liberation-001
Black dragon
 その男は薄っすらと微笑んだ。
「お前に相応しい武器を与えよう」
 初めて人を殺したのは十三の時だった。武器を与えられたのはその少し前。
 呼び出されたのは、帝王に近しい者しか入ることを許されない彼の私室。椅子に座った彼の前まで歩み寄り、そうして口を開いた。
「何の御用ですか?」
「あと二月で、お前も十三になる。そうすれば、お前は第三拳闘師団を率いて戦うことになるだろう」
「はい」
「お前に、相応しい武器を与えよう」
 微笑みながら、帝王は目前に合った箱を示した。伺うように上げた視線に首肯する。手を伸ばして、蓋を開けた。
 入っていたのは、巨大な鎌だった。長い柄と、湾曲した刃。鋭く砥がれた其れは、陽光を反射して煌めいた。自分が扱うには大きすぎやしないだろうか。そんな事を考えながら、柄を握る。
 持ち上げてみると、それは思っていた以上に軽かった。けれど適度な重さがあり、しっくりと手に馴染む。
「それが、お前の武器だ。この刃には魔法がかかっている。お前の手に有る限り、錆びる事も欠ける事も、朽ちる事も無い。お前はその武器を揮い、敵の首を刈り取るんだ」
「……くび、を?」
「そうだ」
 帝王が立ち上がる。頬に指先が触れて、それが首筋へ移動する。
「ここを、一撃で。最期の慈悲の心だよ。ここを切られれば、人間はあっけなく死んでしまう。苦しくも、痛くも無い。一瞬で済むんだ」
「首を、落とすの?」
「出来るだろう?簡単な事だ。その武器で、魂を刈り取っておいで。私の為に」
 そうすればこの人は喜んでくれるのだろう。
 サリアは頷いて、鎌の柄をしっかりと握り締めた。

 虚ろに開いた瞳に、最初に飛び込んできたのは鈍色の天井だった。夢を見ていた気がする。まだ幼い頃の夢。
 見知らぬ天井に、サリアはゆっくりと視線を横に向けた。隣に誰かが座っているような気配。目を開けているのが億劫で、瞼が勝手に下りてくる。
「目が覚めたのか?」
 遠く、声が聞こえた。返事をしたいけれど、声が出ない。
「何か飲むか?」
 気遣わしげな言葉に答えられない。人影はそれでも、小さなじょうろのようなものに水を入れて口に当ててくれた。冷たい水が喉に流れ込んでくる。身体の端々が熱い。シルヴィナのところで何度か見たことが有る、と思った。
 胃に冷えたものが流れ込んでくる感覚を最後に、サリアの意識は再び闇に落ちていった。



「カイ」
 肩を叩かれ名を呼ばれて、カイは振り向いた。定例会議が行われるヒメルの間。入って正面には統括者六人が並んで座る長机が有り、その手前には各部隊長の座る席が二重半円となって設置されている。二重半円の外側、一番端の自分の席に座って居たカイは背後に立つ人物を見て、安堵したような表情を浮かべた。
「なんだ、秋茜さんですか。おはようございますー」
「おはよう。とって喰われるとでも思ったのか?」
 揶揄するような口調で答えたのは、深い赤の髪の女性である。真っ直ぐに背を伸ばして、カイの座っている椅子の背凭れに手を置いて、秋茜は愉快そうな笑みを浮かべた。
「心配しなくても、私はお前を食べたりしないぞ?」
「知ってますよー。ちょっと考え事してて、ぼけっとしてただけです」
 しまりのない笑みを浮かべたカイの隣に、秋茜は腰掛けた。その席は彼女の座るべき椅子である。その背後に立つ人物に気がついて、カイはぺこりと頭を下げた。
「リクさんも、おはようございます」
「おはよう」
 あまり暖か味の感じられない声で答えたのは一人の男性だった。緑がかった銀髪の、右側の前髪だけ緑が濃い。挨拶を交わす中にしてはいささか冷たすぎるように思えたが、彼に関しては常がこの状態なので、カイはあまり気にしなかった。
