可愛いの表し方

「カナタ、可愛いな。食べちゃいたい」
 うっとりとした声音でゼノが口にした言葉が、カナタの耳にも届く。丼に口を付けていたカナタはぴたりと箸を止め、視線だけでゼノを窺った。
 とろけそうな笑顔でカナタを見つめるゼノと目が合い、少しだけ首を傾げられてしまう。
「どうかした?」
 笑顔を収めて不思議そうな表情を覗かせたゼノに言葉でも尋ねられ、丼から口を離した。テーブルに丼を置き、詰め込んだ肉と米を咀嚼する間も、ゼノを凝視したままだ。何を言うべきか思考が纏まらず、殊更ゆっくりと顎を動かす。ゼノは小首を傾げたまま、カナタの言葉を待っていてくれる。
「……いや、どうしたって……オレの台詞じゃない……?」
 たっぷり時間をかけて咀嚼してから飲み下しても、考えは纏まらず答えも出なかった。というか、どうかしたと訊きたいのはカナタの方だ。と、思う。
 ゼノの私室で夕食をごちそうになっている場面で、なんで料理ではなくカナタを食べたいと言われたのだろうか。……考えて答えが出る問題ではなかったと今更気が付いた。予期せぬ言葉に、ちょっと混乱しているのかもしれない。
 でも、ゼノは今しがた口にした言葉に、なんの疑問も覚えていないようだ。傾げた首の角度が深くなった。
「えっ、俺? なにか変だった?」
「いや、変ていうか……オレを食べたいって、おかしくない?」
 全く気にした様子のないゼノに、カナタの感覚の方がおかしいだろうかと疑問を覚えた。いや、多分、人を食べたいと言う方がどうかしてると思うのだけれど……少なくとも、カナタには。
 カナタの疑問に、ゼノが傾げた首を戻して考える。見守って十数秒、何かに気付いたらしく「あっ」と小さくない声をあげた。
「そっか、勘違いさせちゃったのかな。カナタが食べたいっていうのは、キスしたいとか、えっちなことしたいとか、そういう意味だよ」
「っ、そ、そっか」
「照れちゃった? カナタ、ほんとに可愛いな」
「照れてないし。つかゼノのが可愛いし」
 笑顔に戻ったゼノの説明に、カナタの頬が熱くなった。食事中に出るにはやや不適切な単語のせいだ。ゼノも同じように頬を少し染めているが、カナタと違って気恥ずかしさからというわけではないだろう。口にした行為を思い描いて、多少興奮しているように見える。むしろ、赤くなったカナタの様子にというべきか。
 そもそも最初に親友ではしない行為に及んだ時だって、ゼノが恥ずかしさを覚えているようには見えなかった。躊躇なく晒されたゼノの全裸を前に戸惑っていたカナタの方がおかしいのかと思うくらい、いつもどおりだったと記憶している。……あ、いや、好奇心全開な様子ではあったので、いつもどおりとは言い切れないか。
 からかうでもない言葉に言い返してから、いつもの反論を返す。告白の返答をもらって以来、ゼノはよくカナタを可愛いと称するようになった。大抵頬をほんのり桜色に染め、とろけるような笑顔で口にするのだが、そんなゼノの方が可愛いとカナタは思っている。
 制作していたものが上手く作れた時や、バース産のゲームで難所を攻略した時に見せる笑顔も可愛い。遊んだあとに空腹を訴える音が聞こえて照れる姿も、作業でちょっとした失敗をした時に見せる恥ずかしそうな姿も、全部可愛いと思う。
 でも、作業や執務に集中している時や楽しそうに調理をしている時は、かっこよく見えた。かっこよくて可愛いなんてずるいよなと、以前溜息交じりに思ったことがある。カナタの好きが、まだゼノに響いていなかった頃の話だ。
 可愛いなんて主観の問題で、カナタが好きな献立とゼノの好きなそれが異なるように、それぞれに基準だって違うのだろう。だから、ゼノに可愛いと言われること自体は、納得できなくても否定しない。でも、口にはできなかったけれど、カナタはもっと前からずっとゼノを可愛いと思っていた。
