きすまぁく

 まだバースに居た頃、友人たちと集まった時に同じクラスのあの子が可愛い、いや隣のクラスのあの子が、オレはあの先輩が、みたいな話をしたことがある。いつも遊んでいたメンバーの中に、彼女持ちがいたことはなかったようで、最終的に話は「オレの考える初デート」に流れていった。興味のなかったカナタは専ら聞き役で、多分に右から左に聞き流していた。特に、妄想がエスカレートしてピンクな話題になっていった時は、相槌を打つ以外の反応をしなかった。
 もちろん、高校生男子として全く興味がなかったわけではない。ただ、恋愛として人を好きになった自覚のない自分にはまだ早いような、遠い世界のような感覚でいた。性的なことに興味を抱くより、気の合う友人たちと遊んだり、進路について考えたりと、他のことに勤しんでいたといえるだろう。
 あの時、彼らは何と言っていただろうか。最近ふと場面として思い出すのは、興味どころではなくなった現状からかもしれない。もっとも、大多数を聞き流していたので、何を言っていたかはほとんど思い出せないが。
 それでも、ひとつだけ明確に思い出せた単語があって、確か『ベタだけど見えるところにつけてみたいよな』とか続いていたと思う。
 キスマーク、というやつである。
 さほど興味のなかったカナタでも、ソレがマーキングの意味を持つことはおおよそ理解できていたから、そういうものかと思った記憶がある。どうしても遠い未来の話にしか感じられず、つけてみたいと思う想像もできなかったなと。
 実際に恋人と呼べる存在を得た今も、キスマークをつけることに意欲は感じていない。元々の性格が関係している可能性はあるが、もっと明確な理由がある。
 恋人の存在を仄めかすことができないという理由が。
 なにせ相手は同じ守護聖。仮にも宇宙の命運を賭けた女王試験の真っ最中だ。バレたら不謹慎だと言われかねない。同性同士であることも、カナタの常識的にはネックだ。
 そんな状況下で、暢気に恋人にマーキングしたいなんて言っていられない。
 ……というのは、紛れもなくカナタの本心なのだけれど。
 気が付けば、相手の背中だとか足だとかに散見できて、たまに頭を抱えている。どうやら、顔合わせにならない時、キスしたい欲求を誤魔化す為に吸い付いてしまっているようで。服に隠れる場所なので、相手も特に気にするそぶりはなかった。
 だから、油断でもしていたんだろうか。
「ゼノ、ごめん!」
「え、なに? いきなりどうしたの?」
 朝、同じベッドで寝ていた相手からいきなり土下座をされたら、そりゃ驚きもするだろう。目を丸くしたゼノが頭を上げさせようとするのに抗いながら、今しがた見えたモノについて説明する。
 うなじより少し斜めに下。尻尾のように揺れる長い髪に隠れない場所につけてしまった、赤い鬱血痕。しかも何度も吸い付いたらしく、くっきり目立つほどに赤くなってしまっている。
 ゼノの執務服はフードがある為、首回りは見えにくい。だが、ゼノより身長が高い人間からは簡単に覗けてしまうだろう。そこまで近づく者がいるかわからないが、可能性としてはゼロではない。
「これ、絶対やばいよな……」
 連れ立って洗面所に行き、鏡の前に立ったゼノの後ろから手鏡で見えるように協力しつつ、眉根を寄せてぼやく。恐らく、服を着てしまえばカナタからはぎりぎり見えない程度だろう。だが、もう少し高ければ見えるだろうし、該当する守護聖も数人いる。
 下世話な話を好むではないだろうが、あまりにも赤が目立ち過ぎてしまう。
「あはは、すごい、こんなに綺麗に赤くなるものなんだね」
「笑ってる場合かよ! って、いや、オレが悪いんだけど……」
 合わせ鏡にした状態でようやく確認できたゼノが、暢気に笑う。思わず声を荒げてしまったが、元凶が言うべきことではないと声が萎む。幸い今日は日の曜日なので外に出なければいい。ゼノの私室だから、一歩も出ずに済ませられるだろう。だが、一日でこの赤が消えることはあるんだろうか。
 どうしようと考えていると、不意に視線を感じて顔をあげた。鏡越し、ゼノが見ている。目があったのに気付いたんだろう、安心させるように笑顔を向けてくれた。
「そうだな、カナタにも手伝ってもらおうかな」
「え? まさか、消せるの?」
「見た目だけはね」
 当事者なのに全く慌てる様子のないゼノに疑問を向けると、小さく頷いてからちょっと待っててと一度洗面所を出ていった。見た目だけ消せる……つまり、隠せるということだろうか。
 絆創膏で隠すというのはカナタも知っている。だが、傷ができるような場所ではないので、あからさますぎるような気が……。
