朝日連峰 登山報告書

1999年: 7月 9日(金)−12日(日)
参加者 : (C隊隊) CL Marco。: 茅ヶ崎市緑が浜
knabe:(横浜市保土ヶ谷区),T美(豊島区)、A み( 国立市)、G隊:T志 (那珂郡東海村)

<交通の記録: 高速料金:往復¥21000、 燃料代:往復(1200km)¥10000

時刻(行) <7月9日(金)> 往路
緑が浜ー(横新)−鶴見
15:10  鶴見IBSの前出発
15:50  T美家到着
16:20  T美家出る
16:30  JR大塚駅でAみさん拾う
16:50  首都高速・護国寺入る
18:10  首都高速の渋滞解消
19:10  向島・常磐道経由で那珂I/C着
19:50  東海 原研権現山寮駐車場
21:10  東海 のレストラン発 212 km
23:25  東北自動車道・国見SA トイレに 幕営 434km
10日  くもり(霧) 時々 雨
6:40  国見SA
7:45  西川IC 534 km 
8:40  日暮沢小屋     569 km

時刻(帰り) <7月11日(日)> 復路
12:30  日暮沢小屋出発
13:00  大江町・柳川温泉 入浴200円
14:35  柳川温泉出る    586 km
15:05  西川IC 入る 613 km
17:05  本宮IC 途中下車 772 km
17:10  朝日ビール園 ICより500m
18:35  5人でシャブシャブ6人前食
20:05  日立南太田 I/C  917 km
20:20  東海        925 km
21:30  守屋SAにて休憩
22:00  守屋SA出発 (くつろぎ過ぎ)
22:10  三郷JKTより首都高速入る
22:30  呉服橋出て東京駅到着
23:40  天王町寮でknabe降ろす
24:10  緑が浜到着: 小雨        

<工程記録: 7月 10日(土)〜11日(日):晴れ時々曇りと霧:>

時刻 高度(m) POINT
9:25 620 m 日暮沢小屋 新築3階建水洗トイレ
10:00 860 m 一本:   -10:05
10:45 1070 m 一本: -10:55
11:10 1150 m ゴロビツ(水場)通過
11:45 1340 m 1359m小ピークの手前で食事 : -12:05
12:40 1464.6m 清太岩山
13:05 1520 m ユウフン山手前休憩: -13:30
13:40 1565 m ユウフン(熊糞)山休憩: -13:55
14:30 1640 m 竜門山直下雪渓 :  -14:40
14:45 1670 m 竜門山分岐 主稜線 竜門山頂まで2-3分
15:00 1570 m 竜門小屋 宿泊1500円

7月11日(日) 霧時々雨
6:45 竜門小屋
7:05 1688 竜門山 :−7:15
7:50 ユウフン山 : -8:05
8:40 清太岩山 : -8:45
9:10 1340 一本 往路の昼食地点
9:40 ゴロビツ(ゴロビズ) : -9:50
10:10 1020 m 一本 : -10:40
11:45 日暮沢小屋

【まえがき】
 東北道から山形道へ入り、xxxx峠を超えてxxxトンネルの入口に差し掛かると壁に奇妙な画が描いてあるのに目が移った。日本カモシカが青空をバックにトンネルへ入る車の列を見下ろすかのような画である。タッチとしてはカラー漫画のような筆使いである。長距離トラックの後ろ扉や改造したキャンピングカーに良く描かれている絵と言えばわかりやすいと思う。ちょっと薄気味の悪い感じの画である。

 これまで何度もカモシカに出くわしている、あるいは彼らを見る為に山に入っているとも言える筆者にとってはその絵姿が不気味に思えた。おおよそカモシカという動物を見たことがない人々がその姿を空想するかのような絵姿であった。喩えを一般的に言うならば、紅い雀や青い竜に白い虎や、夢を食べる獏の姿を連想させる画であった。ダーウィン以来の自然科学の中での動物の進化論とは別の世界に展開される動物たちの姿を想像した。今回の山行の2泊3日の天候は深い霧のち日照り雨。晴れたかと思うとまた霧という今回の天候は語り場としてこれらの不思議な絵姿をぼんやりと映し出すのにぴったりであったと言える。「日照り雨の日にはキツネの嫁入りが見られる。」と始まる映画でも作るつもりで今回の報告書をまとめてみたい。

