着信音控えめ風

 金の曜日、深夜。私室に持ち帰った仕事がようやく終わって、カナタは両手を天に上げて体を伸ばした。ゲームをしてる時とあまり体勢は変わらないはずなのに、仕事をしてる時の方が体が固まった感じがするのはなんでだろう。精神的な働きがあるんだろうか。楽しいとか面倒とか。
 月の曜日までに提出するように言われていたレポートなので、夜更かししてまで今日やりきる必要のなかった仕事。でも、折角の週末は好きなことだけしていたいと、がんばった次第だ。夏休みの課題をできるものは七月中に片付けてしまおうとするのと、同じ感覚だろう。
 日の曜日に候補との約束はなく、明日も定期審査の日ではない。つまり、週末は完全フリー。大陸視察の同行が入るかもしれないが、それだけなら数時間で終わる。明日の午後、いつものようにゼノが泊まりがけで遊びにくる以外の予定はない。
「まだあんまり眠くないし、ちょっと片付けておくか」
 ここ数日レポートに取り掛かっていたため、ちょっと部屋の中が乱雑になっている。いちいち端末で振り返るのが面倒でプリントした資料や、息抜きにしたゲームのパッケージ、食べようと思ったけど開封しなかったお菓子などなど。テーブルの上にもソファの上にも、何かしら散乱している。
 掃除は面倒だが、せめて物くらいは片付けておきたい。他の誰でもなくゼノが来るのなら、ちょっとくらい見栄をはりたいというか。
 面倒だなと思いかける自分を奮起するためにも声に出してから、片付けに取り掛かる。未開封のお菓子はまとめてキッチンの棚に仕舞って、資料はシュレッダーにかけたいからテーブルの上にまとめて。ゲームのパッケージもいつもの場所に戻したら、大分すっきりした。
 これならゼノを迎え入れても、散らかってるとは思われないだろう。そう考えた自分に、思わず苦笑。基準がちょっとおかしい。多少散らかっていても、ゼノが来る予定がなければ、面倒だから後でと済ませてしまうのがよくわかっているから。
 片付けに要した時間は短い。とはいえ、すでに日付は変わって一時間ほど経過している。ゲームで夜更かししたより言い訳はたつが、流石にそろそろ寝るべきだろう。明日だって、ゼノが泊まりに来るから夜更かしは必須だ。
 支度するかなと洗面所に向かいかけたところで、テーブルに置きっぱなしのタブレットが、控えめにメッセージの着信を報せてきた。近くにいたから気が付いたが、洗面所にいたら全く気付かなかっただろう。普段はもっと主張するのにと首を捻る。緊急要請が入ることもあるから、深夜だろうが早朝だろうが、音量を変える設定にはしていないのに。
 確認すると、メッセージの送り主はゼノだった。なるほど、カナタの端末側はいつもどおりでも、送る側が何か設定をしているのかもしれない。この端末の製作者もゼノだと聞いているし、ゼノの性格なら深夜の送信を気にかけて対策してもおかしくない。
 でも、こんな時間にどうしたんだろう。寝ていたら気付かなかっただろう報せは、急用ではないからこそなのだろうけど。
「ん、ん?」
 メッセージの中身は、起きてるか問うものだった。それ以外の用件は書いていない。起きていて気付くなら聞いて欲しいとかだろうか。
『起きてるよ。どうかした?』
 ゼノがした配慮を、カナタがすることはできない。恐らく通常の報せが届くだろうが、方法がわからないので仕方ない。ゼノは起きているだろうから、迷惑にはならないだろう。
 簡潔にメッセージを返すと、すぐに返信があった。
「うぇ!?」
 返ってきたメッセージを確認して、思わず変な声が漏れた。よかった、電話じゃなくて。
『今から泊まりに行ってもいい?』
 ゼノからのメッセージには、本題だけが書かれていた。普段なら遅くにごめんとか、起こしちゃったかなとか入れてきそうなのに。深夜だから長引かせないようにしているんだろうか。それとも、配慮する余裕もなくしているとか?
