黒部五郎岳・鷲羽岳・水晶岳・雲の平・薬師岳 登山報告書

1999年: 8月 5日(木)−10日(火)   

<交通の記録: 高速料金:往復¥15000、 燃料代:往復(900km) ¥8000

   
時刻(行) <8月5日(木)>小雨 時刻 (帰り) <8月9日(月)>晴れ&小雨
3:50 緑が浜発:134号経由―厚木―津久井―中央高速 17:00 折立登山口駐車場発:(着替え5分)松本側へ
5:00 相模湖I/C入る 55km 17:40 有峰林道ゲート出る  175km
6:00 八ヶ岳PA 154km 18:50 国道471:飛騨温泉郷 220km
7:30 小布施PA(上信越道)292km 19:00 飛騨温泉のホテルの露天風呂
8:10 中郷I/C(上信越道終)335km 19:45 露天風呂(¥600)出発
9:00 国道18号を終えて北陸自動車道:上越I/C入る 358km 19:50 中の湯売店通過何と5分で奥飛騨から上高地!
9:10 名立浜谷SA 給油  373km 20:38 松本I/C入る     282km
10:15 有磯浜SA       84km 20:56 諏訪湖SAで夕食   313km
10:30 立山I/C 降りる 21:50 諏訪湖SA出発
11:00 有峰林道入り口ゲート 23:15 相模湖I/C出る    445km
12:00 折立登山口到着   150km 24:35 緑が浜到着: 小雨  502km
往路計:523km、8時間 復路計:352km、6時間
有料道路 相模湖―中郷:   ¥6100上越―立山:    ¥2900 有峰林道:     ¥1800 有料道路 安房トンネル    ¥ 750松本―相模湖:   ¥3950
   

【往復の交通】

「富山に行くには関越道で新潟まで行って、それから北陸自動車道に乗り換える」というのがこれまで筆者の知っている唯一のコースであった。 中部北陸縦貫道などの検討も行ったが、結論として貫通もうすぐ(中郷と上越の間の国道18号を18km残す)の中信越道で行くことにした。しかしながら、復路にて偶然発見した有峰林道の東谷ゲートは18:00の門限さえ守れば最短ルートである。有峰林道は国道417につながっていて、安房トンネルと組み合わせると「日本の歴史が変わる」ほどの発見をしました。このルートの発見は以下のような認識の変化をもたらす。

@「尾瀬より近い雲ノ平」

A「剣岳は早月尾根から登ったほうが体力面のみならず、アプローチにかかる時間も交 通費も安い」

B「白馬岳の頂上から茅ヶ崎へ帰るのよりも、薬師岳から帰る方が早い」

<行程記録: 第1日目: 8月 5日 (木):快晴: >

時刻 高度(m) POINT

12:30 1300 昼食をとって折立登山口出発:駐車場で100台程度

13:45 1700 一本 (途中2本):始めは少し急な階段的な登り

14:00 1870 三角点:以後、緩やかな登り坂、かなりの部分が石畳

15:00 2000 一本 15:30 2190 ベンチのある見晴台で休憩。あと2kmで太郎平

16:25 2220 太郎平小屋到着:小屋(素泊まり¥5200)の下見はするが、テン場へ 

17:00 薬師峠のテン場到着  ¥500 夕食 おにぎり、卵スープ、チーズ

<行程記録: 第2日目: 8月 6日 (金):快晴: >

時刻 高度(m) POINT

朝食 黒パン、アストリアコーヒー

5:20 2200 薬師峠のテン場出発 7:05 緩やかな登りが続き、稜線にでる

7:50 2662 北ノ俣岳到着

9:30 黒部五郎への直登尾根の手前の平地 昼食 ラーメン、飴

12:30 黒部五郎の頂上直下の稜線で荷物をデポ。デポせず、そのまま稜線を小屋まで行くほうが夏は楽なのでは(ヤブこぎの一般道よりも) 雷鳥の番(オスもいた!)が出てきたので暫く休憩

