放課後には寄り道を

 その日はいつもよりも気温が高く、昼さがりに王立研究院から公園に急ぎ足で移動するだけでも汗ばむくらいだった。執務服は外気温の影響を受けにくいと説明されていたが、便利な機能が作動するほどの温度差でもなかったのだろう。
 カナタの感覚的には、少し日差しが強い春の日くらいだ。上着を脱げば暑いとも思わない程度。執務時間中だから執務服を脱いだり気崩したりするのは褒められた行為ではないはずと、脱がないまま急いでしまったのが原因といえる。恐らくゆっくり歩いていれば汗は掻かずに済んだだろう。
 でも、それはできなかった。なにせ、カナタは空腹を抱えていたので。
 王立研究院を訪ねたのは、知りたいことができたから。朝イチで妨害依頼にやってきたピンクの髪の女王候補と少し話をしていて、今更ながら育成地とサクリアの関係で疑問が浮かんだ。研究院なら資料があるだろうと訪ねたら、急ぎの仕事はないからと主任のタイラーに手ずから教授してもらえた。
 疑問はカナタのもつバース生活での感覚と、実際に赴いたり資料で見る育成地との差異に起因する。感覚で捉えた疑問を言語化するのは難しかったが、タイラーは拙い説明を丁寧に汲み取りわかりやすく教えてくれた。同郷だから、他の人よりは感覚の共有がしやすかったのかもしれない。むしろ、そのために忙しいはずの主任自ら面倒を見てくれた可能性も高そうだ。
 守護聖初心者としては非常に有意義な時間をもらえたが、お互いに時間を気にしなさ過ぎたのだろう。一室に籠ったまま昼を超えても出てこないと、心配してくれた馴染みの研究員が様子を見に来てくれて経過時間を知った。途端に体が空腹を主張してきて、直前まで平気だったのにと自分にちょっと呆れる。
 休憩もさせずに何時間も付き合わせてしまったことに礼と詫びを告げると、タイラーの表情が少し柔らかくなったように見えた。当初の疑問自体は解決していたので、そのまま研究院を退出。大分遅くなったが昼ごはんを食べるため公園のカフェに向かったので、ゆっくり歩くはどうしたって無理だったという流れだ。
 ランチの時間帯からは完全に外れているので、カフェは落ち着いていた。テーブルについている客も片手で数えきれるだけ。すぐに案内してもらえたので、食事よりもまず先にと辛口のジンジャエールを頼む。汗ばんだ後には、やはり喉を潤したい。
 メニューを眺めている間に届いたジンジャエールは冷たく、一気に半分ほどを喉に流し込んでしまった。炭酸のしゅわしゅわとした喉越しも心地よく、汗ばんだ体も勉強に疲れた頭もリフレッシュできた気がする。
 一息つけたところで、改めて体が空腹を主張してきた。できるだけ早く提供してもらえそうなメニューはと考えて、ハンバーガーセットを注文する。注文を聞いた店員が離れた後で、故郷のファーストフード店の感覚が消えていないなと苦笑してしまった。
 すぐに提供できるよう作り置かれているチェーン店と違い、ここのハンバーガーは注文を受けてから焼き始める本格派。咄嗟にカナタが描いたようなスピードでは提供されない。
 それでもパスタよりは早いはずと諦めて、ドリンクをもう一口。日当たりの良い席に案内されたので、ぽかぽかと暖かい。汗が引いたばかりの体にも優しく、冷たいドリンクはいつも以上に美味しく感じられる、居心地のいい席だなと思う。
 今日中にやらなければいけない執務は、残っていただろうか。自ら知りたいと思ったことを集中して学んできたから、心地よい疲労感がある。学校の授業では得られなかった充実感というか。急ぎの執務が無ければ、食事を終えたら私室に帰ってしまいたい。遅い昼ごはんを食べにきたのに、気分的には放課後の寄り道感覚だ。
 持ってきたタブレットで確認をしていたら、頼んだハンバーガーセットが届いた。客が少ないので、提供時間も混雑時よりは短く済んだのかもしれない。今日中の案件は執務室を出る前に終わらせたものだけで、増えていなかった。このまま私室に帰っても問題はなさそうだ。
 まずは腹ごしらえが必要なので、食べ終えてから決めようと早速ハンバーガーに齧り付いた。少ししてから、お代わりを頼んだジンジャエールも届く。半ばほどをがっつくように、残りは冷めない程度にのんびりと食べていたら、不意に横から声がかけられた。
