新聞の報道によると,警察庁は2004年1年間の山岳遭難と水難事故の発生状況を発表した。山岳遭難は1,321件(前年比37件減)発生し,遭難者数は1,609人(同57人減),このうち死者・行方不明者は267人(同37人増)だったそうだ。件数は統計を取り始めた61年以降最悪を記録した前年よりは減少したものの,98年以降連続して1,000件を超えている。最近の中高年登山ブームを反映して,40歳以上の中高年の遭難者が1,309人と,全体の8割を超えていると言う。ちなみに水難事故は1,505件,水難者数は1,831人,死者・行方不明者は892人だそうだ。山の事故よりも水の事故の方が多いのは意外だったが,何と言っても一番の驚きは中高年登山者の事故が全体の8割を超えている事だった。
私が山登りを始めた若い頃は,山には若い人ばかりだった様に思える。新宿駅や上野駅で夜行列車を待つ人の列も,山で出会う人達も,自分と同年代かもう少し上の人達ばかり。そりゃあ中高年の方も居たけれど,彼らも若い頃から山登りをやっていたと思われる人達ばかりだった。それが今では,山の中は中高年登山者ばかり。時代が変わり娯楽は多様化し,若い人達が山登りをしなくなるのは判る。「3K」と言う言葉が今でもあるかどうかは知らないが,何も好き好んで“キツイ”,“キタナイ”,“キケン”な事をしなくたって楽しい事は一杯ある。私だって今もしも若い世代だったら,山登りを始めるかどうか判ったものではない。
それでは何故,中高年の登山ブームなんだろう。確かに少子化社会,老齢化社会の中で,中高年にとっての健康や娯楽に対する考え方も変わってきているんだろう。みなみらんぼうさんの「中高年のための登山学」だとか,深田久弥氏の「日本百名山」などのキッカケもあったんだろう。中高年の方だろうが誰であろうが,山に登る事はいい事だと思うし,私だってそのブームの恩恵に預かる事だってある。登山者の為の交通機関や宿泊施設の整備,豊富な登山用品を揃えた登山用品専門店の存在。でもその反面,問題もある。一つは先に書いた様に中高年登山者の事故の多さ。そしてもう一つは集団登山による弊害が挙げられるだろうか。
ここで断っておくが,私は中高年登山に否定的な意見を持っている訳ではないし,何と言ったって私も中高年登山者の一人である。でもこれだけ事故が多いと言うのは問題であろう。事故はその本人のみの悲劇にとどまらない。家族や知人の悲しみや金銭的な負担,そして何よりも救助に当たる方々を更なる危険に巻き込んでしまう。そりゃあ若い人に寄って引き起こされる事故もあるだろうけど,中高年登山者の事故が全体の8割を超しているのは事実だ。では何故事故が起きるのか。自然の中での事だから,どんなに注意していても事故が起きてしまう事はある。でもそれは経験によって,ある程度回避できる部分が多いと思う。登る山に関する季節やルートの選択,天候等の条件による行動の判断,持って行く装備や食料。こうしたブームの中では,中高年になってから登山を始めるケースが多く,経験の少なさが原因の一つになってはいないだろうか。
また当然の事だが,歳をとるに従って肉体的な衰えは避けがたい。筋力も持久力も瞬発力も回復力も,そして身体のバランス感覚等も,若い頃から較べると落ちてしまう。だから健康の為の登山なのかも知れないが,それは山に登る事によって健康を作るのでは無い。日頃から少しでも鍛えた身体で山に登る事こそが健康の為なのではないだろうか。つまり山に登る登らないではなくて,山に登れる体力を付ける事,その体力を少しでも維持する事こそが健康にとって大切なんだと思う。私はマラソンも趣味の一つだが,60代,70代の方が,私やもっと若い人以上のタイムで走っているのを見掛ける事がある。日頃のトレーニングによって,歳による肉体の衰えを最小限に抑える事は可能だと思う。
でもそうは言っても体力の維持・向上は容易な事ではない。だからこそ中高年による集団登山と言う需要が生まれてくるんだろう。つまり自分の経験の少なさも体力の衰えも理解したうえで,それでも山に登りたい。確かに仲間が多ければ安心だし,何と言ってもある程度の経験を積んだリーダーも同行するだろうから安全なのかも知れない。しかし果たしてそうであろうか。自然はあくまでも個人に対して平等だし,誰にだって公平に牙を剥く。リーダーが居るから仲間が居るから,一人一人にとって疲労が少なくなる事はないし,転倒や滑落の危険が全く無くなる事は無い。逆に仲間に迷惑を掛けない様に無理をして体調をさらに悪くする事もあるだろうし,一人の体調不良の為に全員が危険にさらされる事だってあるだろう。集団登山だから一概に安全とは言い切れない。
そして集団登山には,もう一つの困った面もある。それは単独行者や少人数グループでの登山者との意識の違いだ。何故山に登るのかと言う哲学的議論はさておき,一部の山岳会や学生のクラブを除く一般の人にとっての登山は,やはり自然を満喫する事が大きな目的だと思う。だから私は集団登山を好まない。集団の中ではどうしたって,集団の中の自分を意識せざるを得ない。出来れば一人で登りたいし,そうでなくともごく近しい仲間との登山が好きだ。自然の中にまで入って人間関係を考えるなど,愚の骨頂でしかない。全ての集団登山者がそうではないのだが,この点何を考えて山に登りに来たのだろうか,と思える人達もたまに見掛ける。山を楽しむよりも,集団での活動が楽しいのだろう。
決してそれは悪いことではない。でも集団と言うものは一人や少人数グループからすると,好ましい存在に映らない事が多い。それは集団の中にいる人にとって,周りが見え難くなってしまう事によるものだろう。狭い登山道の真ん中で休憩を取っている集団。ゆっくりと歩いて後からの登山者に道を譲るなんて考えない集団。我が物顔で山小屋の中や頂上を占領している集団。まあこう言った事はマナーの問題なのだろうが,たまに見掛ける光景だ。全ての集団がそうだとは言わないが,我々からは鬱陶しく映ってしまう事が多い気がする。また同じ様な意見をネット上で見掛ける事も度々ある。
まあここに書いた事は私の誤解もあるかもしれない。中高年登山における事故を詳しく分析した訳でもないし,私自身1度も参加した事のない集団登山の実態を深く考察した訳でもないのだから。でもそんなに外れているとは思わない。今回この様な事を書いたのは,私も中高年登山者の一人として,自戒の気持ちを込めて書いたつもりだ。自分にとっての山登りとは何なのか,何を目的に登るのか,少しでも事故の危険性を減らすにはどうしたらいいのか,他の登山者の迷惑にならない様何に気を付けなくてはいけないか。これからも私は山登りを続けていくだろう。何歳になっても自分に合った山登りが出来るよう,健康にもマナーにも気を付けて,楽しい山登りを続けて行きたいと思っている。