 それよりも、カイの心を占めているのは友人の唐突な除籍だった。何も言わずにいなくなってしまった。家にも行ってみたけれど、すでにそこはもぬけの空で。どこへ行ってしまったというのだろう。彼には、頼る家族も縋る親戚も居ないというのに。
「ギルディアードが」
 秋茜の声に、カイは現実に引き戻された。何度か瞬きをして、隣に顔を向ける。秋茜は椅子を回して身体をこちらに向けて、頬杖をついていた。
「軍を辞めたと言うのは本当か?」
 この人、読心術でも使えるんじゃないだろうか。
 今の今まで自分が考えていたことに関して問われて、カイは意味も無くうろたえた。何となく自分の思っていることがあからさまになっている気がして、自然身構えてしまう。
「……本当、ですよ」
 多少拗ねたような口調になってしまったのは見逃してもらいたい。
 秋茜は、そう、と答えただけだったが、その背後から嘲るような声が飛んできた。
「軍籍を剥奪されて当然だ。ギルディアードの行動には、目に余るものがあったからな」
「リクさん!」
 リクの言葉に、思わずカイは腰を浮かせた。けれど彼のそんな行動を目の端に捉えて、リクは哂う。
「陛下の寵愛を受けているからといって、好きにして良いと言うものでは無いだろう。良い綱紀粛正じゃないか」
「サリアは……そんなヤツじゃないですよ……」
「他人の事を完全に理解したなどと、思わないほうが良いぞ」
 喉の奥で笑って、リクは視線を逸らした。目を合わせぬまま、言葉を紡ぐ。
「人間は、自分が何者かなど死んでも理解出来ない生き物だ。他人であれば尚の事、理解出来まい。お前の知らぬ“ギルディアード”の側面が有ったとしても、可笑しくは無いだろう?」
「それは……そうですけど!でも!」
「止めないか、二人とも」
 呆れたような声が両者の中間から発せられて、カイは息を飲んだ。秋茜がうんざりした顔で、リクを見上げている。
「リク、ギルディアードが気に入らないのは解るが、少しは手加減してやったらどうなんだ?」
「嫌いなものは嫌いだ」
 言い捨てて、リクは自分の席に歩いていってしまった。秋茜の向こうで、乱暴に椅子を引いて座ったのが見える。
「すまなかった。口論させる為に聞いたわけじゃないのに」
「……秋茜さんの所為じゃないです。気にしないで下さい」



 ふつり、と糸が切れたように意識が浮上した。目に飛び込んできたのはやはり見たことの無い天井で、夢ではなかったのだと知れる。どうやらまだ死んでないようだと、やや明瞭になった意識でそんな事を思った。
「目が覚めたか?」
 低い声が耳を打って、サリアはゆっくりとそちらを向いた。
「良かった、もう二度と起きないかと思っ……」
 目が合ったと同時に、青年は口ごもった。友人を連想させる褐色の肌に、金のような茶のような不思議な色の髪をしている。その顔が見たことのないものを見たときの表情で、サリアは緩慢な動作で左目に手を当てた。
 やはり、そこに眼帯は無かった。
 装着していても問題が無いように、普通に目が見えるようにと、眼帯には魔法がかけられていたから直ぐには気付かなかった。青年が驚いたのも納得出来る。
「その……」
 青年の声に、意識をそちらへやる。
「悪いとは思ったんだけどな。治療するのに邪魔で、外させてもらったんだ」
 青年の気遣わしげな言葉にサリアは驚いた。この目を見た人間は大抵、気味悪がるか詮索してくるか、どちらかに分類された。だが青年は、ただ眼帯を勝手に外したことを謝っている。
「いえ……大丈夫です」
 自分の声は驚くほど掠れていた。それに気付いた青年が、小さなじょうろに似たものを持ち上げる。
「飲むか?」
 ありがたかったから、正直に頷いた。横になっていても飲めるように作られたそれを口元に当ててもらう。冷えた水が、火照った身体に心地良かった。怪我の所為か、微かに発熱しているらしい。
「有難う御座います。それで、あの……ここは……」