15:25 黒部五郎の小屋到着: テン場は100m離れ、 ¥500小屋は見えるがなかなか辿りつかない。 夕食 黒パン、チーズ

<行程記録: 第3日目: 8月 7日 (土):快晴: >

時刻 高度(m) POINT

朝食 黒パン、アストリアコーヒー 5:45 黒部五郎の小屋出発

7:40 2841 三俣蓮華岳頂上到着

8:40 三俣山荘到着、:医者有り。

10:15 2924 鷲羽岳頂上到着 昼食 黒パン、カシューナッツ

11:40 ワリモ分岐で荷物をデポし水晶岳へ 12:15 水晶小屋到着。水無し。350mlのジュース¥400*3本購入

13:05 2978 水晶岳頂上到着

13:40 水晶小屋戻る。

14:20 ワリモ分岐へ戻る。眠りの尾根を歩き、高天ヶ原へ

17:10 高天ヶ原小屋到着:テント禁止の為小屋泊: ¥5200 温泉 元湯(男女別)と、温めの新湯がある。 夕食 野菜ビーフン、鮭ジャーキー

<行程記録: 第4日目: 8月 8日 (日):快晴: >

時刻 高度(m) POINT

朝食 黒パン、アストリアコーヒー

6:00 高天ヶ原小屋出発

7:00 高天ヶ原峠到着

8:20 2420 石郡の前で道に迷う(無理にヤブこぎしてしまった)

9:40 雲の平到着

10:40 祖母岳到着

14:00 薬師沢小屋到着:テント禁止の為小屋泊: ¥5200 昼食 ラーメン、餅

夕食 ちりめんじゃこのご飯、卵スープ、鮭ジャーキー

<行程記録: 第5日目: 8月 9日 (月):快晴: >

時刻 高度(m) POINT

朝食 お茶漬け、紅茶 6:00 薬師沢小屋出発

6:45 2000 二つ目の沢を横切る地点で一本

8:00 太郎平小屋の手前500mでHenry高橋に遭遇。4年ブリの再会に暫く話をしたあとで薬師峠のキャンプ場で荷物をデポ。

9:00 薬師峠出発

9:20 一気に登り、薬師平到着。

10:05 薬師山荘到着。気温18℃、しかし熱い。

10:50 2926 薬師岳頂上到着 昼食 カロリーメート、ラーメン、餅

12:05 薬師平到着

12:30 薬師峠のキャンプ場戻り、昼食

13:20 折立到着後の準備をし、キャンプ場出発。

13:40 太郎平小屋通過

15:40 1870 三角点(太郎平まで、4.2km)

16:50 折立到着:ゲート閉まで、残り70分。

17:00 靴下とシャツだけを着替え、顔も洗わず、水の補給も行わずエンジンをかけた。ゲート閉まであと60分。 温泉 国道471号沿い、ホテルの露天風呂 夕食 ざるそば、うなぎ、山菜、ワカサギ、ソフトクリーム @諏訪湖SA

【第5日目の特記事項】 

 雲の平から戻ってくるところで、Henry高橋(シアトルの最高峰Mt、Ranier:4300mにいっしょに登ったCIC社員だった人。シアトル在住で、毎年夏には日本の山をおとずれ、昨年南・北アルプスを通算でつなげたそうです。雲海にも登場してる。  また、この日の帰りに有峰林道の東谷ゲート(国道471号へつながり松本に出る)を発見し富山県が近くなりました。

【まえがき】  

北アルプスの西の果ては名古屋である。此岸である東京側から見上げると、南の方から北に向かって順に、乗鞍岳、穂高岳、槍ヶ岳、黒部五郎岳、薬師岳、立山、剣岳、白馬岳の壁のよって遮られているこれらの3000m級連山の向こう(彼岸)には、水墨画の中国や果ては西遊記のインドが有るのではないかとの「思いこみ」を多くのアルピニストに植え付けていたのではないかと思う。「めったに来れない」、「アプローチが遠い山々」とのイメージがいつのまにか「雲の平神話」まで作り出して行ったのではないだろうか。本報告書においては、このような一般的認識論(簡単に言うならば、東京を此岸とするところにカギがある)について再考すると共に、自分自身のこの10年間の報告書記載内容から見られる持論を成就することを目的とする。  今回のような「真夏山の縦走」は筆者にとっては全く初めての経験であった。「服が汚れるから行きたくない。虫に刺されるから嫌だ。小屋にはいびきを掻く人(Bud・wise・erと蛙が鳴くビールのコマーシャル)がいるから泊まりたくない。」としてこれまで避けてきた夏山であった。背景には特に之と言った心境の変化は無いのであるが年をとる事によって締め切りを感じ、安全策での山行を選んだのが正直な動機であろう。

