罰ゲーム一歩前

 月の曜日、午後。訪問を報せる音に、ゼノかなと思いながら顔をあげる。予想に反して入ってきたのは、王立研究院の研究員、ニコラだった。
「失礼します、カナタ様」
 目が合うとぺこりと頭を下げたニコラに釣られて、カナタもつい会釈を返してしまう。普通の学生として過ごしてきたから、人に頭を下げられる機会など滅多になかった。あるとすれば、狭い道ですれ違う時互いに気を遣った結果とか、ちょっと高級な店に行った時とか、それくらい。カナタから頭を下げる機会はたくさんあったので、未だに慣れずにいる。
 もっとも、研究員には教えを乞う機会も多い、駆け出し守護聖の身だ。教師に対する礼と同様だと思えば、さほどおかしなことでもないだろうとカナタ自身は考えている。
 ニコラの用件は、研究院側で緊急の案件が出来たので予定を一時間遅らせてほしいというものだった。
 今日はこの後、ゼノと一緒に王立研究院に行く予定になっている。訪問者をゼノかと思ったのは、少し早いが来てもおかしくはない時間かなと思っていたからだ。
 刻限まで残すところあと二期を切り、終盤を迎えている女王試験。どちらも譲らず一進一退、切磋琢磨し育成する大陸の様子を確認していた時に、ふと覚えた疑問がある。ゼノに尋ねたら、「専門家にちゃんと説明してもらった方がいいよ」と、ささっとアポイントを取ってくれた。解説に名乗りをあげてくれたのは、主任であるタイラーだという。
 折角の機会だからと、他にも気になっていたことを纏めてみた。研究員や他の守護聖からしたら、今更かもしれない疑問もある。守護聖としてほんの少しだけれど経験値が貯まったからこそ、気になった事項だ。何もわからなかった時には、疑問に思うことさえできなかったから。
「えっと、忙しいなら、明日とかでも大丈夫ですけど」
「ご心配には及びませんよ。主任自ら対応するほどの案件ではないので、初期対応さえ済めば他の研究員が対処しますから」
「そうなんだ。じゃあ、約束の一時間後に行きます」
「はい。お願いします」
 カナタの疑問自体は緊急性を伴うものではないからと進言したが、ニコラは微笑んで説明してくれた。緊急と言われて心配になったが、重要性はそこまで高くはなさそうだ。初期対応に要する時間の見込みが一時間なのだろう。邪魔にならないのならと了承を返すと、ニコラはまた頭を下げて執務室を出ていこうとする。
「あ、ニコラさん待って」
「なんでしょう?」
「もしかして、ゼノのとこ行きます?」
「はい。ゼノ様にもお伝えしに伺いますよ」
 その背に気付いた疑問を投げると、ひとつ頷いて肯定してくれた。タブレットでの通知で済ますのではなく直接説明してくれるところに研究院の誠意を感じるが、緊急の案件が発生している中では手間じゃないだろうか。
 約束の時間まで後少しだからと一区切りつけようとしていたカナタの方が、手は空いてる。
「それ、オレが行きます」
 申し出ると、ニコラは一瞬躊躇いを見せたが、お願いしますと三度頭をさげた。今までに何度も似たようなやりとりをしているから、拒否する必要がないと判断してくれたんだろう。少し申し訳なさそうな様子に、カナタの方が恐縮しそうになる。
 忙しいだろうニコラの手を患わせないためというのもなくはないが、一番の理由は「ゼノに早く会いに行く口実ができる」だから。
 執務室を出ていく背中を見送って、タブレットに意識を戻す。区切りをつけて大丈夫かを確認するだけの僅かな時間に、再び訪問者を報せる音が響いた。伝え忘れなどでニコラが戻ってきたのかと顔をあげると、笑顔で入ってくるゼノと目が合う。
「あれ、ゼノ」
「ちょっと早いけど、区切りが良かったから来ちゃった」
 これから尋ねようと思っていた相手の訪問に、驚きを隠せなかった。約束の時間より早い訪問は予想していたが、このタイミングは想定外だ。
 顔に出たのだろうそれを正確に読みとってか、ゼノが早い訪問の理由を教えてくれる。カナタの座る机まで足早に近づいて、その頬がほんのり熱を帯びているのが見えた。
「そしたら、カナタと一緒にいられる時間も長くなるしね」
 他に誰もいない執務室の中で、声を潜めて告げられた一言。同じことを考えていたのかなと嬉しくなるのと同時に、これは不可抗力と言ってもいいよなと言い訳を胸中で呟く。
