【 楽書き(らくがき)帖 】
* (注) 写真が多いためダウンロードに少し時間が掛ります。 しばらくお待ち下さい。
《 項 目 》
のマーク⇒画面クリック拡大 .
1.発症3年後の〔 私の右腕 〕 (写真に触れると、簡単な「説明文」がでます。) (2004年 2月 1日)
私の「右腕君は」、60年間まさしく私の右腕であった。
良く働いてくれた。 私の思う様に動いてくれた。
「力持ち」で 中々 器用さもあった。 しかし 字を書くのは 余り上手な方ではなかった。
ゴルフの時など、余り 張り切らなくても良い時でも頑張り、力が入り過ぎて勇み足、しばしば 失敗する時もあった。
2001年2月10日以来、昔の面影は全く無く ただ右の肩にくっ付いてぶら下がっているだけである。
勿論 「右腕君」の所為(せい)ではない。主人である私が患った「脳梗塞」の所為である。
「脳梗塞」は、梗塞した場所と程度によって 殆んどの人の症状に差が生じる。
脳の障害を受けた位置によって症状が左右されるらしい。
勿論 聞いた話であるが、 一般的に障害が脳の右側であれば障害は左半身に、 脳の左側であれば
体の右半身に障害が生じる。
「脳卒中」は、後遺症の麻痺による障害で 苦しむ患者が多い。
上下肢、思考力、言語、視力、顔面麻痺、など多くの障害が生じる。
私の場合は、脳の左側部分の「梗塞」であるから右半身に障害が現れた。
右上下肢の著しい障害と多少の言語障害である。
言語障害の方は、多少 話し難いところはあるが 電話でも会話できる程度である。
身体障害者手帳によると、右下肢=機能著しい障害(4)、右上肢=機能全廃(2)になっている。
身体障害者等級表による級別は2級である。
夫々の級の中でもいろいろ程度はあるだろう。
鹿教湯病院の医師の診断の結果、格付けが決定されたのは発症後約6ヵ月の時であった。
その当時の状態を思い出すと、病院内では車椅子は完全に手放せなかったが、「リハビリ」ではPT担当療法士より外出許可が出て、
杖突歩行でゆっくり1km前後歩けるようになった頃である。
発症3年後 現在の歩行は、杖突歩行では4〜5km(時速=2〜2.5km)、杖無しでは 無理すれば
500m〜1km位歩けるようになった。
一般的には発症後6ヶ月を過ぎると回復は止まり、又は 極端に少なくなると言われているが、 それ以降も
回復が続き、相当歩けるようになった人もいると聞く。
私の場合は どうなんだろう? もう 少し歩けるようになると良いんだが....。
右腕に戻ろう。
手の場合はいろいろ繊細な機能をするための神経、筋肉が、非常に複雑になっていて、歩くだけの足と比べ格段に回復が難しい。
と、療法士から聞いた。
私の手の回復も非常に遅い。 殆んど回復していないと言ってもいい。
だが まだ 完全に諦めている訳ではないが....。
現在 「私の右手君}ができるのは、車のハンドルが持てることと ドアを閉めることである。
以前は、垂れ下がっていただけだからハンドルを持っていられるだけでも、運転姿勢でバランスが良くなった。
長距離運転が出来るようになった。 最近 ウインカー操作も出来る。
しかし これらの動きは反射的に出来るのではなく 意識して力を入れ、何とか出来るのである。
以前は 全く動かなかったことからすれば、少しでも改善したと思いたい。
その他では、タオル絞りの手伝い、血圧計のスイッチ押し、左手の爪切りの手伝い(大型の爪切で切る(握る)=押さえるだけ)。
階段での上り下りの際に杖を持つ、等である。 あまり多くは働けない。
上肢については、贔屓(ひいき)目にみても目立った回復は見られない。
もう少し 気長に待ってはみるが...。
その他、 昔 出来たことを思い出させるために いろいろ遣(や)らせてみるのだが、動かし方は分かっていても、中々動いてくれない。
「脳の神経が繋(つな)がるまで気長に待つしかないのか!」
腕は歩く時のバランスをとる手助けにはなっているのかもしれない。
しかし 緊張しているためか? いつも 肘のところで少し曲がっている。
(
久屋公園噴水)
変な動きをする時がある。
あくびをする時硬直して腕が伸びる。
くしゃみをしたり、驚いたりすると腕が飛び跳ねる。等である。
これは意識して動かしているのではないだけに困る時がある。
お蔭様で感覚は正常である。
強いて言えば、寒くなると右側の体温が左側に比べ低い様な気がする。 冷たく感じる。
いずれにしても もう少し働いてくれるとありがたいのだが....。
以上 .
