楽しみ一歩前

 水の曜日、昼前。そろそろ空腹が気になってきたので、今手がけている仕事を片づけたらお昼にしようと机に向かっていたら。
「カーナタ」
「ゼノ。いらっしゃい。どうしたの?」
 ゼノがひょこっと顔を覗かせた。いつものように迎える挨拶を返したら、なんだか楽しそうな様子が窺えて首を捻る。なにかいいことでもあったんだろうか。
「お昼、一緒に行かない?」
「いいよ。オレも、これ終わったら行こうと思ってた」
「やった! 朝からがんばってると、お腹空いちゃうよね」
 誘いに頷くと、笑顔になったゼノ。すぐにお腹が空くというゼノのことだから、カナタ以上に空腹を抱えているんだろう。なるほどお昼に行けるから楽しそうなのかと納得しかけて、待てよと留まる。
 ゼノが食事を誘いに来ることは、珍しくない。昼夜問わなければ、週に数回はある。食事を楽しみにしているのは確かだけど、いつもはこんなにわかりやすく楽しそうにはしていなかった。
 じゃあ、今日はいつもと何が違うんだろう。
「え? あはは、そんな顔してた?」
「うん。ていうか、来た時から声、弾んでたし」
「うわ、あからさますぎて恥ずかしいね、俺」
「……や、可愛い、けど」
 尋ねると答える前に、ゼノはそう照れてみせた。ほんのり赤く染まった頬で苦笑する様に、うっかり感想を零してしまう。距離があるからゼノには届かなかったようで、ほっとする。
 ゼノの照れた顔なんて、滅多に見れないから。ちょっとこう、抱きしめたいなぁとか思ってしまうくらいに可愛かった。
「実は、今日、朝からずっとカフェのハンバーグセットが食べたくて仕方なくって」
「なるほど、ようやく食べに行けるから、楽しそうだったんだ」
「うん。うわ~、自分で言ってても子供っぽいなって思うな~」
 とびきりの笑顔でようやく答えをくれる。困った様子だったり、自嘲気味だったりではないゼノの笑顔が見られるのは、嬉しい。それ以上に、胸の奥から湧く想いもある。
 自分の言葉で再び照れくさそうにするゼノから、ちょっとだけ視線を逸らした。誤解を与えないよう、ゼノにはバレないように。
 いやだって、目の毒すぎるでしょ。と、胸の中でだけ呟いて。
 滅多に見れない照れたゼノをこんなにたっぷり見せつけられたら、そりゃもう、いろいろな意味で。直視し続けるには、刺激が強すぎるというか。
 なにせ、相手はカナタの想い人。普段と違う姿にときめいてしまうのは仕方ない。
「そんなに楽しみにしてたなら、すぐ行く?」
「え、大丈夫だよ。終わるまで待ってる」
「でも、すぐ終わるって言えないし」
「俺の都合で早く押しかけちゃったけど、カナタの邪魔をしにきたわけじゃないから」
 照れるゼノの姿はしっかり脳裏に焼き付けたので、意識を切り替えて尋ねる。すぐに終わらせる必要がある仕事ではないから、お昼を食べて戻ってきてから続ければいい。優先順位をつけるなら、ゼノの空腹を満たすことが最優先だ。
 だけど、ゼノ自身が微笑んで大丈夫だと返すので、カナタが強く押すのも躊躇われる。その間に、ゼノはソファに腰掛けてしまった。ポケットに忍ばせてきたらしい、小型のタブレットを取り出しながら。
「カナタを急かしに来たんじゃなくて、一緒にいれば、終わったらすぐに行けるでしょ?」
「あぁ、まぁ、確かに、そうかも」
 にこっと笑って告げられ、反論が浮かばなかったので頷いておいた。相手に急かす意志はなくても、待たれているとプレッシャーは感じるよなとは思ったので。
 それと気付かないくらい、ハンバーグセットが楽しみなのかもしれない。もしくは、カナタが相手ならそこまで気遣わなくても大丈夫だと安心してくれているんだろうか。だとしたら、嬉しい。
 約束してくれたけど、告白した後はどこかぎこちなくなってしまうことを覚悟していた。だけど、ゼノにその様子は全く見受けられず、むしろカナタの方が戸惑っていたと思う。その延長上にある行動なら、これほどありがたいことはない。
 ゼノへの想いが成就することはなくても、親友の座を手放すつもりは全くないから。