 だからすんなり「可愛い」と言われると、ちょっとだけ悔しい。だから、反論はしっかりしておく。といっても、ゼノに訂正や撤回を求めるためではなくて、カナタの主張がしたいだけというか。これはゼノも同様の考えなのか、カナタの方から可愛いと言うと反論が返ってくる。そのままどちらが可愛いかの言い合いに発展するものの、喧嘩というレベルではなく、気の済むまで主張しあうだけ。お互いに撤回する気も相手に求めるつもりもないから、大した問題ではない。
「食べ終わったら、キスしよ?」
「いいけど、キスだけね」
「え~?」
「明日も平日だし。執務あるし」
 赤い頬のまま誘いかけてくるゼノに頷きながら、一応忠告しておく。不満だと声をあげるゼノにいつもどおりの言い訳をしてから、改めて食事を再開するべく丼を持ち上げる。
 今夜の献立は、昨日無性に食べたくなって仕方なかった牛丼だ。初めて作ったからとゼノは自信なさげな様子だったが、見た目も味もカナタが求めていた牛丼そのもの。懐かしさと美味しさから、あっという間に食べ終わってしまった。食べっぷりを嬉しそうに眺めていたゼノから「おかわりたくさんあるよ!」と言われ、二杯目の最中。ちなみにゼノも同じく二杯目を食べている。
 元々は昨日の夕飯にと言ってもらったが、あの後少し忙しくなってしまい作る時間がとれなかった。なので、今日に持ち越した次第。飢餓感にも似た牛丼食べたい欲求については昨日の夕方には多少落ち着いていたから、問題もなかった。翌日食べられるという期待もあったからだろう。
 なのにゼノは「約束したのに」と、肩を落として意気消沈した様子だった。楽しみにしてるの一言で、どうにか気を取り直してくれたけれど……その様に愛されてることを実感して、内心悶えそうだったとは流石に言っていない。誤魔化しと礼の代わりに、昼と同じようにぎゅっと抱き着いてはしまったけれど。
「俺なら大丈夫だし、構わないのに」
「そう言ってくれるのはありがたいけど、けじめはつけたいから」
 少し拗ねたように返されるのもいつものことで、口にしたとおりありがたいと感じてはいる。でも、どこかで区切りを作っておかないと、ずるずると自堕落になってしまいそうで怖い。誰がって、カナタ自身がだ。
 カナタだって、曜日など関係なくゼノに触れたい。初めて衝動を覚えた日から何カ月も、ずっと望んでいたのだから。今でさえゼノには言えていないような夢をみたことだって、片手じゃ収まらないほどある。何かしらのルールを自分に課さなければ、容易く手を伸ばしてしまいそうで。
 それに、ゼノの体だって心配だ。本来そうするようにできていない行為をしているのだから、影響が皆無とは言えないだろう。ゼノはすぐ無理をしてしまうから、カナタが気を付けなければと使命感に似た思いもある。
 カナタの意思を尊重して、ゼノはルールに頷いてくれた。でも不服そうでもあって、こうして度々言葉にしてくる。そのたびに悪いなと思うけれど……もうしばらくは、諦めてもらいたい。カナタのためにも
 いつもと同じ答えを返したが、ゼノからの反応がない。ちらりと視線をあげると、「愛しい」と告げる表情に出くわす。
「ずるいなぁ、カナタ」
「ずるいって」
「ずるくて、とびきり優しくて、すっごく可愛くて。早く、食べたいな」
 いつもより少し甘く響く声で、うっとりとゼノが告げる。咀嚼しながら、数回瞬きをした。
「……それ、不思議なんだけど」
「え? それって、どれだろう」
「食べたいって」
 流石に食事と同義で言っているとはもう思わないが、表現として不可思議に思う。人に対しての表現としてもそうだし、可愛いから食べたいというのも、カナタにはわからなかった。行為では受け入れてくれる側のゼノだから、そのように感じるのだろうか。
 指摘すると、少しだけ首を傾げたあと、ゼノが顔を更に赤くした。