2.「近江八幡」周辺へドライブ (2004年 2月 5日)
昨年秋(2003年10月)、滋賀県の近江八幡へ日帰りドライブをした。
行楽シーズンだけに、山を歩いたり、海辺を散歩したりもしたいのだが、何せ 思うように歩けないので、 どうしても車に頼ることになる。
しかし車に頼ると言っても、体の事を考えると どんなに遠くても・・・・、良いという訳ではない。
妻と一緒に行くのであるし、妻も免許証を取って20年以上なるので、本来であれば、余り 心配しなくても良いところであるが・・・、
そうは 行かない。
妻は、高速道路を走ったことが無いし、車の混雑する所も、苦手である。
そんな事で、(止むを得ず)、私が運転することになる。 左ハンドル、左アクセル....で。
(何処かへ行くかは)、決めたものの)色々考えると 行動には、制限がある。
(さて どこにしようか? 考えた末、「近江八幡」へ行くことにした。
「近江八幡」へは行ったことは無いが・・・・・、 その近くの彦根、能登川、稲枝には、仕事で、時々行ったことがあった。
即ち 「琵琶湖の周辺」である。 私の家から近江八幡市までは約120km。
名神高速道路で「一宮IC」から「竜王IC」まで乗った。 途中「多賀SA」で一服した。
以前 ここに立ち寄った時に比べると、格段にきれいになっていた。
障害者用駐車場も広く、「トイレ」も近く、使い易くなっていた。
最近の高速道路のSA、PAはバリヤフリーが進んでいて使い易い。
時折 健常者が便利だけを理由に障害者用に止めている。
以前はそれほど気にしなかったが、自分が障害者になってみると非常に気になる。
それでも私の場合は、非常にゆっくりではあるが杖を突いてトイレ、売店等へ行くことが出来る。
車椅子の人はそうは行かない。 健常者の皆さんの「常識」に頼るしかない。
(
郷土料理「喜兵衛」)
近江八幡の観光は、「るるぶ」を見てコースを決めた。
昼食は中心街に在る郷土料理店「喜兵衛」にした。
普通の日本料理であったが、「鯉の煮付け」が絶品であった。
女将はじめ、店員の接客も良かった。
豊臣秀吉の甥(秀次)が八幡山に城を築いた。
その城の防御のため八幡山を囲むように堀が造られた。 これを八幡堀という。
琵琶湖と結ばれており、当時 船が行き来し、近江八幡の流通の中心的存在だった。と聞いた。
堀沿いには白壁の土蔵が軒を連ねていた。 現在 堀には観光船が見られる。
堀沿いの路を少し歩いたが、敷石が大きく凸凹で余り歩けなかった。
(
長命寺の石段)
次に「長命寺」に行った。
勿論 知らない寺であったが、「名前が良かった」ので行くことにした。
その寺は山の上に在った。 上れる所まで車で登った。
寺までは、その駐車場から また石段を30m程登らなければならなかった。
その石段は急で 私は登る自信が無かった。 妻に私の代わりに参ってくれるよう頼んだ。
(
八幡山ロープウエイ)
(
瑞龍寺境内 )
その次は、「村雲御所瑞龍寺」(秀次の菩提寺)。
標高283mの八幡山の上に在った。
何とか 周りに助けられながらロープウエイで登った。
そこから 本堂までの石段が急で、本当に苦労した。
降りた後は、ほっとした反面 達成感があった。
(
(日牟礼八幡宮)
ロープウエイの近くに在った「日牟礼八幡宮」にも、ついでに立ち寄り、お参りした。
今日の走行距離は全行程で約350kmであった。
運転には多少自信が出てきた。
今後も気を抜かず「安全運転」で出来るだけ出掛けるようにしよう。 以上
3.我が家の障害者対策
(2004年 2月25日)
(
旧 我家)
「脳梗塞」で入院する時まで住んでいた家は約8ヶ月間入院している間に売却し、新しいマンションに買い替えた。
前の家は20年以上前に購入し、庭木の手入れ、家庭菜園、その他いろいろ手入れをしきた家だけに、正直言って、
未練があった。
しかし この病気は、医師はじめ周囲の情報から、 幾ら 「リハビリを頑張っても、元の様に動けるまでには回復しない事を
知った。
その時点での 自分の体の状態と周りの状況から、嫌でもそれを理解せざるを得なかった。
100坪近い敷地をこの体で「メンテナンス」していくことは・・・・・、到底 出来ない。
それに退院して直ぐからでも困ることは、道路から玄関まで7〜8段の階段が有り、家は2階建で 何箇所かの「バリヤー」が有ることである。
