ふぁーすとみっしょん

 ちっちゃいゼノと一緒に聖殿の廊下を歩く。といっても他の人に見つからないようフードに入ってもらっているから、姿を見ることはできない。ただ、いつもよりも少しだけ重いフードの感触が、夢ではなくちゃんとそこにちっちゃいゼノがいることを教えてくれている。
「あれ、いない?」
 ゼノの執務室に着いたが、主不在の表示がされていた。ちっちゃいゼノの提言とカナタの執務室を訪れた形跡がなかったことから、こっちで待ってるんだと期待していた分落胆が零れてしまう。
 呟きが聞こえたんだろう、フードの中でちっちゃいゼノが身じろぎするのが振動で伝わってきた。
「おかしいなぁ。さっきまで起きてたし、出る支度してたのに」
「起きてた……って、まさか、徹夜した?」
「んっと……気付いたら朝になってたかな……あはは」
 他に聞こえないようにという配慮からだろう。フードに隠れたまま耳の傍まで移動したちっちゃいゼノから、最新のゼノ情報がもたらされる。カナタの寝室で実体化したと言っていたから、恐らくその直前まではゼノと一緒にいたはずだ。いや、いたというかゼノだったというか。言い方はともかく、情報の正確性は疑いようがない。
 ただ、今の情報は『起きて支度をしていた』だけではなく、徹夜したという意味にもとれた。確認すると、失言したと気付いたんだろう。ゼノらしい誤魔化しを返してくる。ちっちゃいゼノが徹夜をしたわけではないので、小さく息を吐き出すだけに留めておく。いや待てよ、ちっちゃいゼノはほんの少し前までゼノだった。つまり、ちっちゃいゼノも徹夜をしたといえるような。少なくともその意識はあるから、誤魔化したのだろう。なんともややこしい。でも、大元はやはりゼノ本人だ。
 徹夜問題については後で本人にちゃんと寝てと訴えることにして。今しがたのちっちゃいゼノの発言からも、ゼノが執務室に向かおうとしていたのは確実だろう。先程私室を出る前にもそう教えてくれたからこそ、執務室から訪ねたのだし。でも、今ゼノは執務室にいない。というか来ていない。
 聖殿内で何か事件が起きていたらこの静寂はないだろうから、まだ私室にいると考えるのが妥当だ。一晩中起きていたようだから、支度途中で……ちっちゃいゼノが離れた後で、寝落ちてしまった可能性の方が高い。それなら起こしに行かないと、ゼノが遅刻してしまう。
「迎えに行こうかな」
「うん! ゼノ喜ぶよ!」
 ちっちゃいゼノにだけ聞こえるように提案してみたら、嬉しそうな声が返ってきた。ゼノの声がゼノのことを客観的に告げるから、脳がバグを起こしたような感覚に陥る。フードの中にいて姿が見えないから、余計にそう感じるんだろう。
 でも、今の発言は嬉しい。他でもないちっちゃいゼノが太鼓判を押してくれた。
 ゼノからは嬉しいをもらってばかりなので、カナタがすることでゼノにも喜んでもらいたいといつだって考えている。ただ、ゼノができることの範囲が広すぎて、なかなかその機会に恵まれない。以前さりげなく訊いてみたら、「カナタと一緒に居られるだけで嬉しい」とか返ってくる始末。しかも、まだ告白の返事をもらうずっと前の話だ。カナタだって同じだと力説したら、「カナタと遊ぶのって、楽しいだけじゃなくてお互いに嬉しいもあるんだね!」なんて言われて堪らなくもなった。
 だからカナタの行動で喜んでもらえるなら、とても嬉しい。迎えに行くだけかとちょっと情けなくなった分は、「何もしないよりはマシ」とポジティブっぽい呪文を唱えておく。
 あ、そうか。今日は必然だけど、これからも週一くらいの頻度で迎えに行くようにしたらどうだろう。継続は力なりとバースの先人も遺しているし。
