読書の記録(1998年 6月)

「鉄道員(ぽっぽや)」 浅田 次郎  1997.05.18 (1997.04.30 集英社) お勧め

☆☆☆☆☆

 北海道のとあるローカル線の駅長である乙松は,その線の廃線と定年退職を間近に控えていた。ここ国鉄の幌舞駅はかつて有数の炭坑町として栄えていたが,閉山となった現在は当時の面影は無い。乙松は自分の妻と娘が亡くなった日も,この駅で黙々と仕事を続けていた。そんな彼の元にある日幼稚園児位の小さな女の子が訪れる。その翌日には彼女の姉であろうか中学生の子,そして翌日は近くの高校の制服をきた少女。

 途中でだいたいのあらすじは読めるが,それでもホロッときてしまう。山間の小さな駅の寂しげなホームや暗い駅長室,そしてそこに佇む老鉄道員の姿がありありと目に浮かんでくるようだ。実にうまいと思う。表題作の他にも見知らぬ中国人女性と偽装結婚した男の「ラブレター」や,映画館を守り続けた男とそこを訪れた夫婦の「オリヲン座からの招待状」が特に印象的だった。とにかく傑作揃いの短編集だ。

 

「神々の山嶺」 夢枕 獏  1997.12.15 (1997.08.10 集英社) お勧め

☆☆☆☆☆

 途中まで読んでいて,羽生がマロリーの,深町がオデルの役を演じ,羽生の南西壁初登攀はマロリーのエベレスト初登頂と同様,永遠の謎になるのだろうと思っていたので,最後の展開はちょっと意外だった。これは何も山に限った話ではないのだが,自分の好きな事にのめり込む人間って多いよね。だけど,何もかも捨てて,それを持続できる人間は限られている。羽生の様な極一部の人間に対して,多くの人達は深町を始め,彼が羽生の事を調べる為に出会った多くの山屋達の様に,現役を離れ現実の生活の中に埋もれて行ってしまう。ここでは山だけど,自分が好きな対象が嫌いになった訳ではないのだが,何かに取り付かれていた様な自分を客観的に見てしまう時が来てしまう。それを挫折と捉える人もいるだろうし,「そんなもんだよ。」の一言で片付けてしまう人もいるだろう。また何時までも続けている人に「お前,まだそんな馬鹿な事続けてるんだよ。」と言う人もいるであろう。どちらにせよ,その多くの人は一部の人に対して,畏敬の気持ち,嫉妬心,優越感等が混ざり合った複雑な気持ちで見てしまう。山にしろ他の趣味にしろ,それは生きる上で人生を楽しむ一つの手段であってこそすれ,決して人生の目的では無い。それが普通の人の考え方だから,羽生の様な生き方は憧憬となって心に響いてくる。

 山の場合,それでもいつかは普通の人の仲間入りをしてしまうか,または自らの死を持って自己を完結させてしまうかのどちらかだ。先鋭的な登山家は皆後者だった。超人メスナーは別にして加藤文太郎,植村直巳,長谷川恒夫,皆遭難死してしまった。彼らが自分の生き方をどう思っていたのか,満足していたのか,知る由もないし,知りたいとも思わない。彼らは私達とは異質の人間だからだ。この小説の中で一番印象に残っているのは,ベースキャンプに到着した夜,テントの中での羽生と深町の会話の部分。これが上に長々と書いた2種類の人間の会話そのものだと思ったからだ。読んでいてとても重かった。羽生が言い放った『山に何かいい物でも落ちていると思ってたのか。』グサッとくる一言だった。

 

「原始人」 筒井 康隆  1998.01.27 (1987.09.20 文藝春秋社)

 「原始人」,「アノミー都市」,「家具」,「おもての行列なんじゃいな」,「怒るな」,「他者と饒舌」,「抑止力としての十二使徒」,「読者罵倒」,「不良世界の神話」,「おれは裸だ」,「諸家寸話」,「筒井康隆のつくり方」,「屋根」

 うーん,何かなあ。どうも意味の判らない作品が多かった様な気がする。

 

「少年H」 妹尾 河童  1998.02.09 (1997.01.17 講談社)

