bandai_san,kegon_taki.html 「磐梯山」、(日光)華厳の滝」を観てきました。 (写真に触れると、簡単な「説明文」がでます。又 画像をクリックすれば、拡大します。)
                                     (2009年 5月31日 〜 6月4日まで。)


今回の同行者は、私と妻と、妻の義理の兄と、弟夫婦である。
このメンバーでは、過去 数回出掛けている。  
妻の義理の兄は、名古屋に住んでいるが、 弟夫婦は、(深谷市)に住んでいる。
その為 私達夫婦は、(妻の義理の兄)に、乗せて行ってもらう事にした。

5月31日(日) 朝 5時に迎えに来た。  
中央自動車道を通り、(諏訪)から「長野自動車道」、「常磐自動車道」を通り、「猪苗代湖」を左側に見ながら、「会津若松」で降りた。
有り難い事に、「今日(日曜日)は、「高速道路」は、(何処まで乗っても)1,000円だった。 会津若松

(サービス・エリア)で、「喜多方・ラーメン」を食べた。  美味しいラーメンであった。   みんな、「喜多方・ラーメン」にした。福島県地図
 (弟夫婦)は、凡そ (深谷市)から、120kmと聞いていたので、既に 到着していた。
 (今回の旅行)は、3泊4日である。    
 宿泊先は、   「休暇村 裏磐梯」、 「休暇村 那須」、 「万座ホテル・ヂュ楽」、である。 

「磐梯山」は、雨のため、見えなかった!    明日は、晴れるらしい!   期待しよう!
今日の宿泊は、休暇村「裏磐梯」である。



二日目は、 期待通り、良く晴れた。
朝の内は、「磐梯山」も雲の切れ目から、顔を覗かせる程度であった。
「会津富士」とも呼ばれる磐梯山。  明治21年の噴火で「桧原湖」を初めとする大小さまざまな湖沼郡が形成された。

今日は、昨日 打ち合わせた通り、「五色沼」から行くことにした。エメラル・ドグリーン色をした「五色沼」の景色 
「裏磐梯高原」には、磐梯山の噴火で生まれた大小300余もの湖沼が点在している。
その一つである、「毘沙門沼」を観てきました。 
エメラルドグリーンの色をした「毘沙門沼」は、「五色沼最大の沼」で周囲約4kmの沼である。
沢山の鯉、錦鯉が飼われていた。 手漕ぎボートが浮かんでいた。
その他に、「柳沼」、「青沼」、「赤沼」、「弁天沼」、「深泥沼」がある。「白虎隊」記念館


次に訪れたのは、「白虎隊」で、お馴染みの「飯盛山」にある、「鶴ヶ城」である。
〔慶応3年(1867)、徳川慶喜が朝廷に政権を返し(大政奉還)、王政復古の大号令により、徳川幕府が倒れると・・・・。
新政府軍と旧幕府軍との戦いが始まった。  幕府を支持した藩主(松平容保)率いる会津藩は、最後の抵抗を試みたが
新政府軍には到底かわず敗れ続けた。  戦いに敗れた「白虎隊」20人は、自決をはかった。
20人の内 一人だけが奇跡的に助かり、「白虎隊」の悲劇は現在に伝えられることになったのである。

「鶴ヶ城}  次に、「飯盛山」に有る、「鶴ヶ城」を訪れた。   「鶴ヶ城の入り口門」の橋」  

文禄2年(1593)に会津藩主・蒲生氏郷によって築城された天守閣。
現在の城は、昭和40年に復元されたものである。  会津を語り継ぐ、「シンボル」である。
快晴で少し暑かったが、絶好の「行楽日和」だった。

「飯盛山」の近くの「土産物屋」で、(軽く 腹ごしらえ)をして、「休暇村 裏磐梯」へ戻った。



三日目 今日は、(日光・華厳の滝)へ 行く日である。華厳の滝 華厳の滝の説明書
(華厳の滝)へは、〔私が元気な当時〕 数度 来たことは有るが、病気になってからは 初めてである。
「華厳の滝」は、私が(行きたい所の一つ)であった。 「華厳の滝」は、(いろは坂を上って・・)直ぐである。
「華厳の滝」へは、エレベーター降り、足の不自由な私でも 難なく行く事ができた。

「華厳の滝」へ行った後、「中禅寺湖」を一周して、次の宿泊先、「休暇村 那須」へ行った。  
「男体山」が、綺麗に見えた。    「男体山」

 4日目  今日は、 愈々 帰る日である。  朝食を全員で食べて、(弟夫婦)とは、再会を約束して別れた。
後は、運転手さんに、全てを任せて・・・・・・・。   
今日は「高速道路の料金」は、当然 通常通り)掛かる筈である。!