変わったおやつ
10回目の定期審査を週末に控えた週の始め、月の曜日。気分転換を兼ねてカフェにお昼を食べに行き、王立研究院に立ち寄ってから聖殿に戻ると、執務室の扉の前に誰かが立っているのが遠くからでも見えた。
相手からもカナタが見えたらしく、手を振ってくれる。顔が判別できるほどの距離にはなっていないが、カナタ同様、相手――ゼノも服の色で判断できたんだろう。
「おかえり、カナタ」
「ただいま。待たせてごめん?」
「うぅん。待とうか出直そうか考える前に、カナタが見えたから」
流石に緊急事態でもないのに聖殿の廊下を走るわけにいかないので、気持ち早足で執務室へと急ぐ。無理なく声の届く範囲まで来ると、ゼノが笑顔で迎えてくれた。少しくすぐったく感じながらも尋ねると、説明する声までなんだか楽しそうだ。
息抜きにお互いの執務室を訪ねることは、割とある。週に数回くらいだろうか。思い立ってふらりと向かうので、今のように相手が留守のこともある。いつ戻ってくるかわからない相手を待つのは、息抜きとは言い難い。大抵公園に向かうか「ちょっと休憩」と私室に戻るかで、どうしても会いたかったら出直している。
扉の前で待つという選択肢は、息抜き以外で相手に用がある時じゃなければ、出てこない。待つか出直すかを考えようとしたゼノはつまり、カナタに用があるのだろう。
「すぐ開ける」
「あ、違うんだ」
「え?」
声の響きやすい廊下で話し込むのはよろしくない。なので扉を開けようと声をかけたら、ゼノからは否定の言葉。扉に手を伸ばした姿勢で止まりゼノを振り返る、変なポーズになってしまった。
「変わったおやつを用意したから、一緒に休憩しようって誘いに来たんだよ」
「変わったおやつ」
「うん!」
何事もなかったようにさりげなく体勢を整えながらオウム返しにすると、ゼノはいい笑顔で頷いてくれた。カナタのポーズについて気にする素振りはない。どうやらその変わったおやつが楽しみな様子なので、些細なこととして処理してもらえたんだろう。助かった。
「もしかして、今出掛けてたの、遅いお昼ごはんだったりする?」
「や、大丈夫。カフェに食べに行ってから、王立研究院行ってきた帰り」
「そっか、じゃあ、おやつでも大丈夫だよね! たくさん歩いてお腹減ってるでしょ?」
別なことに気を取られていたカナタの反応が思わしくなかったのか、ゼノがはっと心配そうに問いかけてくる。しっかり否定してから説明すると笑顔に戻ってくれたが、続く言葉にも頷けそうになかった。
確かに聖殿から公園を経由して王立研究院まで行って戻ってくると、それなりの距離を移動することにはなる。でも、「たくさん歩いた」と言えるほどの距離では、恐らくない。
ゼノは聖殿内の移動でもガジェットを使うくらいだから、歩くことに対して感じ方が違うのかもしれないが。
「変わったおやつって、何用意してくれたの?」
「それは、見てのお楽しみ! 行こ!」
なので、明確な反応は避けておいた。ゼノよりは燃費がいいので、カナタの体は空腹を訴えてはいない。でも、時間的にはおやつでも問題ないし、休憩するのには賛成だ。王立研究院での用事に頭を使ってきたので、今なら少し甘いものでも食べたいと思えるから。
返事の代わりだと気付いてくれたんだろう、ゼノが楽しそうに促してくる。言葉通り、実物を見るまでは説明してもらえないらしい。ゼノが言うほどの「変わったおやつ」とは、一体どの方向に変わっているんだろう。楽しみなような、ちょっと怖いようなどきどき感を覚えながら、ゼノの後をついていく。
てっきりゼノの執務室に用意してくれているのかと思ったが、前を素通りしてしまった。
「ゼノ? どこ向かってんの?」
「あれ、言わなかったっけ? 俺の部屋だよ」
「執務室かと思った」
「あはは、ごめんごめん。執務室でも用意できなくはなかったんだけど、部屋の方がやりやすくて」
止まらないゼノの背中にようやくの疑問を投げると、ちらりと振り返りながら教えてくれた。続く説明に、なるほどと納得させられる。ゼノは執務室にも簡易キッチンを備えているが、僅かな空きスペースに「ちょっと強引に」設置したそうなので、使い勝手がいいとは言えないらしいから。