 ニコラから預かった伝言を持って行くよりずっと早く、ゼノから来てくれるとは思わなかったから。
「あのさ、ゼノ。嬉しいんだけど実はさ」
 カナタの気持ちを伝えてから、約束時間の変更を告げる。頷いたゼノは、廊下で少し先を歩くニコラの背中を見ていたらしい。だからかと納得していた。
 それから、カナタが伝言を預かった理由も察してくれたらしい。
「嬉しいな」
「オレだって。でもちょっとだけ待っててくれる?」
「うん、大丈夫だよ」
 頬を桜色に染めて笑うゼノに、照れくささを覚えながら告げる。一区切りまであと少しだけ、手がけてしまいたかったから。
 約束よりも早く訪ねてくることが多いゼノは、慣れた様子で頷きいつもの席に収まった。カナタに与える「待たせている」というプレッシャーを最小限に抑えたいという意志の顕れなのだろう、一番机から遠いソファに。
 歩いていって座る姿を見つめていたら、気付いたゼノが小首を傾げてみせた。なにか用があると思わせてしまっただろうか。首を振って意思表示すると、にこっと笑って手を振ってくれる。
 この近距離で手を振るって! と、悶えそうになるのを堪えて、タブレットに視線と意識を向けた。今日もゼノは可愛くて愛おしい。
 今までにもこんな風にゼノを待たせることが何度もあった。守護聖の執務に対する熟練度の違いや、そもそもの手際の良さなんかが関係しているんだろう。約束より早く行動するのはいつだってゼノだから。
 待たせてる間にゼノが居眠りしてしまうことも、珍しいという程ではない。ただ、今日はほんの数分だから大丈夫だろうと思っていた。
「嘘でしょ」
 実際、五分も掛からずに区切りをつけて顔をあげた。なのに見慣れてしまった光景を目の当たりにして、思わず驚きが口から飛び出ていく。
 いつもの席で、ゼノはこくりこくりと舟を漕いでいた。早すぎでしょと呆れながら、ゼノの元へと向かう。
 眠るゼノの太股には、暗くなった画面のタブレット。一定時間操作しなければ自動的にスリープモードになるのはわかっているが、ゼノの設定は五分より長かったはず。取り出しただけで操作をしていないのだろうと窺える。
 前に、仕事中のカナタを見てたと言っていたから、今日もそうだったのかもしれない。五分も経っていないのに寝落ちるほど、寝不足を抱えていたんだろうか。
 盛大な溜息をついて、右手をゼノの肩に伸ばした。
「ゼノ、起きて」
「ん……う……?」
「ゼーノー」
 躊躇いもなく揺さぶって、起こしにかかる。可哀相だとか、寝不足なんだろうから寝かせてあげようとかは、一切思わなかった。
 少し前までは、確かにそう思っていたのだけれど。
「あ、ごめん。居眠りしちゃった?」
「うん、してた」
「起こしてくれてありがとう。折角早く来たのにね」
 ぱちりと目を開いたゼノが、照れくさそうに確認してくる。頷くと礼を告げ、太股の上のタブレットを手に取った。ポケットに仕舞うのを見届ける間も、ゼノの肩から手は外さない。
 むしろ、顔を覗き込むように近づいた。照れくさそうな様子から一変、きょとんとした表情を隠さないゼノの間近に迫って。
「カナタ?」
「ゼノ、今日、オレの部屋に泊まりね」
「え? うん、いいよ?」
 小首を傾げたゼノには応じず、勝手に夜の予定を決める。意図を掴めないながらも頷いてくれるゼノに、にっこりと笑いかけた。
「オレより先に寝ないと罰ゲームだから」
「罰ゲーム?」
 ぱちぱちと瞬きをしたゼノの目の前で、大仰に頷く。
「一週間、ゼノと一緒にごはん食べない」
「えぇ!?」
 内容を告げると、悲鳴じみた悲壮な声がゼノの喉から迸った。表情も同じ色に変わっている。
 ゼノと出会ってから今まで、何度も心配だからちゃんと寝て欲しいと伝えてきた。最初は全く響かなかった心配も少しは届いて、ゼノなりに気を付けてくれているのも知っている。それに、守護聖の体は多少の寝不足でどうにかなるほど脆弱じゃないことも、実体験とともに理解できた。
 だけどやっぱり心配は消せないし、ちゃんと眠ることだって重要だ。慢性的な寝不足では、いざという時に力を発揮しきれない可能性だってある。そもそもたったの数分で居眠りしてしまうのは、体が睡眠を欲しているからだろう。