 また、報告書の全体構成として最近の報告書ように終了してから一歩高い所から遂行された計画を省みるのではなく、まさに読者も山行に参加したかのような錯覚に陥るようにするための工夫として時系列に従った現場の描写を中心として記述する。「まるで小学生の夏休みの作文のようだ。いい年して何を書いている。」と指摘をしようと考える読者が一人でもいればこの報告書の目的は達成される。10年前に筆者が「雲海」の執筆を始めた頃の形式に戻って書いてみたい。これから初めて夏山に登られようとする初心者登山者及び、その方々を引率する比較的経験の多いリーダーの方々が「先代の誤った模範例」として記憶の片隅にとどめていればしめたものである。

【参加者の決定まで】
 「3年目の正直」と書くだけでお分かりの読者もいるかとは思いますが、今回の計画の発端は3年前に、6月に台風が東京に2回も来り、神戸市須磨区の小学生首無し事件の頃に遡ります。雲海30号の72〜80ページをまずは黙読されたい。メンバーの募集にあたっては当時の主人公たちには声をかけた。遠く、インドネシアのジャカルタに赴任中のK西さんにもメールした。また過去の経験から、5速マニュアル車を運転できる人々ならびに山形弁に堪能な方々の参加も図ろうとした。また山岳部としては久々の初心者を対象とした登山である為、広く休眠部員の方々や山岳部を退部されたのに未だ会社に居られる方々へも参加を募ろうとした。
 今後この梅雨の時期に山行リーダーを務める方へのアドバイスになるかどうかは参加者の考え方次第では有るが、「晴天の稜線」が週末に現れるのを期待するのは無理である。晴天に合わせて休みを取らない限りは雨と思って参加するしかないと思う。では雨の山登りの中に何が発見できるかとの個人の感受性の発達の点を考えるならば「人生経験の品数」に対して満足感を得られるような参加の態度を持てるメンバーの育成が今後の山岳部の課題ではないかと思った。砂漠に観光に行って大雨に当たったり、夏のロッキーマウンテンで雪に降られることも面白いものである。アメリカ人の冗談か一般的なのかは知らないが、「ハワイに行って雨にあたる。」とは、それほど何回もリゾートに行っていると言うことで自慢話になる、とのことである。

【参加者の集合まで】
「リーダーとしては最善の努力はした。」と書きたい。参加の意思がありながら諸般の事情により参加できなかった人に対しては以下のメールをごらん頂きたい。

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T志様;先ほどの電話内容をメールします。こちらの事情は話せば色々長いのですが、今考えてみるに結局は2ヶ月前の計画通りでした。今回の最大のテーマは3年前からの懸案であり、C隊山岳部長を退任するにあたっての最後に遣り残した一大事業である、「財務部のK本さんを連れて大朝日岳に登る」の成就でした。多分、これも彼の運命なのかも知れませんが、またダメでした。これも地球の温暖化と同じ問題かも知れません。一つだけ今回の特記事項としては、C隊山岳部始まって以来の出来事である、「携帯電話を持っている人が山行に参加する」ということです。
********************************


「金曜日の15:05に鶴見IBS石井スポーツの駐車場集合」から本日の行程は始まる。今回の山行が成功するかどうかはここに現れる面子に大きく依存していた。"信頼のおける"(英語ではUSEFULと訳すことにしよう)knabeさんの姿が現れることをエンジンの止まったバックミラーからリーダー(CL)は期待していた。するとYシャツ姿の彼は荷物といっしょに現れた。車に乗り込んで、まず最初に目指すのは首都高速;護国寺のI/Cを出てT美家で荷物を拾いJR大塚駅でAみさんを拾うことであった。護国寺までのルートは予想外に空いていたものの、降り返しの首都高速はドツボに渋滞であった。ここで一時間のロスタイムであった。次なる中継地点である、東海村への連絡は向島を通過して渋滞が解消した地点で行うことを考えていた。渋滞中の連絡は「ご機嫌いかが?」と電話するようなものでNEXTアクションが指定出来ないので意味が無い。今回は「携帯電話」という新兵器を車内に2台も搭載していた訳であるが渋滞の解消した18:00になってT志さんに連絡を取ったが、会社を出たあとであり結局のところ新兵器も役には立たなかった。19:50 東海村到着、予定時刻を1時間過ぎてT志さんを拾う。ここでの到着おくれがそのまま本日の幕営予定地への到着時刻を送らせることは明白であった。
 
