【 私の小さな思いでシリーズ 】

このシリーズは、このホームページには マッチしていないかも知れませんが、
私の『小さな思い出』として書き残して置きたかった。                . 
私の「思い出」の殆どは、約40年間勤めた会社関係と 家族との事柄・家庭行事
が大半であるが、それは既に私の生い立ち=「私の足跡」と題し完成させている
ので、これには 出来るだけ自分の事だけを思い出し 楽しみながら書いていこう
と 思っている。  思い出すことが、頭の活性化 と リハビリ の一助になればとも
考えています。 《  だから 私以外の人には退屈なものかも知れません。 》  .


《 項  目 》
  1. 「 子供の頃の遊び(小鳥捕り)」                                 
  2. 「 祭り 」
  3. 「 私のゴルフ歴 」



1.「 子供の頃の遊び(小鳥捕り) 」      (2004年 7月 )   

 これは 今では出来なくなった、当時の遊びの一つである。
友達のY君とは、私が挙母 (ころも) 町 ( 現 愛知県豊田市) へ引っ越して来た当初より仲良しで、 小学校でのクラスも、 ずっと 一緒だった。  
この友達とは 5、6年生の頃から、中学1年生の頃まで よく一緒に小鳥を捕らえに行った。
朝 未だ暗い4時頃 自転車の荷台に囮(おとり)を積んで 4〜5キロ離れた山に入り小鳥を捕った。 
メジロ、山雀(ヤマガラ)〈今は殆ど見掛けないが、当時 よく お祭りなどで「おみくじ取り」に使っていた小鳥〉、 日雀(ヒガラ)、鷽(ウソ)、鶸(ヒワ)などを捕らえた。
捕る方法は、現在では使用禁止になっている 「霞網(かすみあみ)」と「鳥もち」を使った。
それら囮に使う鳥は その友達と二人で 殆んど全部の鳥を飼っていた。
山に入り 鳥の来そうな所を探し 背丈の低い木に囮を取り付け、細長い 枝の無い木に「鳥もち」を巻付け 囮の周りに仕掛ける、
霞網は囮を中心にして、数メーター離れた所に取り巻くように張るのである。
寒い時 又 暗い中の作業だから大変だ。 後は気長に掛かるのを待つのである。 
当時でも、今ほどではないが松茸は高かった。 松茸山にはロープが張られていた。
子供だから そんなに厳しくは言われなかったが、偶に見回りに来るその山の持ち主によく注意された。 
それでも鳥が掛かるまで、茸を採ったこともある。 
当時 僕達はメジロや鷽(うそ)を口笛で呼ぶことができた。 
多い時は、10〜15羽の収穫があった。 それ以上の時もあった。
捕えた鳥は 家の近くの小鳥屋に売りに行った。 幾らぐらいで売れたかは覚えていないが、多分 小供だから買い叩かれた。
鷽(うそ)でも黒鷽はそれほどではなかったが 赤鷽は比較的高値で売れた。
メジロはそこそこの値段であった。 山雀は高く売れた。 日雀や鶸は 需要が少ないだけに安かった。
それでも沢山捕れた日は 子供にとっては纏まった金になった。  貯めておいて霞網、鳥もち、餌、鳥籠、などを買った。
いつもメジロはよく獲れた。 メジロは黄緑色の鳥で囮に使うような鳥は きれいな声でよく鳴いた。
良いメジロになると 声のほかに形もスラリとして整っており綺麗だ。 買うと高い。 好きな鳥だった。 
勿論 現在メジロは禁鳥である。  
当時 私の部屋には「メジロ」、「山雀」、「鷽」などを飼っていた。 
それら野鳥以外に、カナリヤ、十姉妹、セキセイインコも飼っていた。
だから 部屋の中は 粟などの鳥の餌 と鳥の羽根、糞 等でいつも汚れていた。 臭いもあった。
そこで勉強し、そこへセンベイ布団を敷いて寝ていた。
残念ながら、今の子供達には出来ない楽しい遊びの一つである。
それと 当時 行った山は、最近 開発が進み 見る影も無くなった。  寂しい事だ。         以上