 カナタの私室から執務室まで、おおよそ一分かかるかかからないか。ゼノの執務室から彼の私室までも当然同程度の距離だ。思いつきを検討するに至らず、辿り着いてしまう。考えるのは後でもできるので訪問を報せると、ほとんど待たずにドアの向こうから足音が近づいてくるのが聞こえてきた。
「おかえり、カナタ!」
「あ、うん、ただいま、ゼノ。つか、おはよ」
「うん、おはよう! 来てくれて助かっちゃった」
 カナタの訪問だと伝わっているからだろう、ドアを開けたゼノは笑顔で迎えてくれた。一昨日ぶりのゼノの笑顔を眩しく感じるが、おはようの前におかえりを言われると思ってなくて、照れくささを覚えつつ応じる。若干の苦笑を混ぜて返してくるゼノが中に入るよう促してくるので、従った。
 時間にあまり余裕はないけれど、ちっちゃいゼノのことを伝えるには私室内の方がありがたいから。
 それにしても。普段よりも元気そうなゼノは、寝起きのようには見えない。徹夜ハイテンションとも違いそうだが、カナタが思いついた支度途中で寝落ちた説は不正解だったようだ。
「カナタの執務室に行こうと支度してたんだけど、途中で閃いちゃって」
 室内に入り頭を掻きながらゼノが示したのは、テーブルの上の端末だった。言葉取り、支度途中で閃いて手を加えていたらしい。なるほど、寝落ちよりもっとゼノらしい理由だったなと納得してしまう。夢中になると時間を忘れてしまうゼノのことだから、カナタが来なければまだ作業をしていただろう。つまり、遅刻確定。出迎えてくれた時に「助かった」と言った理由がわかった。
 もちろん、多少遅刻をしたところで咎めがあるわけではない。精々がユエに見つかったら小言を喰らうくらいだろう。でも、長らくバースで学校生活を送っていた身としては、遅刻という響きに多少なりと罪悪感を覚える。理由は違えども同様らしいゼノから、回避できたことに改めて礼を言われてしまった。
「いや、オレが早くゼノに会いたかっただけだし。ていうか、また徹夜したって?」
「あ、あはは……そんなつもりなかったんだけど、気が付いたら朝になってたんだよね」
 礼を言われるほどのことじゃないと返して尋ねると、乾いた笑いで視線を左右に振れさせてから言い訳を口にした。先程ちっちゃいゼノが誤魔化したのと同じ言い分に、思わず笑ってしまう。
「カナタ?」
「ごめん。いや、やっぱ同じなんだなって思って」
「同じ?」
「うん。実はさ」
 笑うタイミングじゃないのにと驚かせてしまったんだろう。首を傾げたゼノに、説明するべくフードに手を伸ばした。すでにフードから出る気満々で動いていたちっちゃいゼノが、ようやくの出番だと勢いよく飛び込んでくる。
「やぁ、俺」
「……え?」
 落とさないように手を引き戻し、ゼノの前に差し出す。カナタの手の上に乗ったちっちゃいゼノが片手を挙げるのを見て、ゼノの目がまん丸になった。
「お、俺……?」
「うん! 溢れた気持ちが実体化したんだよ」
「いや省略しすぎでしょ」
 先程説明されて納得したカナタには伝わるが、今初めて見たゼノに告げるには簡潔すぎる説明に、思わずツッコミを入れてしまった。ちっちゃいゼノが振り返って、笑顔で首を振る。
「そんなことないよ」
「あ、あれかな。大きすぎる思いが許容量越えると体から離れて実体化することがあるってやつ」
「ね?」
 驚きから脱したのか、ゼノが記憶から似たような現象を拾いあげる。呟きにちっちゃいゼノが笑うのを見て、自室でのやりとりを思い出した。そういえば、実体化した思いの存在を知ってる口振りだったことを。
 なるほど、ちっちゃいゼノが知っているなら、ゼノ本人が知っているのも道理だ。でもだからといって、こんなにすんなり受け入れてしまえるものなんだろうか。
 もしも、と自分に置き換えて考えてみる。ゼノの手の上から、ミニチュアの自分が挨拶をしてきたら? いやいや無理でしょ、ありえないと全力で否定する。そもそも、ミニチュア自体がこんなに落ち着いてはいないはずだ。大小揃って混乱と現実否定する図しか想像できなかった。