【初日の幕営地まで】
 メンバーがようやく全てそろい食事となった。ロスタイムを補う為にコンビニの弁当を車内で走りながら食べることも通常は行うが、今回はファミレスでのフルコースの食事とした。ロスタイムの取り戻しを先送りする「無謀な行為」と非難される方もいるかもしれないが、その時のCLの心境として「遅れを取り戻せるかも知れない。」とする傲慢な自信が多少は有ったかもしれない。しかしながら、初めてのメンバーの場合には「いっしょに食事をする」などで互いを知ることで、団体行動の途中には必ずつきものの「団体の意思決定」に費やす時間を少なくすることが出来る点は考慮することが大切である。「外での食事にするか、車内での弁当にするか?」を思い悩むことは、山の中において「この先進むべきか戻るべきか。」を結論つけることに比べればロスタイムが及ぼす影響をも考えたとしても取るに足りないことである。
 22:00を経過した時点でそろそろ本日の煮詰まった行程に結論をつけなければ行けなかった。寒河江まで行く気になれば可能ではあるが本日の睡眠時間を1時間でも長く確保したかった。幕営候補地のPA・SAを3箇所決めて選定に入った。始めに現地調査を行った国見SAのトイレ裏の土手の上に幕営とした。
 
【登山口まで】
 霧まじりの曇り空の中、すばやくテントを撤収し国見SAを出る。起床から高速道路に戻るまで45分。まずまずの時間であった。幾つものトンネルが再び続き、やがて峠を越えると日本海側に出た。天気は予想通りの快晴に変わった。月山を超え日暮れ沢小屋へと続く道に入る。何と小屋までの道は以前のように工事現場の真中を横切って進むのではなく、専用道が新しく完成していた。

【登山初日の工程】
 出発地点の標高を地図と高度計で確認及び補正する。日暮れ沢から清太岩山までの道のりは比較的急な登りがはじめに続く。準備体操としては良いのであるが初心者にとってはこのような険しい道が最後まで続くのではという心配をもたらすのは「地図を読める」ようになるまでは避けることは出来ないであろう。中学校の社会科で読み方は習っているはずなのだが実践の場合は、地図の上に線を引いたり色を塗ったりする前に靴紐を結んだり重い荷物を背負ったりしなければならない為そこまで気力が続かないのが実情のようである。丸の下に横棒が描いてある広葉樹林帯を黄色で色を塗ったりする社会科の作業帖も、もっと色塗り作業の目的を前面に出して教えられる先生が多く登場することを望む。
 清太岩まで来たところで高度計を確認し本日の行動の終点を考える。サラサドウダンの花は咲き終わりの時期で僅かに残る花と種になりかけた膨らみが季節の選定に多少の後悔もあった。標高差だけを言えばかなりの高さまで上ってきているし、まだ午前中である訳であるがメンバーの体力と登山口に止まっている車の台数の多さを考えるに大朝日小屋での宿泊は困難を極めると考えた。これまでのコースタイムは標準をキープはしているがこれからはペースが落ちることは予想できた。また新築の日暮沢小屋の為か駐車場に入りきらないほどの車の列は上の山小屋での混雑を予想させ、遅れて小屋に到着するときの先住民からの「縄張り意識の冷たい目」は想像できた。

 熊糞(ユウフン)山の手前で本日の行程変更(大朝日の小屋までは行けない)についての告知をメンバーに対して言わなければならない。告知の内容に付いては、本日予定通りに進んだ場合の予想される本日の弊害及び明日の不安が一点。もう一つは、本日予定通り行かなかった場合の明日の代案及び明日の負担増であった。ここで冷静な読者の質問として「何故、予定通り行けないのか?」という声があるのは日常社会においてもそうであるように山でも考える人はいる。しかし、そのような場を数多く体験した人あるいはもっと冷静にこの文章を深読み出来る人ならば、「この場(ここまで来て)で考える問題ではない。」ということがお分かりであるとは思う。「何故」については計画の時点でほとんど解決済と言える。「本日の目標に対する達成感」とは単に標高や道のりだけではなく、エスケープルートを含めた「全ての時間」である事は長い人生、あるいはもっと長く地質学レベルの時間なんかをスパンとして考えてみると議論の対象としてつまらない事が多い。さて、現場の状況を実際の会話を通じて再現してみると以下のようであった。;