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2、  〔 祭り 〕        ( 2004年 8月 )
( これは名古屋では知られている「ナナちゃん人形」と言い、季節行事やイベント毎に衣装が着せ替えられる。
今回は 『ど・まつり』の衣装を着ている。)

「ナナちゃん人形」です。 名古屋では8月の終わりに 「ど・まつり」(日本ど真ん中祭り=略して、ど・まつり)が催される。 
歴史は浅く 今年で6回目である。
この祭りは、名古屋の繁華街10数ヶ所で行われる。 
その内容は、 【 各方面のいろいろグループが、 あちこちの会場(道路)で 夫々がデザインした 様々な派手な衣装を
着て、自分達がアレンジした踊を披露する】、ものらしい。 
160 近いチームが参加する盛大な祭の様だ。 
私は まだ 本物を見たことは無い。  今年は27・28・29日の3日間行われた。

本来の『名古屋まつり』は、10月に行われる「英傑行列」である。  
郷土の三英傑(信長、家康、秀吉)を中心にした行列である。
郷土の名士が三英傑に扮し、それぞれの 姫君・奥方がパレードの車に同乗し、その前後を鼓笛隊、腰元、小姓、家来、
奴、などが 夫々の衣装を着て行列をするのである。 
その「英傑行列」の前後を バトンガール、自衛隊 消防 各学校のブラスバンドなどが行進する。 
3時間?程の豪華絢爛なパレードである。
今年の三英傑には、元中日ドラゴンズの選手が扮すると発表された。 
これから秋祭りの季節である。 「ど・まつり」をきっかけに、子供の頃の「祭」を思い出した。  

子供の頃の祭りも 私の思い出の一つである。 
愛知県・挙母 (ころも) 町は、昭和26年? 人口が30,000人を超えて挙母市に昇格した。
「市制祝いの提灯行列」に参加した覚えがある。 
その後、当時から挙母町に本社の在った「豊田自動車工業」 (現トヨタ) が急速に発展、それに沿って人口も増えてきた。 
当然 トヨタ自動車工業の挙母市への発言力も増してきた。
暫くして「豊田市」が誕生した。 
私は、昭和22年 7歳の時に事情があって「挙母町」へ来た。  
その 「当時の祭り」の事を思い出して書いてみよう。
その祭は、豊田市になった今でも 「挙母まつり」 と 呼ばれている。
今では10月15〜20日の土、日曜日に催されるが、その頃は 10月18日、19日に決まっていた。
この祭りの主な行事は、8台の「二階建の山車(だし)」 が町中を練り歩く事と、挙母神社で18日の夜 行われる 「七度参り」 、
19日の花火大会である。 10月18日を新楽(しんがく) と言い、殆どの旧町内を 8台の山車が揃って曳き回され 披露される。 
各町内が一台ずつ山車を持っており、自分の町内の山車を自慢した。 
私の居た町名は「神明町」。   神明町の山車に掛けられている幕は、そこに縫い付けられている絵柄の烏を、 「三羽烏(さんばがらす)」
と言って、 「左甚五郎」作 と言われていた。 
「この中の一羽を売れば、他の町内の幕が1式 買える程の価値がある」 と わが町内の自慢であった。 
山車には15人から20人が乗り込み、お囃子をしたり 掛声を掛け調子を上げたり、紙吹雪を撒いたりした。 
二階建の山車の屋根にも数人が登り、気勢を上げる と同時に電線を避ける役割をした。 
酔っ払って上るものだから危険 このうえない。 山車の屋根から落ちて死んだ人もあると聞く。 
山車は長さ30〜40m位の太い綱で曳く。 前の方は子供達が掴まり、車に近い綱元は慣れたベテランの大人が曳く。 
「綱元」は交差点を曲がる時などに力を発揮する。 車の後ろには「梶方」が付き方向転換を担当する。
「綱元」「梶方」共、夫々 左右に5人ずつ 計10人?が付く。 交差点を曲がるときは 勇壮であった。
現在は、交通量が多く 町を練り歩くことは廃止され、神社の境内で披露されるだけになったが、
当時は8台の山車が列を成し 全町内を曳いて回った。 
ほとんどの子供達は、柄の法被(ハッピ)を着て 頭に鉢巻を巻いて綱を曳いた。
当時の私も、貰い物の法被を着て得意気に曳いた。
18日の夜は、「七度参り」 と言う 催しがある。 厄除け行事である。 
各町内から若者が出て 銘々が手に提灯を持ち もみ合いながら神社の境内を七周するのである。 
我ら子供連も 一人前 法被と白袋を履いて 提灯を片手に持ち 揉(も)み合う。 
大人連は 酒の入った勢いもあり 激しく ぶつかり合う。 勇壮な行事である。 毎年どこかの町内同士で大きな喧嘩が起きる。 
19日は本楽(ほんがく)と言い、神社に山車が一同に集められ披露される。
その周りに出店が並び 祭りらしい賑やかさになる。
毎年 見世物小屋も来た。 「ろくろく首」、「足の八本有る蛸娘」など 訳の分からない見世物であった。
本楽の夜には 花火大会が盛大に催された。 
今ほど盛大ではないが、それでも当時は 近在の市町村では一番の規模を誇った。 
私の家の近くの 「矢作川」 《 川下の岡崎にある矢作橋は、日吉丸(秀吉)と蜂須賀小六の出会いの場所で有名 》 の川原で打ち上げられた。
学校は18日の午後 と 本楽の日は一日中、休みになった。
祭りの日には、いつもより 多い小使いが貰らえる。 友達とも一緒に遊べるので、 毎年 祭りが 待ちどおしかった。  
これは私の50年以上も前の思い出話である。  
今の子供達は、どんな「祭り」が思い出として残るのだろう・・・?。 