「ほんとに実体化してるんだね。感覚はある?」
「無ではないけど、すっごく鈍いから、ないっていった方がいいくらい」
「実体化しても思念の塊なのは変わらなくて、生物としての体じゃないってことかな。お腹も空いたりしない?」
「んっと……そうだね、空かないかも。食べたいって気持ちもないよ」
「え、気にするとこそこなの?」
 困惑するカナタが黙り込んでいる間にも、ちっちゃいゼノに指先で触れながらゼノが尋ねる。一見撫でているようにも見えるが、言葉どおり感触を確かめているのだろう。元がゼノだからか、ちっちゃいゼノも当然のように受け入れ、真剣に考えて返している。
 思わず零れたツッコミのような疑問に、ふたりは顔を見合わせてからきょとんとした顔をカナタに向けた。おんなじ表情の、大小ふたつの顔。脳というか、視界がバグを起こしているかのようだ。
「俺が見た文献だと、生物か否かって記述はなかったから」
「実際に体験したら確認したくならない?」
 ちっちゃいゼノの言葉を、ゼノ本人が引き継いだ。見ていたからどちらが発したかわかるが、声だけだったらわからなかっただろう。一人分の発言にしか聞こえなかった。改めて、ふたりが同一人物であることを認識する。もちろん、ちっちゃいゼノの説明を疑ったとかではなくて。
 ふたりの言い分で、探求心や知識欲という表現はロレンツォの専売特許ではなかったと思い出す。そうだ、ゼノも気になったことは調べてみないと気が済まない質だった。
「なんつか……ゼノってやっぱ、タフだよね」
「そうかな?」
「うん。絶対」
「自分じゃわからないけど……カナタが言うならそうなんだね」
 苦笑半分感嘆半分で零したら、ふたりのゼノは同じタイミングで同じ疑問を口にして、同じように小首を傾げてみせた。強く頷くと、今度はゼノ同士で顔を見合わせてしまう。言い聞かせるような同意の仕方がちょっとくすぐったい。
 思わずほっこりしたが、のんびりしてる場合じゃなかったことを思い出した。
「まだゼノと話してたいけど、そろそろ行かないと」
「あ、そうだね。んっと……うん、大丈夫」
 時刻を確認してから声をかけると、頷いたゼノが端末をチェックした。カナタが訪れた時点で中断したのを再度確認したらしい。今度の新作はどんなゲームなんだろうと気になるが、尋ねるのはまた後でにしなければ。
 出掛ける支度は終わっていたのだろう。チェックが終わったゼノは、視線を端末からカナタの手の上に移す。
「君はどうする?」
「どうしたらいいかな?」
「え、オレ?」
 尋ねられたちっちゃいゼノが、カナタを見上げてくる。ゼノ本人も視線をカナタに移したので、決定権はカナタに委ねられたようだ。いきなり決断を迫られたことに困惑しつつ、どうするのがいいかと必死に考えを廻らせる。
 ちっちゃいゼノと一緒に居ても、執務室は誰が来るかわからないので会話はほとんどできないだろう。退屈させてしまうくらいなら、ゼノの私室に居てもらった方がいいのかもしれない。あるいはゼノと同行か。ゼノの声しかしないから、独り言にしか聞こえないはずだ。会話になってる時点でちょっと怪しいけれど。
 あぁそうだ。昨日緊急要請で通常執務から離れていたから、急いで片づけなければいけない仕事が溜まっているはず。せめてそれを片づけなければ、ゼノとゆっくり話す時間は取れないだろう。余計にちっちゃいゼノをカナタの執務室に連れていくのは憚られる。
「じゃあ、俺、後で手伝いに行くよ」
「え? いや、無理しないでよ。ゼノだって仕事あるでしょ」
「大丈夫。昨日も早く片づいちゃって、王立研究院の手伝いしてたくらいなんだよ」
