにカナタがやきもきさせられることはあるけれど、ゼノが同じように感じているとは聞いたことがなかったから。
 笑顔だけ置いて改めてキッチンに向かうゼノを、今度は呼び止めたりしなかった。見えなくなるまで後姿を見つめていたけれど、さっき思いとどまってよかったと思う。
 ゼノの後ろ髪に、盛大な寝癖がついていた。
 てっぺんあたりで左右共にぴょこんと飛び跳ねてるのに気付いて言おうとしたのだが、長い後ろ髪と合わさるとなんだか動物のようで。ちょっと可愛いなと思って、言うのをやめた。歩いてもほとんど揺れないてっぺんのハネと、背中で微か揺れる後ろ髪の対比が更に動物らしさを再現しているというか。
 ゼノの髪は硬めだから、動いても寝癖をキープしてしまうのが原因だろう。元々ハネやすく毎朝苦労していると言っていたから、直そうとしない限り戻らないはず。
「今日、休みだし。もうちょっとあのままでもいいよな?」
 寝間着から着替え、昨夜汚したシーツを取り換えながら、ぽつりと零す。少なくとも食事が終わるまで部屋を出る予定はないので、すぐに教えなくても問題はないだろう。
 頭頂より少し下がったあたりでハネているせいで、正面からは見えなかった。ゼノが身支度を整える為に鏡を見ても気付かない可能性が高いので、出かける支度をするまでには教えてあげようとは思う。だから、もう少し堪能させてもらいたい。
 だって連想される動物が、猫だったから。
 外したシーツを脱衣所にあるゼノ作小型洗濯機に放り込みスタートさせ、キッチンに向かう。コンロの前に立つゼノの後ろ姿は、やっぱり頭に猫を載せてるように見えた。
 音は聞こえないが、鼻歌でも歌っているんだろうか。リズムに合わせたように頭を軽く左右に揺らしているので、後ろ髪がご機嫌アピールをしている尻尾に見えてしまった。
「ゼノ」
「もうちょっと待っててね、カナ、タ?」
「可愛い」
 近づいてから呼びかける。火を使っているからちらりと振り返るだけに留めたゼノが、応じる言葉尻に疑問符を付けた。猫好きのカナタが耐えられずに頭を撫で始めてしまったせいだ。
「えっと、危ない、よ?」
「あ、ごめん」
 戸惑いながらも注意だけを促してくるゼノに、唐突過ぎたと謝る。同時に手を離すけれど、もうちょっと撫でたかったなと物足りなさを覚えた。お風呂あがりに濡れたゼノの髪を拭くことはあっても、乾いてる状態で撫でることはあんまりないから。
 見た目はふわふわしていそうなのに触ると軽い反発を受けるのも、髪の先が手のひらに微か刺さるような感触も、なんだか楽しい。猫にも硬い毛質の種類がいたはずだから、撫でたらきっとこんな感じじゃないだろうか。
「どうしたの?」
「や、なんか、触りたくなって」
「そう? でも、俺の髪硬いから、触り心地よくないでしょ」
「そうでもないよ。なんか楽しい」
 ゼノの疑問はもっともだ。でも、寝癖のことを伝えて直されてしまうのがやっぱり惜しいので、もうちょっとだけ隠しておくことにした。苦笑混じりの申告には、正直に答える。カナタの髪は柔らかい方だから、異なる感触が楽しいのは事実だ。
 だけど朝食の支度をしてくれているゼノの邪魔をするのは本意ではないので、程々なところでやめておいた。足りない分は、食べた後にさせてもらえばいいから。
 料理の手伝いはできなくても、テーブルセットくらいはできる。ただ、ゼノから礼を言われるのだけが不可解だ。他にできることはないので、邪魔にならないよう先に座らせてもらう。
「お待たせ!」
 ゼノが用意してくれたのは、ゼフェルからもらったチョリソーをメインに据えた洋風プレートだった。カナタの前に置かれたのは皿には、行儀よく3本並んだチョリソー、スクランブルエッグ、こふきいも、ほうれん草のソテーがバランスよく添えられている。テーブル中央には斜めに切ったバゲットを入れた籠。
 ただ気になるのが向かいのゼノの席に置かれた皿には、チョリソーが1本しか入っていないこと。代わりにソテーされたハムが一切れ入っている。ほうれん草と一緒に炒めたのだろうと窺えるが、どうしたんだろう。
「ゼノ、数おかしくね?」
「……んっと……辛いかな~……って」
「察し。じゃあ遠慮なく」
「うん。カナタが食べてくれたら嬉しい」
 以前、好物は辛い物だとゼノが困り顔で言っていたゼフェルから贈られたチョリソー。辛い物が得意とは言えないゼノが持て余す辛さの可能性は、確かに高そうだ。
 いただきますと挨拶してから早速一口齧り付く。スパイスが良く効いていて確かに辛いが、カナタなら美味しく食べられる程度だった。
 感想を告げると、ゼノがよかったと笑顔になる。
「今の感想、あとでゼフェル様にお伝えしてもいい?」
