今日の計画
11回目の定期審査を末に控えた週の始まり、月の曜日。終了時間よりほんの少しだけ早く執務を切り上げたカナタは、時間を調整するためにのんびりと廊下を歩いていた。
甲斐あって、目的地に辿り着くと同時に時報が鳴り響く。扉をノックし声を掛けながら中に入ると、机に向かったままのゼノが顔をあげてくれた。
「カナタ! お疲れ様」
カナタの姿を認めた瞬間、いつもの穏やかな顔が嬉しそうな笑顔に変わるのを目撃してしまった。クリティカルヒットという単語が脳裏に浮かんだが、意味を考えるのはやめておく。多分藪蛇だ。
「ゼノこそ、お疲れ」
「すぐ支度するから、ちょっと待っててね」
当たり障りなく応じると、ゼノが立ち上がって机の上をさっと片付ける。とはいえ、その必要があるのか首を傾げてしまうほど、ゼノの執務机は綺麗だ。息抜きに使ったのだろう、モノづくりの材料と道具が置いてあるくらいだろうか。
応接スペースに向かうまでもなく、片付け終えたゼノが隣に並ぶ。
「お待たせ! ごはん、食べに行こうか」
「ん。今日何食べる?」
「う~ん……まだ迷ってるんだよね。カナタは?」
「オレは、味噌ラーメン」
「美味しいよね。それもいいなぁ……」
約束をしていたわけではないが、夕飯の誘いに来たのは伝わっていた。連れ立ってゼノの執務室を後にし、食堂へと向かう。道中の話題はこれから食べる夕飯のメニューについて。
一度はリストから消えたバースの町中華が、前回の定期審査後の入れ替えで戻ってきた。今カナタが挙げた味噌ラーメンと麻婆丼、回鍋肉の3種だ。少ないが食べたくなったらすぐに食べられるのは、やっぱりありがたい。ラーメンについては、バースで通っていた店の味が恋しくもなるけれど。
ゼノが迷っているメニューはどちらもバースの料理ではなく、カナタが試したことのないものだった。絞り込まれた2品のうち、片方はゼノも食べたことがないらしい。迷っている原因は、冒険するかしないかのようだ。
席に着いてからタブレットで冒険メニューの詳細を確認している、ゼノの手元を覗き込む。カナタにも味はわからなかったが、材料欄にニンニクとニラが明記されているのを見つけてしまった。しかも、メイン食材のすぐ後に書かれているので、割と量を用いて作られるのだろう。思わず口元がひくりと動くが、真剣に悩んでいるゼノには気づかれずに済んだ。
「それさ、明日ならオレも手伝うよ」
「いいの?」
「良くなきゃ言わないでしょ」
「ありがとう、カナタ! じゃあ、今日はこっちにしよ」
カナタの提案に、ぱっと顔を輝かせるゼノ。ちょっとだけ良心が疼いたけれど、悪いことをしているのではない。はずだ。
流石に今日、ニンニクとニラを大量に使ったメニューは避けたい。そんな自分本位の理由からだとしても。
注文した料理を美味しく平らげて、ちょっと物足りないかもと笑うゼノを私室に誘ってみた。
「もちろんいいよ! 昨日の続きだよね?」
「うん。あとちょっとだったし」
「今日中に攻略できるように、がんばろうね!」
快諾してくれたゼノに、それが目的じゃないけどと内心で零しつつ頷く。先日から二人で進めているバースの共闘アクションゲームの話だ。
昨日は朝、ゼノが2時間かけて作ってくれた渾身のカツサンドを食べてから遊び始めた。夕飯後に新しいダンジョンに潜ったら予想以上に広大で、マップの7割程を埋めるまで進めたところで解散する羽目に。流石に日の曜日に夜更かしをして、月の曜日から寝坊は頂けないという理由で。なにせ、気づいたら日付が変わる寸前だった。ゼノと遊ぶのは楽しくて、つい時間を忘れてしまう。
残り3割弱。昨日と同じペースで進められれば、夜更かしにはならない時間に攻略できるだろう。……昨日と同じペースで進められれば。
食堂を出た足で、まっすぐカナタの私室に向かう。早速用意をしてくれるゼノに、飲み物用意してくると言い残してキッチンに。オレンジスカッシュと辛口ジンジャーエールのグラスを、あらかじめ用意していたトレイに被せていたラップを外して載せ、戻る。
すでにセッティングを終えたゼノは、コントローラーを手にソファのいつもの場所に座っていた。
「ありがとう、カナタ」
