J.S. BACH: ロンド(管弦楽組曲より) BWV−1067
活動報告

: 「雲海(部報)と私」 Marco.

 暑さ寒さも彼岸まで。日々のあわただしさが「いったい、いつまで続くのだろうか。」と思う時にいつも行き当たる結論であります。さて30代も後半に差し掛かり、山登りも回数をもっては語ることが出来ないのが昨今の偽らざる真実です。思えば、化学素材の進歩とガスコンロの軽量化が冬山登山の対象者を維持したのが10年前であったかもしれません。新田次郎の初期の小説に読むような飢えと凍傷との闘いをもって「冬山へのチャレンジ」と考える山行も今では小説の中ばかりの日々であります。山登りの経験を重ねて行く内に、料理の仕方を覚える度に、食事のための荷物は軽くなってゆきました。水分を多量に含んだレトルト食品から乾燥食品への転化は進歩でした。次が梱包材の工夫とごみの削減。ついには一番大切だったカメラも持たないようになりました。

 秋の紅葉の季節の登山をシーズンの終わり(と同時に人生の黄昏)と考えておられる方々には経験があるかと思いますが、夏場の長い日照時間に比べて秋から冬にかけては日没の時刻が早くなります。「夏と同じ道を通ったのに、小屋に着く頃には日が沈んでしまった。」と経験のあるかたも多いでしょう。日が短くなっている事よりも、日頃の運動不足のせいで自分の体力が落ちた為であると自己嫌悪というか謙虚に考える時もあると思います。あるいはまた、人を意気消沈させる映像トリックには効果的であるとも言えます。このような自己嫌悪からの脱却には、テレマークスキーです。ここ3年程で滑りにもかなりの自信が持てるようにはなってきました。下りのコースタイムが夏の1/10程度の時間で済むばかりではく、スキーを着けての登りの時間も少なくて済むような気がします。(ただこれは荷物が軽いのが理由のようです。)

 山小屋で良く耳にする言葉で、「都会でのストレスを忘させる、、、」とか、「ちはやぶる、、、」とか、「生生流転する社会生活の中に揺るぎ無き一つの真実、それは山である。」などと言っている声を聞きます。また、冬山での遭難救助劇の幕が降ろされた後に、何事も無かったような朝陽を浴びた真っ白な頂きを見る場合にも、「変ることの無い真実」を感じることがあります。また、年収とか名誉なんて言葉を考えるときに、「評価にあたってのスパン」をまず考えると、地層が示す地質学のレベルでのタイムスパンは、最大100年のスパンでしか判断できない自分の考えの浅はかさを納得させるだけの説得力があります。

 しかしまたある時には、自分の経験を重ね合わせて山を眺めることもあります。沈み行く稜線の光と影を見つめるとき。下山して頂上を仰ぎ見る時。「ヤレヤレ峠」なんてのもありました。こういった場合の風景とは、必ずしも「誰が見ても同じ真実」ではないかもしれません。

 国道299号線の除雪の行き止まりに車を止めてバックカントリーに繰り出すと、麦草ヒュッテが中間地点となり数々のコースがあります。ヒュッテを歩き出して数時間程登ると、50歳を過ぎてから東京を離れ山小屋の経営者となった人の住む縞枯山荘に着きます。そこから見られる縞枯れ現象。針葉樹林帯の一部が縞状に枯れて山肌が白くなり、山の斜面が「逆モヒカン刈」を思わせるように、その枯れて白くなった部分に日光が差すようになり、新たな苗木の生育が成される。白く枯れた部分は数年の周期である間隔で移り変わって行く。子孫を残す為に自らが枯れるのか、あたかも食物連鎖の中で閉鎖循環世界を形成するような、森の摂理を見る思いがしました。

