高火力への憧れ

「困った」
 執務室の机に突っ伏してぼやく。夕刻になり、そろそろ執務の終わる時間だ。執務室内にはカナタしかおらず、人目を気にして取り繕う必要はない。
 以前、牛丼が食べたくなった時と同じだなと、ちょっと自分に呆れる。だが、食べたいものは食べたいのだから、仕方がない。
 先ほどまで育成依頼に来ていた青い髪の女王候補と、珍しくも会話が弾んだ。話題は飛空都市では食べられない、バース特有の食事が恋しいというもの。それぞれの家庭の味に始まり、よく食べに行った店の話に移ると、ジャンルも和食に洋食、カナタ自身に馴染みはないがイタリアン、フレンチと広がっていった。
 挙げ始めたらキリがなく、ちょっと収拾がつかなくなりそうになったところで、ハッと気付いてまだ今日の予定をこなせていないからと少し慌てて候補が退室。見送って真面目に執務に取りかかろうとしたのだけれど、脳内の区切りは簡単にはいかず、食べたいバースのメニューが次々と浮かんできてしまい。
「あー……チャーハン食いたい……」
 最終的に、チャーハンがどうしても食べたくなるという事態に陥った次第だ。もうすぐ執務時間が終わるから、小腹が減っているのも影響しているのかもしれない。
 空腹というだけなら、少し早く執務を切り上げて聖殿内の食堂に行けば済む。あまり褒められたことではないかもしれないが、きちんと今日やるべきことはやったのだから怒られるほどではないだろう。だが残念なことに、食堂のメニューにチャーハンはラインナップされていない。招致されたばかりの頃には中華もあったが、定期的にメニューの入れ替えがあるようで、前々回の変更から姿を消してしまった。今は、故郷の洋食屋でなじみ深いメニューが並んでいる。ハンバーグにオムライス、ミックスフライ、あとカレーライス。変更されたメニューを見た時にゼノが喜んでいたっけと、笑顔を思い出して暖かい気持ちになる。
 でも、今だけはそれもすぐに落ち着いてしまう。食べられないと思うほどより食べたくなる、チャーハンで脳内が占拠されていくようだ。
 提供されていない以上、どうしても食べたいなら自分で作るしかない。味付けに自信はないが、チャーハンっぽい物くらいなら作れると思う。ただ、食材をどう調達するべきかという問題がある。
 普段自分で料理などしないので、カナタの私室に食材はない。いつも手料理を振る舞ってくれるゼノは、取り寄せたストックがあったり、厨房でわけてもらったりしているらしい。食べに行ったことしかないカナタがいきなり食材を分けて欲しいと申し出たとして、もらえるものだろうか。
 それに、火力の問題もある。カナタが思い浮かべているのは、学校帰りに友達と寄ったラーメン店で食べたチャーハンだ。きらりと光る脂を纏いながらもべたつかずほどけるあのチャーハンを作るには、私室に備え付けられたコンロでは力不足だろう。もっとも、あの火力が再現されたとしても、カナタに作れるかという問題は残るわけだが。
 つまり、すぐに食べられそうにはない。だからこそますます食べたくなる。牛丼の時と同じすぎと突っ伏したまま長く息を吐きだした。
 バースでなら夜中でもコンビニで冷食を買えば簡易に鎮められた欲なのに。文化レベルはバースよりもずっと高いが、飛空都市は案外不便なのかもしれない。
「カナタ、お疲れ様っ」
「え、わっ、ゼノ!?」
「あはは、驚かせちゃった? ごめんね。すっごく疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
 誰も来ないだろうと思って1ミリも取り繕わずに油断していたら、ゼノが入ってきてしまった。気を抜きすぎていて弾む声を掛けられるまで気付かず、ばっちり目撃されてしまったようだ。
 カナタの慌て様に苦笑したあと、ふっと表情と声を心配に切り替えたゼノが気遣ってくれる。食べられないものを食べたいと強く要求するのは無駄だと学習しない自分に呆れはしているが、身体的な疲労は全然ない。誤解で不要な心配をさせてしまった。「全然大丈夫」と真っ先に否定してから、若干情けなさを覚えながらも突っ伏していた理由を簡単に説明する。切欠は候補との会話だったが、チャーハンが浮かんだのは退室後なので、そこは言わなくてもいいかと端折った。重要なのは、食べられないのに食べたくなった部分だからいいかと思って。
 説明を聞き終えたゼノは何故か、驚いて目を丸くしてみせた。……牛丼の時といい、食い意地が張ってると思われてしまっただろうか。あれからまだ一ヶ月経っていないのにと、自分でさえ呆れているくらいだ。ゼノにも同様に思われてても不思議じゃないし、むしろ可能性は高いだろう。
「すっごい偶然だね!」
「え?」
 だが、ゼノはすぐに顔を輝かせて、歓声をあげた。思ってもみなかった反応に首を傾げるも、満面の笑みという表現がぴったりなゼノは、眩しいほどに嬉しそうだ。
「あのね、今日、バースの中華を作ろうと思って、誘いに来たんだ!」
「えっ、マジで!?」
「うん、マジで!」
 目を丸くして立ち上がってしまうほど驚いたカナタの反応に、頷きながらも同じ言葉で返してくれる。余程高揚しているのか少し浮き足立って見えるゼノに、驚きと同時に疑問を覚えた。だって、ゼノはバースの中華に馴染みがないはず。なのにどうして、ピンポイントで思い立ったのだろう。
 カナタも候補との会話で思い出したという切欠がある。候補の口から中華の話は出なかったけれど、カナタには慣れ親しんだ故郷の料理だから不自然ではない。でも、ゼノは?