「ここはスラム街だよ。安心しろ、君をタコ殴りにしてた連中はオレが始末しておいたから」
「殺したんですか!?」
 叫んだ瞬間、サリアは咳き込んだ。半身を起こした所為で、身体中に激痛が走る。胸を押さえて呼吸を整えると、青年が背中を撫でてくれた。手を添えて、ゆっくりと支えながら寝かせてくれる。
「奴らを生かしたまま帰せば、君をスラムの住人が助けたのが知れる。それはちょっと勘弁してもらいたいからな、死んでもらったんだ」
「死体が見つからなければ、どの道同じことですよ」
「死体は犬に喰わせた」
 残酷な事を顔色一つ変えずに言って、青年は椅子から立ち上がった。
「そういうわけで、君はここに居れば安全だ。ゆっくり休むと良い」
「あの」
 部屋から出ようとした青年を、サリアは呼び止めた。振り向いた青年に、掠れた声で問う。
「あなたの、名前は……」
「オレはルビィだ。……お休み」
 薄く笑って、青年は部屋から出て行った。

 人にはありえない金色の瞳。獣族の中には持つ者が居ると言うし、見慣れていないというわけでもなかった。だが、やはり彼には獣の耳も尻尾も無く、自分と同じ人間であの不可思議な目の色は、少しばかり驚いた。
「目ェ醒めたんか?」
 リビングでコーヒーを飲んでいると、聞きなれた声がした。ルビィが顔を上げると、向かいの席にエルフの青年が座るところだった。
 それが四日前に拾ってきた青年の事だと気付いて、ルビィは答える。
「ああ、少し話をしたよ」
「……何であんなん拾ってきたんや。ほっぽっとけば勝手に死んだのに」
「ヒーマ」
 やや呆れた声でルビィはエルフの名を呼んだ。ヒーマ――ヒーマタイトはむくれた顔で、ルビィの食べていたスナックに手を伸ばす。
「リーダーはオレだ」
「それはわかっとる」
「なら何で」
「イヤやからー」
 ばりばりとスナックを噛み砕いて、ヒーマタイトは立ち上がった。冷蔵庫からソーダ水の入った壜を取り出して栓を捻る。炭酸の抜ける音が、微かに聞こえた。
「ラピスとも話とったんやけどな……なァ、今からでも間に合うやろ。まだ動けへんのやし……放り出さへん?」
「ダメだ。放り出すかどうか決めるのはオレだぞ」
「何であんな軍の狗に目ェかけるんや」
「……アレは、“赤き眼帯の死神”だ」
 思いも寄らなかった答えに、ヒーマタイトは絶句した。
 巨大な鎌をふるい、一瞬で標的の首を落とす。その容貌と強さから、異国の魂を刈る絶対者の名を冠してついた名が"赤き眼帯の死神"である。帝王子飼いの部下とされ、軍部において彼に叶う人間は居ないという、最強にして最凶の存在。
 酸欠の金魚のように口を開閉させていたヒーマタイトだったが、やがて我に返るとルビィを指差しながら叫んだ。
「あんなガキが!?」
「お前から見たら人間はみんなガキだな」
 エルフの長命さをさして笑うと、エルフは机を叩いて怒鳴る。
「そういう問題やないやろ!罠だったらどないするんや!全部グルで、軍部がココを探る為の作戦やったら!!」
「子飼いの部下の左腕を折ってまで、か?」
「真実味が出るやろ!そこまでやれば!」
「どちらにせよ、放り出す気は無い」
「何でや!」
 声を荒げるヒーマタイトに、ルビィは冷静な声で答えた。
「奴は赤腕章だ。帝王に寵愛されてたって事は、それだけ軍部の中心に近いところに居たって事だろ?という事は、こっちの為になるような情報が聞けるかもしれない。……“ジェイド”も知らないような事を」
「そりゃ……ああもう!解ったよオレは黙っとるわ!」
「悪いな、ヒーマ」
「……アイツが気に食わんだけで、アンタを信頼してないってコトや無いからな」
「知ってるよ」
 拗ねた声の言い訳に笑って、ルビィは冷えかけたコーヒーを飲んだ。



 とろとろと、睡眠と覚醒を行き来する状態が暫く続き、ようやっとサリアは起きれるほどまでに回復していた。部屋にやってくるのはルビィ一人で、他にも住人が居るようだったが顔をあわせた事は無かった。だが念の為、既に眼帯は返して貰っており、黄金の瞳は隠してある。