これを改造するのは至難の業である。
そう思って「バリヤフリー」を強調していたマンションに買い替えたのである。
病気発症3年後の今の常態から考えても、良い選択であったと思っている。
マンションのバリヤフリーの部分を書いておこう。
勿論 このマンションは、(障害者用)に造った建物ではない。
(
エントランス入口)
お年寄りにも優しいマンションであると謳っていた。
道路からエントランスまでは2段の階段はあるが、側面にスロープが付いている。
エントランス以外に出入り口は四箇所有るがいずれにも段差は無い。
その他の通路にも段差は見られない。
マンションの駐車場は四階まで有り、全部で100台ほど駐車できる。
そこには駐車場専用のエレベーターが設置されているので各階には難なく行くことが出来る。
四階の駐車場には屋根が無いので、傘の差せない私には不便である。
因みに我家の駐車場は一階である。
(
部屋の玄関)

各部屋共 玄関を入ると一帖ほどのスペースが有り、作り付けの下駄箱、物入れが有る。
その一部に引き出し状の椅子か付いている。 この椅子は健常者には不要の物であるが
私には、非常に重宝な設備であった。 現在は殆んど使っていないが...。
玄関から廊下に上がる所に8cmの段差がある。 これが最大の段差である。
その他ではベランダと居間の間に同じ位の段差が有る程度だ。
それ以外は居間と食堂・台所の間、廊下と各部屋、トイレには段差はない。
退院当時はベランダに下りるのも大変であった。今は上がり降りはあまり気にならないが、ベランダでスリッパを履くのに少し苦労している。
廊下と私の部屋
、トイレ
、風呂場
には手摺りを付けて貰った。
名古屋市が援助してぐれた。
風呂には問題なく一人では入れる。
退院当初は身障者用の椅子を使っていたが、今は普通の椅子に腰掛けている。
タオルは麻痺側の右手も動員して、苦労して絞っている。
毎日 朝夕二回 7階の部屋からエントランスまで新聞を取りに行くのを日課にしている。
最近では杖無しで行けるようになった。 私の足で往復約400歩である。
(エントランス迄の通路)
週二回のゴミ出しにも行く。 沢山有れば、一つだけ持って行く。
出来るだけ杖無しで歩くよう努力をしている。 残りは妻が出す。
これら全ての行動は、健常者にしてみれば "面倒くさい"だけの低レベルの仕事であるが、
私にとってはリハビリを兼ね真剣にやっている。
苦労無く出来る様になれば良いのだが......。 以上
4.三河湾方面へ小旅行(今年最初の旅行)
(2004年 3月10日)
1月 三河湾(愛知県内)方面に出かけた。
この辺りでは比較的「蒲郡(竹島)」が有名だ。
今回も妻と一緒に出かけた。 一泊旅行である。
'04.最初の旅行。
宿泊先は会員制のホテル「Linx」である。
今回の目的は、観光ではなく、妻の友達が「Linx」を紹介してくれたので、ゆっくりと風呂にでも入り、美味しい物でも食べて来ようと、
行ったのである。 「Linx」は三河湾沿いの「吉良温泉」内に在った。
「吉良温泉」は、自宅近くのICから「名古屋高速道路」→国道23号線→県道42号線を通って約80kmである。
国道23号線沿いにはトヨタの協力会社も多く、産業道路になっているためトラックが多い。
愛知県に長く住んでいるが、吉良に温泉があるとは知らなかった。 多分冷泉だろう。
しかし吉良温泉は海沿いに在るので景色は美しい。
ホテルの部屋から「前島」「沖島」が見えた。
ホテルの風呂には浴槽に入る手摺りが付いていた。
敷地内にもう一つ、一般客向けのきれいな風呂を作ったとフロントで紹介された。
ホテル客も無料で一回入れる「チケット」をくれた。
私も杖を突いて長い通路を通りその風呂に行ってみたが 浴槽に手摺が無いという。
妻だけが入った。
翌日の朝食は苦手のバイキングだった。
好きなだけ食べられるし一般客には好評かも知れないが 半身不自由な私は苦手である。
出来るだけ料理の近くに席を取り、少しずつ左手で運ぶのである。
勿論 妻が運んでくれるのだが、ハビリを兼ね少しでも慣れるために自分でも運んだ。
平日であったのと混む時間帯を外したので あまり混雑は無かった。
ただ その食堂は 料理の置いてある場所とテーブル席との間に一段ではあるが段差があった。