 だから、カナタは捨て身の作戦に出ることにした。実行したらカナタ自身にも大ダメージ必須な罰ゲームを持ち出して。
「そんな、なんでそんなこと言うの?」
「ゼノが先に寝てくれたら、問題ないよ」
「うぅ……そうなんだけど……」
 おろおろするゼノに、毅然と言い放つ。実はちょっと前から考えていた。今度訪ねてきたゼノが居眠りをするようなら対策を練ろうと。せめてその日だけは、ちゃんと寝てもらいたいから。短時間の居眠りが原因で夜眠くなくなるのも困るので、寝かせてあげたくても起こさなきゃと。
 いろいろと考えた結果が幼稚な罰ゲームというのも少し情けないが、恐らくゼノにはこれが一番効くだろう。カナタと食べるのが好きだと以前、言ってくれたから。ゼノが作った料理を、カナタが美味しいと食べるのが嬉しいとも。
 にっこり告げたカナタに、自信がないと返事を濁すゼノ。本気で困り切った様子に、思わず笑いそうになってしまう。からかうのではなく、真剣に考えてくれている様がとても愛しいから。
 今まで数え切れないほど、お互いの私室に泊まっている。だからこそ断言できるが、どちらが先に寝たかなんてわからない。明かりを消して「おやすみ」を交わした後、わざわざ「起きてる?」とか「寝た?」なんて確認することはないから。
 罰ゲームだと言ってはみたけれど、今日だってカナタに確認する意思はない。ただ、自室に帰すと遅くまで作業をするだろうゼノを、強制的に作業から切り離したらいつもよりは早く寝てくれるだろうと考えているだけ。
 でもそれだけじゃ弱いから、罰ゲームなんて言い訳をとってつけている。しかも、カナタにもダメージがあるものなら、余計にゼノは早く寝ようと心がけてくれるだろうと思ったから。実際どちらが先に寝ようと、それだけで充分だ。
「カナタとごはん食べられないのは、嫌だな……」
「オレも。ゼノのご飯一週間食べられないとか、拷問かも」
「なら、罰ゲームなんて言わないでよ~」
「それとこれとは別」
 眉尻の下がりきった顔で、情けない声をあげるゼノ。ちっともカナタの思惑に気付かないで真剣に考えてくれているのが、愛おしすぎて堪らなく抱きしめたい。
 縋るように名前を呼ばれても、カナタは絶対に折れなかった。抵抗が無駄だと気付いたゼノが、諦めてしょんぼりと了承を返してくれる。落ち込んだ声で「がんばるね……」と力無く告げるゼノを、今度こそ堪えきれずに抱きしめてしまった。
「あーもー無理。ゼノ可愛すぎ。大好き」
「俺も、カナタが大好きだよ。でも、罰ゲーム……」
「一緒に早く寝れば問題ないでしょ」
 いつもの一言を零すと、ゼノが少しだけ声を明るくして返してくれた。でも、すぐに沈んだ声に戻ってしまう。笑いながら告げて、誰もいないからとちょっとだけ油断して頬に口づけた。
 そこでようやく、ゼノはカナタの思惑に気がついたらしい。はっとして目を合わせてくるから、うんと頷いてみせた。
「あ、そういう……うん、よろしく」
「ん」
 遅ればせながらはにかんだゼノに頷いて、抱きしめた腕を離した。できれば離したくなかったけれど、ここは誰が訪れるかわからない執務室だから。
「万が一罰ゲームになっちゃった時のために、今日のご飯、俺が作ってもいい?」
「なにそれ。何作ってくれんの?」
「んっと、生姜焼きとかどうかな?」
「採用」
 離れたついでに隣のソファに座ると、ゼノから提案された。設定した意味のない罰ゲームだと伝わっているのにと笑ってしまう。ゼノの料理が食べられるのはいつでも大歓迎なので乗っかると、好物を挙げられた。ご機嫌取りかなと思わないでもないが、純粋に嬉しいので躊躇なく返しておく。
「いつもより美味しいの作るね!」
 と、ゼノも気合い充分笑っているのも、嬉しかったから。




+モドル+



こめんと。
29作目、いねむりシリーズ三部作完結編でした!
ゼノが居眠りしちゃう話書こうかな~と思いついた時に、
うちのカナゼノ、期間が3分割されてるんだよな~……、
てことは3パターン書けるな~と気がついて出来たシリーズでした。
うん、お付き合い開始後がオチだなと思いついたんですよね。
お付き合いっつーか、親友兼恋人っつーか。
(2022.2.25)