にしても、ゼノが言う変わったおやつとは、一体なんなんだろう。美味しいからか、カナタを驚かせたいからか、他の理由からか。とにかくゼノの足取りが、軽い。ちょっとした拍子に飛んでいってしまうのではないかと、ありえないことを考えてしまえるくらいに。ゼノなら重力制御装置の応用とかで、実際宙に浮くくらいはできてしまうだろうけれど。
弾む足取りの後ろ姿を見ていると、カナタまで楽しくなってくるから不思議だ。背中で跳ね揺れるひとくくりの髪も、そう思わせる要因かもしれない。
ほどなく、ゼノの私室に到着。解錠した扉を大きく開いて、カナタを迎え入れてくれる。
「なんか、甘い匂い……チョコ?」
「正解! こっちだよ、カナタ」
扉を潜った途端、鼻腔を甘い匂いがくすぐっていく。思い当たって口に出すと、後ろからゼノが弾む声で返してくれた。振り返ると笑顔のゼノが手をとり、カナタを窓辺に設置した簡易テーブルセットまで連れて行く。
日当たりの良い窓辺に、普段はないテーブルセット。その上には、見慣れないものが置かれていた。チョコの匂いの発生源が、まさにそれだ。
「バースは今日、バレンタインってイベントの日なんでしょう?」
「あぁ、今日、14日だっけ」
少し頬を色づかせて、ゼノが囁く。バースの暦では、立春を迎えて10日ほどが過ぎた頃。正月は気に掛けていたが、元々カナタには縁遠いイベントだったので、すっかり抜け落ちていた。特別チョコが好きなわけでも、甘いものが好きなわけでもなく、増して恋愛に興味を持てていなかったから。だから、言われて初めて思い出した。
恐らく、昨日候補と過ごした中で、話題に上ったのだろう。昨日の約束の相手は、ピンクの髪の候補だった。相変わらずお節介だなと、内心で苦笑してしまう。
「うん、そうだよ。でね、チョコを作ってみようかなとも思ったんだけど、お返しの日があるって言うから」
「ホワイトデーね。三倍返しが基本だとかって聞いたことあるよ」
「三倍? もらう側が大変なイベントなんだね……」
尋ねると、あっさり肯定された。カナタのためにとバースのイベントには積極的なゼノだから、なにか贈るだろうと思って教えたに違いない。今度からお姉さんじゃなくてお節介さんと呼んでやろうかと思う。笑って流されそうだ。
でも、ゼノが用意するものがコレだったのは、候補にも予想はできなかったろう。
テーブルの上に載っていたのは、超小型のホットプレートに高さを持たせたような二つの台だった。どちらも深い器を載せていて、甘い匂いをさせる液体と思われるチョコで満たされている。中央にはマシュマロや一口ドーナツなどの菓子類と、イチゴやバナナといったフルーツの盛られた皿。
実物を見るのは初めてだが、チョコフォンデュというやつだろう。友人宅でのパーティに一度チーズフォンデュがでてきたことがあるので、恐らく。あの時は中が空洞でロウソクを入れた台を使っていたが、匂い以外はよく似ている。
「これならただのおやつで、贈り物にはならないでしょ?」
お返しを気にするゼノの問いかけに、らしいなぁと愛しくなってしまう。抱きしめてキスしたくなるのを、取られたままの手を繋ぐことで誤魔化した。気付いたゼノが頬の色を少し濃くする。そこにキスするくらいは許されるかなと思って、素早く実行。
「カナタ」
「ごめん。したくなった」
「じゃあ、俺も」
咎めるのではない声で名を呼ばれ、反射的に謝って言い訳をしていた。ふわりと微笑んだゼノの唇が、言葉を紡いだ直後にカナタの口を塞ぐ。
「……オレ、我慢したんだけど」
「え、あれ? あはは」
流石に触れるだけで離れていったけれど、ちょっと呆れた声が出てしまった。誤魔化すように笑ったゼノが愛しくて仕方ないので、一ヶ月後のホワイトデーにお返しを用意しようと決意する。チョコのお返しじゃなくて、我慢したのにされたキスのお返し、だ。
「なんか、チョコの色が違う?」
「カナタでも食べやすいビターチョコと、俺が好きなミルクチョコで用意してみたんだ」
「流石ゼノ。てか、ビターチョコでもできるんだ」
決意をゼノに悟られないよう、用意してくれたおやつに興味を移したフリをしようとしたら、気がついた。二つの器の中のチョコの色が、ずいぶんと違う。一つは濃い焦げ茶色で、もうひとつは柔らかい茶色をしている。フリではなく疑問に思って尋ねると、ゼノが理由を教えてくれた。