「あ、いや、返事しないと」
 うっかり何があったんだろうと考えてしまうが、すぐに返信をするべきだろう。幸いにしてゼノを迎えるための片付けは終わっている。掃除は朝、やる気があったらくらいにしか思っていなかったので、この際目を瞑ることとして。
『いいよ』
『ありがとう!』
 素早く返答する為に一言だけを送ったら、ゼノからも短く返ってきた。私室にいるのか執務室にいるのかわからなかったが、どちらにしても同じ聖殿内。すぐに到着するだろうし、この時間にベルを鳴らすのもノックをするのもゼノなら気が引けてしまうかもしれない。
 なら、カナタが部屋の外で迎えれば問題ないかなと考えて向かい、音をたてないよう気を付けてドアを開けた。流石にこの時間は廊下の光源も抑えられていて、少し暗い。普段が明るすぎるので、これくらいの方が落ち着ける気がした。煌びやかというのだろうが、どうにもカナタには別世界すぎて、未だに慣れない。
 ドアの外に出ると、すぐにゼノの姿が見えた。極力足音をたてないように、そろりそろりと歩いている。いつもなら使っているガジェットは、動作音が響いてしまうから使っていないんだろう。
 待っているカナタを見つけ、笑顔を見せてくれたゼノ。お互いに言葉を発さず、私室に招き入れてドアを閉める。
「外で待っててくれて、ありがとう。どうしようかなって考えてたんだ」
「だと思った。どういたしまして」
「それに、ごめんね。遅い時間なのに」
 部屋の中まで進み、防音装置の範囲内に入ってから、ゼノが礼を口にした。応じたカナタにふわりと微笑んでから、今度は眉尻を下げて謝る。
 ソファに座るように促しながらどうしたのと尋ねると、小さく息を吐き出してみせた。
「それが、ほんとに情けないんだけど……」
 執務室でできる作業を終えて、私室に戻って続きを始めたゼノ。一区切りついたところで、徹夜しないようにと作業を切り上げた。だが、ベッドの上は作業した後のお約束と化した状態で、すぐには眠れそうになく。少しだけスペースを作って寝ようと手を伸ばしたところ。
「ベッドに薬品零しちゃって……」
「薬品!?」
「あ、俺にはかかってないし、そもそも人体に無害なやつなんだけど」
 はぁ、と溜息と共に告げられ、ぎょっとする。思わず大きな声が出てしまったが、察したゼノがすぐに説明をくれた。危険なものではなかったとわかり、ほっとする。
 薬品と言われ、ついマンガとかで馴染みのある硫酸とかを思い描いてしまった。カナタには馴染みのないものだから、思いつく幅が狭すぎても仕方ない。
 説明された後で冷静に考えると、ゼノがそんな危ない薬品をうっかりで扱わないかと気付く。
「ただ、その……ちょっと、匂いが」
「匂い?」
「うん。大分強烈で……流石に今日は寝れないかなって、あはは……」
「いやそれ今日はってレベルじゃなくね……?」
 眉尻を下げて笑うゼノに、少々口元が引き攣ってしまった。「服に掛けてしまった」であれば洗濯すれば多少薄まるだろうが、ベッドは流石に洗えない。匂いが抜けるまでにどれだけ日数がかかるか考えると、新調した方が早いはずだ。
 もっとも、ゼノなら、匂いを消す機械とか作ってしまいそうだけど。あ、だから「今日は」なのかもしれない。流石にこれから作るのは徹夜覚悟だろうから。
「あ、そっか。それもアリか……」
「え、考えてなかった? うわ、オレ余計なこと言ったかも」
 思いついたことを口にしたら、ゼノが呟いて考え出してしまった。どうやらそのつもりはなかったらしい。そこまでまだ考えが及んでいなかった、の方が的確だろうか。
 モノづくりに没頭すると寝食忘れてしまうゼノ。折角頼ってもらったのに、このままでは徹夜で考えはじめてしまうのではなかろうか。カナタの失言のせいで。
「ぜ、ゼノ、とりあえず今日は寝よう! うっかりするくらいだから、寝た方がいいって!」
 思わず立ち上がって両手で肩を掴み、思考の海に沈んでいきそうな意識を呼び返すために強めに数度揺する。驚いて目を丸くしたゼノは、恐らく必死な顔をしていただろうカナタを見て、笑って頷いてくれた。
「うん、そうだね。カナタの言うとおりだ」
「そこ笑うとこじゃないから」
「ごめんね。あはは」
 反論するも、ゼノは嬉しそうに笑って謝るだけ。心配してるんだけどと思わずむっとしたら、ゼノが少し身じろぎした。
 カナタの後ろ頭に手を添え、引き寄せてくる。
「ちょ、ゼノ、んっ」
 不意打ちにバランスを崩しそうになるが、なんとか持ちこたえる。ゼノの肩を掴んだままの手に力が籠ってしまったが、ゼノからの反応はない。
 というか、目前に寄せられては表情を窺うどころではなく。触れた唇の柔らかさに誤魔化されてしまいそう。そもそも事態を引き起こしたのはゼノだっけと、侵入してきた舌に応じながら緩く気付く。
「ん、笑ってごめんね。でも、嬉しくって」
「嬉しいって?」
「心配してくれるのが」
 キスを解いてはにかむゼノ。再びむっとしたカナタは、衝動のまま離れたばかりの唇に食いついた。驚きつつも拒まず受け入れてくれたゼノの口内を、思うままに貪る。
「オレいつも言ってるよね? ちゃんと寝てって」
「うん。それもすごく嬉しいよ」
 息苦しくなって離れ、尖った声で告げる。強引に貪ったことさえ気にせず、ゼノは笑顔で頷いてくれた。でも、そうじゃない。
「それならちゃんと寝ようとしてよ……」
 毒気を抜かれるどころか、気力さえ抜かれてぼやく。今まで何度徹夜しないでと訴えただろう。そのたび嬉しそうにするわりに、ゼノの徹夜はあまり減ったように思えないから。
 ゼノの言い分としては、徹夜するつもりはなく、気を付けてはいるらしい。ただ、モノづくりに没頭して時間を忘れてしまうだけだと。もちろん、毎日ではないことはわかっているが、週に数度は少ないと言い難い。
 カナタだって今日のように夜更かしすることはあるが、ちゃんと睡眠自体はとるようにしている。ゼノはそれをも放棄するから心配しているのだ。
「心配かけてごめんね。でも、前よりはちゃんと気を付けてるよ」
「ほんとかよ……」
 ゼノの手が、カナタの背中に回された。柔らかく抱きしめて告げられる言葉に、思わず反論してしまう。
 気を付けているからと言っても、実際に回数が減ってる様子がなければ意味がない。
「ほんとだよ。だって、カナタが心配してくれるから」
 頬を擦りあわせて告げられる一言に、くすぐったさを覚える。でも、その言い方はずるい。
「前の俺なら、ベッドが使えなくなったら作業して起きてればいっかって思ったもん」
「うわ、ありそう」
「でしょ? ちゃんと寝なきゃって思ったから、カナタを頼ったんだよ」
 続けられたゼノの言い分に、納得できてしまった。確かに、少し前のゼノなら、カナタに連絡してくることもなかっただろう。
 控えめな、寝ていたら起こさない程度の着信音に変更させてはいたけれど。気遣ってばかりのゼノからしたら、ものすごい進歩だと言えるかもしれない。
 それは、自惚れではなく、カナタの影響で?