「オレこそ、用意ありがと」
「あれ?」
ソファ前のテーブルにトレイを置くと、ゼノが何かに気づいたと声をあげる。聞こえなかった振りでグラスと一緒に小皿をゼノの前に置いた。
「パウンドケーキ?」
「うん。ほんと、簡単で驚いた」
「カナタが作ってくれたの?」
小皿を見て正体を口にしたゼノに頷き、告げる。驚いて顔をあげたゼノに、ちょっと照れくささを覚えながらも頷く。
今日はバースの暦では3月14日。ホワイトデーだ。一ヶ月前に「変わったおやつ」と主張してチョコフォンデュパーティを開いてくれたゼノに、ちょっとしたお返しのつもりで作ってみた。
材料は先日、ピンクの髪の候補から譲ってもらったホットケーキミックス。作り方も候補に教わった。でも、パウンドケーキ作りが簡単だと言ったのは、3ヶ月ほど前のゼノだ。
カナタの誕生日の夜に作ってきてくれたブランデーケーキ。カナタ好みの甘さに抑えてくれたとても美味しいケーキの作り方を説明する時に、「材料を混ぜて焼いただけ」だと。
その時は手慣れたゼノだからそう思うんだろうとちょっと思っていたのだが、実際にやってみたら本当に簡単だった。風味や香りの調整などの技術はないので、まさに混ぜて型に流し込んで焼いただけ。風味や香りの調整もできるはずがなく、完全にホットケーキミックスの味だ。
それでも、ゼノはすごく喜んで食べてくれた。
「美味しかった。ありがとう、カナタ」
「どういたしまして。っていう程のものでもないけど」
「そんなことないよ! 俺がしたいだけだからお返しはいらないって思ってたけど、もらうとすごく嬉しいね」
ほんのりと頬を染めながら感想を告げるゼノに応じながら、少し緊張する。でも、好機は今だ。今しかない。
隣に座って微笑みを向けてくれていたゼノの方に、僅かに体を傾ける。少しでも躊躇ったら恥ずかしくて実行できなくなりそうなので、できるだけ頭の中を空っぽにして。
微笑みで細められた目が開くのを見つめたまま、ゼノの唇に重ねた。薄く口を開いて、舌先で触れた唇をなぞる。すぐにゼノも唇を薄く開いて迎えようとしてくれるが、それには乗らずに離れた。
「カナタ?」
「先月のお返し」
軽く眉を寄せたゼノの呼びかけに、達成感を覚えながら告げる。すぐには意味が伝わらなかったのだろう。小首を傾げたゼノが、数秒後にあっと声をあげる。
「それ、もしかして、キスしたやつ?」
「うん。お返し、必要でしょ?」
目を丸くして口にしたゼノに、満足して頷いた。そう、カナタからのお返しは、今のキスが本命だ。
先月、カナタの為にとチョコフォンデュを用意してくれたゼノに、こらえきれずにしてしまった頬へのキス。ほんとは抱きしめてキスしたかったけれど、土の曜日に恋人時間が持てなかったから留まれなくなるとものすごく自制した結果、ぎりぎり頬で妥協ができた。
なのにゼノからは、触れるだけとはいえ唇にキスをされてしまって。触れたくて堪らない愛しさが溢れるのをどうにかこうにか抑え込んだのだが、同時に絶対お返しすると決意していた。
だから今日、こうして夕食後に誘った次第だ。パウンドケーキは、たまたま先日ホットケーキミックスをもらったから作れた副産物で、元々の計画にはなかった。でも、作れてよかったと思う。本命のお返しのいい隠れ蓑になってくれたから、ゼノに一矢報いることができた。……はずだ。それに、すごく喜んでもらえたから、カナタも嬉しかった。
「すごくどきどきしちゃったし、すごくがっかりもした」
計画を伝えると、ゼノが桜色の頬のままソファに沈み込んだ。どきどきはわかるが、がっかりはなんだろう。
「月の曜日だけど、カナタがその気になってくれたのかなって」
「や、あり得ないでしょ。一昨日したばっかだし。つか、先月のオレの苦しみがわかってもらえた?」
「うん。ごめんね」
「じゃ、オレも。ごめん」
尋ねると、誤魔化さずに教えてくれる。日頃から土の曜日だけじゃなくてもしようと言ってくれるゼノだからこその、がっかりだったらしい。それでもカナタが告げた通り一昨日したばかりだからか、深追いはしないでくれるようだ。
