ラス1!
「あ」
手を伸ばそうとして気づいたことに、小さく声が漏れた。できれば聞こえないでほしかったが、隣に座るカナタの耳には届いてしまったらしい。ゲームをスタンバイ画面に切り替えてから、どうしたのと声をかけてくれる。
なんでもないと笑って流してしまおうかと思ったが、何を誤魔化したかはすぐにバレると予測できたので、正直に伝えることにした。元々隠すべきことではないのだ。ただちょっと、声を出してしまったことが恥ずかしかっただけで。
「あー、なるほど。ラス1って食べにくいよな」
カナタの言葉通り、視線を誘導した先の容器の中身は残りひとつになっていた。それが、声の理由。
「ゼノが買ってきたんだから、遠慮する必要なくない?」
「遠慮してるわけじゃないけど……。俺が買ってきたからこそ、カナタに食べてもらった方が嬉しいよ」
先程まで紙製の容器を満たしていたのは、カスタードクリームのたっぷり詰まったプチシュークリームだ。カナタの私室を訪れる前に立ち寄ったカフェで買ってきた。テイクアウトメニューとして最近売り出しを開始したメニューで、量が3段階で選べることを宣伝文句に打ち出してしていた。所謂パーティメニューのようで最小サイズでも一人で食べきれる量と言い難く、2人分でも少し多いかもしれない程度。
なので、次にカナタの私室に遊びに行くときの手土産にしようと決めていた。そして廻ってきたのが本日、土の曜日だった。女王候補の視察同行要請があった場合でも昼過ぎには戻ってこれるので、午後は大体2人で過ごすことが多い。関係が変わるより前から習慣になっているといっても過言ではないだろう。
昼ご飯を食べてからさほど経っていなかったので、カナタは「食いきれるかな」なんて零していたが、結果は見てのとおり。ゲームをしながらだと、無意識に手が伸びるので無くなるのも早かった。
「ゼノが食べたくて買ってきたんじゃないの?」
「う、それを言われると困っちゃうな……」
「食べたい人が食べるべきだと思う」
カナタが頷いた通り、最後のひとつというのは食べづらい。内容量は偶数だったので、どちらかが多く食べているのは明白だが、お互いに食べた個数を数えていたわけでもない。どうしても食べたいならまた違う反応をするかもしれないが、すでに満足できるだけ食べた後。それなら、相手に譲りたいと思ってしまう。少なくとも自分が得をしてしまうことにまだ少し、慣れない。
だが、カナタの言い分ももっともだと頷ける。苦手とまではいかずとも、甘味を好むでもないカナタだからこそ、譲ろうとしてくれているのだろう。いくらこのプチシューのクリームが甘さ控えめで、いくつでも飽きずに食べられるものだとしても。
「あ、ならさ。明日の夕飯、唐揚げにしてくれない? 生姜たっぷり効かせたやつ」
わかってはいてもすんなりと頷けないことなどお見通しなのだろう。さも今思いついたように提案してくれるカナタの優しさに、胸の奥の方があったかくなる。……単純にプチシューに飽きたのもかもしれないが、事実と感じ方とが一致しないこともあるだろう。
自然と口元に笑みが浮かんだ。
「うん、いいよ」
「やった! 前に作ってくれたのも美味かったから、楽しみにしてる」
「それって俺、プレッシャーかけられてる?」
「期待してる!」
同じことだよなぁと苦笑しながら、じゃあ遠慮無くと最後のプチシューに手を伸ばした。力加減を間違えて潰してしまわないように気を付けてつまみ上げ、口に運ぶ。
と、何故か目の前が薄く陰った。
「んっ?」
プチシューを放り込んだばかりで閉じられていなかった口に、何か柔らかく暖かい物が触れる。間をおかずに舌が差し入れられ、とろりと甘さが口内に広がった。
満足したのか、すぐに離れていくカナタ。何が起きたのか理解しきれず半ば呆然と見つめた顔は、頬がほんのり赤くなっている。
「ごめん。嬉しそうなの見たら、我慢できなくて」
少し照れたような、それでいてイタズラが見つかった時のようにも見える表情で、言い訳のようにカナタが呟いた。唇の隙間からちらり覗いた舌先に淡い黄色がついているように見え、瞬間的に何をされたのか理解して顔に熱が集まる。
「……カナタ、どこでそういうの覚えてくるの……」
「人聞き悪いこと言わないでよ。覚えてきたんじゃなくて、衝動だって」
咽せそうになったが、どうにか口内で破られクリームの流れてしまったプチシューを飲み込んでから、ちょっとだけ呆れて尋ねる。慌てて首を振って否定されるも、衝動でこんなことできるんだろうかと怪しんでしまう。少なくとも今まで、そんな衝動を感じたことはない。
自分に経験がないことを理由に否定したり疑ったりするべきではないが、ちょっとだけ疑わしい目で見てしまう。気づいたらしいカナタが、慌てて首を振った。
「ほんとだって! つーか、こんなこと、誰に教わるんだよ……ゼノ以外に」
「それは……そうかもしれないけど……。カナタいつも突然すぎるから」
「それこそゼノが好きだって衝動だからでしょ」
必死に弁明するカナタに眉根を寄せて小さな苦情を零すと、自信満々に言い切られてしまった。再び赤面させられる羽目になり、少しだけ悔しくて顔を逸らす。
「カナタって」
「半分食べちゃったし、明日の唐揚げリクエストはなしでいいからさ」
悔し紛れに呟こうとした言葉を遮り、追いかけてきたカナタが顔を覗き込みながら告げる。だから機嫌を直してと言外に伝えてくる提案に、小さく吹き出してしまった。
機嫌を損ねたわけではなさそうだと気づいたんだろう、カナタが安心したように目を細めて笑う。
「カナタって、可愛いね」
「は?」
唇を触れさせるだけのキスをしてから、遮られたのとは違う言葉を口にした。目を丸くしたカナタに笑顔を向けると、一瞬顔を顰めてから逆襲とばかりにキスを仕掛けられてしまう。口内にクリームは残っていないはずなのに、プチシューの味がした気がする。
「ゼノの方が可愛いくせに、何言ってんの」
キスを解いて得意顔で言うカナタ。そういうところも可愛いと思うんだけどなと、胸中でだけ呟く。
多分恐らく、カナタが想ってくれているのと同じくらい。
もちろん、翌日の夕飯には生姜をたっぷり効かせた唐揚げを作ってあげた。喜ぶカナタが見たかったし、今度は最後のひとつをカナタに食べてもらいたかったから。
こめんと。
3作目。
仕事帰りに思いついたワンシーン。
ゼノ側から書いたのは初。
カナゼノはお互いに可愛いと思ってるといいよ!
(2021.6.13)