「お待たせ。これがあるから問題ないよ」
「なにこれ……?」
「人工皮膚、かな」
「は?」
 ゼノが持ってきた箱は、工具箱程度の大きさだった。中に収められていたのは言葉通り皮膚の色を示す小さなケースや、小型の瓶に筆。それからガーゼや包帯なんかも入っている。
「それか、特殊メイクの素材っていった方が伝わりやすいかな?」
「あ、それならわかる。映画とかで使ってるやつだろ?」
 人工皮膚と言われて驚いたが、特殊メイクならわかるし納得もできた。つまり、鬱血痕を覆い隠してしまおうというのだろう。確かに見た目は消せるという言葉どおりだ。
 だが、気になるのは何故特殊メイクの材料をゼノが持っているのかということ。女王候補のアンドロイドを作るのに協力したと訊いているので、その名残だろうか。
 尋ねると、しばしの無言。その間に手早く道具を出し、準備を進めている。
 答えたくないなら無理に聞こうとは思わないが、なんで特殊メイクの道具と一緒に包帯が入っているんだろうと、新たな疑問がわいてしまった。
「……隠すため、だよ」
「隠す?」
「うん。傷を、ね」
「なんで?」
 小さく息を吐き出したゼノが、手元を見ながら答えを呟いた。端的すぎる回答を繰り返すと、もう少し明確な単語が返ってくる。だが、疑問は全く解けなかった。
 なぜ傷を特殊メイクで隠す必要があるのだろう。それとも隠したい古い傷跡が残っているのだろうか? だが、ゼノの体なら本人が見えないところまで余すことなく見ているのに、思い当たる場所がない。普段隠しているとしても風呂から出た直後は恐らく隠されていないはず。
「昨日はなかった傷があると、心配されるでしょ? それがちょっとね、苦手だったんだ」
「えーと、ごめん、よくわかんない」
「はは……だよね」
 ゼノの説明に適当な相槌を打つのは憚られ、でも嘘をつくのも嫌で正直に応える。小さく笑ったゼノだけれど、声に翳りは感じられなかった。誤魔化すのに長けている相手の声だけで判断できるほど、カナタに経験値はない。
 なんと声をかければいいのか迷っていたら、不意にゼノが顔をあげた。鏡越しではなくカナタを振り返って、はにかんでみせる。
「でも、今はもうしてないけどね。だからこれは、過去の遺物……みたいなものかな」
「ゼノ」
「そんな顔しないで。過去の話なんだって」
 無理をしている顔には見えなかった。真偽の別がつけられない以上、信じるしかない。わかったと頷くと、何故か筆を渡される。
「ゼノ?」
「手伝ってくれるよね? 流石にそこ、うまくできる気がしなくて」
「あ、うん。もちろん」
 鏡で見るのも難しい場所なので、ゼノの言い分はもっともだ。元凶であるカナタが手伝うのも道理だろう。
 特殊メイクなど初めてするが、ゼノの指導に従って進めると案外簡単にできてしまった。作業自体が複雑ではなかったのもある。
 パテのようなもので鬱血痕を覆い、周りの肌と色を馴染ませるだけだったから。
「すげー、マジでわかんねぇ」
「カナタが不器用じゃなくてよかったよ」
「いや、簡単だったし。ゼノの教え方もうまかったし」
 じっくりと見れば少々違和感を覚える可能性はあるが、施したカナタ自身が見てもどこにキスマークがあったかすぐにはわからなくなった。これなら周りの目を欺くことができるだろう。
 無意識とはいえ迂闊なことをしてしまったカナタは、なんとかなったことにほっと胸をなでおろす。
「最近使ってなかったからチェックしてなかったんだけど、中身も減ってるし……少し買い足しておこうかな」
「え? 使ってないのに、なんで?」
 見られていたのだろう。くすりと笑ったゼノが、少し考えてからそう呟いた。使ってないのになぜと問うと、少し頬を赤らめて道具を片付けながら。
「また起きてすぐに土下座されないように、かな?」
「うっ。今後はもっと気を付けます」
「違うよカナタ、逆」
「逆?」
 今しがたの行動を揶揄され項垂れるも、くすくすと笑いながら否定された。顔をあげると、直前よりも頬の赤みを強めたゼノと目が合う。
「我慢してほしくないからだよ」
 一瞬意味を掴み損ねたが、すぐに理解できた。だが、返す言葉が見つからない。仕方なくボディランゲージとばかりに抱きしめてみたけれど、離したくなくなってしまったので、ミスチョイスだったと思う。




+モドル+



こめんと。
4作目。
タイトルに対して色気なさすぎて謝罪レベル(笑)。
なんでゼノが人工皮膚作ってんのかって話はそのうち。
ちゃんとゼノ作なので! 作り方しらんけど!
うちのカナゼノは衝動と我慢がキーワードかな。
(2021.6.15)