最近の豊田市の「祭り」は 聞くところによると、沢山のグループが 仮装して駅前通りを踊り歩く「豊田おいでん祭」が加わり、花火の規模も
一段と大きくなり、当時とは様変わりしたと聞く。  一度 行って見てみたいものだ。
現在の豊田市の人口は、町村合併もされているので もっと増えているかも知れないが、当時の十倍以上の三十数万人?にはなっているであろう。                   以上


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3. 「 私のゴルフ歴 」        ( 2005年 4月 )


 ゴルフを始めたのは昭和四十五年頃である。
まだ その頃は、お金が無くてゴルフどころではなかった。
現在は、サラリーマン・ゴルフプレーヤーは多いが、その当時は 営業部門の、それも部課長以上の、
付き合いゴルフが多かった。

偶々 金持ち(大阪の不動産屋)の息子である同僚の田中さんがゴルフクラブをくれたのでる。 
金持ちがくれた物と言っても「貰って文句は言えないが」、それも相当古い粗悪品のハーフセットであった。
彼も「人から貰ったクラブ」だと言っていた。
オーストラリアの教会 そんなクラブでも貰って嬉しかった。 一生懸命磨いた。
練習場には行かなかったが、庭や公園で素振りをして遊んだ。

最初のゴルフ場デビューは、昭和46年、「賢島CC(カントリークラブ)」である。
或る会社の 懇親ゴルフ大会である。 
「筆おろし(始めてプレーする事)」であることから非常に緊張した。 
それでも参加した商社の部課長から色々教えてもらい 無事ゴールするが出来た。
「褒めてやって下さい! 筆おろしでアウト67・イン62 = 計129 で回ったのですから・・。」

