ふくらむキモチ
予想に反して、カナタに割り振られていた執務に急を要するものはなかった。水の守護聖でなければならない案件以外は他に振ってくれたのか、それとも実際になかったのか。事実だけではどちらか判断つけられないが、焦らずに済んだことだけは確かだ。
多少慣れたとはいえ、まだまだ駆け出しの守護聖だし、女王試験中というイレギュラー期間。通常執務以外にもやることがたくさんあり、ひとつひとつの処理にまだ時間が掛かってしまう。急ぎの文字を見ると、緊張して焦ってしまうのも仕方ないはずだ。
一日留守にした分、数は確かにいつもの朝より多かった。緊急案件がなかったことで、焦らず落ち着いてチェックできたのはとてもありがたい。なので、誰かの配慮ならありがとうと思ってから、早めに片付けたいものからひとつずつ着実に処理をしていった。
そうして、3分の1ほどを片付けた頃。
「カナタ、お疲れ様」
「ゼノ」
声を掛けながら入ってきたのは、ゼノだった。時間を確認すると、すでにお昼が近くなっている。集中していたから、全然気づかなかった。認識した途端、お腹が減っているような気にさえなってくるから不思議だ。
「仕事、どう? たくさんあった?」
「ん、いつもよりは多かったけど、急ぎのはなかったから助かった」
「そっか、良かったね。俺も終わったから、午後からは手伝うよ!」
「サンキュ」
歩きながらの問いかけに応じるも、つい視線はゼノのフードに向いてしまう。いつもと変わらない様子で、ちっちゃいゼノが入っているようには見えない。朝別れる時にはそこにいたけれど、今は別なところにいるんだろうか。ポケットとか。ゼノのコートのポケットは大きいから、入らなくはないだろう。ちょっと変な膨らみになりそうだけど。
「ちょっと早いけど、お昼にしない?」
「いいよ。集中してたからか、すっげー腹ペコ」
「あはは。いっぱい仕事すると、お腹空いちゃうよね!」
気づいているのかいないのか、ゼノはそうカナタを誘った。異存なく頷いて、机の上をさっと片付ける。立ち上がったカナタをゼノが誘導してくれるけれど、場所は私室らしい。
「今はね、留守番してもらってるよ」
「あ、そうなん、だ?」
隣に立ったカナタの耳元で、そっとゼノが囁き教えてくれる。やっぱり、気づかれていた。でも、内緒話にしたいのはわかるけど、ちょっと、近い。耳に吐息が掛かって、無駄にどきどきしてしまう。
咄嗟に耳を抑えて距離をとると、ゼノが桜色の頬で満足そうに笑った。からかわれたわけじゃなさそうだが、意図的な行動だったらしい。
「だって、ずるいよ」
「え、何が」
「あの子はカナタの可愛い顔見たんでしょ?」
ゼノの言い分に、悶絶しそうになった。ちっちゃいゼノとゼノの間でどんな会話があったのかはわからないが、邂逅時の話はしたらしい。どれだけ昨日のゼノがカナタのことを考えていたかを淀みなく語られた際の赤面も。
そして、カナタは知っている。ゼノが、カナタの赤面した姿をすごく可愛いと思っていて、すごく気に入っていることを。
つまり、ゼノは、ちっちゃいゼノに嫉妬したと言っている。これが悶えずにいられるだろうか。
「待って、やばい。キスしたい」
「いいよ!」
堪えきれずに赤い顔で零したら、笑顔で頷いたゼノが素早く顔を近づけた。触れるだけで離れて行ったのは、ここが執務室だからだろう。というか、執務室でキスなんかしてしまった。いつ誰が訪ねてくるかわからないというのに。
だけど、ゼノも同じ気持ちだったのかなと思うと嬉しいし、駄目だ、顔がにやけてしまいそう。
「続きはまた後でね」
「や、土の曜日まで待つ」
「え~?」
嬉しそうに誘うゼノを手でも言葉でも制した。少し不服そうな声を出すものの、予想はしていたんだろう。ゼノの表情は変わらない。
だって、続きはキスだけじゃ終われそうにないから。という無言の言い訳が伝わったようだ。
「じゃあ、お昼、食べよっか!」
「うん。てか、昼まで用意してくれたの?」
「用意っていうか、準備は昨日のうちにしたよ。今日はお昼誘おうと思ってたから」