 ただ、全く意識されていない証左でもあって、つまり、響いていないのだろう。
 カナタが、どれだけゼノを愛しく想っているかが。
 手を動かしながらも考えてしまい、こっそり息を吐く。ぎこちなくなるよりは全然いい。そうやって一ヶ月半ほど、自分を慰めてきた。親友でいられることが一番重要だから、と。
 でも、あまりにも響かなさすぎて抱えた恋情を無いものとして扱われるのも、ちょっとキツイ。
 なので、欠片でも届いてほしいとあれから幾度も「好き」と言葉にして伝えている。でも、「ゼノはすごい」と同じで、全く響いていない。ありがとうとは言ってくれるけど、その後ろに「でも、俺なんか」が隠れてくっついているのが明白だった。
 信じていないわけじゃない。それは、わかる。勘違いだと否定されたわけでもない。でも、ゼノに伝わっていないのもわかる。
 正しく伝わって、ぎこちなくなったり避けられたりするよりはいい。全然マシだ。だけど、たまに苦しくもなる。せめて、ひとかけらでもいいから、伝わってくれないかなと。
 例えば、こんな場面に遭遇すると。
「……ほんと……」
 雑念混じりではあってもなんとか作業を終え、顔をあげて見えた状況に、思わず声が零れていた。我ながら途方に暮れた声だなと、どこか遠く思う。
 手にしていたタブレットを太股に置いて、ゼノが俯いていた。力無く横に垂れる左腕を見るかぎり、居眠りをしているのだろう。以前にも何度か、ゼノを待たせた結果居眠りしている姿を見ている。
 無防備だと思うのは、間違いだろうか。
 告白をした後も――返事を保留にされている今も、週末のお泊まり会は続いている。以前と同じように、一つの大きなベッドに寝るのも変わらない。だから、カナタの前で寝るのは無防備すぎるとは言えないだろう。
 でも、お互いに眠る時と、一方的に寝顔を晒すのは、そもそも次元が違うのでは?
 起こさないようにそっと近づくと、安らかな呼吸音が耳に届く。カナタが近くにいても安心して寝てくれるんだと喜びが湧く一方、少しは警戒してくれてもいいのに拗ねたくもなる。
 どうせ昨夜も作業で夜更かししたんだろう。似たような場面には幾度か遭遇しているから、心配と同じくらい呆れもする。どうやらいつかと同じように、深く寝入ってしまっているようだ。
 小さく息を吐き出して、隣のソファに座る。親友としては、不足しがちな睡眠時間を少しでも補って欲しい。恋い慕う者としては、その寝顔を少しだけ堪能させてもらいたい。
 週末のお泊まり会だと、大抵ゼノは先に起きて朝食の支度をしてくれているから。稀にカナタが先に起きても、ゼノもすぐに起きてしまう。だから、ゼノの寝顔を拝めたのはほんの数回しかもごく僅かな時間なので、このチャンスは逃したくない。
 俯いた顔を覗くべく、ソファに座ったままゆっくり上半身を傾ける。前髪に隠れた寝顔まで、あと少し……。
「……ちょっ」
 だったのに。
 なんか前にも似たようなことあったよなと、多少の疲労感を覚えながら、傾いだゼノの体を支えた。隣のソファから覗き込もうとしていた体勢のまま手を伸ばしたので、ちょっとキツイ。
 確か前回はゼノが深く腰掛けていなかったから、カナタが座る隙間があった。肩を貸すように支えることができたから、今回も同様にしたかったのだが……そのスペースはなさそうだ。
 仕方ないので起こさないよう慎重に腰を浮かせ、そっとソファの端に寄る。隣り合ったソファの隙間は狭いが、できるかぎり端によらないと、肩を貸せる程は近づけない。なんとか前回と同じように肩で支えることに成功したが、ソファには半分も座れていない。隙間側の足を踏ん張らせることで、バランスがとれている。
 長時間に及べばしんどい体勢だろうが、恐らくさほど待たずに目を覚ますだろう。前もそうだったから。
 だから、少しくらい、いいかな。貸した肩に触れる重みを、愛しく思っても。
 起こさないよう細心の注意を払って、先程見られなかった寝顔を覗こうと首を傾ける。残念ながら寝顔はやっぱり見えなかったが、またゼノの居眠りに遭遇した時に拝ませてもらえばいい。お泊まり会の時に、早起きにチャレンジする手段もある。