その頃のゴルフ場でのプレー回数は、年間一回か二回であった。
プライベイトでゴルフはしたことが無いし、又 金銭的に出来なかった。
それでも昭和55年頃から 徐々にゴルフが盛んになり、会社の部課長以上、医者、商店主、など
金持ちの遊びから、一般にも普及し始めた。
テレビでのゴルフ放映も増えてきた。 同時にゴルフ練習場も増えた。
昭和〇〇年に「課長補佐」に昇進した。 
「課長補佐」になった頃から、ユーザー主催のゴルフコンペ(親睦ゴルフ大会)への参加、接待など、ゴルフをする機会も増えてきた。
 
ユーザー接待、ゴルフコンペへの参加が増えてくると貰い物の「ハーフセット」のクラブでは、如何(いか)にも格好付かなくなってきた。
だから いつの時点か忘れたが、この頃 はじめて新しいクラブを買った。

そのクラブ名は「ヨコオのカレドニヤ」である。
定価七万円位?の商品を 確か 半値程度で買えた。


課長補佐当時のゴルフ回数は、年間平均六〜七回だったと思う。 課長補佐と課長になった2〜3年は、
年間10回前後、課長になって やっと 月一(つきいち)ゴルファーになった
その内 ゴルフの回数は年間二十回前後に増えた。
  以上から 生涯の累計ゴルフ回数は、約300回(数えたことは無い)と推定する。

優勝回数は約十回。 
ベストスコアーは「鳥羽CC」で出した81(アウト39、イン41)である。
ハーフでのベストスコアーは「東山CC」(パー74)での37である。
プレーしたゴルフ場は約110ヶ所。 憶えているゴルフ場を列記すると

(県 別)、CC=(カントリークラブ)、GC=(ゴルフクラブ)は未記入。 (愛知県)
・愛知(東山)、・緑ヶ丘、・森林公園、・春日井、・定光寺、・名古屋グリーン、・藤岡、・南山、・京和、
・セントラル、・東名古屋、・広幡、・さなげ、・三好、・貞宝、・豊田、・知多、・松名、・庄内橋、
・日本ライン、・岡崎、・額田、・東海、・西尾、・セントクリーク、・ロイヤル、
(岐阜県)
・多治見、・名岐国際、・さくら、・中部国際、・むらさき野、・瑞浪高原、・愛岐、・富士(可児)、・富士(明智)、
・賑済寺、・名倉、・セントクリーク、・正眼寺、・レークグリーン、・岐阜関、・各務原、・恵那峡、・明世、
・下呂、・こぶし、・関が原、・養老、・花の木、・日吉、・ヴォベール、・ベルフラワー、・中津川、
(三重県)
・桑名、・桑名国際、・嬉野、・芸濃セントラル、・三重、・多度、・菰野、・鳥羽、・四日市セントラル、
・青山高原、・伊勢湾、・賢島、・亀山、・ナガシマ、・中日、・スリーレーク、・名張、・レオフジワラ、・六石、
・セブンスリー、・榊原温泉、
(静岡県)
・静岡(浜岡)、・葛城、・フォレスト、・浜名湖、・掛川グリーンヒル、・天城日活、

(奈良県)・グランデージ、・奈良国際、 (長野県)・木曽、・穂高、・安曇野、
(富山県)
・高岡、・魚津、 
(滋賀県)
・皇子山、・名神八日市、・彦根、
(福島県)
・会津磐梯(ABC)  
(埼玉県)
・熊谷、・森林公園、
(千葉県)
・袖ヶ浦、・館山、   
(京都)
・ベニー(丸紅)
(大分県)
・別府、   
(熊本県)
・三井グリーンランド、
(海外)
・ビンタンアイランド(インドネシア)

取りあえず思い出したのは、以上99ヵ所である。
よく 思い出したと思う。

ゴルフクラブは、・「カレドニヤ」のあと、・「プロギヤー501(日本ゼオン)、
最後が、ゴルフ練習場近くは、(シングルプレーヤーの経営しているゴルフショップ)で ・オーダーメイド
(全部で20万円強)で購入した。 ゴルフクラブである。 

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