大阪に万博公園があるのをご存知ですか?
中国自動車道を挟んでエキスポランドがあり、
夜になると観覧車がライトアップされデートスポットになっています。
夜遅くなってもカップルは減る事は無く、
イチャイチャと自分たちの世界に入って結構にぎわっています。
中間(中国自動車道)も多くの車が行き来し、誰もここに幽霊なんて出るとは思わないでしょう。
私は、奈良へ彼とデートへ行った帰りに、
万博公園の日本庭園の前で彼との別れを惜しんでイチャイチャしていました。
夜12時をまわり、門限が過ぎているのに気が付いた私は、
ふとバックミラーを見て前を向きました。
「あれ?」バックミラーに何か見えた様な気がしました。
彼も「どうした?」とミラーを見たとき、顔が引き攣りました。
もう一度目をもどし、バックミラーに写ったものを確かめました。
ミラーには、手が無い人、足が無い人、頭を手で持ってる人と、
目を塞ぎたくような酷い状態の人ばかりが沢山、こちらへ近づいてくるようでした。
彼は急いで車を発射させようとしましたが、エンジンがかかりません。
「早く出して」と私は泣き叫びながら彼の手を揺さぶりました。
彼もあせってあせってキーを回し、やっとエンジンがかかったので、
急発進してその場から逃げ帰りました。
血相を変えた二人が私の家に転がり込むと、祖父が「こんなに遅くまで遊んで何をしとったんや。
ほんまに、門限が過ぎとるやんか」と父より凄い剣幕で怒りました。
私は「それどころじゃない、ゆっ幽霊がでた。幽霊が出た!」と半狂乱になって訴えましたが
「そんなん言い訳にならへんやろ、言い訳考えるんやったらもっとましな嘘付け」
と父に怒鳴られました。
それでもあまりに私達が熱心に訴えるので、祖父と父は顔を見合わせ
「そんなら最初から話してみ」と言ってくれたので、日本庭園前の路上での出来事を話ました。
「あぁあの辺りは……心当たりが無い事は無いなぁ。幽霊出てもおかしない所や」
と父が呟きました。
「慰霊碑が無くなったせいかもしれないなぁ」と祖父が話をしてくれました。
この辺りは昔、竹が多く茂る山だったのですが、戦争で大阪にも空襲があったとき、
ここへ多くの人が逃げて来た所へ、山にも爆弾が投下され、多くの犠牲者が出たのだそうです。
ここの土地の所有者のYさん(祖父の兄)はその人たちの冥福を願うために、
いま万博公園のあるところへ慰霊塔を建てていました。
しかし1970年に万博博覧会を開催するのに、大阪市が土地を探し、買収する話が出ていました。
その場所にYさんの土地が選ばれ、ぜひ譲ってほしいと何度も交渉に訪れたそうです。
土地を売る事にYさんは反対してましたが、結局家族に説得されて手放してしまいました。
当初、慰霊碑はそのままにしておくと言っていましたが、工事が始まり、
慰霊碑も倒されてしまい、道路も整備されて今の万博公園が出来ました。
慰霊碑を別の場所へ移動させてくれるようお願いしたそうですが
「慰霊碑なんて置いたらせっかくの博覧会が台無しになる」と工事をしていた人に言われ、
結局慰霊碑は撤去され、そのままになってしまったそうです。ですから、
死んで行った人たちの休める所が無くなり、彷徨っているのかもしれませんね。
万博は幽霊がよく出ると、
ミステリースポットになっている事は私も知っていましたが、
上記の理由だったとは初めて知りました。せっかくにYさんの行為で慰霊碑を建てられ、
霊が安らかな眠りについいたはずが、工事のために慰霊碑を倒され、さ迷い出てしまったのですね。
今は大阪府の持ち物になっているために、勝手に慰霊碑を建てる訳にもいきませんので、
とりあえずあまり近づかない事ですね。
もし行く事があれば、線香をたいてあげると喜んで成仏してくれるかもしれませんよ。
慰霊碑を倒されて怒っていなければ…… |