 青空のもとに広がる縞枯現象を見ていると、ふと会社の事も思い出しました。リストラなる言葉がもはや他人事では無くなってきた昨今において、「倒れた跡には陽が差して、若木が育ち、森は活性を取り戻す。」との自然現象を簡単には受け入れがたい気持ちも有ります。

 そういえば学生時代に見学した浄化槽の汚泥もそうでした。汚濁負荷を酸素の元で摂取・分解して、やがて自らの寿命をまっとうして沈んで行くことで汚水の浄化に寄与していた活性汚泥達でした。METABOLISMなる言葉のもとに自然界の代謝機能、あるいは循環型社会の摂理、そしてまた、山岳部の代謝機能のサイクルのなかで消滅してゆく自分を感じる時があります。そしてまた消滅した後の行先を考えてみます。年の人口の過密化に伴って、広域下水道の普及が進む中、水の気持ちになって考えてみると、その後の放流水に許されていた、ある程度浄化された後の河川による自浄作用に期待するシステムとしての余裕は夢物語となってきているようであります。しかしながら、微生物の進化と言うか、それを黙っては見過ごさなかったバイオテクノロジーの進歩は研究として着々と成果をあげてきているようであります。かつては保健所の検査では悪者とされていた、汚泥が元気過ぎて沈まない(バルキング)為に水質劣化の原因とされていた糸状菌についても、逆にその菌の元気さを利用しての高度排水処理技術の開発がされているようです。山岳部の活動や「雲海」の報告書もいつの日か世のため人のためになるときが来るかもしれません。

 日本の終身雇用制度崩壊についての話題を最近耳にします。1つの企業としての雇用が維持出来なくなって外へ放り出して、代わりにあるマーケットとしての囲い込みを唱えるなれば「過去のシガラミにとらわれることなく、時流に乗るべきだ。」という考えは理解できるかも知れません。かつ、そこでの人材の流動性を伴う為のドライビングフォースが個人の改善されるであろう享受利益であるならば、「引き留めたい」とは思わなかったでしょう。但し、処遇などの個人が直面する直接利益が明白に悪くなる環境(天気予報)において、僅かばかりの餞(ハナムケ)を持たされて嵐の海に漁に出る船に乗りこむ漁師達の気持ちを考えるに、「人材の流動性は最近では普通になってきていますから。」と一般的に説明する人の気持ちが知れません。もっとも、この喩えが悪天候の中で繰り広げられる山形県沿岸のハタハタ漁(*注1)の事を筆者が考えていることは、北国の御出身の方々には想像頂けると思います。しかし、山岳部を去って行かれた方々は今ごろどうしているのやら。

(*注1):魚片に雷と書いて「ハタハタ」と読む。銀色の腹で、鱗が無くて、背中に斑点がある小さな魚。海が荒れた、「シケ」の時に沿岸の海草に産卵することを目的として主に北日本の日本海岸で見られるのが漢字命名の由来。漁の時期としては、その様な「シケ」の海が最適とされているために漁師達は浜の番屋にて、ラジオの気象情報を聞きながら郡来(*注2)を待っている。嵐のときほど大漁であるためである。しかしながら近代における継続的な乱獲と地球規模での環境異変に伴う、餌となるプランクトンの現象などの理由の為、近年の漁獲量は絶滅を思わせるほどに対数的に減少している。産地に近い場所で幼年期を過ごした筆者は、「安くて非常においしい魚」とのイメージを持っていたが、漁業規制等の為いつのまにか高級魚になっていた。