まだほんのり頬を色づかせたままのゼノに促され、歩き出しながら尋ねる。今日の執務を終わらせているのに、昼ごはんを用意する時間があったのかと疑問に思って。返ってきた答えに、一瞬足が止まる。
「カナタ?」
「なんでもない」
朝、ちっちゃいゼノが言っていた。昨日のゼノは、たくさんカナタのことを考えていたと。昼ごはんの用意もその一環だったのだろうと窺えて、くすぐったい気分を味わう。
ゼノの疑問を誤魔化して、歩くのを再開する。軽く首は傾げたけれど、追及はしないでくれるようだ。代わりに執務の進捗具合を尋ねられ、簡単に報告するだけの短い時間でゼノの私室に到着する。
「ソファで座って待ってて」
「サンキュ」
開けてくれた扉を潜ると、ゼノが促してくれる。礼を伝えてからリビングに向かうと、「おかえり、カナタ!」とどこかから声がした。ソファに向かいながら見回すも、声の主は見つからない。
「こっち、ソファだよ、カナタ」
探しているのが明白だったのだろう、本人から居場所の申告があった。声に視線を誘導されると、ソファの座面で大きく両手を振っているちっちゃいゼノの姿。カナタが見つけたことに気づいてか、にこっと嬉しそうに笑う。
「お疲れ様! 執務、たくさんあった?」
「ゼノも、お疲れ。予想よりは多くなかったよ」
「そっか。急ぎのはなかった?」
「なかった。焦らずに済んで助かった」
労ってくれるちっちゃいゼノに応じながらも、何か違和感を覚える。ソファの座面に立つちっちゃいゼノは、朝と同じに小さいけれど、朝とは少し違うような……?
「よかったね。焦ると、簡単なことでもうまくいかなかったりするもんね」
「あ」
「え?」
ちっちゃいゼノに応じながら、ソファの空いたスペースに座る。近づいた姿に、違和感の原因が判明して声が出てしまった。
「ゼノ」
確認するべく手を差し伸べると、笑顔で飛び乗ってくれる。朝よりも少し、重みが増した。……気がする。数値にすれば誤差の範囲内で済まされそうなほどの差だとは思うが。
朝は手のひらの上でも危なげなく立っていたのに、今は些細なことで足を滑らせてしまいそうに見えるほど狭そうだ。それに、表情が見やすくなったようにも思う。視線がばっちり合っているのも感じられるので、きっと間違いない。
「なんか、大きくなってない?」
「あ、やっぱり? 俺もそうかなって思ってたんだ」
「そうかな? 自分じゃわからないや」
尋ねてみると、前後から同じ声で違う答えが返ってきた。振り返ると、少し大き目の皿を2枚運んできてくれたゼノの姿。視線はカナタの手の上に向かっている。
ゼノの視線を追いかけて正面に戻せば、手の上のちっちゃいゼノに行きつく。同意も得られたし、気のせいではないだろう。
ちっちゃいゼノが、朝より二回りくらい大きくなっていた。
二人分の視線を受けたちっちゃいゼノは、照れくさそうに笑ってから腕を伝ってカナタの肩へと登っていった。収まりのよいところに座ったようだけど、カナタからは見えなくなってしまう。首を横に向ければ見えるかもしれないが、ちっちゃいゼノにぶつかってしまいそうでできなかった。
その間に、ゼノがテーブルに運んできてくれた皿を置いてくれる。
「執務室で話してたからかな」
「たぶん、そうだと思うよ」
2枚の皿を置き終えたゼノが口にした推測を肯定するゼノの声が、カナタの耳横から届く。ちっちゃいゼノの姿が見えないので、なんだかものすごい違和感を覚えてしまった。
「話してたって、何を?」
「もちろん、カナタのことだよ」
ゼノたちの説明によると、執務室に着いてすぐ、極小範囲用の防音装置を作成して声が漏れないように対策をとって、二人でずっと話しながら執務をこなしていたそうだ。
「いや待って? そんなすぐできるものなの?」
「何度も作ってるし、そんなに難しいものじゃないから」
「カナタだってすぐ作れるよ」
「無理でしょ」
驚きのあまりにゼノの話を遮って疑問を挟んでしまうが、斜向かいに座ったゼノからはきょとんとした表情が返ってきた。何がすごいのか全く伝わってないのが如実に窺える。ちっちゃいゼノも同様のようで、前と横から不思議そうな声が返ってきた。