☆☆

 時は第二次世界大戦の頃,広島から神戸に引っ越してきた4人家族の生活がH少年の目を通して描かれる。戦争の時代は我々から考えると,さぞ暗い日々だと思えるのだが,少年の目から見るとどうやらそうでもない。しかしそれを大人になってから書けるところが凄い。この家族はクリスチャンの母親の影響で家族全員が洗礼を受けている。この時代にそれだけでもヤバイ状況だろうが,神戸といった土地柄からかそれ程迫害を受けたという事でもなかったようだ。小学生の頃のまわりの大人,それは赤であったりおかまであったり。子供同士の数々の遊びやいたずら。ちょっとしたアルバイトや広島への帰省。そんな日常的な事柄が活き活きと描かれていく。中学生となり,自分なりの考えがはっきりとしていく中で知り合う教師や友人を通じて語られる,この時代。やがて戦局の悪化とともに進む言論統制や食料不足。そして神戸の大空襲を経験する。戦争を知らない私からすれば,当然経験した事の無い事柄ばかりだと思うが,何となく懐かしく覚える事が多い。それは時代背景に係わらず,子供の目で見たり心で感じたりする普遍的なものなのだろうか。同じ神戸と言う事で野坂昭如の「ホタルの墓」を思い浮かべるが,H少年の方が真実に近いのだろうか。

 

「氷壁」 井上 靖  1998.03.01 (1963.11.05 新潮社)

☆☆☆

 魚津と小坂は学生時代からの仲間で,二人は精鋭の登山家であった。小坂は前穂高東壁にて起こした遭難で死亡するが,遺体を収容した魚津は,ナイロンザイルの切断による事故だと確信する。そしてそれは社会問題に発展し,小坂が付き合っていた人妻をも巻き込んでいく。残された魚津は小坂が想いを寄せた女性にひかれつつも,自分に心を寄せる小坂の妹が待つ,徳沢へ帰ってくる事は無かった。

 ずいぶんと登山者に対して好意的に描かれてますよねえ。まあ,悪役の冒険者って普通は出てこないけどね。登山が趣味の自分にとっては,場面に馴染みがあるだけ,臨場感を持って読む事ができました。ただ,あの人妻との部分って何か納得できないよなあ。井上靖さんて,そんなに登山経験があるとは思えないんだけど,登山シーンはなかなか迫真に迫ってきます。これ,映画にするんなら,人妻役には松嶋菜々子,小坂の妹は広末涼子,勿論,魚津は俺だあ。

 

「敵対水域」 ピーター.ハクソーセン  1998.03.29 (1998.01.25 文藝春秋社)

☆☆

 以前「レッドオクトーバーを追え」と言う映画を見ました。潜水艦の中での過酷な生活,閉じられた世界の中での独特な圧迫感が印象的でした。ここでは,それら全てに対して上を行っていると思えます。もっとも主人公となる潜水艦が,旧ソ連のK−219と言う老朽艦だったからかも知れません。この艦の中で発生する事故の場面の凄まじさは,ちょっとうまく表現できません。しかしソ連側から描かれた内容にしては,ソ連の杜撰さが浮き彫りにされており,ソ連があのような結末に至ったのも,納得できます。

 

「リング」 鈴木 光司  1998.04.18 (1991.06.20 角川書店) お勧め

☆☆☆☆☆

 とっても恐い話です。ある一本の不思議なビデオテープを見たら一週間の後に死ぬ。もう既に4人が亡くなった。主人公の浅川は偶然にこのテープを見てしまう。そして一週間後に死なない為にすべき事が言われている部分は何故か消されてしまっている。つまり一週間の内に謎を解いて,その何かを実行しなくてはならない。友人の高山にビデオを見せ協力しあって,30年以上前に殺された山村貞子の存在にたどり着く。そしてビデオテープが見つかった伊豆のコテージの下から彼女の遺体を掘り出す。テープの指示は山村貞子の供養だとばかり思っていたのだが,期限が経過した時浅川は生き残り高山は死んでしまう。浅川は自分と高山の行動の違いに気付く。それはテープをダビングして他人に見せたかどうかだという事に。物語はこの後「らせん」「ループ」と続き,長大な三部作は完結する。一週間という限られた時間との勝負の緊迫感がたまらない。

 

「らせん」 鈴木 光司  1998.05.02 (1995.07.31 角川書店)

☆☆☆☆

 自分の息子を海で亡くし,妻とも別れた監察医の安藤は,原因不明で亡くなった友人,高山の解剖を担当する。彼の遺体で見つけた正体不明の肉腫,遺体に詰められていた紙に書かれた数字に,高山からのメッセージを読み取る。そして高山と浅川の死の真相,さらに山村貞子の存在に行き着く。

 「リング」も恐かったけど,話はさらに入り組み,ホラー度は確実にアップしています。最後に,海辺で遊ぶ息子を見つめる安藤に,高山が話かける場面が印象的。ところで,この作品で一番恐い場面,つまり自分の目の前にいる女性こそが貞子だと安藤が気付く所。休みの日で,朝早く起きてしまい,暗い中読んでいたのですが,ちょうどその場面に差し掛かったところで,長女Mがトイレに起きてきてビックリしてしまった。あの時は,とても自分の娘だとは思えなかったもんナア。