確かにビターチョコなら、カナタでも量を食べられるだろう。頭を使ってきたから糖分が欲しかったので、今食べるおやつとしては最適かもしれない。
自ら食べたいと思うものではないので、カナタのチョコフォンデュに対する知識は、「チョコメーカーのCMで見たことあるな」程度だ。ミルクチョコのCMだったから、てっきりそれでしか作らないのかと思っていた。ゼノの機転に感謝するしかない。
「じゃあ、チョコフォンデュパーティ、始めよっか!」
「パーティなんだ」
「ただのおやつだけど、折角だしね!」
にこっと笑ったゼノが宣言するのに、座りながらツッコミを入れてしまった。しつこいくらいに「ただのおやつ」だと繰り返すゼノが可愛いし愛しいしで、なんだか溜息が出ていきそうだ。
だって、昨日、ゼノには約束があったから。
オアズケを喰らっている身としては、愛しいの大振る舞いは勘弁してほしい。ゼノだって同じ状況なのはわかっているけれど、この状況は一方的にカナタが煽られているとしか思えなかった。
今週末のお泊まり会は恋人の時間も取れますようにと強く願いながら、用意されていた長い竹串を取り、一口ドーナツに刺す。竹串な理由は、聖殿内にあるカトラリーは全て総金属製で、持つところまで熱くなって危ないからだそうだ。カナタがバースで体験したチーズフォンデュの時は、持ち手がプラスチック製のフォークを使ったっけと、なんとなく思い出す。
ほんとに急遽用意してくれたんだなぁと、愛しさがまた募る。
「ゼノ、ありがとね」
「どういたしまして! ……さっきの、許してくれる?」
「ん? それとこれは別」
「カナタぁ」
諸々の感情や衝動を、無理矢理一言に集約して告げる。とろけそうな笑顔で応じてくれたゼノが、視線をくるりと回してから尋ねてくるので、にっこり断言してあげた。縋るような声を零す口がちょうど良い開き具合だったので、ビターチョコを絡めたイチゴを突っ込んでみる。
驚きながらも食べてくれたので、可愛いなぁと表情が綻んでしまう。目撃したのだろうゼノもまた、笑顔に戻っていた。
「じゃあ、俺も。はい、カナタ。あ~ん」
「……いや、それ恥ずかしいし」
「俺にはしてくれたのに? ほら」
「いやしたっていうか……開いてたっていうか……」
カットされたワッフルが口元に差し出されるが、自分から口を開けるのには抵抗がある。嬉しそうなゼノには悪いが、カナタがしたのはあ~んとかいう可愛いものではない。でも、ゼノは手を引かない。
押し問答をしても仕方ないと、観念してワッフルに食いついた。思った通りにはならなくても、ゼノは満足してくれたらしい。笑顔で手と何もなくなった竹串を引いてくれる。
「……甘……」
「カナタほどじゃないよ」
「は? ゼノの方が甘いでしょ」
口いっぱいに広がったミルクチョコの甘さに、思わず顔を顰める。何故かゼノからはよくわからない比較が返ってきた。とりあえず反論を返して、用意されていた辛口のジンジャーエールを一口。ちょっとだけスッキリするが、辛口の意味がなくなったような。
カナタが零した甘さは食べ物の甘さであって、ゼノが言ってるのは違う甘さの話だろう。比較対象としておかしくないか。
「そうかな? 俺は、カナタの方が好きだよ」
「意味わかんない……それ言ったら、オレはゼノが好きだけど」
一体なんの話になっているんだろう。でも、確かに、目の前でとろけそうに笑うゼノは、チョコなんかよりもずっと甘くてクセになる愛しい存在だ。……そういう話でもないと思うけれど。
「じゃあ、後でもう一回キスしよ」
「何がどうなってじゃあなの? いいけど、止まんなくなるのは勘弁してよ」
「大丈夫だよ。任せて!」
話の流れが全くわからないが、キスをすること自体に異論はない。ただ、オアズケを喰らっていることは配慮して欲しいとだけ訴えるのは忘れずに。
笑顔で請け負ってくれるゼノに、一抹の不安を覚える。口に出しかけたぼやきを、ビターチョコでコーティングしたイチゴと共に飲み込む。
微かな甘さとイチゴの甘酸っぱさが口に広がるのを感じた。
こめんと。
28作目。バレンタイン編です!
カナタのためにという名目で、
ちょいちょいバースのイベントを扱えるのが楽しいです。
突貫で書いたので、変なとこあったらすみません。
修正したらお知らせします~。
(2022.2.14)
変なとこ修正しました~!
(2.15)