【 現状と今後について 】
《 項 目 》
〔 現 状 〕
〔 今後について、 〕
〔 現 状 〕
2004年2月10日で発病以来3年になる。
精神的には少し落ち着いてきており、不自由な生活にも慣れてきた。
現在の麻痺の状態を書いておこう。
○ 下肢(歩行)
・右足(麻痺側)にオルトップ(装具)を着け、杖を突いて歩行できる。
一日平均、約7千歩(3km)を歩いている。 →時速:2.5km。
・杖無し歩行→努力して約1kmか?(歩く姿勢は悪い)
*日頃 杖無しでは歩いていない、が。
・膝は少し曲がるようになったが、足首は動かない。 手摺を持てば階段は登れる。
・膝の部分が弱く、力が入らない。
・気温が3℃以下(冬場)になると筋肉が硬くなり歩き辛く(又は歩けなく)なる。
○ 上肢
・右腕(麻痺側)→真直ぐ上げるだけであれば、肩の上まで上がる。
・指は多少動くが、機能はしない。
・自動車運転の時、右手でハンドルを支えていることは出来るようになった。
(ぶら下がっているだけよりも運転に安定性がある。)
・タオルを絞る助けになっている。
・階段、(エスカレーター)の上り下りの時、杖を持って?いる。
・左手の爪を切る時、大き目の爪切りであれば、握る?(押える)ことができる。
○ 上・下肢
・右(麻痺側)の方の体温が左側より低く、表面も冷たい。
・感触は左右同じ。
○ 聴力
・右耳は突発性難聴で殆んど聞こえない。
○ 言語
・話し難いが問題無く会話はできる。
・発病前は歌が上手(うま)かった?が、現在は音程が外れ(音痴になった)歌えない。
○ 顔面
・右頬に多少痺れがある。
・口笛が吹けなかったが、最近 音が出るようになった。
○ 入浴 =・右手が機能しない不便さはあるが、不安は無くなった。
普通の風呂の椅子を使っている。
○ 歩行の際、右腕は肘のところで多少曲がる。
発病6ヶ月の時点で、病院の中をリハビリ室まで車椅子で行っていたことを思えば、
車の運転も出来るようになったし、格段に行動範囲は広がっている。
〔通 院〕
(国立名古屋病院)

・名古屋国立病院 = 2ヶ月に一回。 診察と薬。
(現在 飲んでいる薬)
「ノルバスク錠 5mg」 =降圧剤 狭心症の薬
「ディオパン錠 80mg」 =降圧剤
「パナルジン錠100mg」=血栓(血の固まり)ができるのを抑制する
「ペザトール錠100mg」 =中性脂肪、コレステロールを下げる
「ザンタック錠 75mg」 =胃炎、消化管の治療に使う薬。
・鵜飼病院 = 週二回。 リハビリ。
〔 今後について、〕
これで大筋のところは書いたつもりである。
これから先 私の周辺が、どの様に展開していくのか? 皆目(かいもく)
見当も付かない。
健康な当時は、私なりに定年後の「希望と計画」があった。
「妻との旅行」、「娘家族との交流」、「ゴルフ」、「庭造り」、「家庭菜園」、「魚釣
り」、「読書」、「料理」、「一人旅」、「地域社会との交流」etcなど、老後の生
活である。
この病気をすることによって、自分の行動範囲が凡そ十分の一になった。
残念ながら、殆どの「希望と計画」がダメになってしまった。
もう一つ「辛いこと」は、自分の身の回りの事が自分で出来ないことである。
況(ま)してや 家のこと、町内のこと、・、・、孫を抱くことも、出来ないのである。
自分で出来る事は出来るだけ自分で遣るようにしているが 非常に範囲が狭く限られている。
「大変な病気になったものだ!」と言ってみても 又 毎日悩んでいても何の解決にもならない。
何も特別悪い事をした訳ではない、特別贅沢した訳でもない、又 そんなに不摂生したとも思わない、・、・、人に迷惑を掛けたことも無い。 だけど「思いも因らぬ病気」になってしまった。
解ってはいるが、つい愚痴が・・・。
「自分の人生はこれで終わったな!」と、発病してから最近まで何度も思った。
しかし 本当のところは「何時終わるか?」分からないし、自分で「死」迄のスケジュールを作ることも出来ない。
「もう少し考えてみようか!」
この病気は「ある程度の時間(約6ヶ月)が過ぎると目に見えた回復は望めない」と言われている。
しかし 誰も「回復はしない!」とも断言していない。
パソコンのホームページの中で「脳卒中」になった人が、「何年かしてここまで回復したよ!」と報告されている
例もある。 人間の体は医学的には略(ほぼ)解明されていると思うが、それでも信じられないほど回復した例も報告されて
いる。 私の体も 若しかして「信じられないほどの回復」をするかも知れない。 「諦めたら 何もかも其処
(そこ)でお仕舞いだ!」
『それなら引続き希望を捨てず 何か楽しみを作り 明日からもう一度頑張ってみるか!』