 

「ループ」 鈴木 光司  1998.05.06 (1998.01.31 角川書店)

☆☆☆

 人類は「ひとガンウィルス」と言う新たな敵の出現に戸惑っていた。研究者であった肇の父もこの病に冒されてしまった。肇は父が元気だった頃の記憶から,「ループ.プロジェクト」の存在を知る。そしてこれこそが,全ての謎を解く鍵だった。

 「リング」「らせん」に続くシリーズ完結偏。一体どう決着を着けるのかと思っていたら,こう来たか。ホラーがいきなりSFになってしまった。最初はどの様に繋がるのか全く解らなかったんだけど,ここまで壮大な話になってしまうと,ちょっと唖然。少々反則ではないのか,SFにすれば,何やっても許されるのか,と言う気がしないでもないのですが,面白かったからいいか。だけど,この3部作を順番間違えて読んだ人って,とっても不幸だ。

 

「狂気の左サイドバック」 一志 治夫  1998.05.09 (1994.09.20 小学館)

 1994年アメリカでサッカーの第15回ワールドカップが開かれた。その前年アジアから2カ国の出場国を決めるアジア最終予選が,カタールのドーハで開かれていた。出場国は韓国,北朝鮮,サウジアラビア,イラン,イラク,そして日本の6カ国だ。10月28日の予選最終日。日本はここまで2勝1敗1分と言う成績で,最後のイラクに勝てばワールドカップへの初出場が決まる。試合は中山とカズのゴールで2−1とリード。試合時間は後半45分を過ぎている。初出場は目の前だった。

 「ドーハの悲劇」と言う言葉を何度聞いた事だろう。そしてあのシーン。右サイドからのショートコーナー,センタリング,唖然とする日本選手達。ラモスやカズや中山,そしてオフト監督。世界最大のスポーツイベントである「ワールドカップ」は,所詮日本には関係の無い世界だとばかり思っていたのだが,この時は確実に目の前にあった。カタールと言う,あまり馴染みの無い国で行われた,6カ国による最終予選。1回もゲームに出る事の無かった日本の左サイドバックの都並選手。テレビには映らない中で,こんな話があったのか。

 

「岳物語」,「続.岳物語」 椎名 誠  1998.05.25 (1985.05.20 集英社)

☆☆☆

 椎名誠ってちょっと見には,気ままな暮らしをしている様で羨ましく思えてしまうのだが,この本を読むと,実は凄く忙しいのだと気づく。まあ当たり前なのだけど。シベリアを旅行したと思ったら,オーストラリアへダイビングをしに行ったり。当然仕事で行く訳だから,その紀行文を書いたり,合間に小説を書いたりしている訳だ。そんな中で息子の岳君との触れ合いを描いているのが本書である。カヌーや釣りやらといった,アウトドア生活を通じて息子の成長の記録,子供の教育に対する気持ちが込められている。

 

「わしらは怪しい探検隊」 椎名 誠  1998.05.28 (1963.02.00 文藝春秋社)

☆☆☆

 椎名誠隊長率いる「東ケト会(東日本何でもケトバす会)」が離れ島で行うキャンプの話です。まず驚いたのは,この会のメンバーの一人が僕と同じ名前なんですねえ。それはともかくとても面白い。私も登山が趣味ですから,キャンプの経験は豊富なのですが,島でと言う経験は有りません。登山の場合ですと,山に登る為の手段としてのキャンプになりますから,キャンプ自体を楽しむ場合とはかなり異なります。濡れないで眠れればいいだけですから,テント生活での快適さは問われません。また国立公園内となる事がほとんどですから,勝手に焚き火をしたりもできません。最近はアウトドアがブームになっていますが,あれほどまでに管理されたキャンプ場でのキャンプでは,絶対に味わう事ができない生活が描かれて行きます。読んでいて羨ましくなりました。東ケト会のメンバーに拍手を贈りましょう。何時までも,バイタリティを持って,探検ができる彼等に。

 

「江分利満氏の優雅な生活」 山口 瞳  1998.06.02 (1963.02.00 文藝春秋社)

☆☆

 第48回の直木賞受賞作です。昭和30年代,戦後でもなく高度成長期でもない,その間の平凡なサラリーマン生活を描いていきます。山口瞳事体が壽屋(現在のサントリー)の社員でしたから,主人公と作者がダブってきます。会社での仕事の事,家庭での出来事,病気の事。私が生まれたのが昭和30年ですから,何と無くその時代の雰囲気は判ります。今と違って新幹線も高速道路も無く,国道でさえまだ完全に舗装されておらず,2階建ての家がまだ珍しかったあの頃。作者がコピーライターとして作った「トリスを飲んでハワイに行こう。」が実感できます。そしてここから高度成長時代が始まるんですね。そして成長と引き換えに,無くした物の大きさが伝わってきました。