 言葉にしなくても疑問が伝わったのか、最初から説明するつもりでいてくれたのか。にこにことカナタを見つめながら、ゼノが青い髪の候補と話をした結果興味を持ったのだと教えてくれる。
 どうやらカナタの執務室を出た後、候補はゼノの元へ向かったらしい。いつもどおりに依頼内容を告げた候補の様子が、だけど少し元気がないように思えたとゼノ。何かあったのかと尋ねると、気恥ずかしそうにバースの食事が恋しくなってしまってと返ってきたそうだ。
 もう一人の候補は執務室で話している時にも割と感情が窺えるが、青い髪の候補は基本的に執務室では常に真面目で冷静沈着に見える。にもかかわらずゼノに気付かれる程だったのなら、カナタ同様に食べたくても食べられないものを求めてしまったのではないだろうか。勝手な推測で、ちょっと親近感が湧いてしまった。
「バースの料理はカナタのために何度か作ってるから俺でも出来ると思うけど、彼女にだけ振る舞うのは違うかなって。だから、今度の土の曜日のランチに二人でどうって誘ってみたんだ」
「ゼノらしいね。レイナはなんて?」
「彼女が大丈夫だったらお願いしますって」
「あー、お姉さんなら絶対来ると思う。オレがゼノの料理めちゃくちゃ美味いって絶賛しまくってるから」
「えぇ? 嬉しいけど、大げさだよ。ちょっと恥ずかしいな」
 ゼノの説明に、その時の情景が浮かぶ。きっといつものように「俺に出来るなら」って提案したのだろう。相変わらずだなと思うけど、躊躇なく言っただろうゼノを尊敬もする。
 候補の回答に苦笑しながら推測を伝えると、ゼノが頬を赤らめてみせた。実際ものすごく美味しいのに、ゼノの自己評価は謙虚なままだ。
 ピンクの髪の候補は二人の関係を知っているので、カナタの感想は気持ちの上乗せがあると思われていただろう。ただ、月イチ食事会に参加しているノアからも美味しいと聞いたようで、実際に美味しいのだろうと興味を持っていた。だから、間違いなく揃って参加するに違いない。
「いいなー、お姉さんたち」
 バースの料理もだが、ゼノの手料理に羨ましいと零す。その分ゼノとの時間が減ってしまうことも気付いてしまって、溜息混じりになってしまった。候補のためのランチなら、カナタが行っては邪魔になってしまうだろう。そもそも普段からご馳走してもらっているのに、一食参加できないだけで嘆くのはみっともないなとも思ってもうひとつ溜息が出ていった。
「えっ。何言ってるの? カナタは来てくれないの?」
「オレもいいの?」
「カナタがいなきゃ、俺が淋しいよ」
 だけど、ゼノはそう言ってくれた。許可をもらえたことよりも、ゼノも同じように感じてくれたのだとわかって嬉しい。頬は染めたままだけどまっすぐに見つめて言われると、ちょっとくすぐったくもなる。
「じゃあ、遠慮無く。ていうか、手伝うよ」
「良かった。ありがとう!」
 カナタの方が照れながら返すと、ゼノがとびきり嬉しそうに笑ってくれた。それが嬉しくて、カナタも口元を綻ばせてしまう。手伝うとは言ったけど、ゼノの手際の良さの前にはあまり役に立てない。それでも、食器を並べるなどの雑用なら率先してやらせてもらおう。
 あとはただ純粋に、ゼノと一緒にいられる時間が増えることが嬉しい。まだ確定ではないが、候補が参加するならきっと視察同行を求められることはないはず。ということは、準備の手伝いのために朝からずっと一緒の可能性が高い。いっそ金の曜日から泊まってしまうのもアリかな、なんてところまで一瞬で飛躍してしまった。
「あ、それで今日中華なの?」
「え? あ、それね。違うんだ」
「違う」
 浮かれすぎでしょと自分の思考に待ったをかけて、土の曜日の予定はひとまず脇に置いておくことにした。代わりに、今日の夜に中華を作ると誘いに来てくれたことに話を戻す。
 もしかして、土の曜日のための試作だろうかと思いついて尋ねてみたが、ゼノからは否が返ってきた。
「レイナはパスタが食べたいって言うから、イタリアンっていうのに挑戦してみるつもりだよ」
「そうなんだ。それも楽しみ。でもなんでイタリアンが中華作るになったの?」