***以下、白峰三山と鳳凰三山を混同している山岳部のあるOGに対しての筆者のメール***  

高嶺と赤薙沢ノ頭との間の鞍部を「白鳳峠」といいます。MNが初めて単独行で縦走を計画し、(12年前の5月連休に)腰まで浸かる雪を一人でラッセルをして早川尾根を越えようとしたとき、一日経ってもちっとも進まず、ついに進むのを諦めたまさにその地点を「白鳳峠」と言います。雲海20号(しろかね色)を参照されたい。今回の雲ノ平周遊計画は10年ぶりの復活を狙ったものでした。全て計画通り達成したのですが、「白鳳峠の諦め」に匹敵する感動は全くありませんでした。「白鳳」の名前の由来については、もちろん白峰と鳳凰を結ぶ峠という意味です。しかしここで、「結ぶ峠」という言葉を単なる中間地点という物理的な意味だけにとらわれてはいけない。雲海20号の本文にも記載していますし、また、先日の石転び沢テレマークの原稿にも書いています。

***********  以上  *************

【概略コース図】

【登山口まで】

 北陸自動車道を立山で出るまでは全て予定通りの速度を守ることが出来た。上信越道の終点中郷I/Cから北陸道の上越I/Cまでの間の工事中の高速道路脇の国道18の18km通過に約1時間を要した(おそらく何時も渋滞であろう)ものの、渋滞らしきものは全く無かった。おそらく、二日後には軽井沢の通過に相当の時間を要すると思える。立山で高速を降りてから有峰林道へと向かう途中からこれまで6時間ほとんど休み無く運転してきた疲れも出始めたのか頭痛がしてきた。高山病になるほどの高度には達していないはずである。睡眠不足と車のエアコンがもたらした「冷房病」である。車窓を全開にし、三角窓も開けて風を切ってダムを越えて林道を汗して走ると次第に頭痛もやみ、折立に到着。  折立の登山口は非常に設備の整った場所である。バスの発着場にもなっていて、バス乗り場の体重計(荷物秤)が印象的であった。駐車場は200台程度あるが、林道終点にさらに300台程止めることが出来る。また、公衆トイレの横の広場は全部幕営場となっており500張は張れる。横浜を午後に出て、折立で一泊するのも良いかもしれない。  

【初日の幕営地;太郎平まで】

 12:30出発で幕営地までのコースタイムが5時間。出発を一日延ばすかどうか迷うところではあるが、地図によると急な坂も無い。そしてまた「夏山だから」との安易な判断も重なって出発した。実際、登山道は途中から石畳となり登りには十分快適で、ライトを付けて夜に歩いても問題の無いほどである。本多勝一などの本に出てくる「薬師岳での愛知大学遭難事件」の舞台からは想像もつかないほどのファミリーコースとなっている。  真昼の出発に日射病が心配されたが、登り始めは樹林帯で林が切れるとガスが出てきて助けられた。時折吹く風が汗ばむ背中にに気持ち良かった。

【二日目の幕営地;黒部五郎小屋まで】

 太郎平と黒部五郎岳の標高差600m余りを考えると、すぐ着きそうなものである。未だ煮え切らない朝の日光を背に受けて夏の花畑の終わる頃の木道を歩き始めて行くと、正面には主峰黒部五郎岳が首を後ろに向けた鷲の頭のように見える。(反対側からの山面が黒部五郎の素顔であろう。)登山道に沿ってその手前には先の尖がった小ピーク(他の場所だったら名山だったろうに)が幾つも間隔を置いて聳えていた。「次のピークを越えたら休んで一気に黒部五郎への登り尾根を駆け上がろう。」と何度思い騙されたことであろう、なかなか辿りつかなかった。これらの小ピークは北ノ俣岳、赤木岳、中俣乗越であるが、その他にもまだあった。このような「先の尖がった山」として筆者の記憶に鮮明なのには、九州の祖母山、北海道大雪山の黒岳、南アルプスの上河内岳が思い浮かんだ。確か、メサだったかビュートだったか、その呼び名を高校の地理で習ったような気もする。また、北ノ俣岳は飛騨温泉から入れる(有峰林道を使わない)為、今後テレマークの拠点として有望である。  黒部五郎の稜線にでたら荷物をデポして頂上へ向かい、戻って迂回路で小屋へ向かう人がほとんどであるが、出来ることなら直登して稜線をそのまま下って小屋へ向かうことを勧める。稜線から小屋の赤い屋根が見えるため、カールを下って行こうとするのだが川を渡ってからは南アルプス並のヤブこぎが続く(夏のため)。稜線からすぐそこに見えた小屋には行けども行けども辿りつかない。