「好きだよ、ゼノ」
 だから、ただただ、愛しい気持ちだけ。
 身の内に燻る触れたい衝動には目を逸らしたまま、囁いた。隠す必要のなくなった、素直な想いを。
「……ん……?」
 耳に届いたのか、ゼノが僅かに呻いて身じろぎした。数秒後には肩から重みが消え、ゼノが目を瞬かせる。
「ごめん。押しかけたのに、寝ちゃってた」
「また夜更かししたんじゃないの」
「昨日は、結構早く寝たんだけどなぁ」
「いや、ゼノの言う結構早いって絶対早くないでしょ。ちなみに何時?」
「えっと……二時前、くらい……かな……あはは……」
 すぐに覚醒して眉尻を下げたゼノが、苦笑混じりに謝る。応じる代わりに立ち上がりながら尋ねると、ゼノらしい答え。やっぱり早くないと思うが、言葉にはしないでおいた。心配だと告げても、それだって深くまでは響かないことを知っている。
 むしろ、嘆息するだけに留めた方が効果があるように思う。
 聞こえただろう溜息に、ちょっと慌てたように立ち上がりかけたから。留まったのは、腿に載せていたタブレットに気付いたからだろう。
「今日は早く寝るようにするよ」
「期待しないでおく」
「ごめん、カナタ~」
 取り繕って宣言するゼノに背を向け扉に向かう。追いかけてくるゼノの言葉に、やっぱり明言しない方が効果あるよなと確信する。もっとも、心配していることが伝わっているかというと、恐らく違うんだろうけれど。
「じゃあ、ハンバーグ一切れね」
「えぇ~! 楽しみにしてたのに……!」
 立ち止まらないまま首だけ捻って、笑顔で告げる。がーんと効果音が聞こえてきそうなほどショックを受けたゼノが、悲壮な声をあげた。罰ゲームと受け取ったんだろう。従う必要なんて全くない一言なのに。
 親友として、ゼノの寝不足はずっと心配してる。でも、それはカナタが勝手にしていることだ。ゼノに強制するものではない。心配させたからと罰ゲームを受ける必要だって、あるはずなかった。
 心配していることが響いていなくても、嫌がらせなどで早く寝るように進言しているのではないとは伝わっているらしい。だから、罰ゲームだとしても受け入れようとしてくれたんだと思う。
 ゼノがカナタを心配して気遣ってくれるように、カナタだってゼノを心配していることも、きっといつか伝わるだろう。
「次の土の曜日、カナタが食べたいもの作るから!」
「なんでもいい?」
「いいよ! 俺が作れるものなら、なんでもがんばるよ!」
 出された代替案には乗っかっておいた。ゼノ待望のハンバーグを奪われたくない必死さが伝わってきたから。
「ゼノってさ、可愛いよね」
「子供っぽいってことかな?」
「違うくて。愛しいってこと」
 ハンバーグがゼノの好物のひとつだと知っている。そのために必死になる姿は、口にしたとおり可愛いと思う。作業に没頭してる姿も格好いいと思うが、同じだけ可愛いとも思う。
 味覚が子供だと自分で言っていたから、からかわれたと思わせてしまったようだ。言い換えてみたら、きょとんとした顔をされた。あ、伝わってないなと気付く。
「えっと……ありがとう」
「どういたしまして。じゃ、カフェ行こ」
「うん!」
 少し困ったように微笑んで、当たり障りのない応答をするゼノ。いつか、好きと伝えたら頬を染めてくれる時がきたらいいのに。
 胸の内に湧いた希望にフタをして、先程誘われたまま告げると、とてもいい笑顔で頷いてくれた。
「ほんと可愛すぎ」
 抱きしめたい衝動を言葉にすり替えて、連れ立ってカフェを目指して執務室を後にした。






+モドル+



こめんと。
27作目です。
いねむりシリーズと呼んでる連作その2。
その1は『約束一歩前』で、あっちは「いねむり(親友期間)」、
こっちは「いねむり(告白期間)」と呼んでます。
ということで、告白してから返事をもらうまでのなっがーい期間のお話です。
詳細が大分固まってきたので、絡めてみたり。
(2022.2.10)