 コンクリート打ちっぱなしの天井にも慣れてきて、サリアはルビィが持ってきてくれた食事――お粥と漬物、それからゼリーという病人食を食べながら問いかけた。
「ね、ここって一体何なのさ?」
 サリアの食事が終わるまで、ルビィは大概ベッドの脇に座って雑誌を読んでいた。今日も今日とて、上流階級の人間が眉をひそめるような、毒々しい表紙に薄っぺらい紙の雑誌をつまらなそうな顔で捲っている。だがサリアの問いには、一瞬目を上げただけで答えようとしない。
「結構人が出入りしてるし、その割りに静かだし……。それに、助けてくれたのは感謝してるけど、そもそもどうしてオレのこと助けてくれたんだ?」
 梅干を箸で千切って粥に落とす。身を全部削いでから種も粥の中に入れて、スプーンで一口。片腕が使えないのはやや不便だったが、大分慣れてきた。
「な、ルビィ?聞いてる?」
「聞いてるよ」
 雑誌をサイドテーブルに投げ出して、ルビィは座り直した。同じ男としては、彼の長身が非常に羨ましいものであったりする。並んだことは無いから解らないが、目測でも約二十センチ差。
 自分の貧相な身体を見下ろして、サリアは密かに溜め息をついた。
「そうだな……まず第一条件として、健康な男子の内臓は高値で売れる」
「……………………はい?」
 唐突に切り替わった内容に声が裏返る。お茶を飲んで気分を落ち着けてから、深呼吸をした。
「ルビィ、もう一回」
「第一条件として、健康な男子の内臓は高値で売れる。ココを」
 そう言って、ルビィは手を伸ばした。未だ包帯の取れない腹に、指が触れる。
「こう切って、中身を貰う。肝臓とか腎臓は結構需要があるからな。鮮度が高ければ角膜とか心臓、骨髄も結構いける。第二条件として、中身の買い手が居なくても丸のまま売ることも可能だ。手に入れてから転売するも良し、オモチャにして遊ぶも良し、ストレス解消の道具にするもお好み次第だ」
「変態だ」
「残念ながらココにはそういう変態が結構居るんだ」
 両手を広げて言ったルビィに、サリアは粥を食べてから呟いた。
「つまり、ルビィはオレを太らせてから食べる魔女だと」
「そういう事だな。オレは男だから魔法使いだけど」
「…………それで本当の目的は何なのさ」
 かたりと、スプーンを置く音。
「内臓売るなら怪我の治療なんてする必要ないし、売るにしたってこんな良い待遇受けさせる必要はない。オレを助けたのは、何か目的があるんじゃないのか?」
「人の親切を勘ぐるのはあんまり感心しないな」
「人の親切を勘ぐらなきゃいけないところに居たもんで」
 視線が交錯してつかの間、ルビィは軽く息を吐いた。
「レジスタンス」
「は?」
 唐突な言葉が解せない。いぶかしんだサリアに構わず、ルビィは口の端を釣り上げた。
「軍部の人間なら聞いた事があるだろ?レジスタンス、“黒龍会”」
「そりゃ聞いたことはあるけどさ……まさか、ホントに?」
「お前を助けたのは、軍部の情報を聞き出す為だ。赤腕章、しかも“赤き眼帯の死神”サマだからな。見たところ仲間割れっぽかったし、こっちに引き込めれば一石二鳥だ。だから助けた」
 そう言ってルビィは立ち上がると、空になった器の乗ったトレイを持ち上げる。
「って言っても、生かしたまま逃がせばお前は軍部にココの事を漏らすかも知れないからな、まー……あれだ。どっちか選べ」
「……協力するか、死ぬか?」
「よく解ってるじゃないか。時間はたっぷり有るから急がなくて良いぞ、ゆっくり考えろ」
 足音が遠ざかって行ったのを確認して、サリアはベッドに横になった。
 考えるまでも無く、答えなど決まっているというのに。
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