「堀川の屋形船」に乗りました。(写真に触れると、簡単な「説明文」がでます。                      2008年 8月30日

私達の入居している「マンションの主催」で、名古屋の中心部を南北に流れる「堀川の(屋形船)」に乗ることになった。

     平成14年 1月 7日発表  =  堀川に屋形船が、就航されました。
             3隻の屋形船 =  それぞれ19トン、定員 = 60〜77名で、料理を提供し・・・・・・、
             納屋 橋 〜 名古屋港ガーデン埠頭間 18.8Kmを約1時間で、遊覧するものです。
             (納屋橋 〜 名古屋港ガーデン埠頭航路 → (白鳥、宮の渡し)に寄港する)


「堀川」は、名古屋市北区「猿投橋」から 〜 名古屋港まで流れている 短い川である。
その内 今回は、「名古屋港ガーデン埠頭まで、 18.8Kmを約1時間で、遊覧するのである。
今回の参加者は 「約20名」。   

 前日 名古屋市、その周辺の市町村(特に、岡崎市、一宮市)が、「ゲリラ豪雨」により、大きな被害を受けた。
その明くる日、(当日の予報は、未だ 不安定)でしたので、・・・。 足が不自由な私は、雨の中 皆さんに迷惑を掛ける事を心配して・・・、
止め様か?とも、思ったが、・・・・。  結果的に、皆さんと一緒に行くことにした。  

結果は、 雨はそんなに降らなかったし、「マンションの皆さんの手助けも有り」、楽しく行くことが出来た。


   〔慶長8年(1603)に、江戸に「徳川幕府」が、出来た。
   しかし 大阪には、未だ勢力をもつ豊臣(とよとみ)方が残っており、
   徳川家康は、戦争の時には、尾張(おわり)愛知県の西部)をしっかり守らなければいけないと、考えていた。
   そのころは清洲(きよす)が、この地方の中心地でしたが、五条川沿いにあるので、戦争になったときに、
   川の堤防をこわして、お城のまわりを水びたしにする・・・、「水攻め」が、心配された。

  〔 このため 名古屋台地の上に、大きな「お城」と「町」をつくることになった。  
  慶長15年(1610)に「名古屋城」の工事が始まり・・・・・、
  その後 清洲から(町ぐるみの)引越しが行われ、「名古屋の町」が 生まれた。 
  このひっこしを、「清洲越し(きよすごし)」と呼ばれた。
  町で沢山の人が生活するには、米や野菜、魚や塩など、いろいろな物が必要であった。
  当時は、一度に多くの物を運べるのは、「船」しかなかった。 
  そのため (名古屋台地の西に沿って)、「お城」から、当時の海岸であった「熱田」まで」川を掘った。「CRUISE」の途中で出合った(観光船」。
  「これが、堀川です。」 〕

この「屋形船」は、「武将のふるさと」に因んで、「SAMURAI−CRUISE」(さむらいー・くるーず)と呼ばれている。

約1時間の、遊覧であるが・・・・・、 参加者は、大いに盛り上がり・・・・・、 (あっ)と言う間の「CRUISE」であった。          


「堀川」の近くには、 「名古屋城」、「熱田神宮」、「宮の渡し」、「オアシス21」、「名古屋港ポートビル」、「名古屋港水族館」、「白鳥庭園」、
「国際会議場」など、点在する。 

「名古屋城」     「熱田神宮」     「宮の渡し」     「オアシス21」     「名古屋ポートビル」

     「名古屋港水族館」        「白鳥庭園」        「国際会議場=(センチュリー・ホール)」
                                                                           以上