無念の叫び
鹿児島県大島群 静香さん投書

私の家は、私の祖父が安く買った土地に家を建て、築五十年になります。 日本建築で、フローリングの部屋は台所だけで、他の部屋は畳が使われています。
私が異変に気が付いたのは、もぅ何年も前で、あまり憶えていません。 憶えているのは、祖父が亡くなった前からだったと思います。
祖父がこの土地を買ったきっかけは、祖父の友達がばくちの借金で、 農地を売らなければ自分が危ないと、祖父に相談を持ち掛け、 祖父が借金の肩代わりをして手に入れた土地だそうです。
数年後に戦争が始まり、食料困難な時代が来ました。 祖父は農地を買っていたおかげで野菜など全く困らず、 野菜を直接買いに来た人にはおしみなく分け与えたそうです。
この話は祖父が亡くなってから、日記が出てきたため、解った事なのですが、 昭和18年。祖父に赤紙と呼ばれる召集令状が届きました。
その頃の日本は、誰もが異常だと思える行動も、平然とされていたのは、 現在の私では理解出来ないのですが「天皇陛下のおん為なら、我が命ささげましょう」 という教えだったため、祖父は自分の持っている農地を軍事施設として提供し、 今私が住んでする場所こそ、小さい規模であったけれど、軍事施設として使われていたそうです。
そこで、捕虜の体を使った実験や、傷ついた兵士を使った薬の実験、 化学薬品などの実験も行われていたようです。
人間を人体実験に使うなんて……しかも今私が住んでいる場所で。考えたくありません。
しかし、無念の叫びが聞こえるのです。
始めは気のせいだと思っていました。しかし次第にその声が大きくなり、 何を言っているのか解るほどになっていました。
私は気味悪くなり、母と父に相談すると、二人共知っているようでしたが、 何かする訳でもなく、仕方ないから……と言うだけなのです。父に御祓いしてもらおぅと、 話を持ち掛けてみたのですが「これはおじぃちゃんがしてしまった罪だから、 私達がその罪を償わなければだめなんだ。ガマンしてくれ」
そんな事言われても、私は怖いだけでどうしようもない。
畳の部屋なのに、コンクリートの上を歩く様な音が聞こえたり、鉄を叩くような音、 壁を引っかくような音が聞こえてきたり、夜中に誰かにジッと見つめられている感じがしたりと、 色々怖い目にあっているのに、それでもガマンしなければいけないのでしょうか。
それだけではありません。私は何度も怖い目に会っています。
私がまだ中学の時、受験勉強で遅くまで勉強しながらラジオを聞いていた時です。 いきなり誰かに肩を叩かれたと思うと、体中に激痛が走りました。私は痛さで床にひざを立て、 蹲っていると一人の外人の兵士が目の前に現れ、「Help me!Help!Help」と言いながら、 私にフラフラと手を伸ばして近づいて来ました。私は怖さからか、 体の自由が効かずその場で震えてじっとしているしかありませんでした。
目を閉じてガタガタ震えていると、いつのまにか体の痛みは消え、 声も聞こえなくなっていました。
恐る恐る目を開け、部屋を見回し、 誰もいないのを確認すると一目散に親のいる部屋へ駆け込んで行きました。
そんな事があるのに、何もしない母と父を私は腹が立ち、高校を全寮制の学校を選び、 それ以来実家に泊まる事なく、日帰りで帰り、今の主人と結婚しました。 今でも実家に行く事はあっても泊まる事はありません。これからも……

投書してもらってこんな事言うのは申し訳ないけれど、 この話は本当なんでしょうか?
大島郡に軍事施設があったという噂や話、本などが無いので、 私はこの話が本当か作られたものなのか理解しかねますが、一応体験談として記載いたしました。 体験談は色々な資料を見、霊視も同時に行なって勝手に納得した物を記載させて頂いています。 今回の投書では何も感じられませんでしたので、こういうコメントになってしまいました。