【三日目の宿泊地;高天ヶ原山荘まで】 

 黒部五郎の幕営地を出発してすぐもっともらしい登り坂の岩場が続く。先行する高校生山岳部の団体の為に多少の渋滞はあったものの、昨夜の快眠の為もあって一気に三俣山荘に到着。この時点で衝動が走った。「早く温泉に入りたい。」予定では明日には高天が原で露天風呂なのであるが、地図を見れば見るほど「今日にも行ける」との確信が出てきた。目標を定めたら各ポイントでの到着制限時刻を定め、所持する水の量を減らし休憩時間もぎりぎりまで切り詰めた。「鷲羽岳到着後の出発を11:00DEADLINE」と定めた。その後、ワリモ分岐で荷物をデポして水晶岳の往復を2時間以内で行う、と計画した。最悪は山荘に到着しても温泉には入れない時刻を想定した。ここで威力を発揮したのがサブザック(アサヒビール;スタイニーボトルの景品)であった。   尚、水晶小屋は大変狭く一般客が止まれるような小屋ではない。このあたりの他の小屋とは趣を異にしている。毎夜8時に小屋の管理人たちの間で流れる無線連絡によると、1〜2名が実質の収容人数と考えて良いであろう。もちろん、幕営は禁止である。  ワリモ分岐から「眠りの尾根」に入る。雲の平のメインルートはら外れて温泉への近道であるのだが利用者は少ないようである。沢沿いに下っているときには、クルマユリなどのお花畑が広がり変化に富んでいるのだが高天が原に近づくにつれて単調な樹林帯となる。確かに「眠りの尾根」である。歩きつづけると道沿いに黒いゴムホースを発見。「やっと小屋に着いた」と思ったが、このホースの長さといったらジョイントが何箇所にもあり1kmを越えるほどのホースであった。

【水場と地図】

 ここで唯一の誤算は水であった。確かに水晶小屋での水の補給は出来ないと古い地図(エリアマップ)には書いてあるし、地形的にも水が出るは思えないが、新しい地図には<水>のマークがある。「三俣山荘で補給してくれば良かった。」とも思ったが、反省よりも対策が大事である。いかなる時にも絶やすことのないポリタンの水は警戒水位(300ml)まで減っていたので小屋で缶ジュースを2本買って補給する。しかしながら、このあとワリモ分岐へ戻り「眠りの尾根」を通って高天が原へ向かう途中の沢沿いの尾根道はエリアマップには載っていないが沢以外にも水場はたくさんあった。水晶を越えての赤牛への縦走や雲の平への縦走では、この水場が重要な給水地となるであろう。  尚、昭文社の地図では雲の平山域はちょうど「剣・立山」と「槍・穂高・上高地」の境目にあたり、かつ地図の新版と旧版では雲の平のコース記録の管轄が異なっているようである。旧版の剣・立山地図では「槍・穂高の地図を見ろ」と書いてあり、新版の槍・穂高の地図では「剣・立山の地図を見ろ」となっいた。いずれにせよ、地図は国土地理院のものしか当てにしては行けない。まして、水場のマークなどを信じるのはもっての外であった。基本である。「夏山だから」とする甘えがあったのは事実である。  また、今回の山行で同様の地図の誤りとしては雲の平山荘近くの祖母岳へ登る尾根(地図には道は無い)への分岐の<水>マークである。確かに地図に示すその地点には「かつて水場があった」と思わせるほどに、木道の下には僅かに水があったが、酌めるような状態ではなかった。雲の平山荘にも地図では<水>のマークが無いが、こちらは長いホースを使ってポンプアップしているようである。雲の平のメインルートを超えて水晶方面への縦走を考える場合には給水は計画上重要なポイントである。

