【 発病前 】

【何の予感も無く】

発病前年(2000年)11月下旬、約1週間の予定でシンガポールへ出張した。
帰りは12月第1週の日曜日である。

仕事の最終日(土曜日)はゴルフが予定されていた。 
最近リゾートアイランドとして人気の出てきているインドネシア領ビンタン島にあるゴルフ場であった。
シンガポールからビンタン島に渡るその日の朝方、ホテルへ気になるニュースが飛び込んできた。
NHKのニュースで、日本の大手化学会社(S社)のC工場で火災事故が発生 現在も燃えているというのである。
「S社」のC工場はいろいろな化学製品を生産しているが、我々の販売している商品=(競合品)も製造していた。
ニュースを聞いた時点では、「競合品」への影響については具体的情報も無く 何も分からなかった。
予定通りゴルフに出掛けた。
ゴルフ場では少しは気になった?が、「大した事は無いだろう」と余り心配はしていなかった。
ゴルフの翌日の朝6時(日本時間)頃 名古屋空港に着いた。
携帯電話に顧客数社から電話が入っていた。 その内容は「S社の火災事故の件で大至急連絡が取りたい」であった。 
会社によっては「日曜日でも構わないので電話をしてほしい」と言っている。
その火災がが大問題になっていることを直感した。
その火災事故は、まさしく「競合品」の工場であった。
(車の組立て/トヨタ産業技術記念館にて)
 「トヨタ自動車」は「トヨタ生産方式(カンバン方式)」を徹底しており、
原料、部品、製品等の在庫を最小限に減らし、徹底的に「コストダウン」を図っている。
また協力会社、その下請け会社etc、に対しても、トヨタ自動車自らが指導し徹底させている。
以上から、トヨタの購入先も出来るだけ在庫を持たない仕組みになっている。
トヨタ自動車は、過去に発生した「日本坂トンネル内の火災」、「アイシン精機の工場火災」、
最近では2003年9月の「新日鉄のガスタンク爆発事故」、等によって、原料、部品、等が納入されず、
操業の停止、及び 減産に追い込まれた事がある。
例えば トヨタが減産に追い込まれた場合 莫大な損失が発生する。 
場合によっては、大きな損害賠償問題に発展する。
「S社の火災事故」についても、S社はトヨタ自動車から直接その「被害状況等」について質問を受けており、
部品等の納入に万全を期す様、 又 速やかに生産を復旧させる様、要請を受けている。
具体的に説明すれば、「部品メーカー」がS社の「原料」を購入し、それを使用して部品を製造、トヨタはじめその他自動車工業、
又 受注先へ製品を販売している。 だから トヨタはじめその他自動車工業他、販売先への直接の納入責任は部品メーカーにある。
部品(製品)メーカーは全国に無数にあるが、 今回のS社の火災事故は、殆ど全部の部品(製品)メーカーに影響が出るであろうと、
予想された。 
そんな中で 同原料の在庫切れが確実視された。
その結果 部品(製品)メーカーは対策上、同原料のS社以外の取引の無い原料メーカーへも一斉に出荷依頼を出したのである。
部品(製品)メーカーは、このような事態を予測して、私の携帯電話に我先にと電話をしてきたものである。
帰国した次の日から翌年の一月末頃までユーザーコール(訪問)、社内連絡、販売数量の決定、輸入依頼、価格交渉、ユーザー説得、
納入手配、品質確認、新規ユーザーとの交渉、など、引切り無しに対応に追われた。
1月末の時点で、詳細は除くとして 私の出来る範囲の事は全て遣(や)ったと思った。
「ほっ」と一息である。
2001年2月初めの週、北陸方面に出張、その足で東京へ。 
週末(9日/金曜日)本社へ出社し「S社対策」等について報告。
その帰った次の日 2月10日が、私の『運命の日』になろうとは・・・・・。


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