「あれ、カナタ?」
 放たれた方を見れば、そこには少し目を丸くしたゼノが立っている。ちょうど口いっぱいに頬張った瞬間だったので応答できなかったが、理由は一目瞭然だったのだろう。微笑んだゼノがカフェの入り口に周り、店員の案内を断ってカナタの席に戻ってきた。
「ずいぶん遅いお昼だね。忙しかったんだ?」
「ん。ちょっと研究院行ってて」
 席に着き、店員にオレンジスカッシュとタルトセットを頼んでから、ゼノが尋ねてくる。その間に口の中のものを飲み込めたので、今度はしっかりと応じることができた。簡単に経緯を説明すると、ゼノが笑顔を向けてくれる。
「たくさんがんばったんだね。お疲れ様」
「さんきゅ。タイラーさんの邪魔しちゃったけどね。ゼノは?」
「俺はお昼を食べてから、依頼されてた公園のシステムチェックをしてきた帰りだよ」
「ゼノこそお疲れ様じゃん」
 労ってくれたゼノに礼を伝えてから、尋ね返す。公園内の施設や電気系統など、点検や調整の手伝いをしたのだとゼノ。それって守護聖の仕事なんだろうかと最初の頃は疑問に思ったが、今はゼノが進んでやっていることを知っている。飛空都市には限られた住人しかいないので、できることは手伝わせてもらってるんだとも言っていた。
 誰かのために何かをしていると落ち着くようなので、無理だけはしないで欲しいなと思っているけれど。何せ放っておいたら、徹夜をしてでもモノづくりをしているゼノだから。
「冷たくて美味しい」
「今日、ちょっと暑いもんね。研究院からここまで急いできたら、軽く汗掻いちゃったよ」
 届いたオレンジスカッシュを飲んで告げられた感想に、目を細めて同意する。嬉しそうに微笑んだゼノが、ちょっとだけ眩しく見えて。日差しのせいではなく、だけど気のせいでもなく。
「わかる! 俺も、ずっと外にいたから同じだよ。おやつ食べたら、シャワー浴びに戻りたいくらい」
「っ。あ、あー、シャワー、さっぱりするよね」
「でしょ? でも、そしたら執務室に戻るのが億劫になっちゃいそうで、迷ってるんだけど」
 カナタの言葉に頷いたゼノがシャワーと口にして、ものすごく動揺した。一瞬うっかりと想像してしまったから。幸いゼノには気づかれなかったようで、ほっとする。
 同性の親友なんだから、シャワーを浴びてる姿なんか普通想像しない。でも、好きだと白状した相手に対しては、想像するなという方が無理だと思う。人には言えないような夢を見ている身としては、尚更。
 一度意識してしまうと、どうにも思考がそちらに寄っていってしまう。執務服では首周りもガードされているが、週末泊まりで遊ぶ時にはもっとラフな部屋着姿を見ている。それこそ風呂上りにほんのり上気した肌を覗かせている姿だって。
 襟元から覗く鎖骨を意識して、ゼノを見れなくなることだって何度かあったことを思い出した。今それどころじゃないよねと必死に脳内から追い出そうとしてみるが、この後私室に戻ってシャワーを浴びるならと連想を解くことができない。
「カナタは? この後、執務室に戻るの?」
「あ、っと、今日は結構がんばったし、もう終わりにしようかなって、ちょっと思ってた、とこ」
「ほんとに? じゃあさ、俺の部屋で遊ばない?」
 脳内で必死に煩悩と闘うカナタには気づかず、ゼノがいいことを思いついたと提案してくれる。思わず噎せた。直前に口にしたポテトを飲み込んだ後で良かったとどうでもいいことが頭に浮かんだ。
「大丈夫?」
 咳き込んだカナタを心配して立ち上がったゼノが、ジンジャエールのグラスを口元に差し出してくれる。受け取ると、今度はテーブルを回り込んで背中を撫でようとまでしてくれた。慌てて大丈夫と撫でられるのだけは阻止することに成功する。
 心配してくれるのはありがたいが、不意の接触はちょっと、その、記憶して夢に見てしまうので。
 不思議そうな顔を覗かせはしたが、大丈夫と言い張るカナタに譲ってくれたようだ。何も言わずゼノは席に戻ってくれる。
 拒絶されなかったことは、本当にありがたい。でも、好きが響いていないから、こうやってただの親友のように接してくれるゼノが、ちょっと恨めしくもある。おかしい、ちゃんと性衝動を伴う好きだと告げたはずなのに。