【高天ヶ原の温泉にて】  

長い縦走の途中で山の中で風呂に入れる。何と心地よいものであろうか。山荘(幕営は禁止)からタオルだけ持って歩いて20分程度はちょっと遠いが行くだけの価値は十分である。温泉は「元湯」と称する男女別の露天風呂に加えて「新湯」と称する「ぬるめ(冷泉ではない)」の混浴場がある。筋肉痛と日焼けを同時に被っている体には「新湯」が最適である。簡単な脱衣場と洗面器が置いてある。懐中電灯とランタンを持って行けば「貸切状態」にも出来るであろう。  尚、同様な山の中の温泉としては、北アルプスでは蓮華温泉、阿曽原温泉、鑓温泉、北海道ではニセコや大雪山系にあるが共に有り難いものである。

【四日目の宿泊地;薬師沢山荘まで】

 昨日の行程はチョット長かった。正味行動時間は11時間近かった。雷鳥には既に出くわしているが天気が崩れる気配は全く無かった。ゆっくりと朝食をとって山荘をでた。また、昨日は初めて山小屋の布団に寝てみたが快適であった。(Bud・wise・erの騒音は別)確かにシュラフも食料も持たずに、釣り竿だけ持って雲の平に入るのも悪くないと思った。  昨日も沈みかけた太陽のもとで印象的な姿を見せた高天が原の湿原の風景であったが、こうして朝陽の中で見ても絵になっている。広さは差ほどでもないが、良い写真が撮れるであろう。ますます、冬に来てみたくなった。  高天が原峠を越えると雲の平が眼下に広がる。ギリシア庭園だとか、アルプス庭園などと色々な名前がついているが納得はできなかった。石が群れている様子は、さながら、スーパーのキャベツの特売・売り場を連想させた。石の大きさと並び方に課題がある。時期が最適でなかったのかもしれないが「庭園」と言うからには、もっと美に訴えるものを期待していた。似たような光景に、6月の屋久島の永田岳の直下に広がるシャクナゲと大石の群れの方がはるかに庭園的美しさをアピールしているように思われる。粒が大きく、石と石の間に緑や薄紅&白色の花が隙間を埋める美しさをかつての雲海で「墓石」と表現した事があったが、これこそが「庭園」である。 「庭園」と言う言葉がぴったりと当てはまる場所は他にあった。メイン道から少し登ったところにある祖母岳である。荷物を分岐に置いて空身で登る人がほとんどだと思うが頂上には大きなテーブルがあり最高の休憩所となっている。笠が岳を遠景として、水晶岳と薬師岳、黒部五郎岳に囲まれたこの場所は絵葉書にもなりそうな場所である。  さらに、他に「庭園」と呼べる場所は特にこれと言った名前は無いのだがいたるところにあった。例えば高天が原から雲の平へ登って入ってくる場合、等高線が長く平になっている尾根を通ってきて、再び登り坂を通って小高いピークへ登るときに、振り返って通り道を眺める時に「庭園」は現れる。水晶岳が正面の遠景となり、「長く平になっている尾根」はテラスの役割を果たし、自分の今いる場所は室内と化す。正面の遠景は黒部ダムの場合もあれば、黒部五郎岳でもあり、また場所(薬師岳付近)によっては槍ヶ岳のこともある。但し、今回の山域では笠が岳が富士山のようにどこにでも現れる。あまりキャベツの山にとらわれることなく自分自身の「庭園」を模索していただきたい。  雲の平に入ってからは、まさに尾瀬と同じような木道歩きとなる。周りの風景は尾瀬よりも広大な山岳パノラマが広がるが足元をみれば水が無いのだけが異なる。本日の予定は5時間だけの行程であるため睡眠不足を補う為に休憩場で昼寝をする。熟睡である。地図で見る限り、薬師沢小屋までの水平距離はほとんどこなしているはずである。しかし甘かった。木道が終わり薬師沢へ降りる道(一般的にはここを登って雲の平らに入る)は「よくも、じいさん・ばあさんが登って来られたな。」と思うほどの岩だらけの休み無く急な坂である。雲の平神話が現在にも語り伝えられる要因はこの急坂の為かもしれない。尾瀬のような雲の平の木道も、雨が降れば簡単に「見果てぬ夢」となるであろう。  

