学校3
館長提供

ある日、私達は遅くまでクラブ活動をしていましたが気が付くともう夕方で、暗くなっていました。 皆で慌てて帰る用意をし、帰ろうとしました。もう校舎には人気はなく、薄気味悪い雰囲気が漂ってい るように感じました。職員室の前を通ると、何人かの先生が帰り仕度をしていました。
私達が校舎を出ようとした時です。何か変な物音が上の階から聞こえてきました。
「なんだろう?」と振り返って階段の方を見ましたが何も見えず、校舎の中はガランとしている だけでした。下駄箱まで来た時、人のうめくような声が聞こえてきました。 私達は顔を見合わせてから、周囲をじっと見回しました。辺りをくまなく見渡し、 聞き耳をたてましたが、どこで苦しそうなうめき声がするのかを見つける事ができませんでした。 気持ち悪かったので私達はいっせいに駆け出そうとしました。
すると突然「グァーッ!」とものすごく大きな音がし、強い風が吹いてきました。 だけどここは校舎の中。窓も管理人のおじさんが閉めたはずで、風なんて吹くはずがありません。
「グァーッ!」再び不気味な音がし、目に見ない何かによって私達は壁に押し付けられたように 感じました。私達は恐怖を感じ、逃げ出そうとしました。すると不気味な、かん高い女の笑い声が聞こ えてきたのです。その不気味な笑い声は、背筋に冷たいものが走るようほど恐い感じで、私達はその 笑い声に腰を抜かしてしまいました。不気味な女の笑い声はその後何度か続きました。なんとか起き 上がる事ができた私達は、必死に職員室へ逃げようとしました。二、三歩やっと動いた時、再び不気 味な声が聞こえて私達の目の前に顔の半分がつぶれ、片目だけで私達を睨んだ恐ろしい形相の女の幽 霊が姿を見せました。
「ギャー、た、助けてー!」と私達は悲鳴をあげて、這うようにして職員室に逃げ込みました 。私達は、近くに居た先生にしがみつき、声をうわずらせながら、目撃した幽霊の事を訴えました。 他の先生方も私達の近くによってきて、私達を落ち着かせようとした時です。今度は職員室に突風が走 り、不気味な声とともに女の幽霊が現れました。私達は叫び声をあげて、先生に力一杯抱き付きました 。先生は目を閉じ、念仏を唱え始めました。
女の霊は始めは「そんな事をしても、私の恨みは消えない」と言っていましたが暫くすると 「ギャー!」と、悲痛な叫びとともに消えて行きました。私達は、急に気のゆるみからか、気を失って 倒れてしまいました。
その後、あまりのショックで二日ほど寝込んでしまいました。その間に、担任の先生が自宅に来ら れて私に「学校に登校した時に、話したい事がある、それと学校で見たことは絶対に内緒にしてほしい 」と何度も念を押して帰って行きました。私はあんな事があった学校へは行きたくはなかったけれど、 他の二人にも連絡を入れ、登校する事にしました。登校した私達は、すぐに職員室へ行き校長室に行 くように言われました。校長室には、校長と教頭、あの時職員室にいた先生がいました。校長は、 私達に何度も口外しないように口止めし、話をし始めました。
今から約50年ほど前、この学校は傷ついた兵士や一般人のための病院として使われていました。 空襲にあい負傷者が多く運ばれてきましたが、医者や看護婦が少なく手が足りなかったために、 この学校の生徒や先生が看護婦として働かなければなりませんでした。彼女たちは、解からないな りにも一生懸命に患者達の治療にあたっていました。それから戦争も終わり、一般の負傷者はほと んどが病院に移されていきましたが、兵士達は傷が治っても、「自分だけが生き残り、お国のために 死んでいった仲間に申し分けが立たない、親、兄弟にも顔向けが出来ん」と、どこへ行くあても無く 学校にいました。生徒達は、この人たちに元気になってもらおうと必死に説得し続けました。中でも 清子という生徒は、かなり熱心に説得をしていたようです。しかしその行為が兵士達には非国民とうつ り、ある日彼女は兵士達に乱暴された後、頭を何かで殴られ死んでいる所を発見され、その日を境に数 人の兵士もいなくなりました。彼女は生徒達によって手厚く埋葬されましたが、きっと、悔しさや悲し さが入り交じって、誰かに伝えるために出てきたのでは……。と、校長は語りました。理由はともかく 、強烈な印象が脳裏から消えず、その恐怖感から何日も逃れることはできませんでした。