 考えは纏まらないが、時間も大して残っていない。思いついたままを口にすれば、ゼノが提案してくれる。少し淋しそうな色を覗かせる声で昨日のことを告げられると、断りにくい。ちっちゃいゼノが顕現してる要因が、カナタの不在だったと聞いているから。
 どれくらい仕事が溜まっているかわからないが、確かにカナタ一人で片づけるよりも、ゼノに手伝ってもらった方が当然早く終わるだろう。多少慣れたとはいえ、カナタはまだまだ守護聖初心者だ。
「手伝ってる時間もカナタと一緒にいられるし、早く終わらせてカフェに行くのもいいね」
「それ、徹夜してなかったらよろしくって言えたんだけど」
「あ、あはは……じゃあ、今日は早く寝る! ってことで、ダメかな?」
 ゼノに手伝ってもらうメリットを挙げられるが、徹夜したゼノには、その時間を昼寝とかに宛てて欲しい。反論ではないが正直な感想を告げると、ゼノがまた視線を揺らす。思わずジト目で見つめてしまったのは、前例があるからだ。早く寝る寝る詐欺。ゼノの言う『早い就寝時間』は日付が変わった後を指すと、カナタは知っている。
 言葉ではなく溜息で応じると、思わぬところから助け船が流れてきた。
「じゃあ、ゼノは俺が手伝うよ。それなら、カナタも気にならないでしょ?」
 声のした方を見れば、カナタの手の上、ちっちゃいゼノがにこっと笑って見上げていて視線があう。
 確かにゼノ一人で自身の仕事を片づけるよりも、負担は減るかもしれない。でも。
「いや、えっと、どうやって?」
「端末操作はできるよ!」
「あはは、確かに! じゃあ、お願いしようかな」
 一瞬面食らってから疑問を返すと、ちっちゃいゼノの自信満々な答えにゼノが応じた。操作できると使いこなせるは異なるし、サイズが違いすぎるだろうというカナタの反論は告げる間もない。
 ゼノの手がカナタの手に重ねられ、ちっちゃいゼノが腕を伝って器用に登っていく。あっという間にゼノのフードに潜り込んでしまうのを、カナタはただ見守ることしかできなかった。
「じゃあ、俺の仕事が終わったら手伝いに行くね」
「あ、うん……よ、よろしく?」
 展開の早さにちょっと戸惑いながら応じると、ゼノが笑顔を向けてくれた。
 なんだか釈然としない気もするけれど、ひとまず仕事はしなければいけない。ゼノと共に執務室に向かって歩きだしながら、すごくシンプルな答えだけをカナタは掴むことにした。
 先に辿り着くのはもちろんゼノの執務室。ちょっと待ってて言って昨夜から増えた仕事量をざっと確認したゼノが、お昼前には行けそうだと算段を付けてくれた。
「でも、無理はしないでよ?」
「心配してくれてありがとう」
「俺もいるから大丈夫だよ!」
 押しつけにならないように気をつけはしつつ声を掛けたら、フードからひょこっと顔を覗かせたちっちゃいゼノが請け負ってくれた。ゼノの大丈夫の基準はカナタよりも範囲が広そうだが、一人よりは無理をしないでくれるかもしれない。任せたと返すと、嬉しそうに力強く頷いてくれた。
「じゃ、また後で」
「カナタも無理しないでね」
 ゼノの見送る言葉に思わず苦笑。それでも笑顔で手を振る大小ふたりのゼノに、頷いて手を振り返す余裕くらいはあった。
 どれくらい溜まっているかわからないけれど、ゼノの言葉を励みに仕事をやっつけに行きますか。




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こめんと。
ちっちゃいゼノのお話、続編!
支部においても無反応だったので、
「これは求められてないな?」と察してサイトにお引っ越し。
サイトは自由にやってます(ありがとうございます)。
ゼノが大小ふたりとかおいしい状況なのに
戸惑いのが大きいところがカナタの可愛いところだと、
多分ゼノも思ってるんじゃないかなぁとか。
(2021.12.14)