初春案内 サンプル

 金の曜日、深夜。まもなく日付が変わる頃、私室を抜け出して静まりかえった廊下を歩く。向かう先は通い慣れたゼノの私室だ。靴音を立てないよう注意深く歩きながらも、気持ちだけは急いてしまう。間に合わない、ということだけはないのに。
 事前に訪問を伝えていないが、ゼノがこの時間に寝ていることだけはないと確信していた。どれだけカナタが心配だからと早い就寝を訴えても、日付が変わるまではちっとも動こうとしてくれないのを何度も経験しているから。カナタが泊まりに来た時だって、「もうちょっとだけ……ここだけ終わったら」なんて言って、一時間くらい粘られた。何度か先に寝落ちたこともある。
 もちろんその経験は告白の返事をもらう前の話だけれど、まだ二週間も経っていない。恐らく今日もまだ寝る支度さえしていないはずだ。
「いらっしゃい、カナタ。こんな時間に珍しいね」
 案の定、訪問を報せてすぐに迎えてくれたゼノは、まだ執務服のままだった。今日は起きていてもらいたかったから、早く寝てと訴えるのは違うのだが……なんだか複雑な気持ちになる。
「遅くにごめん。ちょっとさ、ゼノに渡したいものがあって」
「俺に? なんだろ。こんな時間だし、中で聞くね」
 戸口は防音装置の範囲外なのでと誘われ、一つ頷いてから従った。元よりそのつもりではあったから。長居するつもりはない。日が変われば土の曜日で、午後からは一緒に過ごせる。ゼノの睡眠時間を……いや、作業時間かもしれないが、とにかく邪魔するつもりで来たわけじゃない。
「座らないの?」
「うん。渡したらすぐ帰るし」
「……そっか」
 ソファを勧めてくれたゼノに首を振って断ると、少し残念そうな応えが返ってきた。その頬がほんのちょっぴり熱を帯びていそうにも見えたが、遊びに来たのではないと自分に言い聞かせる。ゼノがいいと言ってくれたらいつだって泊まりたいくらいだけど、目的を見失ってはいけない。
 それに、ゼノの部屋に泊まる機会も、ゼノが泊まりにくる機会も、これからまだたくさんある。何も今がっつく必要はない。むしろ、がっついてうんざりされても困る。それはものすごく困る。カナタとはちょっと距離を置きたいとか言われたら立ち直れない。やはり、今日のところは渡すだけで帰ろう。
 その為にと時刻を確認する。ゆっくり歩いてきた甲斐あってほんの数分前に日付は変わり、土の曜日になっていた。
「明けましておめでとう、ゼノ」
「? ありがとう?」
「ふはっ。ごめん、新年明けまして、のおめでとう」
 まっすぐにゼノを見つめて告げる。が、ゼノには聞き慣れない言葉だからだろう、疑問符を付けて返ってきた。笑ってしまったことと誤解を招いたことを謝ってから言い直すと、意味は伝わったらしい。
 くるりと視線を廻らせて、自作カレンダーを確認するのがわかった。同じものがカナタの部屋にもある。カナタの為に作ってくれた、バースで用いられている太陽暦のカレンダーだ。守護聖として生きていくことを受け入れた後、ゼノが贈ってくれた。バースで持っていたものを何一つ持ち込ませてもらえなかったカナタの為に、欠片でもバースのことを感じられるようにと。
 今は宇宙のすべての星が同じ時間を数えている。だから、現時点ではまだ、このカレンダーはバースの暦と一致しているそうだ。試験が終わり、時の流れが正常化しても、飛空都市で、またいずれ行くことになるという聖地で。このカレンダーはバースに居たときと同じように、カナタの慣れ親しんだ暦を数えてくれるという。
 そのカレンダーが、「一月一日」を示している。カナタが飛空都市に連れて来られた年が去り、この地で迎える新しい年の、始まりの日を。
「あ、『お正月』だね! うわ、勘違いしてありがとうとか言っちゃったよ。恥ずかし~」
 顔を赤くして恥ずかしがるゼノが微笑ましいけど、元はといえば前振りもなく告げたカナタが悪い。改めて謝るが、ゼノは小さく首を振った。
「うぅん。カナタは一番に言いにきてくれたんでしょ? あ、それにありがとうってのはどうかな」
「うん、いんじゃないかな」
「そこは否定してくれていいのに……」
 言いながら閃いたらしいゼノの提言に頷くと、赤い顔のまま軽く睨まれてしまった。恥ずかしさを誤魔化したのに首肯されては意味がないと、ぼやきと共に。その様さえ可愛くて、思わず抱きしめてしまいたくなる。
 もっとも、その後絶対に離れたくなくなってしまうことが予見できるので、なんとか耐える。そう、訪問の目的は誰より早く新年の挨拶を告げることだけじゃないから。
「俺からも、明けましておめでとう、カナタ」
「うん。で、これが、渡したいもの。はい」
「? カード?」
「年賀状って言うんだ」
 気を取り直したゼノからの挨拶を笑顔で受け取って、ポケットに入れてきたものを差し出した。受け取ってくれたゼノが、宛名を見て首を捻る。正体を明かすのとほぼ同時に、ゼノが手にしたカード――大体ハガキサイズのカードをひっくり返す。
 そう、カナタは誰よりも早くゼノに年賀状を渡すため、こんな深夜に訪ねてきた。
 焦らなくても、この飛空都市で年賀状を書こうと思うのはカナタか候補くらいだろう。習慣にないことはリサーチ済だ。だから当初は朝まで待つつもりだったが、認めた年賀状を書き直したい衝動に駆られて仕方なかったので、こうなったら速攻で届けに行こうと行動した次第。
 内容はごく一般的な年賀状といえる。昨年はお世話になりました、今年もよろしく。ただ、時間が経つにつれて付け足した言葉がちょっと照れくさく思えてしまった。だから、目の前では読まれたくなくて、この時間に渡すだけで帰ろうと思って来たのだが。
「……カナタ、ありがとう……。俺の方こそ……」
 一歩、遅かったらしい。ゼノはすでに書面を読んでしまったようだ。短い挨拶なので、すぐに読めてしまうのは仕方ない。でもカナタが出るまで待っていてほしかった。渡す前に伝えなかったカナタの失策だ。
 声を震わせながらありがとうと告げ、年賀状をそっと胸に抱いたゼノ。届けたかった気持ちが伝わったんだろう。大切な宝物のように抱きしめられている年賀状はめちゃくちゃ恥ずかしいが、渡して良かったと心から思った。
 ゼノの誕生日に渡した黒歴史、違ったゲーム感想文も大事そうに扱ってくれたから。きっとこういうの好きだろうなと思いついて、挨拶文に試行錯誤。バースにいた頃よりも遙かに早く用意したのに、その数日後に告白の返事をもらってしまったから、浮かれた気分のまま改めて書き直した。のを、ほんの三日前にやっぱり恥ずかしいと破り捨てて、三度書き直したものが、今、ゼノの胸に抱かれている。
 だから、喜んでもらえるのは、とても嬉しい。日頃ゼノからもらってばかりの恩に、ほんのすこしでも報えることはできただろうか。





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+モドル+



こめんと。
年末年始にツイッターのフォロワー様に向けて
感謝企画として公開したお正月カナゼノ話を本にしました。
公開したカナタ編に、同じ話のゼノ編を加えています。
pictSPACE店舗 にて頒布受付中ですので、
どうぞよろしくお願いします~!!
サンプルはカナタ編の冒頭です。
(2022.2.1)