改めて謝ってくれるゼノに、カナタも謝る。ホワイトデーは3倍返しが基本だと言うので、触れるだけよりほんのちょっとだけ性的なものにしてしまったから。
「これでおあいこ、かな?」
「ゼノがそれで良ければ」
「もちろんいいよ! でも、後でもう一回、キスしよ?」
お返しを企んだカナタと違って、すんなり許してくれたゼノ。頷くと笑顔で催促された。それに思わず笑ってしまう。
「ごめん。ゼノならそう言うかなって思ってたから」
「うわ、完全に読まれてた? 恥ずかしい~」
突然笑い出したカナタをきょとんとした顔で見るゼノに謝って、理由を説明する。頬の赤みを増して恥ずかしがるゼノも予想通りで、ちょっと眼福とか思ってしまった。
数秒後、何かに気が付いたゼノが小さく声をあげる。
「もしかして、さっき俺が悩んでたメニュー、明日ならって言ってくれたの」
「あぁ、うん。流石にキスするってわかってるのに、ニンニクとニラ大量なの、やじゃない?」
「確かに! なんで明日ならいいのかなって思ったんだけど、それが理由だったんだ」
気づきを肯定すると、ゼノがちょっとだけ悔しがる様を見せた。勝敗をつけるではないが、計画を全く気取られずに実行できたのは嬉しい。どうしても緩んでしまう表情を整えずにいたら、不意にゼノが小さく笑った。
「変わったおやつの3倍返しだね」
「やった」
「じゃあ、後でするキスも3倍でいいよね?」
「それは駄目でしょ、土の曜日まで持ち越し!」
「えぇ~?」
お返しが3倍ならと屁理屈を投げられたが、それは何としてでも阻止しなければ。バレンタインのキスだって、ちょっと危なかった。あれは直前の土の曜日に恋人時間が持てなかったせいもあるが、キスの濃度自体もかなり。
その3倍なんて、絶対抗えるはずがない。だから、阻止必須だ。次の土の曜日まであと5日。なんとしても、耐えなければ。
「土の曜日まで待たなくていいのに」
「ありがたいけど、けじめはつけときたいからさ」
平日でもいいと言ってくれるゼノには、悪いなと思う。だけど、今はまだ土の曜日だけにさせてほしい。
次の土の曜日は、11回目の定期審査だ。きっと最後の定期審査になるだろう。定期審査は12回まで。それまでに女王が決まらない場合には、最終手段が適応されると聞いている。
だから、非常事態の今だけでも、けじめはつけておきたい。
「3倍のキスが駄目なら、土の曜日まで毎日キスしちゃうのは?」
「なにそれ。せめて3回とかじゃない?」
「じゃあ、今日を入れて、残りは水の曜日と金の曜日だね!」
「あ」
にこっと笑って宣言したゼノに、やられたと声が漏れた。敢えてツッコミを入れざるをえない提案をしたのだろう。ゼノの笑みがちょっといたずらっぽい。お返ししたつもりが、やり返されてしまったような気持ちにさせられた。
とはいえ、ゼノとの約束が増えるのは嬉しい。ちょっとキスの後の欲求に耐えるのが苦難な気はするけれど。
「お楽しみは後にして、先に攻略、進めちゃおっか」
「だね。今日でいけるかな」
「ん~、どうだろう。奥に来たからか敵も強くなってきてるしね」
「瞬殺してる人の言うことじゃなくね?」
「あはは」
結局二人で笑いあって、ゼノが空気を切り替えてくれた。カナタもコントローラーを手にして、ゲームを再開する。強くなってきたと言いながら、出てきた敵を一撃で仕留めたゼノにツッコミを入れると、楽しそうな笑い声が返ってきた。
反対側から出てきた敵をカナタも一撃で片付け、早めに終わらせられそうかなと算段をつける。一昨日の土の曜日も、昨日の日の曜日も、夜更かししてしまった。今日は少し早めに就寝を促したいところだ。
私室に帰すときっと作業を始めてしまうだろうから、今日は泊まっていけばと誘ったら、ゼノは驚いてくれるかな。
なんてことを考えながら、ダンジョンの更なる奥地を目指して進んでいくカナタだった。
こめんと。
40作目、ホワイトデーカナゼノでした!
一年前の「三倍返させない方法」が30作目だったので、
この一年あんまり更新してないのがバレバレですね。
たまにはカナタが優勢な感じのお話にしたいなーと
こんな感じになりました。
でもやっぱり、ゼノのが強い気がするな??
(2023.3.14)