(*注2)郡来:国語辞典には載っていないようであるが、「くき」と読む。有島武雄の小説などには出てくる表現だが、「郡来る(くきる)」という方言がある。魚の群れがやって来る、即ち、「大漁が訪れてお金が入ってくる」を連想させる言葉である。山師とか、一攫千金を連想させる言葉のイメージは企業経営者の考える、「運が回ってこないかな。」と祈る気持ちに似ていると思う。J.S.Bachの「ロンド」等を聞くとこの感じが有る。「郡来」とは筆者が知る範囲では、主に鰊(ニシン:Herring)の群れの事を良く聞いた覚えがある。北海道の日本海側、(またはアイルランド沖)では有名な魚で元来は油の原料として加工され、その残りカスが畑の肥料になる。あるいは太宰治の小説にも出てくる表現で北国のマムシ、「ミガキニシン」のように冬季の保存食となった魚である。やがて近代に入ってから、交通の発達と共に日本人の食生活の多様化の中で、魚卵である「数の子」がお正月料理などで珍重されるようになり(アイルランド沖の方では食べないらしい)、需要の高まりはリバイバルを含めてロングランを続けたが、ロシアからの輸入等もあって、ハタハタと同様に漁獲量は減った。北海道では「ヤンシュウ」と呼ばれる東北地方からの出稼ぎの方々の宿舎としても使用された「鰊御殿」なる大きな建物が示す通り、「大漁が訪れてお金が入ってくる」との表現は適切と思われる。中学校の社会科の先生で、留萌地方(北海道の北の日本海)出身の方が授業中に良く言っていた台詞に次のような言葉があった。「今度ニシンが郡来ったら、学校の先生を辞めて漁師になる。」

 リストラを体験するときに、会社(又は社会、山岳部も同じ)の辿って来た道筋と、直面する現状に加え、これから描こうとする将来についての十分な説明と議論を抜きにして「雇用の流動化は意識の変化であり、それに乗っかることはトレンドである。」と言いきる企業世論には疑問を感じます。近代以前の日本の農村地帯において、飢饉が続いた時期には、「生き地獄の現世」に別れを告げて、「永遠の(または次回の)来世」を願って川に飛び込んだ人々を連想してしまいます。「川へ飛び込みなさい、そうすればあなたはヒーロー(新天地における先駆者)になれます。」そうおだてられて飛び込む人もいるでしょう。あるいはまた、「飛び込みなさい、みんなもう飛び込んだのですから。今行かなければ間に合いませんよ。」とやさしく声かけられて、納得して順番を待つ人もいるでしょう。ザイルワークで「誰がトップをやるか」の場面を経験している山岳部員はご存知と思います。

 「何かを得るためには何かを失わなくてはならない。」のがいつの世にもまかり通る原則であるとするならば、納得の行かない事例はたくさんあります。例えば、近代の右肩上がりの高度経済成長を支えつづけてきたものについて考えるときに、炭鉱の採掘ラッシュと坑内爆発事故や、黒部ダムのような水力発電所の建設と土砂崩れによる人身事故のイメージが思い浮かびます。会社生活に少しは関係のある身近な例を探すならば、小学校の教科書で習った水島コンビナートの重油流出による沿岸汚染を思い出します。

 数年前の薬害エイズのニュースの中で、80歳を過ぎた老人が「当時の医療技術を持っては予測できなかった事故であり、自分の責任の及ばぬところである。」とテレビで発言している場面は、多くの人々には指示を受けていなかったような記憶があります。このような記憶を持って、仕事(コントラクターとして)でHAZOPなんかを体験してみると、医療問題に関する事実の正否については判らぬものの、老人の発言の気持ちは現実味を持って伝わってきます。そう思っていたら、昨年(1999年の秋)の東海村での臨界事故のニュースが報道されました。新聞記事から事故原因を自分なりに解説すると、「粉を入れる穴が入れ易い(運転&維持管理しやすい)ように大きく設計されている為に、作業員のでたらめな調合操作による暴走反応を経営者は防げなかった。」と読めます。ここで再び疑問が涌きます。「予測できる事故(被害)」とは何であろうか。遭難・事故報告書を読む度に「防げなかったのか」を考えます。