 

「居酒屋兆次」 山口 瞳  1998.06.04 (1982.06 新潮社)

☆☆☆

 山口瞳さんが暮らした国立市にある居酒屋をモデルにした話です。JR南武線の谷保駅近くにある「文蔵」と言う店が,その店だそうです。この居酒屋の主人である兆次がいいですねえ。この作品は映画化されましたが,高倉健さんの主演でした。映画は見ていないのですが,これほどイメージ通りの配役も珍しいんではないでしょうか。山口瞳さんと言えば,週間新潮に連載されていた「男性自身」と言うエッセイが有名ですが,私も良く読んでいました。国立に関するネタが多かったので,国立市の隣にある立川市出身の私からすると,とても親近感が持てました。この店も良く出てきましたね。だけど国立市ってとてもいい街ですね。駅前の通りの美しさは群を抜いています。秋の銀杏もいいのですが,何と言っても春の桜が綺麗です。JR国立駅南口で降り,右に一ツ橋大学を見ながら1kちょっとまっすぐ進み,さくら通りを右に折れJR南武線矢川駅まで桜並木が続きます。途中に山口百恵さんの家も有ります。多摩地区の桜の名所では小金井公園等が有名ですが,私はここが一番だと思っています。

 

「東京23区物語」 泉 麻人  1998.06.08 (1988.10.05 新潮社)

 東京には23の区と27の市と5の町と5の村があります(たぶん)。ここでは,23区それぞれの区の特徴,住んでいる人の性格等を紹介していきます。23区といっても,中央区,千代田区,港区,品川区などのメジャーな区から,東京に住んだ事の無い人達からすれば聞いた事もない様なマイナーな区も有る訳です。ここではメジャーな区から紹介されていますが,その区のイメージをうまく捉えており,「なるほどナア。」と納得させられます。しかしだんだんマイナーな区に行きますと,私自身良く知らないものですから,読んでいてダレてきました。私は東京ですが,都下,つまり23区以外(この「都下」っていう言い方も失礼だよなあ。)なもんですから,23区に詳しい訳ではありません。以前,全て名前を言えるかなと試した事があったのですが,二つほど出てきませんでした。ちなみにそれは,板橋区と台東区でした。さらに言えば,27の市もすべては言えませんでした。

 

「こらっ」 中島 らも  1998.06.12 (1991.04.15 広済堂出版)

☆☆☆

 題名の通り,らもさんが色々な事に怒っています,叱っています。その怒りがとても的を得ているので,凄く共感が持てました。グルメを叱る場面何て,「そうだ,そうだ。」と思わず声に出したくなりましたもん。大変失礼な言い方ですが,らもさんて,そう言う感じの人だとは思っていなかったので,とても意外でした。だけど普通に生活していて,怒りたくなる場面って多いですね。特に通勤電車の中なんて,怒りたい事の宝庫ですよねえ。一人分以上の座席スペースを占領する奴,大声で携帯電話使う奴,鞄や傘が人にぶつかろうが気にしない奴。「最近の若い者は。」何て言いたくないですが,と言うか若くない奴もそうですが,公共のマナーが守れない人って多いですよね。それに私もそうですが,誰も怒らなくなっていますしねえ。だから正当な怒りを見ると痛快ですよね。アグネスと林真理子さんの時なんて拍手しましたもん。あっ,もちろん林さんに。

 

「ロシアにおけるニタリノフの便座について」 椎名 誠  1998.06.15 (1987.07.20 新潮社)

☆☆☆

 ロシアの貧弱なホテルの便座,万年筆,初めてのカヌー,自動車教習所,八丈島の海,おまつり等の話がでてきます。タイトルになっているニタリノフとは,一緒にロシアに行ったスタッフの一人の仇名です。他にもオクレンコ,シナメンスキーと言った名前が出てきます。教習所の話や,おまつりの話しなど,懐かしさと共感を覚えました。

 

バーボン.ストリート 沢木 耕太郎  1998.06.29 (1984.10.00 新潮社)

 昔,吉田拓郎の唄で「ペニーレーンでバーボンを」と言う曲があったんだけど,当時は大学生でこの曲好きだったんですよね。原宿にあるペニーレーンと言う店でバーボンを飲んでいると言う感じの詩です。それまではバーボン何て飲んだこと無かったので,この曲を聞いて無性に飲みたくなりました。今でこそワイルド.ターキーなんかでも安いんだけど,当時はメチャクチャ高くって,飲んだのは主にアーリータイムズでした。あの独特な香りと味に,当時の事を思い出しました。って何の感想にもなってないナ。