「いいよ。あ、お礼も一緒に頼んでいい?」
「もちろんいいよ!」
 笑顔で請け負ってくれたゼノは、チョリソーを一口齧って目を白黒させた後、少し噎せていた。どうしても駄目なら引き受けると声を掛けたが、礼だけを返して黙々とがんばって食べきったゼノ。ちょっとだけ面白くないと思ってしまったが、カナタがもしリュミエールから甘いお菓子をもらったと考えたら、納得がいった。
 バゲットの一枚さえ残さず食べきり、ゼノを説得して後片付けだけはとさせてもらって。先にソファに座ってタブレットを弄っていたゼノの元へと向かう。
 ちょうど背もたれの上に猫が座ってるように見えて、またも呼びかけるだけで撫でてしまった。
「どうしたの? いつもは撫でたりしないのに」
 嫌がられはしなかったが、不思議そうに尋ねられる。ようやく寝癖のことを白状すると、ゼノはちょっとだけ頬を赤く染めた。
「うわー、ほんとに? さっき鏡見た時、今日は大丈夫だって思ったのに」
「うん、正面からだとわかんないね」
「すぐは外に出ないからって、しっかり見なかったからなぁ」
「でも、すっげー可愛い」
 照れくさそうに言うゼノに力説してしまった。ちょっと驚いてから、ふわっと笑ってくれる。眉尻の下がった笑顔。
「カナタが喜んでくれたなら、今日はいっか」
「はー、ゼノ可愛い。大好き」
「俺も大好きだよ、カナタ」
 溢れる想いを零してから頬に口付ける。いつものように返してくれたゼノが、少し考えてから同じように頬に触れた。
「え、今の間なに?」
「口にしたいけど、一回じゃ終わらないかな~って」
「なにそれ可愛いが過ぎる」
 気になって尋ねると、予想外の答えが返ってきて悶絶しそうになった。反射的にゼノを抱きしめたくなるけれど、ゼノが堪えた努力を無下にしてしまいそうなので、カナタも堪える。
 気付かれたんだろう。ゼノが小さく笑った。
「我慢は体に悪いから、一回だけね」
 そう言って、唇がちょっとだけ触れ合う。それならと、抱きしめたい分は手を繋ぐことで代替することに。
「カナタ、可愛いなぁ」
「ゼノのが可愛いくせに何言ってんの」
 頬を染める色を少しだけ濃くしながら、ゼノが笑う。お決まりの反論を返したら、何かに気付いたようにゼノが繋いでない方の手で宙に何かを描いてみせる。
「カナタは俺の伸ばしてる髪を尻尾みたいって言ったけど、執務服のカナタも尻尾ついてるよね」
「は?」
「ほら、伸ばしたベルトに装飾がついてるでしょ?」
「あぁ……考えたことなかった」
 描いたのは、カナタの執務服だったらしい。指摘されたとおり、執務服を着る上で面倒くさいパーツのひとつであるベルトは、何故か大分長く作られている。召致される前から身体データその他は採られていたという話だし、実際シャツもパンツも靴に至るまでサイズはぴったりだ。
 なのになぜベルトはこんなにも余るのだろうとは思ったが、サクリアを増幅する役目があると聞かされたから、それ以上の思考を放棄していた。
「装飾部分が錘になるんだろうね。カナタの動きに合わせて不規則に動くのが尻尾みたいだなって思ってたんだ」
「その発想はなかった」
「俺も、髪が尻尾みたいとは思わなかったよ」
 目から鱗まではいかなずとも多少驚いて感想を口にしたら、ゼノも苦笑して頷いてみせる。外から見ないとわからないことはあるけれどと、顔を見合わせて笑う。
「今日はカナタいるし、寝癖直すの手伝ってもらおうかな」
「ん、いいよ。何すればいい?」
「とりあえず洗面所に行こっか」
 一頻り笑ってから、意識を切り替えたゼノが声をかけてくる。ゼノの手伝いならいくらでもと即答すると、笑顔で頬にキスをされた。お礼のつもりなのか、またカナタを可愛いと思ったのかは判別がつかなかったので、カナタからもお返しと触れる。
 楽しそうなゼノと連れだって洗面所に向かいながら、今日の予定を思い返す。森の湖の奥、花畑まで行く予定で、目的は、ゼノが子供に頼まれて作った危なくなくて良く飛ぶブーメランのテストプレイ。万が一人に当たっても怪我をしないように柔らかい素材で作っているが、ちゃんと飛ぶように計算して作られているらしい。
 どうやって両立させたのかわからず、実際に見るのをカナタも楽しみにしていたから、まずはしっかりゼノの寝癖直しを手伝わなくては。




+モドル+



こめんと。
20作目! いぇーいいぇーい!
ゼノの後ろ髪もカナタのベルトも
尻尾みたいだな~と前から思ってたんですけど。
ゼノの髪質から寝癖の話を思いついて、
ようやくネタとしてまとまってくれました。
神鳥とは試験期間中は定期便があるんじゃないか説を
推しています。多分。
むしろ通販で買えるのが神鳥便なのでは……?
(2021.9.21)