 パスタに馴染みはあっても、イタリアンといわれると途端に敷居が高くなる。社会人ならレストランに行くこともあっただろうが、まだ学生だったカナタは家族と行くくらいしか機会自体がなかった。友達と行くのはファミレスだったし。パスタ専門のファミレスもあったが、イタリアンかと言うとちょっと違うと思う。
 だから土の曜日への期待が更に高まったが、イタリアンと中華は全く似つかない。少なくともカナタはそう思う。
「んっと、イタリアンってパスタ以外にどんなのがあるかな~って検索してたら、途中で他のも混ざってきちゃって。油淋鶏っていうのがすごく美味しそうだったんだ」
「画像検索あるある」
「あるある?」
「あーえっと、よくあるよねって」
 再度の質問に、ゼノは苦笑混じりで応えてくれた。思わず呟くと、ゼノが首を傾げる。誤魔化すように言い直すと、頷いてくれたのでほっとした。
 バースの有名なウェブ検索でも、画像検索は途中から違うものが混ざってくる。何故イタリアンで検索して油淋鶏なのかはわからないが、確かに美味しい。カナタにはちょっと甘めだけど。
「作り方を見てみたらそんなに難しくなかったし、唐揚げ用の鶏肉で作れそうだったから」
「それで、中華にしようって考えたんだ」
「うん! 主食は何にしようかなって改めて検索したんだけど、麺類だとすぐに用意できないから、ご飯物にしようと思って」
 突然ゼノがバースの中華を作ると言い出したカラクリがわかって、改めて頷いた。にこにこと楽しそうなゼノの説明は、だけどもう少し続くらしい。
 確かに、麺類はすぐの調達は難しいだろう。食堂で提供されていないから、現時点で飛空都市自体にない可能性が高い。これが午前の話なら取り寄せて夕飯にすることもできたかもしれないが、すでに夕飯目前の時間だ。米ならあるので、選択の流れとしては自然だろう。
 中華のご飯物といえば、カナタ熱望のチャーハンはもとより、天津飯や麻婆丼などもポピュラーだ。その中からゼノがチョイスしたのは、一体なんなのか。――答えは、笑顔が告げているような気がする。
「もしかして、チャーハン?」
「当たり! だから、カナタがチャーハンが食べたいって言うの、すっごく嬉しくって」
「いや絶対オレの方が嬉しいから! やった!」
 期待しかない状態で確認すると、ゼノがとびきりの笑顔で答えをくれた。まさか、カナタが食べたくなって仕方なくなったチャーハンをチョイスしてくれたなんて。食べたくて仕方なかったものが食べられる喜びももちろん大きいけれど。
「今回も以心伝心かもね」
「あはは、俺もそれ思ったんだ!」
 前回、牛丼が食べたくなった時のやりとりの際にゼノから出た言葉。思い出して口に出してみたら、ゼノも笑って同意してくれる。
 それさえもが以心伝心だなと笑ったところで、執務時間の終了を告げる音が響いた。ぴたりと顔を見合わせて、お互いにひとつ頷く。
「じゃあ、行こっか!」
「うん、よろしく! あ、オレもなんか手伝うから」
「ありがとう!」
 ぱぱっと机の上を片づけるカナタを待っていてくれたゼノと並んで、執務室を後にする。
 目指すはゼノの私室。目的はカナタにも出来る手伝いを見つけ実行することと、ゼノが作ってくれるチャーハンを筆頭にしたバースの中華だ。足取りだって、執務終了後とは思えないほど軽い。
 ゼノが作ってくれたチャーハンも油淋鶏もとても美味しくて、無事カナタの食べたい欲求は大満足で解消した。ゼノも気に入ったのか、今度はラーメンに挑戦したいなんて意欲的な発言まで飛び出すほど。カナタが喜んだのは言うまでもなく。
 切欠をくれた候補に感謝の念が湧いて、その日の夜の育成は、いつもよりちょっと多めにサクリアを送ってしまうカナタだった。




+モドル+



こめんと。
めっちゃ間が空いてしまった36作目。
秋は何かと忙しい……主にハロウィン準備な意味で。
「テイクアウト」の3週間後くらいのお話です。
候補たちだってきっとバースが恋しくなることもあるよね。
レイナが自炊ちょっと苦手だったら可愛いと思ってる。
あ、タイトルはなんとなくです。
(2022.11.2)