「ごめん、ありがとう。あーえっとさ、ゼノも、今日はもう終わりにするの?」
「カナタが終わりにするなら、そうしようかなって。迷惑かな」
「いや全然。むしろ、ゼノと遊ぶ時間増えるなら嬉しい」
「良かった。そう言ってもらえたら、俺も嬉しいな」
 ジンジャーエルで、いろいろなものを一緒に飲み込んだ。表には出てないはずと取り繕って尋ねると、小首を傾げて確認される。ちょっと食い気味に否定してしまったら、ゼノが笑顔になった。嬉しい、半面、体の奥がざわざわする。
 もっとも、今の回答が遊びに行くのを了承したと同じことだと気づいて、それどころじゃなくなったけれど。自室でシャワーを浴びてから行くルートに回避しようと試みたが、楽しそうなゼノに言い出せずに終わる。シャワーを浴びた後に食べるおやつは何にしようかと考えているのを、今更止められるわけがない。増して今からタルトセットを食べるのに?なんて疑問を言えるはずも。
 だってそのおやつは、カナタと一緒に食べるものとして考えてくれているとわかるから。
「カナタは? お風呂上りに食べたり飲んだりしたいものってある?」
「え……っと、そうだな、アイスとか、牛乳とか?」
「アイスもいいね!」
 楽しそうに考えるゼノが可愛くて、諸々を忘れ去って眼福と見ていたら尋ねられた。風呂上りで連想したものを挙げると、うんうんと頷いている。
「思い出した。バースにさ、チューブに入ったアイスがあってさ。二つに割って食べるんだけど、弟と分けたりしたんだよね」
「チューブに? 二人で分けられるって、面白いね」
「いろんな味があったから、お互いに別の味選んで分けると、二つ食べたみたいでちょっと得した感じもする」
「それはとってもいいね!」
 答えてからふと思い出して、口にした。分けられるので、風呂上りよりもちょっと暑い時に食べる方が多かったことも伝える。そう、ちょうど今のように、軽く汗を掻いた後、友達と分けたこともあったなと。
「カナタの思い出の味のひとつ、なんだね」
「味とかほとんど覚えてないから、思い出の食べ物って方が近いかな」
「そっか。教えてくれてありがとう」
 優しい声で、ゼノが口にした。礼を言われるほどのことではないけれど、あまりにも柔らかく笑うゼノに思わず見惚れる。きっと弟や友達なんて言ったから、大事な思い出を教えてくれたとか思ってるんだろう。ただアイスを分けて食べたというだけの話を大切に聞いてくれたことにこそ、カナタのほうが礼を言いたい気分にさせられる。
 ゼノのこういう包み込むような気遣いができるところも、好きだ。
「こっちでは手に入らないけど……叶うなら、ゼノとも分けたいな」
「俺も、してみたいな。もしかしたら通販にあるかもしれないから、あとで探してみようよ!」
 話だけじゃなく体験してもらいたいと告げたら、ゼノが提案してくれる。確かにバースの品物も多くそろえているらしい通販なら、見つかるかもしれない。カナタが思い描いたものは無理でも、家の冷凍庫で凍らせて食べるタイプのものなら常温で流通しているし。
 完全に食べ終わったらゼノの私室に向かうことになってしまっているが、まぁいいかと残りのハンバーガーを口に放り込んだ。風呂上りのゼノは泊まりの時の必須事項のひとつだし、つい数日前にもカナタの部屋で見ている。そこで目のやり場に困るだとか邪な考えが浮かんだりとかはない。実際に目の前にした時よりも妄想のほうがたくましいこともあると、カナタは体験から学んだ。
 ゼノは好きな人でもあるけれど、それ以前に大事な親友だから。一緒に遊べる時間はやっぱり嬉しくて、楽しい。ただ夜に遊ぶと夜更かしの危険が高まることだけが留意点だと、日付が変わったからとゼノを急かしながら考えるのだった。





+モドル+



こめんと。
44作目。
告白期間の一コマ。
暑さのあまりアイスを求めた結果です。
カナタがタイラーをどう呼ぶか問題は、
雑誌掲載SSで二コラを「ニコラさん」と
呼んでたのでそれに倣う感じで。
サイラスくんは呼び捨てだった気がしますけど。
そういう資料集みたいなの出ないかなぁ。
膨大すぎて、ゲームにあたる時間がとれない……。
(2023.8.19)