カナタから見たゼノのすごさは、どれだけ伝えてみても相変わらず理解してもらえていない。ゼノ自身、自分ができることは大したことじゃないと本気で思っているようなので、この件についての相互理解の道は険しい。
カナタの断言に、横からそうかなぁ?なんて小さい声が届く。作ること自体は不可能ではないだろうが、ゼノのようには絶対作れない。作業速度がそもそも違いすぎる。
「最初はちっちゃい俺から、実体化した時の話を聞いてたんだけどね」
「すぐ終わっちゃって、カナタが可愛かったー!って話になったんだよ」
「うん。普段誰かと話したりできないから、楽しかったな」
「すっごく!」
小さく首を傾げはしたが、本題ではないと気づいたんだろう。ゼノが話を戻してくれた。楽しそうに報告してくれるが、間で聞かされてる本人としては、ものすごくいたたまれない。
どう考えても、ゼノ同士で惚気ていたとしか聞こえてこなかったから。
先ほどゼノが置いてくれた大き目の皿には、これまた大きなハンバーガーが鎮座していた。横にはフライドポテトとドリンクも添えられている。ハンバーガープレートといったところだろうか。再び始まってしまった惚気話から気を紛らわす為に、いただきますと口にしてから、ハンバーガーを手に取った。
厚めのパティは豪華に2枚重ね。大口を開けても齧り付くのが大変なほど、バーガー自体も厚みがある。齧りつくと葉野菜が小気味よい音をさせ、口内にパティから溢れた肉汁が広がった。ソースはケチャップベースのようだが、少し強めにマスタードが効いていて美味しい。
「話しながらカナタのことを考えてたから、また気持ちが溢れちゃったんじゃないかと思うんだ」
「その分が流れ込んで大きくなった……ってことなら、確かにあり得そうだね」
「でも、分離してるのに流れ込むってことは、繋がり自体は残ってるのかな?」
「う~ん……多分? ちょっと俺にもわからないなぁ」
「感覚はほとんどないって言ってたもんね。だからかな?」
カナタが先に食べ始めたからか、ゼノたちの会話が惚気話から本題に戻ってきた。朝と同じように検証する二人の会話を、ハンバーガーを食べ進めながら清聴する。ほくほくの皮付きポテトも美味しい。きっとカナタを誘いにくる直前に揚げてくれたんじゃないだろうか。
聞こえてくるのはにわかに信じがたい内容だが、そもそもちっちゃいゼノ自体が不思議すぎる。その存在を受け入れた以上、何が起きてもおかしくないかと理解を放り投げてしまうくらいには。
検証を続ける二人を邪魔するのは少し気が引けるが、半ばほど食べたところで流石に心配になって声を掛けた。
「ゼノ、冷めちゃわない?」
「あ、そうだった。ごめんねカナタ、夢中になっちゃって」
「いや、平気。これ美味いね」
「ありがとう!」
自分の昼ごはんが冷めてしまうことより、放置したと謝ってくれるゼノたちに否定を返して、感想を伝える。嬉しそうに応じたのは、ちっちゃいゼノだった。ゼノは笑顔でハンバーガーに手を伸ばしている。目の前でぱくっと食いつく姿につられて、カナタも一口。
「そっか、食べないんだっけ」
「うん。ごめんね、一緒にできなくて。カナタはたくさん食べてね!」
ちっちゃいゼノの分がないと今更気づき、同時に朝、そんな検証をしていたことも思い出した。口に出すと、頬に何かが触れる感触と共にちっちゃいゼノが告げる。何度かぺちぺちと触れてくるのは、きっとちっちゃいゼノの手だろう。子供をあやすようにぽんぽんと触れているのではないだろうか。
くすぐったさを覚えるそれに、少しだけ申し訳ないような気分が湧いてくる。ゼノの前で自分だけが食べているという構図が、そう思わせるんだろう。
本体のゼノが目の前で一緒に食べているから、少しだけ。そもそも、カナタが申し訳なく思うことを、ちっちゃいゼノは望んでいないだろう。だから何も言わずにハンバーガーを齧ったのだけれど。
「カナタが食べてるのを近くで見れるから、俺はすっごく嬉しいよ!」
「あ、そう……」
「カナタ、可愛いなぁ」
「うん、すっごく可愛いよ!」