CL:「本日、予定通りに大朝日小屋まで行くためにはこれからスピードアップしなければなりません。遅い人の荷物を空身同然にして、その他の人に割り振ります。」
秋:「竜門小屋に泊まっても、明日の行程が2時間増えるだけです。」
CL:「本日、多少無理してでも大朝日小屋まで行けば明日は雨でも大朝日のピークには30分で登れます。竜門小屋に泊まった場合はピークまで3時間であるため雨の場合は無理でしょう。」
メンバー結論:「明日、2時間で大朝日を越えての5時間40分のコースとして本日はゆっくりと休みたい。」

 竜門小屋まであと1時間となったところでペースを一段と落とし、風も無いことから休憩を頻繁にとった。ここまでは30分に一度の休憩ペースを保ってきたが、10分進んでは休息して回りの景色をを振り返る時間をとった。風の無い霧の中というのも風情のあるもので心地よいものであった。コースタイムの倍の時間、2時間以上かかって竜門小屋に到着した。このような小屋到着の時刻を気にしてあくせくと早足で歩きつづけるのではなくゆったりと休憩し話をしながら歩くのは理想的な登山にも見えるが、これはこれで多くのことを犠牲にしている行為であることを理解していただきたい。特に初心者はこのような工程計画を始めから組んではいけない。多くの場合は、突風や大雨、大雪などが起きて水と食料と燃料が尽きてしまう事がある。

【竜門小屋にて】
 16:00頃の小屋到着。CLの胃腸感覚とは全く逆に、安堵感からか初心登山者達は早くも空腹を訴え始めていた。確かに通常の登山の場合には小屋到着と同時に水の確保と夕食の調理の準備に取りかかるものであるがCLとしては今回は下界と同じように、飲酒後のゆっくりとした夕食を考えていた。お湯を沸かしお茶やスープなどで初心者達の安堵感は増したようであった。湿布を始めるものや着替えを始めるものもいた。CLらは、スルメとホタテのひもをあぶりながら日本酒を飲んだ。
 夕食はニンジンと水に戻したシイタケに桜海老を加えてバターで炒めたビーフンとした。ビーフンはカロリー当たりの荷物が軽いことではかなり高得点と言える。但し、朝日連峰の場合は水には不自由することはないので燃料さえ十分持っていけばラーメンやスパゲッティー等でも十分行けるとは思う。予備食の米は使わず持ちかえりとなった。
 しかし、ここでの計画からの大きな狂いは「酒が余る。」ということであった。紙パックの日本酒一升に水筒に入れ替えたCHARDONEY1本が、このメンバーでまさか余るとは想像出来なかった。そうかといって残す訳にも行かないので全部飲み終わるのに時間がかかった。これが夜更かしの原因となったが翌朝の悪天候のおかげで然程の失敗にはならなかったのが救いである。CLにとっての今回の最大の反省点はここにあった。実はこのような状況だけは「予測できたはず。」と言われても仕方がない。2ヶ月前の飯豊(石転び沢)&月山の二日目のテントの夜が同じ状況であった。ここはT志さんに御指摘される通り「すぐ寝る」ことに徹するべきであった。

【二日目の工程】
竜門岳頂上にて; 今回のハイライト・シーンである。「行くべきか、戻るべきか?」、ただそれだけのことでは有るが、数々の歴史においてもそしてまた多くの映画やミュージカル、駅前の英会話教室(NOVA)の宣伝の中でも取り上げられてきたこの命題に対してまたひとつのドラマがあった。
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背景:小雨がちらつく天候で時折風も強かった。朝食を終えて出発前の結論。「出発して15分で竜門岳のピークに到着します。今回の最終決断はそこでしましょう。」