【薬師沢山荘付近について】  

吊橋を渡り終えると山荘に着く。水がある事を忘れてしまうほどきれいな沢である。「イワナが釣れる」と地図にも書いてあるが、食料としてのイワナを求めている人々に対しては「釣ることが出来る」と表現を直した方が良い気もする。山小屋と言うよりも「釣り宿」と呼びたいぐらいに釣り人が多い。この日は6人程度の人が午後から小屋を出て釣りに行って6時に帰って来たときには、全員で2匹の収穫のようであった。白神山地などの東北のブナ林の沢などと比較すると、「釣れる」という訳にはいかないようである。ここで「釣れる」と表現するなら、白神は「ツカメル」と表現を変えなければいけないようである。

【五日目:薬師岳往復と下山】

 薬師沢山荘を出る時には本日の行程は薬師岳を往復して太郎平に幕営を予定していた。木道を歩きながらまたしても「夏山だから」とのせっかちな気持ちが湧き出した。「3時間歩いてから空身で往復5時間、更に3時間下れば駐車場には辿りつける。しかしゲートが閉まるので折立で幕営。」コースタイムを見ながら本日の目標を変更した。3個所のチェック・ポイントで各々のコースタイムを極限まで縮められれば午後6時のゲートの門限を通過できる。  5日ぶりに薬師峠の幕営場に着いてからはサブザックに替えて空身で走るように薬師岳の頂上を目指した。薬師平までは岩場が続くが危ない道ではない。空身故に手を十分有効に使って走れた。すぐ稜線に出るのだが、禿山の如きこの山は稜線が長い。遮る物の無い直射日光をまともに受けて思ったより給水した。  薬師岳の頂上は雲一つ無い晴天の為、北アルプス全部が見渡せた。鷲羽の頂上からも見えるはずだったが、槍ヶ岳・穂高方面はガスに覆われていた。これまでの5日間は、黒部五郎岳と薬師岳の二つの主峰に囲まれて(付きまとわれるように)駆け抜けてきたがついに全貌がつかめようやく入り口が見えた感じがした。

【山の名前について】  

今回の山行に登場する山の名前の本当の由来に着いては専門書に委ねたいが、自分で分類して命名するならば次のようになる。 鷲羽三山:  黒部五郎岳、三俣蓮華岳、鷲羽岳の三つをさす。まとめて呼ぶべき。 黒部五郎岳: 太郎平側から見たと時に、鷲が頭を後ろに向けている姿に見える為。 三俣蓮華岳: 黒部五郎の小屋から見た時に、鷲が羽をたたんでいる姿に見える為。 鷲羽岳:   水晶岳から見た時に、鷲が羽を広げている姿に見える為。 花札式に命名すると、水晶岳は「月」となり薬師岳は「坊主」で笠が岳は「富士」となる。

【登山を終えて帰り道】

17:40有峰林道東谷ゲート到着。未だ管理人は在勤でゲートは通れた。標識によると次は松本へ抜けるわけであるが「上高地の夏季通行止め」が記憶に有り本当に松本に出られるかどうかは半信半疑であった。ここでまず最初にすべきことは風呂に入ることであった。食事は二の次、松本へ抜けられなくともテントを張れば何の問題も無い。奥飛騨温泉郷の国道沿いにホテルの露天風呂を発見。

19:45ホテルの駐車場を出発。すぐ、安房トンネルの料金所が見えた。

19:50トンネルを抜けると夜でも分かる見知った風景が現れた。中の湯の売店である。車の流れは順調で高速道路と変わりなかった。「奥飛騨から上高地まで5分。」なんともこれまでの常識では理解しがたいが現実である。トンネルは疲労と睡魔がまるで夏の扉を開けたかのような幻影に思えた。

20:38そのまま中央高速・松本I/Cに入る。ようやく現実に戻った気がすると腹が空き出した。遅い夕食を終えると少し寝て、目が覚めた。相模湖I/Cを降りる頃から雨が降り出した。CDを入れてみた。

<マドレデウス:「海と旋律」より>

一人として戻らぬ 過去に捨て置いたもののところへは

一人として離れぬ この巨大な輪からは どこを巡り歩いてきたのか

一人として思い出せぬ かつて夢みたことであっても

あの少年は歌う 羊飼いの歌を

沖合いで燻る 空想の小舟 私の夢は続く 心だけを見張りに残して

沖合いで燻る 幻想の小舟 私の夢は続く 目覚めの来ぬことをねがって

屋久島の冬