気づかれてしまったのだろう、宥めるようにちっちゃいゼノが宣言する。食べてる姿を見るだけで断言をされては、照れくさくて堪らない。頬に赤みが差したのに気づいた目の前のゼノがうっとりと告げると、ちっちゃいゼノも強く同意してくる。なんだろう、申し訳なさは吹き飛んだが、再度ものすごくいたたまれない気にさせられた。
見ればゼノも嬉しそうに頬を染めているので、眼福ではあるけれど。
「ちなみに今俺、匂いもわからないよ」
「視覚も聴覚も働いてるのに?」
「うん。不思議だね。こんなに近くでカナタが食べてるのに、わからないんだ」
何も言えずにハンバーガーを食べ進めていたら、ちっちゃいゼノから申告があった。見て聞こえているのに、匂いはわからない。ちっちゃいゼノ自身が口にしたように、ものすごく不思議だ。
嗅覚が働いていないのなら、味覚もだろう。触感も鈍いようなことを朝言っていた。五感とひとくくりにされる感覚の中で、なぜ視覚と聴覚は働いているんだろう。不思議というか、謎だ。とはいえ、溢れた気持ちが実体化するという時点で不思議すぎて、カナタの理解の範疇を超えている。そういうものだと認識して深く考えないより他にない。
「何の為に実体化する……できるんだろうね」
数秒の沈黙の後、ゼノが疑問を口にした。理解を放棄したカナタと異なり、ゼノは考えを進めているらしい。流石探究者だと、明後日な感想を抱いた。
当然ながらカナタは答えを持っていないので、問いには応じられない。
「なくさないため、とかかなぁ」
代わりに、ちっちゃいゼノが考えを答えてくれる。
「溢れちゃうくらいの気持ちをなくしたくないって思ったら、実体化するのかなって」
「なくしたくない?」
「んっと、なんとなくだから、うまく説明できないけど……うん、なんかそんな気がする」
「あはは、全部想いのチカラってことかな」
溢れて無くなってしまわないように、容量に空きができるまでの繋ぎ。ちっちゃいゼノはそう感じているらしい。実際に実体化しているちっちゃいゼノが言うのだから、正解のひとつには違いないだろう。ゼノも笑って納得している。
その頬が朱色になっている原因は、カナタだろう。そりゃもう、ちっちゃいゼノがぺちぺちしなくても、顔に熱が集まっているのがわかるくらいに。
何せ、溢れるほどに考えてくれて、そのすべてをなくしたくないとまで想ってくれていると言われているのと同じだ。つまり、どれだけゼノがカナタを想ってくれているかの証左でもあるわけで。
こんなのを直接聞かされて、照れないはずがない。
「あ、あはは……なんか、カナタのことしか考えてないみたいで、恥ずかしいね」
「や、嬉しいけど……オレもすっげー恥ずかしい」
カナタの反応で、ようやく内容に気づいたのだろう。照れ笑って告げるゼノに頷く。親友として、後輩として、恋人として。いろんな立場のカナタを想ってくれているのが伝わってきた。言葉にしたとおり、嬉しいがすごく恥ずかしい。
ゼノの顔も真っ赤に染まっているが、カナタだって似たようなものだろう。熱が頬に集まっているのがわかる。
「ほらほら、ハンバーガー冷めちゃうよ!」
「もう冷めちゃってるかな。あはは」
「だね。でも、冷めても美味いし」
「ありがとう」
なんだか妙な雰囲気になったのを、ちっちゃいゼノが吹き飛ばしてくれた。照れくさいながらもゼノと見合っている間に腕を伝って降りていたようで、ぴょんとテーブルで飛び跳ねている。よく見れば、ちっちゃいゼノも頬が赤く染まっていた。
苦笑するゼノに、一口齧ってから改めて感想を伝える。お礼は二か所から聞こえてきた。
「午後は俺も手伝うからね! ぱぱっと終わらせちゃお!」
「うん、頼りにしてる」
「任せて!」
ぶんぶんと両手を振りながら宣言するちっちゃいゼノ。照れ隠しにも見える仕草に、ゼノと二人で笑ってしまった。
こめんと。
ちっちゃいゼノのお話、更に続編!
むしろここまで間空いててどーすんだ感。
なんとちっちゃいゼノがちょっとだけ大きくなりました!
もうちょっとだけ続きがあるので、
掲載できた時にはお付き合いいただけると嬉しいです!
(2023.4.21)