CL:「これからの工程は3通り有ります。

@:予定通り大朝日の頂上を経て日暮れ沢へ。

A:ここに荷物を置いて大朝日まで二時間歩いて戻ってきます。

B:竜門岳登頂で下山」
 ここで気を付けなければ行けないことは、全員のこれからの予定を左右する意見をメンバーの誰に最初に聞くかである。決断を初心者に迫ることは慎むべきである。


knabe:「天気が悪いのに行く意味は全くない。」
CL:「梅雨の時期の週末でこれより晴れる日はそんなに無いはず。ここで撤退した場合、次回来る時の期待が大きすぎて次回に無理をしてしまうのではないか?また、それを克服しようと思えば登山口に来ることすら億劫になり一生登頂は不可能になってしまうであろう。また、CYD山岳部のレベル向上を狙う場合にはトップレベルの人々がいくら目だった活動をしても意味が無い。ボトムレベルの一人でも多くの活動がが充実することが大事である。あと2時間余りの頑張りで達成できる。続登の意味は十分ある。」
T志:「確かに今回これだけで下山するのは朝日の良いところを何も見ずに帰ることになる。しかし、あと少し行ったからと言って花の稜線が広がる可能性も分からない。」
Aみ:「体調(隊長?)の話は別にして、あと少し進んでも状況が変わらないのであれば進む意味も無いのでは?次回についても執着はしない。」
CL:「午前七時十分。竜門岳登頂をしたところで今回は下山します。」
ここでのCLの判断基準は、その場にいたメンバーの多数決意思に頼る以外に自分なりの結論を導き出すことは出来なかった。CLは脳死の判定を下す医師の気持を考えていた。今後もうすこし自分なりの理由付けなり代案を検討してみたいと思った。

【登山を終えて帰り道】
 11:45出発点である日暮れ沢小屋へと戻る。高度を下げるとともに霧はすっかり晴れて新緑のムコウには青空が広がった。今年から3階建てに新築された日暮れ沢小屋の前で記念撮影。そのあと温泉へ向かう車窓から白くうごめく動物を前方に発見。日本カモシカの親子である。輝くほどの白さが緑の中に生えていた。この時の印象をこれまでのカモシカとの遭遇上場の比較によって語る。これまでに見た日本各地のカモシカの"見た目"を筆者なり(限られた記憶)にまとめると以下のようになる。
*上高地(徳沢):野良犬のように瘠せている。険しい目。色は茶色に近い。夏も冬も茶色で昔の8円切手のイメージに近い。大きいのもいれば小さいのもいた。
*下北半島:バッファローのようにたくましく美しい体型。優美。色はこげ茶色。
*尾瀬(鳩待の冬)、雪倉岳、北岳他:上高地に近い。小型。

今回のカモシカは以上の偏見に満ちた分類には当てはまらない。新種、「山形のひょうきんカモシカ」と分類できる。報告書の冒頭にあったトンネルの画や道路脇の標識に描かれている漫画のような姿は「山形カモシカ」を正しく表していたのである。「険しい」という感じも無ければ「優美」という言葉も当てはまらない。色は子ヤギのように真っ白である。七福神や御伽噺にでてくる画のタッチが似合う。あごひげが長くて毛深くてひょうきんな顔なのである。車が近づくと子供が逃げようとして道路を飛び跳ねたがかっこうが悪かった。まっすぐ進まないのである。ななめに飛び跳ねながら林の中へ入って行くのを見届けると親は後をすばやく追った。一瞬の出来事ではあった。1999年の夏の思い出として脳裏に長くとどまると思われた。
 しかし、この光景(歩く姿が恰好悪いカモシカ)をあとで高速道路を運転しながら思い出していると、どこかでかつて見たような気がしてならなかった。T志さんと話をしている時にその姿が数年振りに思い出された。「M田さちえさん」である。10年ほどまえの雲海に出ている女性C隊山岳人の代表である。「ぺたぺたぺた」と重心を上下に少しずらし、肘から下の手を手首を曲げずに振りながら髪をゆすって歩くその姿は、実は「山形カモシカ」の生まれ変わりだったのかもしれない。
 さてここでT志さんの説によると、「十年に一度C隊山岳部に山女が出現するのだとすれば、今年はその当たり年になる。」とのことであった。

【帰りに寄った温泉】
 朝日の帰りは100円で入れる寒河江市民浴場、というのがお決まりのコースであったが前回のスキーの時の"日焼けのあとの熱い浴槽"というイメージが未だ残っていたせいか、時間もある事から新規温泉の開拓を目指した。出発前の狙いでは左(あてら)沢の温泉を考えていたがその前に、岩根沢手前で看板を発見。200円で露天風呂で石鹸付き。<ビ>の自販機もある。