「あれ、もしかして、俺、食い意地張ってる、かな……?」
「え? なんで?」
「だから、食べたいって思っちゃうのかなぁって」
「や、えっと、わかんないけど」
 どうやら自覚がなかったらしい。照れくさそうに言う様に、続けそうになった言葉を飲み込むだけの理性はあった。いや、流石に今『とりあえず可愛いから抱きしめたい』なんて言えない。言ったら最後、けじめはどこにいった事件になるのは明白だ。
「うわ~、恥ずかしい~。でも、食べたいって思っちゃうんだよな……」
 真っ赤な頬に手をあてて恥ずかしがるゼノから、バレないように視線を丼に戻した。こんなにはっきりと恥ずかしがるゼノは、直視するのを避けたくなるほどの破壊力があった。えぇと、カナタの理性に対して。
 それに、性的な行為にも反応しなかったのに恥ずかしがるのはそこなのかと、悶絶しそうでもあったから。
「別に嫌じゃないよ」
「ほんと?」
「むしろ、ゼノらしいなって」
「それって、やっぱり食い意地張ってるなって思ってる?」
「や、違うけど」
 美味しい牛丼を一口食べて何とか落ち着くことに成功したので、率直な感想を告げてみた。ちょっと睨まれてしまったけれど、ゼノが感じているだろう意味合いは全くない。
 食事をする時、ゼノはいつも幸せそうだ。だから、カナタを食べたいという表現もきっと、ゼノの幸せに繋がる欲求からきているのだろう。キスも体を繋ぐ行為も全部まとめて、「食べる」というゼノにとって幸せな行為。
 なら、ちょっとくらい表現がカナタとは違ったって独特だって、気にすることじゃない。むしろゼノが幸せだと認識してくれているなら、カナタも嬉しくなる。
 うまく説明できる気はしなかったが告げてみると、ゼノはまた少しだけ考えて。
「やっぱり食い意地張ってるって言われてる気がする!」
「たくさん食べるゼノも大好きだよ」
「カナタ~!」
 そんなつもりはないのに嘆くからフォローのつもりで告げたのに、怒ってるような困っているような声で強く呼ばれてしまった。正直に告げたのに、からかってると受け取られてしまったらしい。
 あぁ、でも。珍しくも真っ赤になっているゼノは、より可愛く見えて。普段と違う表情を見せてくれるのが嬉しいし、今はカナタが独り占めしているんだなと思うと、優越感のようなものが胸の内に少し湧いてくる。
「ちょっと、わかったかも」
「え?」
「好きだから食べたいって言うの」
「カナタも?」
 呟きにゼノが反応する。少し目を丸くしてから、嬉しそうな色が広がっていく。
 可愛いとか愛しいとか抱きしめたいとかキスしたいとか。そういう想いがひとまとめになったら、独占欲のような「自分だけのものにしたい」欲求も少なからず存在はしていて。それが、生き物の本能的に自分の中に取り込みたいになった結果「食べたい」、なのかも、しれない?
 なんとなくわかったような気がするだけだ。カナタ自身はゼノを食べたいとは思わなかったから。独占欲のようなものが皆無ではないが、ほぼ毎日一緒にいるし、お互い以上に仲のいい相手もいないの、意識することなど滅多にない。
 『食べてしまいたい』と思うまでもなく、今のカナタは満たされているから。
「食べたくなったら、いつでもいいよ!」
「や、土の曜日だけにしとく」
「も~、カナタ~」
 嬉しそうに頬を染め直したゼノの誘いに、努めて素っ気なくいつもの返答をする。ゼノからがっかりした声が返っても、揺るがされずに理性を保たねば。
 今日は木の曜日。今と明日一日を我慢したら、お待ちかねの土の曜日なのだから。





+モドル+



こめんと。
カナゼノ34作目!
『テイクアウト』の翌日のお話です。
自分が作った牛丼に目を輝かせて、
「美味い」ってがつがつ食べるカナタを見てたら、
可愛くて愛しくて仕方なくて「食べちゃいたいなぁ」
ってなるのも、仕方ないですよね?
(2022.6.10)