勿論 何の話題性も問題も無いのだが、それでも私には気になった。
今日の行動計画は無かった。
チェックアウトの10時までゆっくり部屋に居て、それからどうしようか決めることにした。
(
( 華蔵寺本堂 )
(
吉良の墓 )
結局 この辺りでは比較的有名な「華蔵寺(けぞうじ)」に行くことにした。
この寺は「忠臣蔵」で有名な「憎まれ役の吉良上野介」の菩提寺である。
吉良上野介(吉良義央公)は出身地の吉良町では人気が有り 当時は「名君」であったと伝えられている。
車から30〜40m、急な坂道を登って見学 お参りをしてきた。
昼食は、テレビでも放映した蒲郡(がまごおり)の「山女魚」という魚料理のお店にした。
魚が美味しくて比較的安いので人気のある店である。 このお店は二回目である。
そこから 最近 蒲郡にできた(公園)「ラグーナ」へ行き、外から眺めただけで帰宅した。
帰りは東名高速道路を利用、「音羽蒲郡IC」から乗った。
全部の走行距離は約230kmであった。 以上
5.「かんぽの宿」のこと (2004年 3月20日)
「かんぽの宿」のコマーシャルをするつもりは全くない。
「かんぽの宿」は日本郵政公社・簡易保険加入者福祉施設である。
私が初めて利用したのは、「脳梗塞」を発症 入院してから丁度2ヶ月が過ぎた頃である。
リハビリのため、長野県松本市から車で30分程入った所(鹿教湯温泉に在る)の「鹿教湯病院」へ転院することになった。
その病院へ入院する前日、「かんぽの宿」に泊った。
「かんぽの宿・鹿教湯」である。
「鹿教湯病院」は発症後三つ目の病院である。
まだ 殆んど立てない状態であったから、車椅子に乗っての入院である。
だから 入院前日の「宿」は心配であった。
かんぽの宿」の玄関には車椅子が置いてあった。 エレベーター、スロープも完備している。
一番助かったのは、浴槽(トイレ)前まで車椅子で行けたことである。
当然 浴槽(トイレ)には周りに手摺りが付いていた。
それでも入浴は介護に慣れない妻、娘に手伝ってもらった。
いずれにしても、体にひどい障害をもった私には、優しい部屋であった。
勿論 全部の部屋がそうでは無いらしい。
予約の際に問い合わせ「その部屋」を取ってくれたと、後日 聞いた。
入院してから最初の外泊だったから、何故か 食事も美味しかった。
非常に印象が良かった。
鹿教湯病院入院中の6ヶ月間に、2回外泊したことがある。
自宅に帰った訳ではなく、家族と鹿教湯温泉内に泊まっただけである。
比較的老舗の普通の旅館 と 国民宿舎に泊った。
両方共「バリヤフリー」になっており、他の温泉地とは違っていた。
「鹿教湯温泉」は、「リハビリ」に力を入れている「鹿教湯病院」に深く関わりが有るらしく、鹿教湯温泉全体が「バリヤフリー」に関心を持っていると聞いた。 退院後、約2年の間に数回小旅行に出かけた。
外泊する時、いつも心配する事は風呂に「手摺り」が付いているかどうか?である。
一度「下呂温泉」に泊まった時に、風呂に手摺が無く「部屋の風呂」に入ったことがある。
温泉に行って「部屋の風呂」に入るのは何とも味気ない。
それからは出来るだけ、家族に「かんぽの宿」を希望する。
鹿教湯の印象が良かったから...。である。
退院してから現在までの2年間に、静岡県/修善寺、熱海、焼津、三ケ日、 愛知県/知多美浜、 岐阜県/恵那峡(二回)、「かんぽの宿」を
利用した。
家族と一緒に行っても風呂(男風呂)へ入るのは、当然いつも1人である。 (たまに娘婿と一緒の時はあるが...。)
私でも、風呂のあちこちに手摺りが付いていれば、何とか一人で入ることが出来る。
本当に助かる。 また 廊下に手摺りが付いている所もあり、エレベーター、スロープ、トイレなど、障害者には比較的良い環境の所が多いと
思った。 更に 全国の施設でバリアフリー化を推進していると聞く。
障害者、お年寄りには朗報である。
「かんぽの宿」の宿泊料金は、場所と季節により多少異なるが、2食付でで10,000〜13,000円と手ごろである。
私も妻も、風呂と食事の内容には 略満足している。
全国に80箇所以上有り 障害者、お年寄りにも安心して利用できる施設であると思う。
インターネット等で簡単に申し込みの出来るのも良い。 但し 土曜日が満席になる所が多い。
以上 .