【アサヒビール園】
朝日連峰に洒落てアサヒビ‐ルを選んだ訳ではない。北海道料理ラム肉シャブシャブを食べる為に寄った。3年前の「月山スキー登山」の中では「ベトナム帰りの水兵隊が本国へ帰る前の寄港地のようだ」として紹介したことがあるが、今回は「日本海のイカ釣り漁船が数ヶ月の操業航海のあとで丘にあがった。」ぐらいに形容しておこう。新たに報告すべき点は「食べ放題だけがメニューではない。」と言うことである。5人で6人前の肉にご飯を頼んだが量的には十分であり値段もいつもよりも安かった。「まだまだ食べ放題に参加できる。」と若さを競う事が目的ではなく純粋に夕食として食べるという道も新たなる一歩であった。

【東京駅解散】
 東海村でT志さんを降ろした後に再び常磐道に入りknabeに運転を代わる。三郷JKT手前10kmのSAで最後の飲み物休憩。あと30分で車の道のりが終わると言うCLの予告が信じられないのか他のメンバーは社外の人(T志さん)が居なくなったので遠慮しなくなったのか20分経っても車に戻ってこない。CLとしては今回の一番のイライラの時間であった。
 三郷を出て首都高速6号から向島を経て両国あたりへ来たところで合流渋滞があったが数分で解消した。呉服橋より首都高速を出ると外堀通りに出てすぐ目の前に東京駅があった。10:30駅前で二人の女性を降ろす。

【参加者の感想:T美】
先日は大変お世話になりありがとうございました。
今週末は9合目までロープーウェイの那須「茶臼岳」に行き、頂上まで45分ではありますが、一応「登山」をしてまいります。私が計画?したものなので、それなりに緊張しています。・・・
山のベテランの方々に敬意を表しまして。
今回もいろいろ学ばせて頂きました。ありがとうございました。
秘書グループ T美

【参加者の感想:Aみ】
T志さん、Marco。さん、knabeさん そして T美ちゃん
 山形行き、ありがとうございました。なんか忘れていることがあると思ったら、お礼のメールを出すことでした。本当に膝に爆弾あるのも省みず参加(というか、企画)して頂いて、みなさまには本当にお世話になりました。「上級レベルの方々に至れり尽くせりのフォローと準備をしてもらったんだなあ」と思ったのは、山を降りてからでした。
 
 さて私はスキー主体の人間です。山は、新雪を滑りたくてリフト頂上から裏山に抜けてゲレ
ンデまでトラバースして帰ってくるような3時間コースしか知りませんでした。新雪のことばかり考えて、山登りに慣れておきたくて、お気軽に今回の企画に参加させて頂いたような不純な動機でした。

帰ってきて山形を良く知っている人に朝日連峰に行ってきたと言うと「ブナ林がいいでしょう」とか「どこどこのなになにがきれいだったでしょう」とか言われるのですが、ハッキリ言ってなんだかわからん。登りながらいろいろ説明してもらっていたにも拘わらず。登るのに一生懸命だったのか、山を楽しむという感覚に欠落していたのか、事前準備勉強を全くして行かなかったせいか。

 今回の山登り初体験、私にとっては朝日を経験したというより、山を登るについて
の環境を経験したということかな。暑い、雨でグジュグジュ、小屋やテントは窮屈で何やらやたら近くに人が接近して寝ている、イビキがうるさい。これに慣れるとタフに生きられるようになるのでしょうか。そうなのです。タフさ加減なのですね。
 T志さんは「感謝されるようなことはしていない」とおっしゃいますが、このタフさが欠如している私にとって、やはり同行のみなさまにお世話になったとしか言いようがないのですね。お客様でいられたので、2泊3日過ごせたのかもしれません。登るスピードは、そりゃかないません。(もちろんこれから慣れていって筋力・持久力をつけたいけれど)でも、精神的なタフさがあればもっといろんなことが話せて、食事の用意も率先して何か手伝えて、すると何かが違ってきたはずだと思う訳です。

 そして筋力。久々の筋肉痛に悩まされました。気持ちよかった。あの疲労感だけで、また山に行きたい衝動にかられます。山登りは途中で止める訳にいかないので、何だか気に入りました。(膝が悪いので下りはご迷惑をかけましたが)
 T志さんのグミ携帯は真似っこしよう。地下足袋も真似たいけど「下りが大変なのでやめた方がいいよ」と。地図と高度計は絶対これからは用意して、それらを使って自分の位置を確認するくらいの心の余裕も用意して。筋力・気合・心の余裕、ここまではスキーと一緒。山はこれに 心のタフさが加わるのでしょうか。

