摩耶山
兵庫県在住の朱理さん提供
場所は神戸市灘区摩耶山麓にて

これはわたしが実際に体験したお話です。

神戸の六甲山を登り少し車で走ると、「摩耶山」という山に入る道があります。
綺麗に舗装されているので走りやすく、神戸の夜景が綺麗に見えて人気のあるデートスポット なんですが、その当時はあまり深夜にくる人はいませんでした。
わたしがまだ二十歳ぐらいのときに付き合っていた人が「六甲山にいい心霊スポットがあるから行こう」 って言い出し、わたしの友人とその子の彼と四人で六甲山に行くことになりました。
深夜の零時を過ぎたぐらいから出発して、六甲山に着いたのは一時前でした。 裏六甲の道から頂上を目指して、山道を登っていきました。 頂上に近づくにつれて霧が濃くなってきて、前方が見えないほど。 頂上に到着してしばらく雑談を交わしたあとに、また車に乗って走りだしました。
すると道が三本に分かれていて、一つの方向看板に「摩耶山」と書かれています。 止まってその先を見てみても、暗闇ばかりが続いていて何も見えません。 案の定、わたしの彼は「あっちの方に行ってみよう。」といいました。
わたしたちを乗せた車は吸い込まれるように摩耶山の方に進んでいき、 いくつもカーブを抜けて走り、ついには行き止まりに当たってしまったのです。
「結局何もないやんなぁ」
「もう帰ろか」…みんなが口々にそう言うのでとりあえず引き返すことになりました。 戻る道中、左側に駐車場があったので、そこで少し休憩しようと駐車場に入って 夜景が見えるように崖の付近に車を止めました。
深夜の二時も過ぎていたからなのか、周りには一台も車が止まっていません。 霧は元々出ていたのですが、わたしたちが駐車場に入ってからか、余計に濃くなってきたように感じました。

ここで一つ、先に説明しておきたいことがあります… わたしたちが乗っていた車には最初に書いた通り、四人乗っていました。 わたしの彼は運転していて、わたしは助手席に座っていました。 そして、わたしの友人とその彼は後部座席に座っていました。 そのことを踏まえてもう一度お話します。

その駐車場に止めて5分もしない内に後ろの二人がいきなり叫んできたのです。 「早く車を出してくれぇー!」 「お願い!助けて!!もうイヤー!」 わたしの友人は泣きわめいて、もうメチャクチャでした。 わたしと彼は何がなんだか分からなく「どうしたん?」と訊きました。 すると二人は怒ったように「いいから早よ出してくれやぁー!」と言いました。 彼とわたしは不思議に思いながらも車を駐車場から出して走りました。 車を走らせながら「何があったん?何か見えた?」と尋ねても、ブルブル震えて 何も答えようとしませんでした。 とりあえずお茶でも…ということで山を降りてファミリーレストランに車を止めました。 そこでもう一度、彼が「いったい何があったんや?」と訊くと、やっと重い口を開き 「お前ら見えへんかったんか?」と言いました。 わたしたちは「何を?」と訊き返しました。 すると友人の彼は 『四.五歳の男の子や女の子がいっぱい手をつないでオレらの車を囲んで「かごめかごめ」の 歌を歌いながら近づいてきたんや。』 と言うんです。 もちろんわたしも彼もその話は信用しませんでした。 「とりあえずお茶でも飲んで落ち着こうよ」と言って車を降りました。 そしてわたしたちは、後ろの二人の話を信用せずにはいられないようなモノを 見てしまったんです。
車から降りた時に見た衝撃的なモノ…
それは なんと、わたしたちの乗っていた車に無数の子供の手形がついていたんです。 わたしたちが摩耶山に行く前、洗車はしてないのでホコリがすごかったんです。 その積もっていたホコリも分からなくなるほど「ベタベタ」と手形がついていたんです。 その手形はどう見ても子供の手形。指紋は無いようでした。
わたしの友人はあまりのショックでその場で気を失ってしまいました。

そのことがあってからか、わたしの彼は車を売りに出しました。
摩耶山はもちろん、六甲山にも行く気にもなりません。

摩耶山付近で昔何があったのか、何も知りませんが、 最近一つ、わかったことがあります。 『かごめかごめ』の歌の意味です。 これは他サイトで見た為、書き込んでもいいのかわかりませんが多少噛み砕いて書きます。

まず一フレーズ目の「かごめかごめ」 これは籠の目ではなく、籠の女で籠女(かごめ)というそうです。 籠女とは身ごもった女の人のことをいいます。
次に二フレーズ目の「かごのなかの鳥は」 これは読んで字のごとく、おなかの中の赤ちゃんのことをいいます。
そして次に三フレーズ目の「いついつであう」 これに歌われる『であう』は「出会う」ではなく昔風に言って「出やう」で 意味は『出よう』という意味だそうです。
そして次に四フレーズ目の「夜明けの晩に」です。 普通、夜明けに来るのは朝です。それが『晩』になっているということは この世のものでない時をいうそうです。
そして五フレーズ目の「鶴と亀がすべった」は、 今も昔も、鶴も亀もめでたい意味があります。それがすべったということは… 流産か死産で子供が亡くなったことをいうそうです。
そして最後のフレーズは「うしろの正面だぁれ」 後ろを振り向くと亡くなった水子がいる…
―という意味合いの歌だそうです。

これがこの歌の本意かどうかはわかりませんが、わたしは自分が経験したことも踏まえて これが本当の意味だと思っています。

この話を数人の霊能者に透視していただきましたが、失敗しております。 が、ちょっと面白いので記載しました。