 「予測できた(る?)かどうか」について判断を迫られた場合、江戸時代の鎖国の時代であったなら「占い」に頼っていたのでしょう。また戦前の封建社会では「権威をもって沈黙を保つ」のも許されたのでしょうが、今日では「有識者は答えなければならない」との暗黙の了解の元に「答えなければ罪を認めた」と捉えられ説明を求められます。しかし実際には「予測できずに起きてしまった」との実例があって初めて、「予測できたはずである」と言って責めることが出来るのでは。よって薬害裁判では「実例を知っていたかどうか」が争点となりました。山登りにおいても、トランシーバの発達や、GPSにビーコンが普及してくると、今まで予知できなかった部分がどんどんと明らかに「なるハズだ」と考えられ、予測が出来る範囲が広がってくると思います。そうなってくると「予測できなかった場合の責任追及」の問題が大きくなりそうな気がします。いずれにせよ物事には順番が大切です。これを倫理または道理(筋)とも言います。また、決断には時間の制約がいつでも付きまといます。山では実社会よりも厳しいです。テントが燃えてしまってからガスコンロのタイプを考えてもしかたありません。

 ここで、遭難時のヘリコプター救助や山岳保険について一言。契約社会において、投資に対するサービス、あるいはサービスに対する代価があるのは当たり前です。契約を超えた、個人の善意などは存在しないと考えたほうが人生楽です。これは、「誰かが何かして助けてくれるかもしれない。」と願い自らは何もアクションしないのと同じです。もっとも「祈るのも投資のうち」と言われれば返す言葉はありません。スーパーマンは畑で拾われて、その恩に報いる為に、アメリカの為に働くのです。宇宙戦艦ヤマトのように「人類を救う為に日本人だけが、、、」の気持ちは理解に苦しみます。
 
 、、と、ここまで書いてきましたが、先ほど(2000-2-23)テレビのニュースでは白馬山系のガラガラ沢でニュージーランドからのスノーボーダーが雪崩に巻き込まれ、駆けつけたNZの関係者は、日本の捜索隊が「只では仕事しない」のに頭に来て国際問題になりかかっていると報じていました。来年の「雲海」で感想を書いてみたいです。

 山岳部の埋もれていた「雲海」を蘇らせてから10年以上になりますが、数々の批判も受け、そしてまた去って行った過去の読者たちもかなりの数を数えます。そうした中で部報のようなメディアに求められる大切なもの、そしてまた追い求めて行かなければならないもの。それは定期的な発行であり、また継続的な発行であると思います。未来における過去の読者の方々にここでお願いします。「あなたも書け!」 
 
 近年の労使協議の話題の一つ、「春闘廃止論」、あるいは、日々是交渉のような継続的な協議の中での、「年1回の盛り上がりの重要性」なる議論を聞くにつけても、現在の「雲海」及び山岳部定期回覧メールの位置付けは、かなり良い線を保っています。続けナイト。

 最後に。山岳部が個人の利益を平等に分配しようとする場合に、「何がしかの規則」は当然必要です。但し、全てを網羅した規則は作れないでしょう。毎年、あるいはもっと頻繁に改正・改定を繰り返さなければ、「納得の行くもの」は出来ません。また、規則の持続性について考えてみるならば、「言語」という一つの規則が良い例ですが、時と場所を変えて日常使用される中での"Variation"とそれを認識する気配りこそが言語の継続性を支えるものでしょう。規則の改定にこだわるよりも、「実例をもとにリーダーが納得の行く議論を経て判断を即決する」ことが今後も重要と思います。「雲海」の巻末の「雲海プロトコル」は継続して欲しい。

 以上(退任の挨拶に代えて):    by Marco。 :@茅ヶ崎市緑が浜 にて

【参考文献】
新田次郎:栄光の岩壁、真保裕一:ホワイトアウト、木下武男:日本人の賃金、甲斐崎圭:山人たちの賦、佐藤健志:ゴジラとヤマトとぼくらの民主主義、芳野満彦:山靴の音、住井すゑ:橋のない川、?:都市が滅ぼした川