「この斜面はスキーで滑ったら面白そうだ」としかまだ山を見られないので、雪がなくても山と遊んでもらえるような人になれたらいいなと思います。膝に故障があったにも拘わらず決行して、みなさまにフォローして頂きました。本当にありがとうございました。

 でも....  「やっぱり下りは滑って降りたい!」っと。

【参加者の感想:knabe】
今年になって、初めて山小屋に泊まった。去年までは、常にテントであった。いざ、泊まってみると、日本の山も、ハ-ドは充実しているな。という気がした。無人の山小屋といっても、十分使用に耐える清潔さだと思う。ぜひ、普通の人にも、テント、無人小屋を使用した安いレジャ-もあるんだ。 ということを知って欲しい。
今回は女性の初心者と一緒に歩いたわけだが、どうしても、私がペ-スをあわせることになる。そこで、初心者は申し訳なく感じる必要はありません。山岳マラソン等を例外とし、やっぱり普通の人はゆっくり歩いたほうが楽なのです。学生が集団で早いペ-スで歩く姿を見ることがあるでしょう。この時も、心のなかでは「早く誰かばてろ」と願っているものなのです。自分がばてると先輩に文句いわれるからあくまでも、他人がばてるのを待ちます。

 という訳で、「私にも行けるかしら、できるかしら」 という人も経験者に相談のうえ 気軽に山に行きましょう。でもやっぱり体力があった方が、自分が楽なのはいうまでもありません。 だたし、沢登り、岩登り、雪山、山岳スキ-等、体力以外で技術が必要はところに行きたい人は、経験者に十分相談の上、少し考えてに山に行きましょう。今回は天候が悪く残念でした。 以上 knabe


【参加者の感想:T志】
- 日暮沢から竜門山のコースは、登り口と登りついたところに避難小屋がある、主稜線への最短コースであり逆に縦走路中最短のエスケープルートでもある、日暮沢拠点の周回コースに使える等、連峰中最も使いでのあるコース。残雪が多い時期には竜門山直下は雪の上を歩くので、スリップや視界不良時の道迷いに気をつけたい。

- 最初から下山と決めていれば、寒江山方面へ散策しても良かったかもしれない。南寒江山までは起伏がほとんどない。竜門小屋付近の様子からして、花も期待できただろう。がんばって南寒江山-寒江山まで登れば、ウスユキソウの群落も楽しめたはず。

- 登山道のえぐれ具合や人の混み具合が、私が初めて来た頃と比べずいぶんひどいように思われる。夏山シーズン前にしてあれだけの人がいるとは。

- 「ゴロビツ」は現地の発音では「ゴロビズ」なのだろうか。こういう事は結構大事だと思うのだけれど。「モスコウ」ではなく「モスクヴァ」だし、「ゴセンバーグ」ではなく「ヨーテボリ」だし、「ドヴォラック」ではなく「ドヴォルジャク」なのだから(関係ないか)。

- 大朝日小屋の新築が始まったらしい。旧小屋もしばらくは使えるが、秋頃には一時新・旧小屋ともに使えない時期があるようなので注意。
- 今回最大の拾い物=柳川温泉。大江町最奥の地・柳川に、奇跡のようにこつぜんと現れる。日暮沢拠点の山行では今後定番となるか? 次は手打ちそば(食べるだけ)も試したい。

- 今回は朝日の良いところはほとんど味わえなかった、という前言は撤回。良かったかどうかは個々の人が決めること。以前(1990年?)C隊さん達と朝日に来た時にも同じ思いをした。嵐の中たどり着いた大朝日小屋にて、「あいにくの天候で..」という私に、「うれしくてわくわくする」と応じた人がいた。
- それでもあえて個人の趣味を言わせてもらえば、狐穴を中心として寒江山、相模池、高松峰、以東岳周辺。
- なるべく人の集中を避けるという発想からは、三面(みおもて)口。"楽しい"一本吊り橋があるし、虫のいっぱいいる三面小屋もある。三面小屋までの森も良い。開発の手が及んできているので、この"古き良き"道を楽しみたい人は急いだ方が良いかもしれない。