「……ゼノ、あのさ」
 気付いたことに口がむずむずするような感覚を覚える。ゼノの肩を掴んだままだった手から力を抜いて、カナタからも抱き返そうとした。
 直後。
「あっ、ごめん!」
 ぱっとゼノが、カナタの背中から手を離してしまった。動かしかけた手に急ブレーキがかかる。
「つい、カナタといるのが嬉しくて。でも、寝る時間なくなっちゃうよね。今その話したばっかりなのに」
「あー……うん、そう、だね……はは……」
 照れ笑いと共に告げるゼノに、同意する以外の道がなかった。明日は土の曜日だから、なんならこのまま夜更かししたってと思ってしまったのは、表に出さずに飲み込む。
 自分の言動に首を絞められるとは思わなかった。
 仕方ない。何事もなければ、明日の夜はゼノに触れて夜更かしの予定だ。あと一日くらい、我慢しなければ。ゼノに寝るよう勧めたのは、ほんの数分前のカナタなのだから。
 諦めてゼノから手を離し、体を起こす。視察の同行を頼まれなければ、日の曜日の夜までゼノとずっと一緒にいられる。しっかり睡眠をとることが、明日の自分たちのためだと言い聞かせて。
 なのに。
「ぜ、ゼノ?」
「ごめん。あんなキスしちゃったからかな……ちょっとだけ、名残惜しいや」
 離れる間際の手に、ゼノの手が添えられた。驚いて留まると、頬を少し染めてぽつりと呟く。こちらは名残惜しいどころではないですが?と反論しそうになるが、慌てて飲み込んだ。口にしたら、我慢できなくなりそうで。
 これからするより、ちゃんと休んで体調を万全にしてから、明日の夜を迎えた方がいいんだと、改めて自分に言い聞かせる。
「でも、明日の夜に……ね?」
 添えられた手がカナタの手を掴み、引き寄せる。ちゅっと触れた唇が、熱の感じられる声を紡いだ。
 手を離したゼノは、はにかんで立ち上がって早く寝ようとカナタを促してくる。その声が少し遠い。なんとかぎこちなさを感じさせないように応じてから、寝る支度がまだだからとゼノを残して洗面所に向かった。
 鏡に映る自分の顔は、情けない限り。
「オレ、今日、寝れんのかな……?」
 なんとか欲情を押さえつけたところに、アレは反則だ。明日を待たずに今すぐにだって触れたくてたまらなくなる。なのに、隣で眠るとか、ちょっと無理があるのでは。
 私室のベッドは大きく、恐らく男三人で寝転んだって余裕があるだろう。だから、ゼノと二人で寝てもくっついて寝ることはない。ないけど、自信もない。
 手を出さないことではなくて、口にした通り眠れる自信が。
「カナタ、まだかかる?」
 盛大に息を吐きだした直後、ゼノの声がかかる。先ほど感じさせた熱は、欠片もない声が。
「あ、うん、もうちょっと」
「そう? じゃあ、さきベッドいってるね」
「わかった」
 ベッドと言われただけでどきりとしてしまった自分に、改めて溜息を零す。
 今夜はひどく長い夜になりそうだなと自嘲しながら、支度を終えてゼノが待つ寝室に向かう。これも身から出たさびって言うのかな、なんて思いながら。




+モドル+



こめんと。
カナゼノ23作目!
22作目の『敗北ルート』の前に書き出しましたが、
壁にぶつかりにっちもさっちも行かず。
一旦は手放しましたが、ちゃんと書けてよかった……!
ただ、こんなオチにするつもりだったか忘れてしまった。
ゼノのベッドがどうなったかは、また別の話、ということで!
(2021.11.9)